憧れの仕事@江戸時代

たくさんの人と話したり、様々な場所に行ったりする中で自分の知らないもの、考えもしなかったようなことを見聞きすると非常に楽しくなります。

しかし、そんな風に自由に人と話したり行動したりすることができるようになったのは長い歴史の中でもつい最近のことです。

例えば江戸時代には身分の差があり、藩の外に出ることも自由ではありませんでしたし(許可が必要)、外国に行くことは不可能でした。

決して当たり前のことではないからこそ、憲法でも居住・移転の自由を明記して保障しているのだと思います。

そんな江戸時代に自分がいたらどんな生き方をしてみたいか、と考えることがありますが、大体三つの答えに落ち着きます。

一つ目は将軍となって、自分のやりたい政策をどんどん進める。かつ私生活もかなりやりたい放題(笑)。実際は仕事も大奥も窮屈だったと思いますけどね。

二つ目は商人となって、新しい・面白い商売を広げていく。江戸時代には現在に連なる多くのビジネスが生まれていますが、時代によって多少異なる可能性はあっても、商業に関してはかなり自由だったのではないかと思います。だからこそ、自分のアイデアで勝負していくのは夢がありそうです。

そして三つ目が長崎奉行。江戸時代は鎖国していたため、外国人と接点を持てる人は限られていました。幕府の海外への窓口である長崎のほか、朝鮮との外交を担当していた対馬藩、琉球を間接支配していた薩摩藩、アイヌとの窓口だった松前藩くらいでしょうか。
その中で一番メジャーなのは、やはり中国やオランダとの窓口であった長崎で、その政庁のトップが長崎奉行です。
海外の情報が限られていて、社会的な変動も比較的小さかった江戸時代において、長崎奉行に入ってくる情報は知的好奇心をくすぐるものだったと思いますし、考えただけでワクワクします。

さて、それほど関心を持っている長崎奉行というポジションですが、実は実態をあまり知らなかったりします。長崎奉行の名前やエピソードなどもほとんど浮かびません。
そこで、長崎奉行について書かれた書籍を読んでみることにしました。
タイトルはそのまま、「長崎奉行 ~等身大の官僚群像~(鈴木康子著)」。

上述の通り、長崎奉行は外交窓口であった長崎で現地の行政を取りしきる、いわば外務大臣兼長崎県知事といったイメージのポジションでした。
当然長崎に居住する外国人も管轄しており、海外との接点は日常的にありました。

しかし、海外との地位を相対的に高めたい幕府の思惑もあり、長崎奉行は高い地位とはされず、江戸時代初期は数ある奉行職の中でも下位の方におかれていました。
そして、江戸時代中期、川口摂津守宗恒の時代に長崎貿易の重要性が認識されたことから、中位にまでその地位は上がりました。
19世紀には欧米諸国からの接触が増えてきて、長崎奉行の役割も貿易の管理から長崎の防衛という役割に変わっていったようです。1808年にはフェートン号事件が発生し、当時の長崎奉行・松平康英が自害しています。

江戸時代には125人の人物が長崎奉行に就任したそうですが、その中にはいろんな人物がいて、やはり外交政策や長崎の統治に力を尽くした人も多かったようです。
本書ではそんな人物が紹介されていました。

河野通定(在任1666-72)は、江戸初期の名奉行として紹介されています。
当時は長崎での貿易が自由にできたことから、全国から一旗揚げようと多くの人が集まってきて、長崎の風紀・秩序に乱れが見られたそうです。
そこでその風紀の更正に勤めたのが河野通定でした。
長崎の市民や外国人に対して厳格かつ情に満ちた対応を行い、また低い身分のものであっても孝行を顕彰したりしたことから、長崎は秩序を取り戻し、彼は長崎市民に大いに敬愛されたそうです。

大森時長(在任1732-34)は、長崎で最も人気のある長崎奉行なのだそうです。
彼が着任した直後、西日本は大飢饉に襲われ、長崎も飢餓の危機に直面しました。
そんな折、彼は全国各地から必死に食料をかき集めます。
また、長崎で幕府から禁じられた米の買い占めがあり、商人が捕まったときも罰する代わりに安価に米を放出させるなどの柔軟な対応を取っています。
それだけに留まらず、最終的には幕府に無断で官庫を開放し、市民に食料を提供しました。
その甲斐あって、長崎は一人も餓死者を出さずに飢饉を乗り越えました。

しかしながら、その後彼は無断で官庫を開放したことの責任を問われ、免職の憂き目にあってしまいました。
この辺りの話は、宝永の大飢饉の時にやはり無断で官庫を開放して庶民を救った代わりに切腹となった関東郡代・伊奈忠順と似ています。切腹にならなかっただけよかったとすべきかもしれません。

ちなみに彼が江戸に戻る時、沿道には多くの市民が詰め寄せて別れを惜しんだそうです。
奉行冥利に尽きますね。

松浦信正(1748-52)は徳川吉宗の時代の長崎奉行で、勘定奉行として活躍していたところ、吉宗直々の命で長崎奉行を兼務することになりました。
元々勘定奉行の職務だけでも大変だったので、「自分は漢字も読めない文盲なので、長崎奉行などできません」と辞退するのですが、吉宗から「漢字が分からないならひらがなで仕事すればいいだろ」と強く要請され、やむなく長崎奉行の役目を受けたそうです。

信正は、吉宗の期待に応え、貿易の統制や対オランダに対する日本の立場の強化、勘定奉行所スタッフを取り込んだ長崎奉行所の改革(これは彼が勘定奉行兼務だったためにできたことだと思われます)などを成し遂げます。

そんな彼も吉宗が死去すると後ろ盾を失い、長崎奉行の兼務が解かれた後、勘定奉行も突如解任されてしまいます。
旗本・お奉行様と言っても結局は仕え人の哀しさ、といったところでしょうか。
もっとも、彼が失脚の憂き目に遭ったとしても、彼の業績は依然として輝き続けるのですが。

他にも江戸初期の長崎奉行で、女性スキャンダルで切腹した竹中重義(竹中半兵衛の甥)や長崎奉行の地位を引き上げた川口宗恒などいろんな長崎奉行の人間ドラマが描かれていて、長崎奉行という役職やエリート武士の悲喜こもごもが垣間見られていて面白かったです。

本書は長崎奉行個人に焦点を当てているため、あまり長崎奉行・長崎奉行所という役職・組織の役割・位置づけについては触れられておらず、そういう立場でどのようなものが見えたのかということについては
理解をなかなか深められなかったのですが、今後関連する書籍などを通じて、長崎における行政についても学んでいきたいところです。

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Fintechにどう向き合うか

少し前に取引所が経営破綻したことで話題になった疑似通貨・ビットコインを始め、既存の金融にテクノロジーが変革を迫る動き、いわゆるFintech(フィンテック)が注目を集めています。

資産運用業界にとってもFintechの動きは他人事ではなく、例えば特定のアルゴリズムをプログラミングして、それでコンピューターに投資判断を行わせるロボット運用はすでに導入されつつあります。
その結果、ファンドマネージャーやエコノミスト・アナリストの重要性が相対的に低下し、また個人投資家のニーズに応えるサービスを安価に提供することが期待されています。

また疑似通貨の存在や決済手段の多様化は、個人の生活に影響を与えるだけでなく、やはり資産運用のあり方にも影響があると思われます。

そのようなことからFintechには関心を持っていたのですが、このほどFintechに関する勉強会(読書会)があるということを聞きつけ、参加してきました。

定期的に開催されている会のようですが、Fintechについては普段と比べ参加者が非常に多かったようで、Fintechに対する注目度の高さが伺えます。

今回は日経BPムックの「Fintech革命」という雑誌が課題図書で、この本をベースに議論が行われました。

いろんな人が参加していただけに、議論の切り口も多様で、気付くこと、学ぶことがとても多かったです。
自分が常識だと思っていた金融業務についても変容が迫られるものも多そうで、業界人としても、金融サービスの消費者としてもいろんなことを意識する必要があると感じました。

また、金融サービスの提供のあり方が変わる故に、これまで金融サービスにアクセスできなかった人にも容易にサービスの提供ができるようになる(Social Inclusion)一方で、逆に格差の拡大を促し、場合によってはサービスへのアクセスを閉ざすケースもあるのではないか(Social Exclusion)という意見もあり、このあたりは社会政策とセットで議論する必要もあるのかもしれないと感じました。

勉強会の運営に差し支えがあると申し訳ないので会の中での議論の詳細は割愛しますが、やっぱりいろんな人の話を聞くのは学びや刺激があっていいですね。

よく言われる通り、Fintechには既存の法制度で整理しきれない部分が多く、特にビットコインは現状は通貨ではないので、法令上の取り扱いについても検討すべき点が多いため、コンプライアンス担当としてもどのように整理がなされるのか興味は尽きません。

例えば、投資信託の運用としてビットコインに投資することは認められるのか、ビットコイン建ての株式や債券を発行することは可能か、あるいはビットコイン建ての投資信託は可能か、ビットコインはどのように評価をするのか、など投資信託に関連する論点だけでも次々と思い浮かびます。

まだまだビットコインは法定通貨ほど普及していないので、これらの疑問が現実になるのは時間がかかりそうですが、思考実験としては面白いと思いますし、ビットコインに限らず資産運用サービスに影響を及ぼし、コンプライアンスとしても何らかの対応を求められる局面はいつか来ると思いますので、この分野についてもできるだけアンテナを張っておきたいと思います。

ちなみに運用業界の知人も会に参加していたので、会の後にFintechが業界に変革を迫る中、投信業界はどういうサービスを提供していくべきなのかという話をしていました。

妄想に近い話も多かったですが、いつかはそういうサービスを提供していけるようになりたいと強く思いました。
ということで、これからは妄想を共有できる仲間とたくさん議論を重ねて業界の発展に貢献したいと思います。

ホント、妄想は楽しい!!(笑)

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「その後」の三国志

最近歴史関係の本を読んでないなーと思いながら図書館をぶらついていると、面白そうな本を見つけたので手に取ってみました。
タイトルそのまま、「その後」の三国志。

「三国志」は日本でも人気の物語ですが、たいていの人は諸葛亮(孔明)が司馬懿(仲達)と五丈原で対陣中に陣没し、「死せる孔明生ける仲達を走らす」という場面で終わっているのではないでしょうか。

そこまでも当然素晴らしいドラマなのですが、実は孔明が亡くなってからも50年近く統一までには時間を要します。
そして、それに至るまでにやはり素晴らしいドラマがたくさんあります。

といいつつ、自分も孔明死後の展開を整理しきれていなかったので、うまくまとめられている本を読んでみることにしました。

私が「その後」で特に好きな人物は、少々マイナーですが、諸葛誕羅憲(らけん)という人物です。諸葛誕はまだ有名な方ですが、羅憲というと蜀滅亡までフォローしている人でもなかなか知らないかもしれません。

だからこそ、この場で羅憲推ししてみたいと思います(!!)。

孔明没後、蜀ではしばらくは名臣たちが綱紀を引き締めていたものの、徐々に弛緩していきます。
孔明にもその才能を買われた勇将・姜維は外征を繰り返して国力を疲弊させ、宮中においては宦官・黄皓が腐敗政治をやりたい放題。
ガバナンスもなにもあったものではありません。

そんな黄皓に媚びなかった若き役人こそ、羅憲です。
しかし、黄皓に牛耳られている朝廷でまともな人事が期待できる訳もなく、彼は同盟国・呉との国境である永安に左遷されます。

平和な時代ならそれで人生を終えたのかもしれませんが、しばらくして蜀が魏に滅ぼされることになります。
羅憲も困惑したことでしょうが、そこは大将、将兵・住民を見事に落ち着かせます。
また、旧主の皇帝・劉禅への礼も忘れなかったそうです。

そうして落ち着いたと思ったら、今度は「どうせ蜀は滅びたから」と、同盟国の呉が永安を攻撃してきます。
この不義に憤慨した羅憲は、わずかな兵力ながら将兵を鼓舞し、1年もの間城を守り抜きます。
その間城には疫病が蔓延するなど絶望的な状況でしたが、逃げることを勧められても断り、城将としての責任を果たそうとします。

そして、最終的には魏の援軍が到着し、勝利を収めました。
その後は、魏、そしてその後を継いだ晋で活躍することになりました。

残念ながら彼には他の三国志の英雄ほど事績が残っている訳ではありませんが、少しの事績だけでも尊敬に値するだけの材料を与えてくれています。
こういう人物に触れるにつけ、本当に歴史って素晴らしいと思います。

ちなみに魏・呉・蜀ともに重臣が政治を牛耳った時期があるのですが、魏や呉は皇帝の廃立に及んでいるのに比べ、蜀は一度も皇帝の廃立はなく、またその滅亡に際しても魏や呉以上に忠臣の存在が際立っているように思います。
三国志という物語(あるいは史書)の性質もあるかもしれませんが、なぜなのか非常に関心があるところです。
もっとも、心ある人がいたところで、システムとして人事がきちんと回らないとうまくいかないのは国も企業も、今も昔も変わらないのかもしれませんが。

ちなみに諸葛誕は諸葛亮の一族でもあるのですが、蜀や孔明の兄が仕えた呉ではなく魏に仕えた人物で、最終的には魏に反乱を起こして敗死するのですが、彼の部下数百名が「諸葛公のために殺されるなら命は惜しくない」と刑死したエピソードに凄く感動しました。

彼らの能力や人望のほんの少しでもあったらなあ、と精進に努める今日この頃です。

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コーポレートガバナンスを考える

一昨年から昨年にかけて「日本版スチュワードシップ・コード」や東証の「コーポレートガバナンス・コード」が策定されたこともあり、それらに関する論点を自分なりに整理しようと昨年論文を書いていたこともあり、最近コーポレートガバナンスに関心を持ち、勉強してみたいなと思っていました。

そんな矢先、知人からコーポレートガバナンスに関連しそうな本の読書会に誘われたので、二つ返事で応じ、早速課題図書を読みました。

それが、ドラマ化されて話題になった「しんがり 山一證券最後の12人」でした。
ちなみに著者は、元読売巨人軍代表で、渡邉氏との確執(いわゆる清武の乱)で知られる清武英利氏です。

本書では、山一證券破綻後において、生活の糧を失いながらも、会社の清算処理と破綻の原因究明のために会社に残った12名の方の活躍が描かれています。

山一證券破綻の背景には、顧客の損失を引き受ける「ニギリ」を清算しなかった上に、それを簿外債務(いわゆる「飛ばし」)として隠蔽していたこともあり、そのような法令違反に当局が最終的には支援を拒否したという事情があります。
当然のことながらその事実はもとより、そのような問題を放置していた経営や組織のあり方、すなわちコーポレートガバナンスに根本的な問題があったとも言えるでしょう。

と言ってみたものの、そもそもコーポレートガバナンスとは何でしょうか。

ガバナンスというくらいですから、組織として意思決定のプロセスが適切に確立・運用されていることはもちろんですが、その意思決定の内容が適切である必要があります。
意思決定の適切性とは、一つは合理性であり、さらには遵法性という点が挙げられると思います。

合理性とはその判断が会社の利益に繋がるのか、さらにはリスク管理が適切に行われているのか、ということです。
意思決定のプロセスはしっかりしていても、その判断に合理性がなければ経営判断としてはアウトでしょう。
といっても神ならぬ人間の判断ですし、間違いは当然にあります。
だからこそ、できるだけ適切な判断ができるようなプロセスを整備する必要がありますし、その意味では判断の合理性と意思決定プロセスの適切性は本質的には不可分のものとも言えます。

また、どれだけ利益を生み出す選択肢があっても、法令違反ではそもそもその判断が社会的に容認されず、その結果に安定性がありません。
仮にしばらく顕在化しなかったとしても、永久に隠し通せるものでもなく、どこかでツケが来るのがほとんどではないかと思います。

山一の場合、まさに社内でも隠し、問題を改善するでもなく、当然違法性も容認しているという、コーポレートガバナンスが効いていない典型的な事例とも言えそうです。

コーポレートガバナンスが歪んでいく原因は色々あると思いますが、山一の場合も含め多くの場合、業績悪化の隠蔽や、社内の人間関係に伴うものであるように思います。

業績悪化は経営者の責任問題になると言うこともありますが、取引条件の悪化やリストラを伴うこともあり、そういうものを避けようという一心で不適切な判断をしてしまうというのは分かりやすい構造です。

また企業が合併すると、合併の理念に関係なくそれぞれの元役職員同士が反目するという話はよくありますし、また特定の部署の発言力が強いと、経営判断が会社全体の利益ではなくその部署の利益を基準に行われ、その結果会社の利益を損なったり、果ては違法行為ということになることもあるように思います。

そんなことを思っていたら、「しんがり」の直後に読んだ「小説 金融庁」がまさにそんな話でした。

「小説 金融庁」は、都市銀行同士の合併でできたとあるメガバンクを舞台に、金融庁とメガバンクがコーポレートガバナンスのあり方を巡り虚々実々の戦いを繰り広げる、といったお話です。
そして、そのコーポレートガバナンスを歪める要因になったのが、合併による社内の不協和音と業績の悪化でした。

本書でも触れられていますが、コーポレートガバナンスにとって大事なのは、経営者、あるいは各役職員の「バランス感覚・公平性」と「事実を見つめる勇気」、そして「それを実行に移す実行力」という、ある意味当たり前のことに尽きるのではないかと思います。

実際、コーポレートガバナンスという言葉が使われたり、注目される前から長く成功している会社はこれらの要素を兼ね備えていたと思います。
また、これらのことは企業だけでなく、行政や個々人の生き方にも当てはまるようにも思います(自分自身に照らし合わせると微妙な結果になりそうですが…汗)。

私の仕事はコンプライアンスという、コーポレートガバナンスの一つである遵法性を担保する仕事ですので、自分の役割を再確認することにもなり、非常に勉強になりました。
・・・と、自分の業務の重要性を考えたところで、改めて気合いを入れて業務に邁進しようと思います。

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2015年の締めくくり

今年もあっという間に年末になってしまいました。
今年はたくさんブログを書きたいと思ってましたが、結局達成できずじまい。
数年前の気力はどこに行ったのやら…

と嘆いていても仕方がないので、せめて今年一年の締めくくりでも。

今年の始めにいくつか目標を立てましたが、それを振り返ってみたいと思います。

1. 自信を持って仕事をする
これはなかなかうまくいきませんでした。
頑張って仕事をしていたものの、なかなか上司からは評価されず、ダメだなぁ…と思いながら仕事をしてました。

自分に自信を持つことは仕事の時間を楽しむためにも大事なことなので、もっと自信を持ちたいです。

先日元同僚と話したときももっと自信を持てばいいのに、と言われました。
みんなが(社交辞令でも?)評価してくれれば自信を持てるんですけど、難しいです。

2. 社会的責任投資・ソーシャルファイナンス関係の知識向上
こちらもセミナーに出てみたり、関係者とのネットワークングを少し進めましたが、知識面の向上という点ではまだまだですね。

でもそのうちESG投資には仕事で関わってみたいし、そのチャンスを淡々と狙っていこうと思います。

3. 身体のスリムアップ
怖くて体重を量ってないのでn/a?
残念ながら、お腹回りは変化がないようです。

先日フルマラソンを走った直後はお腹回りがスリムになった気がしたので、継続すればきっと効果が出るはず。
ということで、来年こそは…。

4. 新しいスポーツを始める
今年から家族のすすめでゴルフを始めました。
知人の伝手でゴルフレッスンにも通い、家族とならコースを回れるようになりました。

まだまだゴルフをする人はビジネスの世界にも自分の回りにも多いので、来年は友人とコースを回れたらと思います。
付き合ってくれる方募集中です。

あと、フルマラソンも初参加し、なんとか完走しました。
でも、6時間半強という(緩い)制限ギリギリだったので、来年はちゃんと練習してもう少し早い時間で走れるようにしたいです。
何回か参加してスリムアップもできれば最高ですね。

5. 情報発信を続ける
冒頭にも書いた通り、全然ダメでしたね(汗)
本当は情報発信しながらインプットも蓄積したいと思っていたのですが、なかなかブログに手が回らず。言い訳ですけど。

ただ、今年も懸賞論文を作成するなど、インプットとこっそりアウトプットは図っています。

来年はブログを含めいろんな形で情報発信して、知識の蓄積と自分のブランディング(キャラ立ち?)を図りたいと思います。

・・・と振り返って見ると全然目標を達成できてないですね。

ただ、今年(また)転職して、自分の希望するESG投資に力を入れている会社で働くことになりました。
すぐに自分の希望の仕事ができる訳でもないですが、それでも何らかの形で関与するチャンスはあると思うので、毎日地道に頑張っていきたいと思います。

むりやり年末の振り返りをしましたが、みなさまよいお年を!

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霞ヶ関から眺める証券市場の風景 -再び、金融システムを考える-

ゴールデンウィークが終わり意気消沈したのもつかの間、幸いにも2日で週末になったので、心も穏やかです。
もっとも、明日からまた仕事ですが・・・orz

ともあれ、この週末は精神的に余裕があったので、本を読むことにしました。
最近は仕事に関する書籍を読んでいないので、久々に仕事に関連しそうな本を読むことに。

私が担当しているのはコンプライアンスという業務で、ざっくり言うと、法令をはじめとする各種のルールを会社の各業務において遵守するように対応する仕事です。
遵守すべきルールは業界によって異なりますが、私は運用会社に所属していますので、主に金融商品取引法(金商法)や投信法、及び業界団体・自主規制団体の規則がその対象になります。

運用会社を含めた金融機関は規制業界で、ライセンス(運用会社は登録になりますが)がなければビジネスを行うことができず、そのライセンスを管轄する金融庁や、ビジネスが適切に行われているかをチェックする証券取引等監視委員会の動向を常に注視しています。
ちなみに証券取引等監視委員会とは、インサイダー取引など証券市場における不正取引をチェックしたり、証券会社や資産運用会社のビジネスが適切に行われているか検査を行う行政組織です(法的には金融庁に設置された国家行政組織法上の八条委員会ということになると思います)。

運用会社のコンプライアンスといっても単に法令の条文を知るだけでなく、金融商品や運用会社の実際の業務を知らなければ適切な対応ができないので、仕事のためにと言っても何を読んでもいいのですが、まずは法令についてもっと理解をしなければと思い、金融そのものというよりは規制方面の書籍を選ぶことにしました。

ルールを理解するためには、法令の条文そのものだけでなく、そのルールが作られた背景を理解することも大事です。
そうすることでそのルールの本質を理解し、形式的ではなく本質的な対応をすることが可能になります。逆に法令の条文ばかり見ていては、形式的には法令を遵守できるかもしれませんが、法令の趣旨に沿っているかどうかは別の話です(・・・ということを上司にもよく言われますので、自戒を込めて)。

そして、法令を理解する近道は、法令立案担当者の論文や著書を読むことです。
ここ数年金商法や会社法の大きな改正がありましたが、その背景や改正趣旨を把握するため、金融審議会の議事録だけでなく、法令立案担当者の論文を図書館で探してきて読んだこともありました。

最近はそういうことをしていないのですが、日常業務のベースとなっている法令の趣旨やその制定背景を知ることは大事なので勉強したいなと思っていたところ、我々の検査を担当している証券取引等監視委員会の実務トップである大森泰人事務局長がその実務経験を振り返りつつ各種規制の背景や認識を語る書籍があったので、それを読むことに。

ちなみに大森氏は以前から積極的に情報発信をすることで知られる方で、著書でもその特異性に言及されています。
しかし、上述の通り規制を利用する(服する)側としてもその背景や行政官の認識については関心があるところですので、そのような姿勢は大変貴重だと思います。

また、大森氏の文章は単なる無味乾燥な法令の解説ではなく、ご本人の趣味や毒舌(?)も交えた独特のテイストで、読んでいる方もついつい読み進めてしまう魅力があります。

そういうわけで、積ん読状態であった大森氏の著書を読み進めてみました。
タッチは軽いものの、決して内容が薄い訳ではなく、むしろ考察が深いだけに理解しながら読み進めるのは意外に容易ではありませんでしたが、それでも学ぶところは多かったです。

一番最初のお題は「インサイダー取引」。
今でこそ広く知られた(かつ、正しくは知られていない)インサイダー取引規制ですが、実はその歴史は意外に浅いのだとか。
最初に証券取引等監視委員会がインサイダー取引を摘発したのも1994年と、わずか20年ほど前になるそうです。
今では投資家間の公平性、ひいては証券市場の信頼の確保のための規制と理解されていますが、その制定の際には賛否両論あったようで、「常識」というものの難しさについても考えさせられました。

あと印象に残ったのが、大森氏の幅の広さ。
インサイダー取引の制定背景を語るのに映画が出てきたり、卑近な例が出てきたり。
自分はあまり映画を見たりせず、引き出しが多い方でもないので、もっと色んなことを知らないといけないと思いました。

ちなみにインサイダー取引の後は長銀・日債銀の破綻及びそれに伴う長銀・日債銀事件から規制のあり方やそれを取り巻く人間模様が描かれるのですが、肝心の長銀・日債銀事件についてあまり知らず、またその事件そのものの解説があるわけではなかったので(つまり、読者はそれを知っているのが前提)、改めて業界の歴史を知ることの大切さを感じました。

行政官という制約の中独自のテイストで情報発信を続けられている大森氏ですが、今後もその情報発信に期待すると共に、私もいつかは制約を超えて情報発信ができるようになりたいものです(=そのようなニーズがあるような人間になりたい)。

しかし、大森氏もまさかこんな若造が自分の著書を読んでいるとは思っていないだろうなあ・・・(笑)

※ちなみに、大森氏はこちらの書籍の書評もされていました。本当にインプットの量が凄いと頭が下がります。

大森 泰人
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