質の高いアウトプットにはアウトプットの積み重ねが必要

外資系企業にいると、海外の人とのコミュニケーションを避けて通ることはできませんが、その都度自分の英語力の低さを痛感します。

そのため、英語力を強化するために英会話のレッスンを再開したのですが、時々基本的な単語すらもパッと出てこなくて焦ることがあります。

先日は太陽光発電の”solar”という言葉が出てこずに、”sunshine generation”などと表現したりして、コミュニケーションは自分の考えを伝えることが第一とはいえ、情けなく感じることも多々あります。

 

英語を使っているとよくわかりますが、「知っていること」と「アウトプットできること」は必ずしも同じではありません
英語を読んだり聞いたりするときには理解できる言葉でも、自分がアウトプットするときにその言葉が頭に浮かんで使えるか、と言われると難しかったりします。
単語に限らず、慣用句や文法についても同じです。

 

【インプットとアウトプットのギャップ】
インプットとアウトプットのレベルの乖離は語学に限ったことではありません。
例えば資格試験や学校の入学試験でも同様の経験をしました。

・インプットとアウトプットのギャップの経験(1)
以前ある資格試験の勉強をしていたときのこと。
テキストを読んだらある程度理解できて、過去問を見ても解説は理解できる。
だから、試験でも合格点には届くだろうと思って受験したらまさかの不合格。
敗因は、過去問をほとんど自分で手(と頭)を動かして解いていなかったことでした。
自分のインプットの量を過信し、実際にどの程度アウトプットできるのかを理解していなかったため、実は全然合格水準に達していないことに気づいていなかったというマヌケさ。
その反省を踏まえ、その次は過去問を繰り返し解いたことでなんとか合格することができました。

・インプットとアウトプットのギャップの経験(2)
そういえば、大学入試のときも受かった大学・不合格だった大学がありますが、過去問をそれなりにこなしたのは合格した大学の方で、不合格だった方はあまり過去問を熱心に解いた記憶がありません。
言い訳・負け惜しみじゃないけど、過去問ちゃんとやっとけばよかったなぁ・・・
その前にセンター試験がボロボロだった(涙)

・インプットとアウトプットのギャップの経験(3)
プレゼンを行ってもそう感じることがあります。
人のプレゼンを見たり、プレゼンの仕方に関する書籍を読んだりしたところで、経験や十分な事前の準備がなければ頭の中は真っ白になるし、緊張して早口になったり滑舌が悪くなったりして聞いている方からするとわかりにくくなったりしてしまいます。
個人的な経験からいうと、プレゼンについては「どのようにすれば素晴らしいプレゼンになるか」を考えることも大事ですが、アウトプットの経験を積んでいかないと準備したものを100%に近い状態で届けることができないのではないかと思います。
プレゼンをするときはいつもイメトレや練習をして臨むようにしていますが、それでも満足に話せることは少ないので、練習という形でのアウトプットも大事とはいえ、本番の経験にはかなわないようです。
ここでも質の高いアウトプットの重要性を感じます。

実際、素晴らしいスピーチやプレゼンで知られる故スティーブ・ジョブズ氏はプレゼンの前には何度も練習したそうですし、また本番の経験の積み重ねがそのカリスマに資したのではないかと思います。

 

このような事例を並べてみるとアウトプットの重要性は自明のように思われますが、実際にアウトプットの積み重ねが不十分なまま本番を迎えている例というのは少なくないように思います(自分がそうだったように…)。

 

・アウトプット不足の事例(1)
例えば、最近世間を騒がせている某有名大学の記者会見。
渦中の当事者たちの弁明の内容が批判されていますが、それだけでなく記者会見を仕切った広報担当者の振る舞いも批判されています。
特にこのような重大な記者会見の場合、リハーサルとまではいかずとも事前に各種のシナリオを想定して対応を決めておくという疑似アウトプットくらいはするのではないかと思いますが、そのような事前のアウトプットがなされていないように感じました。
また、当該広報担当者自体、記者会見を仕切るというアウトプットの経験が殆ど無いように見受けられました。

無論、広報担当者である以上、記者会見はどのように運営されるものなのか、どのように仕切ればよいのか、という知識はあったと思いますが、それがそのままアウトプットにつながるわけではないという好例だと思います(それすらもなかったのであればなぜ記者会見の仕切りを任せられたのかという別の疑問がわきますが…)。
個人的には、渦中の当事者たちの弁明内容は批判こそされていますが、記者の質問をある程度想定して練られていたようですので、弁明内容の是非についてはともかく、アウトプットの姿勢としてはまだ理解できます。

・アウトプット不足の事例(2)
社会人1年目の人のある種の「根拠のない」自信もこれに該当するかもしれません。
学校では経営や法律、あるいは科学に関する最新の理論を学んできたので、最初からバリバリ成果を出すべく奮闘するぞ!と気合が入ってしまう人も少なくないようです。
自分も社会人になりたての頃はそんな感じだったので、そういう気持ちも理解できます。

しかし、新社会人には社会人としてのインプットも不足しているのですが、何よりアウトプットの経験がありません。
最終的なアウトプット(企画の成立・実行、ディールの成立など)に至るまでの全ての経験がありません。
社会人としての常識的な振る舞い、社内外における調整の進め方、スケジュール調整、資料作成や経費精算といった事務作業、これら一つ一つにアウトプットが生じます。
これらもインプットすることはできますが、アウトプットを積み重ねなければスムーズにはできません。そして、これらは簡単そうに思えて、どれも奥が深かったりします。
そう考えてみると、社会人としてのレベルアップには、ちょっとした所作も含めた多種多様なアウトプットへの意識が必要といえそうです。

・アウトプット不足の事例(3)
インプットだけでアウトプット不足で痛い目を見た歴史的な事例としては中国戦国時代の趙括の例が有名です。

戦国時代終盤には秦が圧倒的な勢力を誇るようになり、国境を接する趙などは次第に圧迫されるようになりました。
そんな中、ついに秦は趙を侵略するようになり、趙は長平の地で迎撃することになりました。

趙軍を率いるのは百戦錬磨の老将・廉頗。名外交官の藺相如との「刎頸の交わり」でも知られる人物です。
趙軍は兵力でこそ勝っていたものの、勢いのある秦軍と交戦すべきでないと判断した廉頗は守りを固め、秦軍は攻めあぐねます。

一方、趙王の孝成王は兵力に勝りながらそのような消極策を採る廉頗を面白く思っていませんでした。
そこを秦の宰相・范雎は見逃さず、「秦は廉頗ではなく、若いながらに優秀な趙括を恐れている」という噂を流したところ、孝成王はこれを信じ、廉頗を交代させようとします。

この趙括という人物は、趙の名将として知られた趙奢の息子なのですが、兵法をよく学んでいて、趙奢ともよく議論をしていたそうで、いつも趙奢を言い負かしていました。
親としてもいい息子を持った、と言いたいところですが、趙奢曰く「戦争は臨機応変な対応が求められるが、紙の上での勉強しかしていない趙括にはその機微がわからないので兵の指揮はできない」と厳しい評価でした。

趙奢の母親はそれを聞いていたので孝成王にそれを言っても聞き入れてもらえず、「失敗しても家族を罪に問わない」という言質を得る始末。藺相如も諌めましたが、やはり趙括に交代となりました。

そして趙括は現地に赴任し、積極策を採りますが、ちょうど秦軍に合流していた猛将・白起の策にひっかかり大敗。趙軍はその兵力の殆どを失い、趙括も戦死してしまいます。歴史に名高い長平の戦いです。

もし、趙括にもっと実戦経験があれば素晴らしい指揮を執ったかもしれないと思うとアウトプットの機会は貴重なものなものだと思わされます。

 

【インプットとアウトプットのバランス】
ただ、アウトプットの基礎としてインプットが必要であることも事実です。
試験を受けるときに過去問だけ解いてテキストを読んでいなければ応用が利きませんし、スポーツでもまずは基本的なフォームを固めて(インプット)から練習(アウトプット)、本番(アウトプット)というステップを踏むのが王道だと思います。

歴史上の人物を見ても、名将といわれる人物の多くは兵法を学んでいますし、プロ野球選手の大半は幼少期から野球を始めています(それぞれ例外はあるでしょうが)。
学術論文を読んでも多くの参考文献が記載され、一つの論文を書くためにも多大なインプットが求められることがうかがえます。
実際、論文作成の過程で指導教官と話していると、色んな論点や先行研究を提示され、インプットの重要性をいつも思い知らされます。

 

ただ、インプットにばかり気をとられてしまうと、肝心のアウトプットがおろそかになります。
勉強にせよ、練習にせよ、インプットは自分が成長している感覚がわかりやすく、のめりこみがちです。
ただ、インプットは基本的にはアウトプットのためにするものです。
仕事になるとなおさらその傾向があります。

だから、アウトプットの質を向上させるためには何が必要かを考え、特にアウトプットの機会を確保することを意識する必要があるのだと思います。

一口にアウトプット、といってもレベル感がありますが、例えば職場で自分の担当ではない案件の情報が回ってきたときに、何も考えないよりは自分なりの意見を考えた方がアウトプットと言えるし、さらに何らかの形で他の人に意見表明した方がさらにアウトプットの経験が高まるかと思います。

 

アウトプットの機会は自分をとりまく環境に制約されがちですが、それでもアウトプットの機会を自分なりに作り出していくことはできます
自分の意見をメモに残したり、友達と話したり。あるいはブログやSNSで発信したり、懸賞論文や専門誌に投稿することもできるでしょう。

そうやってアウトプットをすることで自分のインプットの足りないところがわかってくるので、インプットとアウトプットの好循環も期待できます。

 

・・・とアウトプットの重要性を説きながらやたら長文になってしまい、アウトプットの質として微妙な内容になってしまいましたが、今後もブログや英会話でのアウトプットを継続して、よりよい情報発信ができるように頑張ります。

そして、受験生や就職活動中の皆さん、過去問や模擬面接の練習など、インプットだけでなくアウトプットにも十分注力しましょう(自分の黒歴史を振り返りつつ…)!

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