生涯投資家

今年度前半の最後の大学院の授業は金融商品取引法の授業で、テーマはインサイダー取引についてでした。
そして、その判例として取り上げられたのが有名な村上ファンド事件です。

当時フジテレビの大株主であったニッポン放送株について、ライブドアの堀江貴文氏が公開買付(TOB)を行うことについて、事前に知っていた村上ファンドが事前に購入したうえで、TOB公表後に高値で売り抜けたことがインサイダー取引にあたるとして裁判になった事例です。

授業の中でも各裁判所の判決について賛否両論あったのですが、その中で印象的だったのが、必ずしも村上氏の行動は真っ黒なものではなく、法律論的にも一般的な感覚からも議論の余地があったということです。
それまで村上ファンド事件について深く調べることがなかったので真っ黒なインサイダー事件だと思っていましたし、世間の評価もそのようなものですので、物事を深く検討しないまま形成される世評の恐ろしさを感じました。
この事件に限らず、自分もその世評を形成している一人になっているケースがあると思うと、言動には気を付けなければいけないと思わせられます。

村上氏はその後シンガポールに拠点を移し、ファンド運営からは撤退し、自己資金のみの運用を行う投資家として活動されているようです。

海外に拠点を移したこともあり、もう公の場には出ないと思われていた村上氏ですが、最近著書を出されて再び注目を浴びています。
自分も投資会社の人間のはしくれですし、また世間の注目を集めた金融商品取引の事件の当事者の著書ということもあり興味があり、読んでみました。

タイトルは「生涯投資家」。本書を読んで村上氏の生い立ちや考えを知るとしっくりくる題名です。

通産省の官僚からファンド運用に転身した村上氏ですが、お父上は投資家だったそうで、ご自身も小さいころから投資をおこなっていたようです。
ケインとアベル」のケインの生い立ちと似ています。

通産省時代に多くの経営者と接する中で、その経営能力や株主に対する姿勢に疑問を持った村上氏は、コーポレートガバナンスのあり方に関心を持ち、米国のコーポレートガバナンスを研究していたそうです。

コーポレートガバナンスとは、株主が経営者の緊張関係を保ちながら監督を行う仕組みのことですが、米国では1980年代にはコーポレートガバナンスのあり方に関心が集まっていた一方、日本では銀行(メインバンク)によるガバナンスがメインであったことや株主持ち合いが多かったことから株主と経営者はどのように向き合うべきかという議論がなされてきませんでした。

その結果として、企業価値(時価総額)はあまり伸びず、投資家もなかなか利益を得ることができなかったといえます。
実際、時価総額では日米には大きなかい離があります(2015年時点で米ドルベースで米国は日本の約5倍)が、自己資本はあまり違いがないらしく、米国の企業が資本政策の観点からは非常に効率的に事業を行い、企業価値を高めていることがうかがえます。
その背景にはいくつかの要因があると思われますが、そのうちの一つは、米国の場合、機関投資家の経営者に対する企業価値向上のプレッシャーが強く、それが企業価値向上につながっていると考えられます。

企業価値向上の施策はいくつかありますが、その要点は不要な資本を置いておかない、ということに尽きます。
日本の企業は手元資金を潤沢に確保していることが多いそうですが、そのような資金は何ら利益を生み出しません。
そのようなお金については、設備投資やM&Aなど事業の拡大に利用する、あるいは従業員に還元してモチベーションや優秀な人材の確保・引き留めにつなげるなどさらなる利益を生むような使い方をするべきで、そうでなければ配当を引き上げる、あるいは自社株買いをするなどして投資家に還元するとともに、よりスリムな財務体質にすべきであると考えられます。
そして、投資家はそのようにして還元された利益をさらに次の投資に回し、新たな事業を育てていく、というのが(投資家重視の)コーポレートガバナンスを重視する観点からは望ましいあり方であると思われます。

そして、そのコーポレートガバナンスを日本において根付かせる重要性を考えた村上氏は、ファンドによる企業への働きかけという選択肢を選びました。

すなわち、日本にはコーポレートガバナンスの欠如や資本政策の非効率性のために企業価値が低く評価されている会社が多く、そのような割安株を買い付け、「もの言う株主」として会社に働きかけて企業価値を向上させることで、企業と投資家がwin-winの関係を築こうという考えです。
もちろん投資家からのお金を預かって利益を追求するのがファンド運用者の使命ですから、企業に対しては厳しい姿勢も時折見せており、そのような姿勢が企業側に疎まれたり、世間の誤解を受けたりすることになったようです(彼自身自分の人間関係も損なってしまったことを述べています)。

本書では村上氏が仕掛けた挑戦がいくつも紹介されています。
ニッポン放送だけでなく、東京スタイル、西武鉄道、阪神電鉄、などなど。
哀しいかな、それぞれのケースでコーポレートガバナンスの欠如や経営者の能力・意識不足が透けて見えるのですが、彼の主張は受け入れるところとはならず、また世間からもバッシングを受け、改革を通じて企業価値を上げるという目的は残念ながら達することができていません。
彼の主張がただの拝金主義とみなされ、彼の真意や社会的意義が問われないまま終わってしまったのは非常に残念なことです。

しかしながら、今では上場企業は「コーポレートガバナンス・コード」を採択し、コーポレートガバナンスの改善に努めることが求められています。
また、機関投資家側においても「スチュワードシップ・コード」を採択し、投資している企業に対し企業価値を高めるよう働きかける動きが広まっています。

今年からは運用会社が個別企業への議決権行使を開示する事例も出てきています。
これも単に親会社への姿勢だけに視点が集まりがちなのですが、運用会社は基本的には会社で定めた方針にしたがい機械的に議案への賛否を判断しているので、その方針自体に注目が集まってほしいものです。
ともあれ、企業側においても、投資する側においても、村上氏が追い求めていたあり方に近づいてきているように思います。

ちなみに運用会社の多くは、特に海外の企業に対する議決権行使についてはISSという会社から助言を受けているのですが、その会社を創設したロバート・モンスク氏が労働省の年金局長としてやはりコーポレートガバナンスに関心を持っていたというのが興味深かったです。
コーポレートガバナンス重視の年金局長といえば矢野朝水氏が思い出されますが、公的年金のパフォーマンスの改善を突き詰めていくと、日本でも米国でも、コーポレートガバナンスというのは避けて通れないのかもしれません。

コーポレートガバナンスを考えるということは、「上場するということはどういうことなのか」を考えることでもあります。
公開市場で資金を調達しながら、株主を自分の思い通りにコントロールしたいということは認められません。
良くも悪くも、誰でも株主になれるし、買収されるリスクも受容しなければいけません。
そして、資金を出している株主に報いるため、そして買収されるリスクを軽減するためにも企業価値を向上させ、株価を上げていくという姿勢が求められます。

そしてそのような姿勢が一般的なものになれば、資金がより効率的に使われるようになり経済の活性化につながるとともに、年金のパフォーマンス向上につながり、我々の老後の安心にもつながります。

運用会社として、投資先の企業にどのように何を求めるべきか、どのように投資先を評価すればよいのかというヒントになるととともに、大きな課題に立ち向かうには強い覚悟と精神力が必要なのだということを考えさせられました。

 

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アルカイダから古文書を守った図書館員

歴史や文化を生業にしている人だけでなく、歴史好きの人間にとって過去の遺物は言うまでもなく非常に大切なものです。
城や寺社仏閣・協会、古い街並みはそこで過ごした人の存在を感じさせてくれますし、古い道具や衣類は各時代の人の生活への創造をかきたてます。音楽や芸能、文学もしかり。
その中でも古文書は史実を解き明かすものとして、歴史の研究には必要不可欠なものです。

しかし、そのような過去の遺物を保存し続けるのは容易なことではありません。
良好な状態で保管するためのコストが大きいこともありますが、そもそも、それぞれのものの価値が認識されなければ適切に保管されることもなく劣化してしまいます。

また、古文書などは場合によっては政治的な要素を持つため、保管者の都合で処分されてしまうこともありえます。
したがって、そのような書状が残るというのは場合によっては奇跡的でもあります。

例えば、松代藩祖・真田信之は石田三成と交誼があったため関ヶ原の戦い以前には書状のやり取りを頻繁にしていましたが、徳川政権下ではそのような立場が足かせになりかねませんでした。
そのため、三成との書状を破棄することもできたのですが、彼はそれをせず、「徳川家康公から拝領した刀を収めた長櫃」と称した箱にその書状を保管し、江戸時代を通して寝ずの番をおいて厳重に保管していたそうです。

また、特に宗教的に過激な勢力は自分たちのポリシーに反するものは破壊することも多く、オランダ建国初期にはカトリック過激派がプロテスタントの協会などの破壊活動を行っていたり、日本でも明治初期に廃仏毀釈と言われる寺院の破壊活動が広がったりしています。

それは過去の話ではなく、現在も同じです。
最近でも、イスラム過激派が多くの貴重な歴史的な遺産を破壊したというニュースが幾度となく報道されています。

イスラム過激派が目の敵にしているのは建物だけではありません。
彼らの教義に反することを説いている書籍もまた彼らは敵視しており、それは現在の書籍だけでなく、古文書も含まれます。
実際、彼らは数多くの貴重な史料を焼却してしまっています。
本来イスラム教は寛容さを包摂する宗教だったのですが、過激派はその教義を厳格・独善的に解釈しており、同じイスラム教でも寛容さを持った宗派の存在自体が認められないようです。

そのイスラム過激派は中東・中央アジアだけでなくアフリカでも猛威を振るっていました。
誘拐事件を繰り返すボコ・ハラムや2013年のアルジェリア人質事件は記憶に新しところです。
彼らはアフリカでも貴重な歴史的な遺産を破壊し続けていました。

彼らの手は、マリ中央部のトンブクトゥにも及びます。
トンブクトゥはニジェール川のそばにあり、南アフリカと北アフリカが交わる場所で、古来より栄えた街で、学問の街としても知られていました(現在は街全体が世界文化遺産に指定されています)。
そのため、トンブクトゥでは写本や出版も盛んにおこなわれており、その対象はイスラム教だけでなく、数学や科学、医学に詩など幅広いものでした。
そのような書籍は独特な書体や金箔などで彩られているものもあり、その点でも価値がありました。

度重なる外部勢力の支配により、トンブクトゥの古文書は散逸していましたが、現在その多くがシロアリやイスラム過激派の脅威を逃れて保存されています。

その過程における関係者の奮闘やイスラム過激派がどのように勢力を拡大し、歴史的遺産にとって脅威となったのかを解き明かしたのが、「アルカイダから古文書を守った図書館員」という書籍です。

歴史好きとしては、アルカイダによる恐怖から貴重な古文書がどのように守られたのか、関係者がどのような思いだったのかということに関心があり、タイトルを見ただけでも感銘を受けることが予想できました。

前述のとおり、16世紀まで繁栄していたトンブクトゥも度重なる外部勢力の支配にともない、古文書が散逸していましたが、ユネスコによって設立された「アフマド・ババ高等教育・イスラム研究所」の職員であるアブデル・カデル・ハイダラ氏の尽力で、古文書を密かに保管していた人たちから買い集めて管理することに成功していました。
このハイダラ氏が本書の主人公です。

写本を含む古文書は散逸したとはいえ、必ずしも消失したわけではなく、多くの家で密かに保管されてきました。
愛好家の中には多くのコレクションを引き継いでいる家もあります。
しかし、バラバラに保管していると適切な管理がなされませんし、第三者に譲渡されたりしてさらにその存在が把握しにくくなることもあります。

そのようなこともあって、アフマド・ババ研究所では各紙の愛好家から古文書を買い受けて収集するプロジェクトを進めていました。
しかし、度重なる苦難を経験している愛好家たちはそう簡単に信用してくれません。
安値で買いたたくつもりだろう、貴重な古文書を破棄するつもりだろう、あるいは新たな迫害の口実にするつもりか、と疑われるなど愛好家たちの警戒心は非常に強かったようです。
しかし、ハイダラ氏は彼らに信用してもらえるように腐心し、多くの古文書を無事に収集することができました。
また、各地の財団からの寄付金を得て、自らのコレクションも含め、多くの古文書を保存するための図書館も設立し、保管体制の充実に努めています。

その後、彼は世界各地で展示会を開催し、アフリカにも歴史や学問の積み重ねがあることを知らしめ、歴史家として認められるようになりました。

 

しかし、古文書を集積したトンブクトゥにもイスラム過激派の手が伸びます。
マリ北部は政府の統治が行き届いていない地域であったため密輸の拠点になるなど、反社会的勢力が根拠地とするには都合の良い場所でした。
本書ではイスラム過激派がどのような背景で生まれ、拡大していったのかについても詳細に説明しています。

トンブクトゥを占領したイスラム過激派「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」は当初は寛容な姿勢を打ち出していましたが、徐々にその本性を明らかにしていきます。
容赦ない虐殺、音楽の禁止、聖廟の破壊など、殺伐とした雰囲気が強くなっていきました。

そのような支配に加え、さらにフランス軍の介入でサハラ地域のイスラム過激派が追いつめられ、より過激な行動に走る恐れが出てくる中で、ハイダラ氏は古文書を守るため、収集した古文書をトンブクトゥからマリの首都・バマコに移すことを決意します。

とはいえ、それは容易なことではありません。
輸送すべき古文書の数は膨大(37万7000冊)である一方、輸送に使うことのできる手段は限られています。
また、荷造りをするにも、輸送をするにもAQIMに気づかれないようにしなければなりません。見つかったら古文書どころか自分たちの命すら危うくなります。

それでもハイダラ氏は甥のモハメド氏をはじめ多くの協力者を得て、その大半をバマコに移送することに成功します。
移送が間に合わなかった一部の古文書はAQIMがトンブクトゥから撤退する際に焼却されてしまいますが、バマコに移送したものは1冊たりとも失われませんでした。

輸送作戦の途中で、マリ政府軍が賄賂をもらって便宜を図っていたことが描かれる一方、ハイダラ氏の協力者たちは無償で、かつ命がけで古文書を守っていたのが対照的で印象に残りました。

マリ政府軍は士気も能力も低く、米軍からも仏軍からも呆れられていますが、こういうところが反政府勢力に狙われるんだろうな、と思いました。
とはいえ、テロ勢力は遠くにいるようでもどの国に現れてもおかしくなく、他人事とは言っていられません。
やはり地道に各国の統治能力や軍隊の質を向上させるとともに、マネーロンダリング対策を強化して資金面での締め上げを強化することが大事なようです。

マネーロンダリングといえば、以前は日本も甘いと国際機関から批判されていましたが、2016年10月には改正犯罪収益移転防止法が全面施行されるなど、改善が図られています。
このような取組みが結果として人命だけでなく貴重な歴史遺産の保護にもつながれば、歴史好きとしてもありがたいですし、仕事で行っているマネロン対策業務のモチベーションにもつながりそうです。

また、イスラム過激派に身を投じる人の多くが貧困層であることにも留意が必要です。
このままくすぶっているだけなら何かを変えたい、という動機からイスラム過激派に与している人も多く、本書でも取り上げられているAQIM幹部のモフタール・ベルモフタールアブデルハミド・アブ・ゼイドイヤド・アグ・ガリーはそれぞれ貧困の中から這い上がってきています。
ガリーはトゥアレグ族の反乱に巻き込まれたという事情もあるので他の2人とは背景が異なりますが、貧困対策によって彼らのような人たちを過激派に走らせることを防ぐことはできるのではないかと改めて思いました。
特に彼らのようにリーダーにまでなる人間は何かしら優れたものを持っているのでしょうから、その能力を良い方向に発揮させられたら、とも思います。

もちろん、日本を含め国際社会はそのようなことも理解し、アフリカその他の発展途上国への支援は積極的に行っていますが、まだ平和への道は遠いようです。
また、そのような情熱を胸に途上国支援に携わっていた方がバングラデシュの事件のようにテロで命を落としているのを聞くと、テロ対策の難しさを思い知らされます。
空調のきいた部屋でのんびり本を読んでいる人間の理想と国際協力の現場の厳しい現実には越えられない壁がありそうです。
だからこそ、そのような情熱をもって邁進している方に対してはただただ尊敬の念を感じるばかりです。

本書は古文書の保護とイスラム過激派の興亡の二つの柱で構成されていますが、それぞれに考えさせられることが多くかったです。

日本にも貧困の問題はありますし、オウム真理教など過激な反社会行動を行うグループも存在しました。
そう考えると、イスラム過激派と同様の問題は日本においても生じうるものであり、その観点からも貧困対策や社会的包摂を進めていくことは重要になりそうです。

 

これらの問題に金融はどう貢献できるのか。
すぐに思いつく回答は社会的責任投資ですが、具体的にどういう金融商品を作れば投資家へのリターンと社会的包摂・歴史的遺産の保護につなげられるのか、という問いに答えるのは難しそうです。
ただ、最近はSocial Impact Bondという社会貢献の成果に応じたリターンを提供するという新しい金融商品が生まれていて、発祥の英国ではすでに初回のSIBのフィードバックが発行されています。
日本でもパイロットファンドが始まりますので、このような新しい金融商品についてもフォローしていきたいところです。


 

 

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物語 オランダの歴史

日本より小さな国土と人口でありながら、農業や商工業、国際政治に芸術と多くの分野で世界に大きなプレゼンスを持っている国、オランダ。
その国際競争力(IMD国際競争力ランキング2017年版では世界5位)に加え、自由と寛容というポリシーを持ったオランダは我々日本の人間にとっても学ぶところが多く、魅力的です。

それゆえに自分もその地でその雰囲気に触れ、彼らの競争力の一端でもいいので感じたいと思い、オランダに留学したのですが、歴史好きとしては不覚にも、オランダの歴史についてはあまり詳しく知りませんでした。

そんな折、中公新書の「観応の擾乱」(亀田俊和著)を探していたら、隣にオランダの歴史の新書も発売されていたのでまとめ買いしました。
タイトルは、「物語 オランダの歴史」。

オランダの歴史の始まりはローマ帝国の時代に遡りますが、本書はオランダの建国、すなわちハプスブルグ家からの独立から始まります。

時は16世紀半ば、日本では戦国時代にあたる頃、西欧に君臨していた神聖ローマ帝国はフランスやオスマン・トルコとの戦いに忙殺されており、支配下にある貴族や市民には大きな負担がのしかかっていました。
さらに、その頃ドイツで勃興したプロテスタントが多くオランダに流入していましたが、ハプスブルグ家(カール5世・フェリペ2世)はプロテスタントを異端視し、迫害していました。

そのような軋轢もあり、度重なる圧力と交渉の末、当時「低地諸州(ネーデルランデン)」と呼ばれていたオランダは立ち上がります。1568年のことでした。
そのリーダーとなったのが、オランダの有力貴族・オラニエ公ウィレム1世。後にオランダ建国の父と呼ばれる人物です。

圧倒的な戦力差に苦戦し、またその中でウィレム1世が暗殺されるという悲劇もありましたが、その子マウリッツの下、1609年にスペインと12年の休戦条約を締結し、これをもってオランダの独立が成りました。
ちなみに、この時代においては他の西欧各国は君主制を採っていましたが、オランダでは王政を廃止し、州議会が政治をリードする共和制となりました。
この点においてもオランダという国は個性的だったと言えます。

17世紀にはスペインとの再戦や3度の英蘭戦争もありますが、それを乗り越え、オランダは黄金時代を迎えます。
この時期には農工業、風力の活用、自然科学や芸術など幅広い分野で発展を遂げています。
個人的には戦争の影響で染料の確保が難しくなったことで画風にも影響が出たというのが印象的でした。

また、オランダも他の西欧諸国同様、大航海時代を経て海外進出を行います。
東インド会社を設立し、インドネシアや台湾、ブラジル、日本、北米に進出。
特に長崎の出島が有名ですが、それ以外にも世界各国で活動しています。
例えば、アメリカのニューヨークは元はオランダの支配下にあり、その時はニューアムステルダムという名前でした。

その後、ナポレオン帝政期におけるナポレオンの弟、ルイ・ボナパルトの支配(ルイ自身は寛容な姿勢でした)や1838年のベルギーの分離・独立、さらには第二次世界大戦時のドイツによる占領などの困難もありましたが、その困難を乗り越えて現在のオランダが築き上げられました。

様々な切り口からオランダの歴史を概観しているので学ぶところが多かったのですが、特に印象に残ったのは次の点です。

1. オランダは一枚岩ではなく宗教対立もあった
オランダは宗教にも寛容で、多様な宗教が調和しているというイメージがありましたが、実はプロテスタントのカルヴァン派とカトリックで長い間対立がありました。
建国初期のころはカトリックは迫害を受けていましたし、現在でもカトリックとカルヴァン派というルーツは政治やメディアなどの分野で重要な要素になっています。
もちろん、現在はオランダはキリスト教だけでなくイスラム教などのほかの宗教に対しても寛容な姿勢を打ち出していますが、日本のような宗教に対する関心が強くない国のある種の「無頓着」と、信仰心の強い国の「寛容」の違いを考えさせられました。

2. 国内滞在のユダヤ人の犠牲者の割合が最も大きかったのがオランダ
第二次世界大戦時には世界各国でユダヤ人が犠牲になっていますが、各国に滞在していたユダヤ人の中で犠牲になった人の割合が最も高かったのはオランダだったそうです。
本書によると、オランダ内のユダヤ人で生き延びたのは約27%で、4人に1人しか生き延びられなかったのに対し、ベルギーは60%、フランスで75%のユダヤ人が生き延びており、オランダ内のユダヤ人の犠牲者の多さが際立っています。

ドイツの占領機関の行政能力の高さやオランダ人の交渉姿勢などがその要因として挙げられていますが、アンネ・フランクを匿ってきた国がこの結果というのは意外でした。

3. 鉄砲の三段打ちは織田信長の専売特許ではない
鉄砲の三段打ちといえば織田信長の長篠の戦いが有名ですが、オラニエ公ウィレム1世の甥で、マウリッツとともに軍事革命の担い手となったヴィルヘルム・ルイードヴィヒ・フォン・ナッサウがマウリッツ宛の手紙で同様の戦法を披露しています。
これは1594年のことで長篠の戦いの20年後になりますが、長篠の戦いの三段打ち自体が疑問視されていますので、もしかしたら三段打ちを初めて考案したのは彼だったのかもしれません。

ちなみに鉄砲といえば、1584年にウィレム1世は鉄砲で暗殺され、これが世界史上初の国のリーダーの暗殺事件だそうです。
日本では1566年に戦国大名の三村家親が宇喜多直家に鉄砲で暗殺され、これが鉄砲による初めての暗殺とも言われますが、国のリーダーとなるとウィレム1世となるということのようです。

4. エラスムスは現在も人気
オランダで最も有名な思想家として挙げられるのはおそらく15世紀に活躍したデシデリウス・エラスムスだと思われますが、彼は現在もオランダ人の中では重要な存在のようで、オランダ人の偉人ベストテンには現在でもランクインする存在です。

存在感でいうと日本における福沢諭吉のような感じだと思いますが、福沢諭吉でさえ、日本の偉大な人物ベストテンに安定して入ることができるかというと疑問だと思います。
戦国武将、幕末の偉人、天皇、芸術家、科学者、スポーツ選手、経済人など甲乙つけがたい候補がたくさんある中でベストテンに安定して入るというのは難しいことで、思想家がそれに入るというのは相当強い影響力を持っていることを意味しています。

エラスムスは宗教・宗派間の調和・協調を重視した人物で、彼がオランダで人気というのは、「寛容」の国、オランダの面目躍如でしょう。

ちなみに東京の八重洲の由来となったのが、リーフデ号に乗って日本に来たオランダ人ヤン・ヨーステンであることは有名ですが、そのリーフデ号は元々エラスムス号という名前で、エラスムスの像が取り付けられていたそうです。

自分が留学していた大学もエラスムスの名を冠していたので、彼の名前を見ると少し嬉しくなったりします。

 

偉大な小国・オランダの歴史はここには書ききれませんが、本書では政治・経済・芸術・宗教といった観点からオランダがどのような歴史をたどってきたのかがコンパクトにまとめられています。

今思えばオランダに行く前に歴史をもっと勉強しておくべきだったのですが、今もなお我々がオランダに学ぶべきことは少なくないと思いますので、ぜひ多くの方にオランダへの関心のとっかかりとしてその歴史に触れてもらえると、一人の歴史好き・オランダ好きとして嬉しいものです。

 

 

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重版未定2

弱小出版社の苦労と編集者の奮闘をコミカルに描いたコミック「重版未定」について先日ご紹介しましたが、続編が出ていたので読んでみました。

前回は会社の業績のために日々奮闘するという流れの中で日常的な編集者や出版社の業務について描かれていましたが、今回は編集者の主人公が自分の仕事のやりがいについて考えた結果、最高の一冊を創るという流れの中で出版業の日常が描かれています。

前回は弱小出版社の現実が前面に出されていたため、出版業界の慣行や出版社の経営に関する話も多かったのですが、今回は一冊の本を出すプロセスがメインになっています。

書籍の価値は当然その内容によるところが大きいのですが、それだけではありません。
装丁、つまり書籍の見栄えもまた重要です。

今回の主人公は、前回のように書籍を出版するというプロセスをこなすだけでなく、できる限り凝った書籍を創ろうとします。

そしてその過程で、著者とのやり取りや装丁を左右するデザインや紙(表紙、本体、綴り方など)の選択、そして予算との兼ね合いなどがテーマとして重要なポイントになっています。

編集者の仕事といえば、内容のチェックやスケジュール管理がメインだと思っていましたが、装丁にまで絡んでいるということが意外でした。
もちろん、装丁も書籍と一体のものなので編集者が管理するというのは考えてみれば当然なのですが、改めて書籍を創るということの大変さと深みを感じました。

装丁も管理するということは、レイアウトや紙の質なども決めるということですが、そのためにデザイナーや印刷会社とも折衝を行います。
それぞれ一家言ありますし、相手にも相手の都合がありますから、編集者の希望を通すのも大変です(デザインも使用する紙もコストに大きな影響を及ぼします)。
ストーリーの中ではデザイナーが職人らしく編集者の希望やドラフトを一切無視して自分のベストの案を出してきますが、それに対する編集者たちの反応がやはり職人らしくて見どころです。
デザイナーは自分の案を提示しただけで何も語らないのですが、言外にある想いをきちんと理解する編集者たち。
職人と職人のやり取りはかくあるべし、なんて思ってしまいました。
お互い渋いです。

編集者の常なのか(?)、書籍づくりの最後に最大のピンチが訪れます。
もうダメなのか…と思ったときに奇跡はおきます。
というか、編集者が奇跡を起こします。

もちろん、このような奇跡もストーリの展開上生じているだけではなく、現実の出版業界においても時々あることのようで、我々が普段読んでいる書籍も実は多くの奇跡の結果かもしれないと思うと、編集者の方々の努力に頭が下がります。
素晴らしい本は当然著者が素晴らしいのだと思いますが、それだけではなく編集者もまた素晴らしいのだと思わせられます。

前回に続き、今回も著者の出版業への愛情がたっぷり詰まっています。
特に今回は書籍を創るプロセスに焦点が当てられているため、より書籍を創るこだわりについて触れることができました。

そして前回もですが、編集長や主人公の編集者、営業に予算管理、さらに作家やデザイナーがそれぞれ自分の仕事に誇りとポリシーを持っているということにも、社会人として感動を覚えました。

自分の所属する資産運用業界も同じくそれぞれの職種がプロフェッショナルとして行動するところも似ていますし、また粗製乱造はしたくないという主人公の想いも、やはりファンドの濫立が問題視されているわが業界の問題意識と重なるところがあって、その点でも考えさせられるところ大でした。

 

実は自分の夢の一つは書籍を出すことなので、このような素晴らしい編集者に導かれて、世の中に少しでも意義のある本を出してみたいと思いました。

とりあえず、世の出版業に貢献するためにも本を買わねば。。。

 

※なお、「重版未定」は見事重版になったようです。おめでとうございます。

 

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南朝の真実 忠臣という幻想

もはやベストセラーの域に達したともいえる呉座勇一氏の「応仁の乱」をミーハーな気持ちで読んだら想像以上に面白く室町前期~中期に関心が引き立てられました。

その流れで(?)、やはり注目を集めている亀田俊和氏の「観応の擾乱」を読んだらやはり面白く、室町幕府の黎明期でもある南北朝時代にも関心がわきました。

室町初期というと、建武の新政が始まり、崩れていく太平記の時代が比較的人気だと思います。
特に足利尊氏を中心とする北朝と、南朝の楠木正成や新田義貞、北畠顕家、そして後醍醐天皇の激戦は日本史の中でも人気のある時代ではないでしょうか。

特に戦前は皇国史観で南朝が絶賛され、中でも楠木正成は忠臣中の忠臣として扱われていましたし、今でも南朝の武将たちは無能な公家に振り回された悲劇の忠臣というイメージが強いと思われます。

また、建武の新政自体が公家に手厚く、武家に冷たい政治で、そのために武家が足利氏を中心にまとまったという理解が一般的ではないでしょうか。

一方、北朝は観応の擾乱に代表されるようにゴタゴタ続きで、尊氏も直義も一度は南朝と手を組むなど、南朝にも南北朝を勝ち抜くチャンスはあったようにも思えます。

では、なぜ南朝は勝てなかったのか、南朝の実態はどのようなものだったのか、ということが気になります。

そこで、「観応の擾乱」に関連して、同じく亀田氏の著書「南朝の真実」を読んでみることにしました。

特に印象に残ったのは次の点です。

1. 南朝も一枚岩ではなく、政権が派生していた
後醍醐天皇を擁する忠臣の集まりというと、みんなが後醍醐天皇万歳!後醍醐天皇のために命を懸けて頑張る!というモチベーションがあったようにも思えますが、実態はそんなことはありませんでした。

南朝の中でも後醍醐天皇の姿勢に懐疑的な人は多く、中でも北畠顕家は建武の新政を真っ向から否定する書面を後醍醐天皇に送っています。
また、これまで知りませんでしたが、同じく南朝に尽くし、「神皇正統記」で知られる顕家の父・親房もやはり後醍醐天皇の姿勢に批判的だったようです。

とはいえ、後醍醐天皇の政策に批判的な人物がいたこと自体はそれほど驚くことではないのですが、それ以上に興味深かったのは、南朝の中でも独立志向のある勢力が発生していたことでした。

もともと後醍醐天皇の系統自体が大覚寺統の中でも傍流であったにもかかわらず、後醍醐天皇がゴリ押しで自らの子孫に皇位を継がせようとしたことから、大覚寺統(※)の中での分裂がありました。

※当時は皇統が持明院統大覚寺統に分かれており、本来はそれぞれの皇統が交互に皇位に就く(両統迭立)ことになっていましたが、大覚寺統の後醍醐天皇はそれを自らの子孫に独占させることを望み、それも鎌倉幕府倒幕の要因の一つとなります。
室町幕府も当初は両統迭立の方針を維持するつもりだったようです。

さらに後醍醐天皇は親王を各地に派遣してその地で勢力を拡大させる方針を採っていたことから、その親王たちが自立を目指す動きがあったことが指摘されています。
例えば新田義貞が擁した恒良親王は、北陸に向かう直前に皇位継承の儀式をしたこともあって天皇として綸旨を発給していたことが判明しており、南朝の中でも分裂の危機をはらんでいたことがうかがわれます。
また、九州において北朝を圧倒していた征西将軍宮懐良親王(征西将軍府)においてもそのような兆候があったようです。

室町幕府では鎌倉公方をはじめとする地方政権のコントロールに苦心したことが知られていますが、それと同じことが南朝にも当てはまったようです。

2. 建武の新政は先駆的な政策もあり、評価すべき
大失敗と言われている建武の新政ですが、実は政策としては優れたものも多く、室町幕府に受け継がれたものも少なくないようです。

「観応の擾乱」でも著者が指摘しているように、室町幕府では土地を与える場合に将軍の下文に執事が執行状を添えて強制執行力を持たせていますが、鎌倉幕府では執行状により強制執行力を与えるシステムはなかったようで、幕府の権威と本人の実力でその土地を実効支配する必要があったようです。
つまり、実力(武力)を持っていない人にとってありがたい仕組みになっています。

そしてこのシステムは建武の新政によって確立した制度で、土地の授与(恩賞宛行)といった幕府の根幹にかかわる制度についても建武の新政によるところが大きいというのは、政策の優劣を判断する大きな材料にになると思われます。

著者も指摘していますが、建武の新政の崩壊は、政策が悪かったのではなく、それをきちんと運営するだけのノウハウやリソースがなかったことにより原因があった可能性もありそうです。
なお、著者は「建武の新政に不満を唱えていた人物は公家が多く、むしろ武士に手厚かった」というコメントもしています。恩賞宛行の件数も室町期より多かったようです。
一方で、恩賞宛行の実施のスピードが遅かったために武家の不満を抑えきれなかったのが失敗の原因と指摘されています。
この欠点を踏まえ、室町幕府では手続きを簡素化し、スピーディに恩賞宛行を実施できるように制度の改善が行われています。

3. 建武の新政(=後醍醐天皇)の後継者は南朝ではなく室町幕府
後醍醐天皇と袂を分かつことになった足利尊氏ですが、実は非常に後醍醐天皇のことを慕っており、当初は合戦に出ることに消極的で、後日後醍醐天皇が没した時にはその菩提を弔うために天龍寺を建てているほどです。

そして、上記の通り、室町幕府は建武の新政によって導入された制度を積極的に政権運営に活かしています。
むしろ南朝の方がそのような制度運営を続けておらず、政策的には後醍醐天皇の後継者は室町幕府であったという捉え方もできそうです。

本書は南朝の内部分裂を主なテーマにしていますが、南朝は北朝・室町幕府とセットでこそ語られるものなので、北朝・室町幕府との関係についても多くの説明がありますが、北朝・室町幕府がどのように南朝や建武の新政を見ていたか、という視点も非常に面白いです。

上記のように、室町幕府が積極的に建武の新政の成果を取り入れていたり、南朝が衰退する中で南北朝の和睦が機運が高まると、却って南朝が強気に出たために和睦が破綻したり(その結果、南朝を支えていた楠木正儀(正成の子)が北朝に寝返ります)、と南朝と北朝の関係性における注目すべきポイントは枚挙にいとまがありません。

 

本書は南朝の実態や南朝と北朝の関係において新しい視点を提供してくれて大変勉強になりましたが、中でも
建武の新政は現実的かつ先駆的な政策であったし、武家にも手厚かった
南朝の内部は、政権構想も北朝に対する姿勢も、擁立する君主もバラバラであった
政権・組織が下り坂になるときは共通した傾向がある(南朝と現代の野党にも似た傾向がある)
というのが特に印象に残りました。

また、最後に南朝の姿から読み取れる教訓について所見が述べられていますが、「観応の擾乱」同様、歴史から教訓を抽出するという姿勢は、個人的には非常に共感するものがあります。
時代背景や社会環境は異なるとはいえ、やはり同じ人間が織りなす社会なので、そこには何らかの教訓があると思いますし、それゆえに歴史というものは学ぶべきなのだと思っています。

学術としての歴史学は史実を明らかにすること自体に使命と価値があるのだと思いますが、歴史好きとしては何らかの教訓を見出したいので、そういう考え方を否定せず、むしろ後押ししてくれる歴史学者の存在はとてもありがたいです。

 

ちなみに著者の亀田氏はこの8月から台湾大学にて教鞭をとられるそうです。
どのような授業をされるのかはわかりませんが、台湾の地でも日本の英雄たちの織り成すドラマとその教訓を存分に学生に伝えていただきたいものです。

 

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Fintech企業への提案

せっかく博士課程という(単位をとらなくてもよい)自由な立場で大学院に行くのだから、自分の関心のある授業に出席しようと思って取ったFintechの授業も最終回。

最終回の授業は、あるFintech企業に新規事業を提案するというもの。
受講生がそれぞれ自分の提案を事前に考え、それを発表する形式でした。

単位をとらなくてもいいので課題をこなす必要はなかったのですが、自分の成績表に×がつくのは気持ちがよくないし、せっかくの機会なら自分の考えについてフィードバックをもらってみたいと思い、考えてみることにしました。

色んな案を考えては潰し、考えては潰しの繰り返しで、ようやく一つの案にたどり着きました。
MBA時代は新規事業について考える機会が多かったのですが、日常のコンプライアンスの業務だとどうしても創造性がなくなるので、いい頭の体操になりました。
改めて新規事業の企画というのは創造性が必要で、自分には向かないことを実感しました(一応経営戦略専攻だったのですが…)。

提案を行う相手であるFintech企業はクラウド会計サービスを展開する会社だったのですが、提案した業務は「クラウド会計サービスと接続されるクラウドファンディングのプラットフォームの運営」でした。

経理はどの会社でも必要な一方でそれ自体は利益を生まないし、ある程度の知識も必要なため、経理担当者を雇用するのは中小企業にとっては負担となる一方、クラウド会計サービスだと日々の取引を入力するだけで会計帳簿ができるため、中小企業の多くがそのサービスを使用しているということでした。

そのような中小企業のもう一つの悩みは資金調達。
中小企業は直接金融市場にアクセスすることが難しいため、資金調達は銀行や信用金庫などの金融機関に依存しがちですが、それゆえに金融機関の意向や都合に左右されてしまうことも少なくありません。
そこで、中小企業の資金調達の選択肢を増やし、同時に金融機関への依存度も低下させる方法としてクラウドファンディングのサービスを提供することを考えました。

具体的には、クラウドファンディングを希望する場合には、経理システムに入力しているデータから自動的に必要な開示情報が作成されて、同社が審査したうえで条件に合致すれば運営するプラットフォームに掲載される、といったものです。

イメージはこんな感じです。

この仕組みのユーザーと企業側の想定される(と私が考える)メリットは下記の通り。

【ユーザーのメリット】
1. 経理システムや文書作成システムと連携させるため、少ない事務負荷で資金調達を行うことができる。
2. 経理システムの数値を使うため、資金調達に係る情報開示の正確性が高い(計数の操作が難しいため信頼性が高い)。
3. ユーザーは資金調達の選択肢を得られることになり、銀行への依存度が低下する。
4. 株式型や融資型、購入型など柔軟な資金調達が可能になる。

【サービスプロバイダー側のメリット】
1. 資金調達のフェーズまでフォローすることができるため、他の会計支援システムとの差別化につなげることができる。
2. 自社でプラットフォームを運営することにより、プラットフォームの仕様を他のサービスとの連携がしやすいように設計できる。
3. 資金調達のプラットフォームと一貫してサービスを提供することでユーザーの維持につなげることができる。
4. プラットフォームの運営によりユーザーや投資家からフィーを徴収することで新たな収益源を生み出すことができる

一方、クラウドファンディングのプラットフォーム運営には課題もあります。
自分では下記の課題が思い浮かびました。

1. ライセンス(業登録)
クラウドファンディングを運営するためには業登録が必要です。
もっとも、金融商品取引法ではクラウドファンディング業者用に第一種・第二種電子募集取扱業という業態が設定されていて、一般的な金融商品取引業者に比べるとハードルが低くなっています。

その代わり発行額にも制限がある(1発行体の年間発行額1億円まで、各投資対象への投資家当たりの投資額は50万円まで)のですが、中小企業の資金調達の支援という役割においては十分かと思います。

2. 発行者の審査
プラットフォームにどんな会社もアクセスできるようだと、あまりに玉石混合すぎて、投資家にとっても魅力が少なくなります。
そのため東証をはじめとする証券取引所では上場基準を設け、それをクリアした企業にのみ上場を認めています。

それはクラウドファンディングでも同じで、一定の基準を満たした企業のみプラットフォームにアクセスできるようにするのが望ましいと思いますが、そのための審査基準や審査プロセスを整備する必要があります。

この辺りはシステム内に発行体の経理・財務情報や取引情報が存在するので、そのような情報を使って自動的に審査ができる仕組みができれば省コストかつスピーディな審査ができそうな気がします。

3. 投資家へのアクセス
資金調達のプラットフォームを作っても、投資家が多く集まらなければ魅力のある資金調達の場とはなりません。

そのためには、発行体自体が魅力を発信していかなければいけないし、信頼性や発行体数など市場としての魅力も高める必要があります。

現在同社は強固な顧客基盤を持ち、経理システムと接続させれば計数の信頼性も高くなるため、顧客である発行体の情報発信を支援するなどして市場の魅力を高めていくことが重要になるかと思います。

 

以上が私の提案でした。
残念ながら時間の関係で自分の提案は授業中に取り上げられることはなかったのですが、他の方の発表を聞いていると似たアイデアを持っている方が何人かいたので、その方に対するフィードバックが参考になりました。

中でも、その事業によってネガティブな影響を受ける人のことも考える必要があるということが勉強になりました。
裏を返せば、そのような人たちともポジティブな関係になるような仕組みを構築していけばよいということにもなると思います。

一方、前述の自分の着眼点についてはあまり筋が悪いというものでもなさそうで、先生がポイントとしてコメントしていたものもありました。

あまりにピントが外れたことばかり考えていたら恥ずかしいですが、最低限のレベルには至っていたようです。

 

投資信託会社のコンプライアンスを担当していると、各部署の実務運行にも目を向けることが多くなるため、法令のことだけでなく、どうすれば実務がうまく回るのか、効率的・安全に業務を遂行できるのかということを考える癖がつくようです(少なくとも私はそのようです)。

そのような思考回路もあってか、法令上のハードルをクリアすることと同時に、新しいサービスが会社やユーザーにとって便利か、安全かということも考えるようになっていました。

そう考えると、案外コンプライアンスの人間も起業に向かない、というわけでもないのかもしれず、そういう点に思いが至ったのもこの授業の収穫かもしれません。
(この記事を書いていて気づいたのですが)

それはともかく、やはり新規事業を考えるというのは(考えるだけなら)楽しいし、いつかは自分もそのようなチャンスをつかんでみたいと思ったりしました。

 

これで一学期も終わり。
そろそろ本腰を入れて自分の研究課題とも向き合いたいところです。
そんな時期に限って面白い歴史関係の本がたくさん出てきて、ついそちらに手が伸びてしまうのですが・・・(汗)

 

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