年齢は障害にも言い訳にもならない?

輝く同世代や年少者への憧憬と複雑な気持ち

職場で自分より年少の人が活躍していたり、各界で年少の人が成功しているのを見ると、自分はこの歳になって未だ何も成し遂げていないのではないかと忸怩たる思いをすることがあります。

大リーグの大谷選手と比べるのはあまりにもおこがましいですが、自分が彼の歳の頃には何かを成し遂げるどころか社会人になりたてで、右も左もわからない状況でした。

彼に限らず、20代、更には学生時代に起業してしまうという事例を目にすることも少なくなく、また職場でも年少ないしは同年代にもかかわらず優れた英語力や専門知識で堂々たる活躍をしている同僚もいたりして、彼らを見ると眩しく感じるとともに、自分はなぜここで足踏みしているのだろうと思ったりもします。

まるでコンプレックスの塊ですね…(汗)

自分もいつかは何か大きなこと、人とは違うこと、後世に残ることを成し遂げたいと思いつつ、そのアイデアも能力も、またそれに踏み切る度胸もなく、生きている間に自分らしい何かができるのだろうかと、ちょっと悶々とした気持ちを感じることがあります。

しかし、そんな不安を解消してくれる記事を最近読んで元気が出ました。

 

起業においても年長者には年長の強みがある

それは、米国の有名ビジネススクールであるノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院(Kellogg School of Management)が発表した下記の記事です。

 

「テクノロジー系の起業において何歳くらいが成功しやすいのか?」という問いに対して、従来は若い方が成功しやすいと考えられてきたけれど、実際に統計をとってみるとミドルエイジの起業家の方が20代より成功している(成功している起業家の平均年齢は40代半ばである)ことが述べられています。

テクノロジー系のスタートアップは成長速度も速く、またテクノロジーというもの自体が若者により馴染みがあるため若者の方が成功しやすいと考えられていますが、実際の数字を見ると必ずしもそうではないようです。

その背景として、若年層にはテクノロジーに馴染みがある、ニーズのトレンドを把握しているという強みがある一方、ミドルエイジはそれまでの経験によってビジネスに必要なリーダーシップや問題解決能力、あるいは広い視野が身についており、それがスタートアップの成功につながる傾向にあると指摘されています。
これらの点は米国と日本で異なるわけではありませんので、おそらく日本でも同様の傾向があるのではないでしょうか。

つまり、我々が仕事をしていく中でビジネスに必要なスキルや経験をきちんと積み重ねてさえいれば、いつかはチャンスが巡ってくるかもしれない、少なくとも年齢で諦める必要なんてないということがいえそうです。

言い換えると、起業をするにあたって、年齢はあまり障害にはならなけれど、その代わり年齢だけを根拠に起業をしないのであれば、それは言い訳にもならないのだろうと思います。
※もちろん起業を無条件に礼賛しているわけではなく、「起業したい」という気持ちに対する向き合い方についての考え方です。

実際に起業などの形で自分のしたいことを形にできるかはわかりませんが、ただ自分のできることを積み重ねていけば、それは足踏みではなくいつか挑戦するための種まきになるということを裏付ける研究には勇気づけられます。

 

髀肉の嘆

歴史上の逸話の中で、「歳ばかりとって何もできてない自分が情けない・・・」、というものとしては、三国志の主人公の一人、劉備の「髀肉の嘆」があります。

若いころは各地を転戦して活躍するものの、中年になって浪々の身となり、遠戚ともいわれる劉表のもとに匿われる劉備は、ある時劉表に宴席に呼ばれます。

宴もたけなわになった頃、トイレに立った劉備がふと自分の足を見ると、太ももに贅肉がついていることに気づきます。
若いころはずっと馬に乗っていたため、太ももに贅肉がつくことなどなかったのに、平和な日々を無為に過ごすうちに肉体が衰えていたのでした。

そして、いかに自分が無為に過ごしているかを痛感し、おそらく自分の若き日々や、ライバルの曹操が権力の絶頂にいることにも思いを寄せたのでしょうか、つい涙してしまいます。

しかし、その後劉備は中国史に名高い戦略家・政治家である諸葛亮(孔明)を配下に迎え、力を蓄えながらチャンスを待っていました。
その結果、劉表死後には三国志のハイライトの一つでもある赤壁の戦い(曹操VS劉備・孫権連合軍)における勝利を経て、ついには三国の一角である蜀を建国するに至ります。

歴史上のエピソードはあくまで歴史上のものとして解釈する必要はありますが、それでも中年になって自分が無為に過ごす様を嘆く姿、それでも自分の力を蓄えようとする姿は見習うべきものがあると思います。

 

遅咲きの偉人

多くの分野で早熟の人もいれば遅咲きの人がいます。

1.  芸術の世界

芸術の世界では、オランダの画家・ゴッホが有名です。
ゴッホの場合、37歳と若くしてこの世を去っているので、遅咲きとは言い切れないのですが、彼が「ひまわり」のような明るい画風を確立したのは人生の中では遅かったようです(20代後半になるまで筆を握ったことがなかったともいわれます)。

しかも、彼の作品が評価されるのは彼の死後のこと。
若くして亡くなっているので長生きしていれば生前に評価された可能性はありますが、それでも高齢にはなっていたことでしょう。

死後に自分の事績が評価される可能性を考えると、なおさら何かしら残してこの世を去りたいと考えてしまいます。

2. スポーツの世界

2001年にパ・リーグ優勝を代打逆転サヨナラ満塁ホームランで決めたことで有名になった北川博敏氏はその後主力として活躍しますが、その頃まではレギュラーというわけでもなかったようで、レギュラーに定着したのはプロ入り9年目くらいと結構苦労されていたようです。
もちろん、代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランの陰には彼の打撃に対するセンスや努力があったわけで、努力あっての結果だと思います。

そういえば、先日大関に昇進した栃ノ心関も大関昇進まで新入幕から60場所という最長記録だったようで、もしかしたら遅咲きの好例かもしれません。

彼らの活躍は、土俵に残って事績を積み重ねていれば、いずれチャンスが巡ってくる可能性があることを教えてくれているような気がします。

 

現状を嘆かず、年齢を言い訳にせず、準備する

改めて年齢と自分の置かれた状況を考えると、大事なのは年齢や現状を嘆くことではなく、常にチャンスに飛びつけるように準備をしておくことなのだと思いました。
ボール球には手を出さず、とはいえ見逃し三振ではなく好球必打を心掛けながら、日々の業務や私生活に向き合っていこうと思います。

そういえば話題になっているメルカリとかポケモンGO、仮装通貨取引をしたことがないので、こういうものにも触れてみることが大事かもしれませんね。

カテゴリー: お仕事 | コメントする

質の高いアウトプットにはアウトプットの積み重ねが必要

外資系企業にいると、海外の人とのコミュニケーションを避けて通ることはできませんが、その都度自分の英語力の低さを痛感します。

そのため、英語力を強化するために英会話のレッスンを再開したのですが、時々基本的な単語すらもパッと出てこなくて焦ることがあります。

先日は太陽光発電の”solar”という言葉が出てこずに、”sunshine generation”などと表現したりして、コミュニケーションは自分の考えを伝えることが第一とはいえ、情けなく感じることも多々あります。

 

英語を使っているとよくわかりますが、「知っていること」と「アウトプットできること」は必ずしも同じではありません
英語を読んだり聞いたりするときには理解できる言葉でも、自分がアウトプットするときにその言葉が頭に浮かんで使えるか、と言われると難しかったりします。
単語に限らず、慣用句や文法についても同じです。

 

【インプットとアウトプットのギャップ】
インプットとアウトプットのレベルの乖離は語学に限ったことではありません。
例えば資格試験や学校の入学試験でも同様の経験をしました。

・インプットとアウトプットのギャップの経験(1)
以前ある資格試験の勉強をしていたときのこと。
テキストを読んだらある程度理解できて、過去問を見ても解説は理解できる。
だから、試験でも合格点には届くだろうと思って受験したらまさかの不合格。
敗因は、過去問をほとんど自分で手(と頭)を動かして解いていなかったことでした。
自分のインプットの量を過信し、実際にどの程度アウトプットできるのかを理解していなかったため、実は全然合格水準に達していないことに気づいていなかったというマヌケさ。
その反省を踏まえ、その次は過去問を繰り返し解いたことでなんとか合格することができました。

・インプットとアウトプットのギャップの経験(2)
そういえば、大学入試のときも受かった大学・不合格だった大学がありますが、過去問をそれなりにこなしたのは合格した大学の方で、不合格だった方はあまり過去問を熱心に解いた記憶がありません。
言い訳・負け惜しみじゃないけど、過去問ちゃんとやっとけばよかったなぁ・・・
その前にセンター試験がボロボロだった(涙)

・インプットとアウトプットのギャップの経験(3)
プレゼンを行ってもそう感じることがあります。
人のプレゼンを見たり、プレゼンの仕方に関する書籍を読んだりしたところで、経験や十分な事前の準備がなければ頭の中は真っ白になるし、緊張して早口になったり滑舌が悪くなったりして聞いている方からするとわかりにくくなったりしてしまいます。
個人的な経験からいうと、プレゼンについては「どのようにすれば素晴らしいプレゼンになるか」を考えることも大事ですが、アウトプットの経験を積んでいかないと準備したものを100%に近い状態で届けることができないのではないかと思います。
プレゼンをするときはいつもイメトレや練習をして臨むようにしていますが、それでも満足に話せることは少ないので、練習という形でのアウトプットも大事とはいえ、本番の経験にはかなわないようです。
ここでも質の高いアウトプットの重要性を感じます。

実際、素晴らしいスピーチやプレゼンで知られる故スティーブ・ジョブズ氏はプレゼンの前には何度も練習したそうですし、また本番の経験の積み重ねがそのカリスマに資したのではないかと思います。

 

このような事例を並べてみるとアウトプットの重要性は自明のように思われますが、実際にアウトプットの積み重ねが不十分なまま本番を迎えている例というのは少なくないように思います(自分がそうだったように…)。

 

・アウトプット不足の事例(1)
例えば、最近世間を騒がせている某有名大学の記者会見。
渦中の当事者たちの弁明の内容が批判されていますが、それだけでなく記者会見を仕切った広報担当者の振る舞いも批判されています。
特にこのような重大な記者会見の場合、リハーサルとまではいかずとも事前に各種のシナリオを想定して対応を決めておくという疑似アウトプットくらいはするのではないかと思いますが、そのような事前のアウトプットがなされていないように感じました。
また、当該広報担当者自体、記者会見を仕切るというアウトプットの経験が殆ど無いように見受けられました。

無論、広報担当者である以上、記者会見はどのように運営されるものなのか、どのように仕切ればよいのか、という知識はあったと思いますが、それがそのままアウトプットにつながるわけではないという好例だと思います(それすらもなかったのであればなぜ記者会見の仕切りを任せられたのかという別の疑問がわきますが…)。
個人的には、渦中の当事者たちの弁明内容は批判こそされていますが、記者の質問をある程度想定して練られていたようですので、弁明内容の是非についてはともかく、アウトプットの姿勢としてはまだ理解できます。

・アウトプット不足の事例(2)
社会人1年目の人のある種の「根拠のない」自信もこれに該当するかもしれません。
学校では経営や法律、あるいは科学に関する最新の理論を学んできたので、最初からバリバリ成果を出すべく奮闘するぞ!と気合が入ってしまう人も少なくないようです。
自分も社会人になりたての頃はそんな感じだったので、そういう気持ちも理解できます。

しかし、新社会人には社会人としてのインプットも不足しているのですが、何よりアウトプットの経験がありません。
最終的なアウトプット(企画の成立・実行、ディールの成立など)に至るまでの全ての経験がありません。
社会人としての常識的な振る舞い、社内外における調整の進め方、スケジュール調整、資料作成や経費精算といった事務作業、これら一つ一つにアウトプットが生じます。
これらもインプットすることはできますが、アウトプットを積み重ねなければスムーズにはできません。そして、これらは簡単そうに思えて、どれも奥が深かったりします。
そう考えてみると、社会人としてのレベルアップには、ちょっとした所作も含めた多種多様なアウトプットへの意識が必要といえそうです。

・アウトプット不足の事例(3)
インプットだけでアウトプット不足で痛い目を見た歴史的な事例としては中国戦国時代の趙括の例が有名です。

戦国時代終盤には秦が圧倒的な勢力を誇るようになり、国境を接する趙などは次第に圧迫されるようになりました。
そんな中、ついに秦は趙を侵略するようになり、趙は長平の地で迎撃することになりました。

趙軍を率いるのは百戦錬磨の老将・廉頗。名外交官の藺相如との「刎頸の交わり」でも知られる人物です。
趙軍は兵力でこそ勝っていたものの、勢いのある秦軍と交戦すべきでないと判断した廉頗は守りを固め、秦軍は攻めあぐねます。

一方、趙王の孝成王は兵力に勝りながらそのような消極策を採る廉頗を面白く思っていませんでした。
そこを秦の宰相・范雎は見逃さず、「秦は廉頗ではなく、若いながらに優秀な趙括を恐れている」という噂を流したところ、孝成王はこれを信じ、廉頗を交代させようとします。

この趙括という人物は、趙の名将として知られた趙奢の息子なのですが、兵法をよく学んでいて、趙奢ともよく議論をしていたそうで、いつも趙奢を言い負かしていました。
親としてもいい息子を持った、と言いたいところですが、趙奢曰く「戦争は臨機応変な対応が求められるが、紙の上での勉強しかしていない趙括にはその機微がわからないので兵の指揮はできない」と厳しい評価でした。

趙奢の母親はそれを聞いていたので孝成王にそれを言っても聞き入れてもらえず、「失敗しても家族を罪に問わない」という言質を得る始末。藺相如も諌めましたが、やはり趙括に交代となりました。

そして趙括は現地に赴任し、積極策を採りますが、ちょうど秦軍に合流していた猛将・白起の策にひっかかり大敗。趙軍はその兵力の殆どを失い、趙括も戦死してしまいます。歴史に名高い長平の戦いです。

もし、趙括にもっと実戦経験があれば素晴らしい指揮を執ったかもしれないと思うとアウトプットの機会は貴重なものなものだと思わされます。

 

【インプットとアウトプットのバランス】
ただ、アウトプットの基礎としてインプットが必要であることも事実です。
試験を受けるときに過去問だけ解いてテキストを読んでいなければ応用が利きませんし、スポーツでもまずは基本的なフォームを固めて(インプット)から練習(アウトプット)、本番(アウトプット)というステップを踏むのが王道だと思います。

歴史上の人物を見ても、名将といわれる人物の多くは兵法を学んでいますし、プロ野球選手の大半は幼少期から野球を始めています(それぞれ例外はあるでしょうが)。
学術論文を読んでも多くの参考文献が記載され、一つの論文を書くためにも多大なインプットが求められることがうかがえます。
実際、論文作成の過程で指導教官と話していると、色んな論点や先行研究を提示され、インプットの重要性をいつも思い知らされます。

 

ただ、インプットにばかり気をとられてしまうと、肝心のアウトプットがおろそかになります。
勉強にせよ、練習にせよ、インプットは自分が成長している感覚がわかりやすく、のめりこみがちです。
ただ、インプットは基本的にはアウトプットのためにするものです。
仕事になるとなおさらその傾向があります。

だから、アウトプットの質を向上させるためには何が必要かを考え、特にアウトプットの機会を確保することを意識する必要があるのだと思います。

一口にアウトプット、といってもレベル感がありますが、例えば職場で自分の担当ではない案件の情報が回ってきたときに、何も考えないよりは自分なりの意見を考えた方がアウトプットと言えるし、さらに何らかの形で他の人に意見表明した方がさらにアウトプットの経験が高まるかと思います。

 

アウトプットの機会は自分をとりまく環境に制約されがちですが、それでもアウトプットの機会を自分なりに作り出していくことはできます
自分の意見をメモに残したり、友達と話したり。あるいはブログやSNSで発信したり、懸賞論文や専門誌に投稿することもできるでしょう。

そうやってアウトプットをすることで自分のインプットの足りないところがわかってくるので、インプットとアウトプットの好循環も期待できます。

 

・・・とアウトプットの重要性を説きながらやたら長文になってしまい、アウトプットの質として微妙な内容になってしまいましたが、今後もブログや英会話でのアウトプットを継続して、よりよい情報発信ができるように頑張ります。

そして、受験生や就職活動中の皆さん、過去問や模擬面接の練習など、インプットだけでなくアウトプットにも十分注力しましょう(自分の黒歴史を振り返りつつ…)!

カテゴリー: お仕事, その他 | コメントする

孟嘗君に学ぶキャリア形成

転職・退職は常に考えておくべき選択肢

ハラスメントが注目される今日この頃ですが、働いていると理不尽なこと、辛いことに遭遇するのは程度の差こそあれ、職業人の宿命かと思えてきます。

実際自分も辛い目にあったことは何度もありますし、仕事がうまくいかなくて半分逃げ出すように転職したこともありました。
個人的には、ハラスメントやそれ以外の要因で辛いことがあったら、我慢の限度が来る前に逃げ出すのも一つの解決策であると思っています。
我慢しすぎて心身を壊しても、誰も責任をとらない可能性が高いので。

冒頭にも書いた通り、ハラスメントや辛い境遇というのは誰しも経験する可能性があります。
また、外資系企業で働いて、比較的クビが身近な環境にいた経験もあり、色んな事情で会社を辞めざるを得ないケースもよく聞きます。
もちろん不慮の事故や病気、あるいは家族の事情のために退職せざるを得ないこともあるでしょう。

したがって、全ての人が退職・転職という選択肢を常に頭の片隅に置いておく必要があると思います。

転職・退職のためにはリスク管理が必要

とはいえ、仕事をやめたり職場を移ったり、という行動はそれなりにリスクがあります。
特に無職になってしまうと経済的な不安は大きいうえに、社会から隔離されてしまうというデメリットもあります。
もちろん、転職先がすぐに見つからない可能性もあり、そのときはお先真っ暗感も辛いです。
自分も経験したことがあるので、本当によくわかります(こちらの記事に当時の気持ちを書きました)。

そのため、退職・転職という選択肢を活用するためにはできるだけリスクを抑えたいところです。

孟嘗君に学ぶリスク管理

では、どのようにしてリスクを抑えたらいいのか。
自分なりにその答えを考えてきましたが、参考になると思ったのが古代中国の政治家・孟嘗君の「狡兎三窟」の故事です。

孟嘗君は中国戦国時代の大国・斉の宰相で、多くの食客を抱え名声を欲しいままにしていました。
しかし、ある時失脚することになり、領地に逼塞せざるを得なくなりました。
この時、ほとんどの食客が彼の下を去っています。

まだ領地が残っているのでなんとか生き延びていますが、それがなくなったら拠って立つものがなくなります。

そんな状況で、彼の下に残っていた馮驩という食客が言うに、「賢いウサギは常に隠れる穴を3つ持っているというけれど、あなたには頼れるものが領地しかありません。私はあなたのためにあと2つ穴を作りましょう」と。

そして彼は策をめぐらせ、孟嘗君を斉の宰相に復職させるとともに、斉王家の祭祀を孟嘗君の領地内で祭らせる(=王も孟嘗君の領地に手出しできない)ことに成功しました。

その結果、孟嘗君はその地位を長く保ち続けることができました。

 

私がこの故事で参考になると思ったのは、3つリスク回避策を持っていれば大抵のことは乗り切れるということです。

3という数字は安定と相性がいいようで、例えば平らな構造物は3つの点を固定すれば安定しますし、リスク管理やコンプライアンスでも3つの防衛線(現場・コンプライアンス/リスク管理部門・内部監査)といったりします。
三国志の三国鼎立や三つ巴というのも、やはり安定しやすい形に思えます。

自分自身、転職経験が多く、リスク回避の必要性は痛感していますので、自分にとって3つの穴として何を用意すればよいのかというのは重要事項です。

そして、自分なりに考えたのは次の3つです。

1. 汎用スキル


自分の職務経歴は資産運用会社のコンプライアンスという、結構ニッチな分野なので、業務経験だけだと他の業種・職種への転職は難しいのが現実です。
今のところ、運用会社のコンプライアンスのニーズは多いのであまり困りませんが、その状況が変わるといざという時に職にあぶれる可能性があります。

そのため、英語力や資格(証券アナリスト、MBA、博士号など)など他の業界・業種でもなんとか使えそうなスキルを身につけて、厳しい状況でも仕事にありつける可能性をできるだけ高めるように努めています。
自分の英語力はまだまだだし、資格も万能ではありませんが、それでもないよりはあった方がリスク回避の可能性は全然違うと思います。

 

2. お金


転職したいときにすぐに希望する条件で転職できればいいのですが、転職先が決まらなくても退職せざるを得ないケースもあると思います。

そんな時にまず助けになってくれるのはお金です。
手元に当座のお金があれば苦しい現状から逃げ出すこともできるので、我慢し続けて自分が壊れるという最悪のシナリオは避けられます。

転職活動には最低3か月程度かかる、ということがよく言われます。
自分の経験上も動き始めてからその程度で決まることが多かったです。

したがって、まずは3か月分の生活費を貯金として用意しておけば、「我慢の限界を越えたらいつでも辞められる」という安心感を得られます。

お金は持ち主を裏切りませんし、お金は持ち主を必ず守ってくれます。
お金は大事です。

 

3. 人間関係


お金は自分を守ってくれますが、状況の打開には直結しません。
そのため、自分から動いていく必要がありますが、自分一人の力には限界があります。

そんな時に頼りになるのが周りの人のサポートです。
辛いときに声をかけてくれたり慰めてくれる友人や家族がいれば、それだけでも精神的な安定につながります。

また、知人の伝手で良い職場が見つかったり、自分の業績につながる話がもたらされる可能性もあります。
もちろん、多様な人間関係は自分の視野を広げてくれるため、それだけでも自分の可能性を広げてくれます。
実際、無職の時期にいろんな人に精神的にも職探しの面でもサポートしていただいて本当にうれしかったのを覚えています。

このように、良質な人間関係はいろんな形で自分を助けてくれるため、日頃から人間関係を充実させておくことも大事です。
実際に孟嘗君も数多く抱えた食客のおかげで危機を脱した経験を持っています(鶏鳴狗盗)。

ただ、人間関係は相互的なものですし、そもそもメリットだけを求めて形成された人間関係は強固なものになりにくいので、あくまで利害関係を求めず、自分も人のためにできることをする、という気持ちでのお付き合いが大事だと思います。

無職の時期に人間関係のありがたみを感じたこともあり、数年前から定期的にいろんな業種の人をつなげる飲み会を企画しています。
普段接点のない人同士をつなげて生まれるシナジーも楽しみですし、自分自身も得られるものが多いです。

リスク管理でしたたかに生きる

以上、自分なりの狡兎三窟をご紹介しました。
働き方改革が叫ばれつつもなかなかハラスメントや理不尽さが根絶されない状況では、自分の身は自分で守るしかありません。

そういうことを考えたとき、ただ不安になるよりは、どうしたらリスクを最小限に抑えられるかを考え、リスク回避策を実行していくことがキャリア形成、人生設計上重要なのではないかと思います。

願わくば、自分も含め一人でも多くの人がしたたかに生き、その結果としてよい労働環境が広がっていってくれればと思います。

カテゴリー: お仕事, 辛い境遇にある人へ | コメントする

ガルパンに学ぶリーダーシップ

先日上映終了寸前の「ガールズ&パンツァー劇場版」を観てきましたが、かなり面白かったので、テレビで放送していた本編も観てみました。

そしたら、やっぱり面白い!
もちろん、主人公・西住みほの属する大洗女子学園の活躍や彼女を取り巻く人物たちの友情にもホロリとさせられますが、社会人として考えさせられることも多いです。

特に勉強になったのが、リーダーシップとマネジメントについて。
両方ともMBAで学ぶべき内容で、留学前からそれをどのように身につけるかということを考えてこれまで過ごしてきましたが、漠然とした概念であることもあり、それが何なのか、どのような形が望ましいのか、ということはMBA課程を終わってすらはっきりとはつかめない感じがしていました。

【リーダーシップとは?】
そんな折、リーダーシップについて「なるほど!」と思われた記事に出会いました。
ブロガーとして有名なちきりんさんの記事です(「なんで全員にリーダーシップを求めるの?」)。

この記事を読んで、自分としては「リーダーシップというのは、リーダーというポジションにおいて人を引っ張っていく力」ではなく、「自分の役割を理解して、組織が最も良い状態になるように、能動的に動くこと」という風に理解しました。
つまり、リーダーシップという資質を多くのメンバーが持っているほど、組織は円滑の機能してその能力をより発揮できる、ということです。

じゃあマネジメントとは?と言われると確たる答えはないのですが、それこそ「リーダーというポジションでメンバーをうまくまとめてゴールを目指す」という、よく言われるリーダーシップに近いものなのかな、と思っています。

 

【ガルパンに学ぶリーダーシップのあり方】
それはさておき、ガルパンの舞台である戦車道は戦車部隊同士の対戦なので、当然に組織やメンバーのあり方が問われます。

戦車道では、チームの総指揮官として隊長(大規模な編成の場合は大隊長)がいて、その下に各戦車のメンバーのまとめ役である車長(大規模な場合は中隊が編成される)がいます。

基本的には作戦立案は隊長(大隊長)が行いますが、刻々と変化する戦況の中、すべてのことを隊長が行っていては後手後手の対応になり、臨機応変な戦いができません。

そのため、中隊長や各車長、そしてそのメンバーそれぞれが自分の役割を理解し、リーダーの意思決定に依存せず、能動的に行動するというリーダーシップが重要になります。

【自分で自分の果たすべき役割を考えて動く】
そんなリーダーシップのあり方が垣間見えるのが、本編12話(最終話)の一コマ。
強敵相手にギリギリの戦いを強いられる中、ウサギさんチームの車長・澤梓は、とある役割は自分たちに任せてほしいと申し出ます。
それはその局面で大事な役割だったのですが、実はこのウサギさんチームというのは1年生のチームで、経験が浅いメンバーです(もっとも、主人公の西住みほ属する県立大洗女子学園では、みほ以外は全員初心者ですが)。

その経験の浅い、しかも最下級生が自らのできることを踏まえて、いま必要とされている役割を自ら担おうとする。
これこそが、まさにポジションとは関係ないリーダーシップと言えます。


©GIRLS und PANZER Projekt

 

そしていくつかの戦果をあげた後、最後に大物戦車・ヤークトティーガーとの一騎打ちになります。
戦いは劣勢でしたが、仕留めるのも彼女たちの役割。
失敗すると戦局に致命的な影響が出ることは明らかでした。

そこで同じ戦車のメンバーがテンパってる中、車長の梓は「ヤークト(ティーガー)を(別行動している)西住隊長のところに絶対に向かわせちゃいけない。ここでやっつけよう。」とメンバーを鼓舞します。
戦局全体を理解したうえで自らに課された役割を果たそうとする姿はやはりリーダーシップだなー、と思います。


©GIRLS und PANZER Projekt

 

このような梓のリーダーシップは劇場版でも垣間見られます。
本編に登場する学校のオールスター軍団を束ねる大隊長・みほが各メンバーに「自分たちにできる戦いをしよう」と鼓舞したのに対して、「自分たちにできることは何か」を問い続けます。
ここにも、自分たちの能力や戦車のスペックでどのような役割を果たすべきか、ということを能動的に考え、動こうとする彼女のリーダーシップが見えてきます。


©GIRLS und PANZER Projekt

 

このようなリーダーシップは大洗女子学園だけのものではありません。

劇場版はオールスターということもあり、本編で対戦した各校のメンバーの姿もよく見えて興味深いです。

例えばプラウダ高校(ソ連をモチーフにした学校)のKV-2のメンバーは、彼らのリーダーがピンチに陥ると、自らを盾にしてリーダーを逃がすという行動を自発的に取ります。
そのリーダーがピンチを脱することがチーム全体の利益になることを知っていたためです。
彼女たちもチーム内ではリーダー的ポジションではありませんが、自ら果たすべき役割を能動的に行動に移しました。

  
©GIRLS und PANZER Projekt

 

そして、終盤には大物戦車を倒すために、大洗女子学園のライバルでもあった聖グロリアーナ女学院(英国をモチーフにした学校)の隊長・ダージリンは自らのポリシーである「優雅な勝ち方」を捨てても戦果を求めました(オールスターチームの中では中隊の副隊長として活躍しています)。

さすがに隊長を務めているだけあって、その辺のリーダーシップはしっかりしています。

ちなみに彼女は劇場版で他にも重要なリーダーシップを発揮する機会があって、さすが隊長ってところです。


©GIRLS und PANZER Projekt

 

【アニメから学ぶことも多い】
たかがアニメ、されどアニメ。
マンガから学ぶものが少なくないように、アニメから学ぶこともまた多いと思います。

彼女たちの行動はアニメを見ていると割と自然ですが、実社会では指示待ち人間が少なくありません。
どの世代にもそういう人はいると思いますが、自分も含め若い世代は指示を受けて行動することが多いため、受動的な役割に終始してしまうこともやむなしとなってしまうかもしれません。
ただ、それだと自分の成長速度は鈍化するし、いざリーダーシップが求められたときにも適切な行動がとれないような気がします。

だからこそ、自分は自分なりのリーダーシップを身につけて、どのような立場でも自分なりに組織を動かしていけるような人間になりたいと思います。
そういう点からもガルパンに感じるところは多々ありました。

カテゴリー: アニメ・漫画・ゲーム, 趣味や遊び♪ | コメントする

研究の道筋を描く

「資産運用会社の忠実義務」を研究するために大学院に入って1年が経ちました。

会社の方針や上司からの指示を受けて仕事をする日常業務とは異なり、全く白紙の状態から自分で研究の方向性を考えて論文を書き上げるというのは創造的である一方、基本的には方向性から調べる資料まで全て自分で考えなければいけないので、自分の判断が正しいか不安になることも少なくありません。

といって、自分の考えだけで進めていくと、学術的な研究としてはあさっての方向に行っていて、気がついたときには取り返しがつかないことになる恐れがあります。

そのため、1月にゼミで自分の研究の方向性を発表し、教官やゼミ生の意見を聞いて大体の研究の方向性を固めました。

発表前は自分の研究の具体的な論点や論文の構成などが適切かどうか不安がありましたが、意見を聞いて必要な修正を行い方向性が固まった現在はとりあえずその方向に向かって論文の作成を行っています。

論文の作成を進めてみると、自分の考えていた仮説が実は簡単には導けなかったりしてどのように自説を補強するか悩んでいるところですが、方向性自体には問題がなさそうなので、あとは掘り下げるだけという安心感があります。

博士課程というのは、誰も手を付けていない内容について博士論文を書き上げるというプロジェクトと言えますが、そのようなプロジェクトを真っ白な状態から始めるにあたって、まずは方向性を決めることが大事ということを学ぶことができました。

論文の内容に絡むことについて学ぶのはもちろんですが、せっかくの一人プロジェクトなので、プロジェクトマネジメントの観点からも何かしら身につけていきたいところです。

カテゴリー: 法学博士課程体験記 | コメントする

Company presentation for RSM visitors

多くのビジネススクールでは他国に修学旅行のように訪れて、その国の会社などを訪れるということが行われています。

我が母校のRSM(Rotterdam School of Management)も同様のことを行うことがあるようで、1か月ほど前に金融専攻の在校生から会社訪問をさせてもらえないかと打診がありました。

卒業生として在校生相手にプレゼンを行うということは非常に光栄なことですが、人前で話すことは得意でないですし、しかも英語でプレゼンに質疑応答となるとそれなりにハードです。

そのため少し悩みましたが、やはり光栄なことですし、ブログのネタにもなるし、何より英語のプレゼン一つもできないようでは外資系の会社で今後やっていけないだろうと考え、引き受けることにしました。

プレゼンをするとなるとまずは資料作りです。
せっかく海外から来てもらうわけですし、日本の金融市場や運用業界のことを知ってもらいたいと思い、「会社の紹介」「日本の運用業界を取り巻く環境」「資産運用会社の業務」の三本立てでいくことにしました。

「日本の運用業界を取り巻く環境」については日本の家計の特徴としてリスク資産に対する投資の割合が小さいことはよく知られていますが、日米欧の比較と日本市場における運用業界のポテンシャル、海外運用会社を呼び込む金融庁や東京都の取り組みなどを紹介することにしました。

「資産運用会社の業務」については、ファンドマネージャーやアナリストだけでなく、それを支えるミドル・バック部門の紹介やコンプライアンス担当者として自分がどのような役割を担っているかなどを紹介することにしました。

 

資料が完成したら次はプレゼンのイメトレ。
日本語でもプレゼンをするときは事前に練習しますが、英語となるとなおさらイメトレが必要です。
必ずしもイメージ通りにプレゼンが進められるわけではないとはいえ、準備をしていると気持ちが楽になってやりやすくなります。

 

そして本番当日。
参加者26名を迎えていよいよプレゼンです。

頭の中では一通り説明したらいくつか質疑応答があっておしまい、という想定でしたが、そこは海外流。
プレゼンの途中でガンガン質問が飛んできます。
こちらが一方的に話すのならともかく、質問を理解して話すということは得意ではないので少し焦りましたが、これも練習だと腹をくくりました。
質問があること自体は関心を持ってくれているということでありがたいですし。

 

説明と質疑応答を繰り返し、何とか最後まで説明しきったところで、改めて質疑応答。

下手な英語の説明だし、みんな退屈していたかと思いきや、質問が出るわ出るわ。
冷や汗が出そうでしたが、何度か質問を聞き返しながら答えきりました。

ちなみに、質問としては記憶にあるだけでも下記のようなものがありました。
・日本の投資家が欧米に比べて保守的なのはなぜか。文化的なものか。
・NISAは英国のISAのように投資額に制限があるのか
・役職員は自分の取引をすべて会社に開示しなければならないのか
・当社が日本の投資家に提供している運用プロダクトについて
・なぜMBAの後にコンプライアンスというキャリアを選んだのか

ちなみにMBAの後にコンプライアンスの仕事を選んだのは、単にそれしかポジションがなかったからです(涙)
先輩として正直に答えました(笑)

 

最後にみんなで写真撮影。
最後までヒヤヒヤでしたが、無事に終わってよかったです。自分にとっても大変有意義な経験になりました。
このプレゼンが在校生の方にとって少しでも役立つものになったらと思います。

英語はもっと練習しなくては。。。

カテゴリー: MBA, お仕事 | コメントする