「その後」の三国志

最近歴史関係の本を読んでないなーと思いながら図書館をぶらついていると、面白そうな本を見つけたので手に取ってみました。
タイトルそのまま、「その後」の三国志。

「三国志」は日本でも人気の物語ですが、たいていの人は諸葛亮(孔明)が司馬懿(仲達)と五丈原で対陣中に陣没し、「死せる孔明生ける仲達を走らす」という場面で終わっているのではないでしょうか。

そこまでも当然素晴らしいドラマなのですが、実は孔明が亡くなってからも50年近く統一までには時間を要します。
そして、それに至るまでにやはり素晴らしいドラマがたくさんあります。

といいつつ、自分も孔明死後の展開を整理しきれていなかったので、うまくまとめられている本を読んでみることにしました。

私が「その後」で特に好きな人物は、少々マイナーですが、諸葛誕羅憲(らけん)という人物です。諸葛誕はまだ有名な方ですが、羅憲というと蜀滅亡までフォローしている人でもなかなか知らないかもしれません。

だからこそ、この場で羅憲推ししてみたいと思います(!!)。

孔明没後、蜀ではしばらくは名臣たちが綱紀を引き締めていたものの、徐々に弛緩していきます。
孔明にもその才能を買われた勇将・姜維は外征を繰り返して国力を疲弊させ、宮中においては宦官・黄皓が腐敗政治をやりたい放題。
ガバナンスもなにもあったものではありません。

そんな黄皓に媚びなかった若き役人こそ、羅憲です。
しかし、黄皓に牛耳られている朝廷でまともな人事が期待できる訳もなく、彼は同盟国・呉との国境である永安に左遷されます。

平和な時代ならそれで人生を終えたのかもしれませんが、しばらくして蜀が魏に滅ぼされることになります。
羅憲も困惑したことでしょうが、そこは大将、将兵・住民を見事に落ち着かせます。
また、旧主の皇帝・劉禅への礼も忘れなかったそうです。

そうして落ち着いたと思ったら、今度は「どうせ蜀は滅びたから」と、同盟国の呉が永安を攻撃してきます。
この不義に憤慨した羅憲は、わずかな兵力ながら将兵を鼓舞し、1年もの間城を守り抜きます。
その間城には疫病が蔓延するなど絶望的な状況でしたが、逃げることを勧められても断り、城将としての責任を果たそうとします。

そして、最終的には魏の援軍が到着し、勝利を収めました。
その後は、魏、そしてその後を継いだ晋で活躍することになりました。

残念ながら彼には他の三国志の英雄ほど事績が残っている訳ではありませんが、少しの事績だけでも尊敬に値するだけの材料を与えてくれています。
こういう人物に触れるにつけ、本当に歴史って素晴らしいと思います。

ちなみに魏・呉・蜀ともに重臣が政治を牛耳った時期があるのですが、魏や呉は皇帝の廃立に及んでいるのに比べ、蜀は一度も皇帝の廃立はなく、またその滅亡に際しても魏や呉以上に忠臣の存在が際立っているように思います。
三国志という物語(あるいは史書)の性質もあるかもしれませんが、なぜなのか非常に関心があるところです。
もっとも、心ある人がいたところで、システムとして人事がきちんと回らないとうまくいかないのは国も企業も、今も昔も変わらないのかもしれませんが。

ちなみに諸葛誕は諸葛亮の一族でもあるのですが、蜀や孔明の兄が仕えた呉ではなく魏に仕えた人物で、最終的には魏に反乱を起こして敗死するのですが、彼の部下数百名が「諸葛公のために殺されるなら命は惜しくない」と刑死したエピソードに凄く感動しました。

彼らの能力や人望のほんの少しでもあったらなあ、と精進に努める今日この頃です。

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