奈良大学通信教育部交流会

同窓生との交流は学生の醍醐味?

奈良大学では歴史学を中心に学んでいますが、基本的には自分でテキストを読んで学習する形式なので、ほとんど一人で完結してしまいます。
しかし、大学生であればやはり学友との交流をしたいところですし、歴史学という日常生活や職場で語り合う相手が少ないテーマであればなおのことです。
歴史上の人物や出来事といった「歴史好き」が好きな内容であればまだ話す相手は探せますが、歴史を学問として学ぶことについてや各科目の気になることを話すとなるとやはり同じカリキュラムで歴史学を学んでいる人と話したいものです。

それに、やはり卒業式の時に学友が集まって卒業を喜び合う姿っていいと思います。
私は今まで3回大学(院)を出ていますが卒業式に出たことはなく、一人で卒業を味わってばかりでした。
ということで、奈良大学では学友と一緒に卒業式を迎えたいと願っています。

もっとも、卒業式で喜び合うにはそもそも学友たちと仲がいい必要があります。
交流がないと結局知らない人の中に一人いるのと変わらないので。
実際、人見知りしがちなので立食パーティーとかいくとよくあるパターンです(汗)
そのため、卒業式までには学友とある程度交流しておかなければいけません。

本来であれば皆さんスクーリングで奈良にある大学のキャンパスに集まって同じ授業をとってその中で交流ができるのですが、コロナ禍でスクーリングが在宅になっているため対面での交流ができなくなっています。
それでは仮に卒業式が実地でもぼっち卒業式になりかねません。

まだ先の卒業式のことは別にしても、やはり同じ関心と志をもって集まっているのですから学生らしく語り合いたいというのはありますし、おそらくそれは他の在校生も同じだと思います。
ただ、そういうのは誰かが動かないと進まないものでもあります。

ということで、有志を募ってオンライン交流会をすることにしました。

 

若者もすなるオンライン交流会といふものを

こういう時、オンライン会議システムは便利です。最近では仕事で使っている人も多いですし、スクーリングでもZOOMが使用されているので皆さんトラブルもなく参加できていました。

交流会はこの前開いたのですが、実は2回目で一度目は7月に開催していました。
この時に記事にしようとしていたのですが延び延びになってしまいました。

一度目は数名でしたが、今回はリピーター含めなんと10名以上の方に参加いただきました。
土日のお昼の時間帯という参加しやすい時間にしたこともありますが、やはり学友と話したいという方が多かったのでしょう。
主催者冥利に尽きますね。

お昼の時間なのでランチを兼ねて、という形で企画していましたが、堂々ともぐもぐしていたのは私含めて2,3人程度だった気がします。
やはりオンラインだと大勢の前でもぐもぐするのに抵抗する方も多いのでしょうか。
私は食べるだけでなくビールのロング缶ぐびぐびしてましたけど(笑)

話題の中心はやはり履修科目と卒業論文。
科目ごとに学習の進め方や抑えておくべき点、難易度が異なるようで、どの科目から手を付けるべきか、〇〇の科目はどのように学習すればいいのか、などについて先輩方からのアドバイスが多くありました。
前回も今回も史料学概論という科目は強くお勧めされましたが、歴史学を学ぶ以上は史料の見方や扱いについても多少は知っておきたいので、この科目は是非勉強したいと思いました。

また、スクーリング科目のうち必修科目は同じ科目を複数の先生が担当されて、そのうち一つを選択して履修することになるのですが、スクーリング科目の選び方についてもアドバイスがありました。その話を聞いて選択を予定していたものを変更することを検討しており、聞いてよかったと思いました。
スクーリングは在宅でも追加でお金がかかるため、より自分に合ったものを選択したいですし。

卒業論文についても留意点について示唆を得ました。
レベル感についていうと、学部の卒業論文とはいえやはり新規性が求められ、既存の研究のパッチワークでは卒論と認められないようです。「論文」である以上、他人の意見ではなく自分の意見を述べなければいけないということでしょう。

新規性が必要ということは研究が進んでいるテーマを選ぶのは難しく、また大きなテーマも手に余ることになるので、あまり研究者が注目しないもの(特定の文化財や場所など)を選ぶのがよさそうです。
例えば城といっても研究が進んでいる小田原城と知名度が低い城では研究の蓄積が全然違いますし、城というテーマでもいろんな切り口があるはずなので、その点でも戦略が必要です。
改めて考えてみると新規性や学生という立場(=プロに比べて蓄積が少ない)という点では博士論文も卒業論文も変わらず、とるべき戦略もおのずと似たものになりそうです。ちなみに修士の人も同じことを言われていましたので学位論文は皆同じかもしれません。

そして卒業論文は結構負荷が大きいようで、さらに奈良大学での学習の集大成でもあるので皆さんすごく時間をかけているようでした。
中には卒業論文を書くために奈良大学に入ったとおっしゃる方もいましたが、卒業論文は自分の好きなテーマで書くもので、形にも残るので卒業論文こそ奈良大学での学習の目的というのはよくわかりますし、同じ感覚です。
論文はある意味で「わが子」みたいな感じさえします。

私も卒業論文を書くのを楽しみにしているので、卒業論文の話を聞いてすごくモチベーションが上がりました。
ただ、4年次の卒業論文作成のスケジュールは結構タイトな感じがあり、今年度中にある程度テーマを固めておく必要があると感じました。
先日のスクーリングでは後北条氏(の民政)を文化財絡みで考察するのは難しそうな感じがしましたが、悩みどころではあります。悩むのも楽しいですけどね。

このように、履修科目に卒論にといろんな話で盛り上がったのでよかったです。
気が付いたら3時間にもなってました。やっぱり話すのは楽しいってことですね。

ちなみに奈良大学の卒業生・在校生にはブログを書かれている方も多くいらっしゃるのですが、その一人の瓊花さんも前回・今回と参加いただきました。
交流会の様子もブログに書いていただきました。ありがとうございます。

 

 

私がブログを書く目的の一つに同じ関心を持つ人とつながるきっかけにしたい、ということがありますが、歴史学についても関心がある人がこのブログを読んで交流を持つきっかけになってくれればうれしいです。
(仕事(アセットマネジメント)関係の記事では比較的そういう機会がありました)

ともあれ、交流会は2回とも楽しかったので、また機会があれば開催したいと思います。

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退職時の悩みはみんな同じ?

退職時に一番きついこと

退職時の最大のハードルは初動にあり!?

私が社会人になりたてのころは(私の周りでは)転職することは一般的ではなく、家族をはじめ周りのほとんどの人が同じ会社で勤務していましたが、最近は退職・転職が以前よりは一般的になっているのではないかと思います。

それを雇用の流動性とポジティブに捉えるべきか、雇用・労働環境の悪化と捉えるべきかはさておき、転職というカードは労働者が持っておくべきカードだと思います。
選択肢を持っている人は強いですから。

かくいう私も結構な回数の退職・転職を経験していますので、転職することのメリット・デメリットについては理解しているつもりです。
そして、退職に伴う大変さも。

退職をするとき、基本的にはまず直属の上席に伝えるのがマナーです。同僚、上司の上司など第三者に先に伝えるのはマナー違反で後々面倒になります。
そして、この上司に退職の意思を伝えるというのが最初かつ最大のハードルだと思います。

上司との関係が良好な場合、当然自分にも後ろめたい気持ちがありますし、上司が嫌な思いをすることもわかるので、非常に気が重いです。いい上司ならこちらの気持ちを汲んで気持ちよく送り出してくれる、と信じたいところですが、それはそれでやはり辛いものです。

上司との関係がよくない場合、これで縁が切れるぞ、とテンションが上がるかもしれませんが、切り出した瞬間の反応を想像すると恐ろしいものがあります。怖い上司ならなおさらでしょう。一時の我慢と思うしかありませんが、まあ憂鬱です。

よほど図太い人はわかりませんが、多くの人はまず上司に伝えるというステップが厳しく感じるのではないでしょうか。私もそう思います。これができたら転職のハードルはほとんどなくなったも同然です。

米国では日本より転職が一般的だと思うのでこういう心理的なハードルは低いのだと思いきや、やはり上司に伝えるのは気を遣うようです。
転職に関するテーマは米国でも関心が高く、Harvard Business Reviewでもたびたび取り上げられているようで、たまたま見かけた下記の記事でも転職時に気を付けることが述べられていました。

曰く、まず退職の意思は上司に伝えよ、転職の理由が上司にあってもそれを言う必要はなくキャリアゴールが変わったなどというべき(特に米国は転職先から元の勤務先へのリファレンスチェックの可能性があるため)、転職するならなるべく早く伝えるべき(会社の対応、円滑な引継ぎ、本人の心理的なプレッシャーの軽減などのため)、とのこと。
気をつけることは日本と変わらないものだということにかえって関心を持ちました。

上司に退職の意思を伝えるときの心持ち

しかし、改めて読むとこの記事は肝心なことに触れていないように思います。
すなわち、「上司に伝えるのにどのような心持でいればよいか」ということ。
上司に早く伝えたいのは誰だって同じですが、それが嫌だから困るので。
これに正解はないと思います。よほど会社・上司が自分のことをやめさせたいとかでなければ上司にとってはメンバーが一人減るのは面倒事なはずなので。

私の経験からアドバイスをするとしたら、初動は無理やり自分の背中を押す、ということでしょうか。
一瞬だけ理性を吹っ飛ばして上司に声をかける、あるいはメールの送信ボタンを押す。
声をかけてしまったら「何でもありません」とはいえないので、「ご相談したいことがあるのですが」と声が出ると思います。メールも同様。

一度そのように動いてしまえば、後は勝手に状況が動きます。
上司を個室に呼び出せば上司も察するでしょうし、個室で上司と相対すればこちらも退職のことを切り出さざるを得ません。
初動のときに一瞬だけ理性を吹っ飛ばして上司に声をかければ終わりなのです。

ちなみに理性を吹っ飛ばすというのは「勇気を出す」というのとは違う感覚です。
勇気を出すというのはドキドキしながら声をかけるイメージですが、理性を吹っ飛ばして話しかけるというのはその一瞬だけはノーガードで後のことを何も考えずに行動する感じです。
何も考えないとその一瞬はストレスがないので、後回しになりにくいと思います。

罪悪感を小さくすれば話は進めやすい

退職の意思を伝えるのが辛い理由には罪悪感というのも大きいと思います。忙しい職場であれば自分が抜けた後に上司や同僚が苦労するのが想像できますし、関係者への引継ぎなども余分な負担になります。
自分が退職しなければ…と考えるのは責任感がある人なら当然でしょう。

とはいえ、退職・転職を決めた以上そんなことを考えても仕方がありません。
ただ、罪悪感を小さくすることは退職の意思を上司に伝える際の心理的な負担の軽減につながると思います。

私は上司に退職の意思を伝えるときには、転職先に迷惑をかけない限り会社の要請をすべて受け入れるつもりでいました。
メンバーの負担軽減のために極力業務をしてほしいということであれば有給休暇の消化は控えましたし、引継ぎも最大限丁寧に行ったつもりです。

退職の前にはできるだけ有給休暇を消化してしまいたいというのが人の性かもしれませんが、自分の希望を前面に押し出すと上司やメンバーとの関係がこじれ、最悪の場合転職先に自分の悪い評判が伝わってしまうかもしれません。

したがって、上記の記事にもありますが円滑な引継ぎのために最大限協力するという姿勢を伝えるのが円滑な話し合いにつながりますし、上司に切り出す際の安心感(あるいは自分は悪くないという自信)も得られるのではないでしょうか。

逆に言えば、退職する意思があるのであれば計画的に有給休暇を消化していくべきともいえるかもしれません。状況が許せば、ですが。
かといって有給休暇をちょくちょく取得している人を疑わないように(笑)

 

真摯に、丁寧に、かつドライに

上司に退職の意思を伝えたら後は引継ぎをするだけです。
退職日が決まっていれば最終出社日はほぼ自動的に決まるので、逆算で引継ぎスケジュールができれば後はそれに沿って動けば問題はないと思います。

ただ、時々退職して次の会社で働き始めてからも前の会社の仕事をさせられているという話を聞きます。
雇用関係もない状況で業務を行うのは本人にとっても会社にとっても大きなリスクがあると思うのですが、お構いなしな会社もあるのでしょう。
転職する側もすがられたら嫌とは言えないこともあるのかもしれません。

これも日本らしいなあと思いきや、実は海外でもある話のようです。
再びHBRから。

海外でも罪悪感が仇となってズルズルと前の会社の仕事を引きずってしまうことがあるようです。やはり罪悪感は危ないですね。

もちろん引継ぎ時に漏れなく自分の作業やノウハウ(ファイルの保存先や関係者の連絡先など)を伝えることは難しいので、一定期間は前職からの問い合わせに対応する必要はあると思います。
私の場合もそういう経験はありましたし、記事中にもあるようにそれは一般的だと思います。

しかし、これが長期間にわたったり、依頼内容が業務そのものになってくるとそれは異常事態と言わざるを得ません。
給料が出るわけでもないのに時間を割いたり責任を負うことは自分だけでなく転職先の会社にとっても問題がある行為です。

まともな会社だとこういうことはないと思うのですが、引継ぎをする際には記事にもあるように極力文書化することと期限を設定することは留意すべきだと思います。
期限を明示することは難しいですが、文書化は自分でできるのでこちらは力を入れるべきだと思います。文書化すればマニュアルにもなって喜ばれるでしょうし。

で、常識的な期間を超えても作業を依頼してこられたらドライに「十分に引き継ぎ対応をしましたし、もう現在の勤務先での業務に集中したいので連絡しないでください」と伝えた方がいいのでしょう。
引き継ぎの記録があれば変な脅しや風評にも対応できるでしょうし。
というか、そういう非常識な会社とはさっさと縁を切るべきだと思います。

ということで、結論としては退職時のストレスを極力減らすには、次のアドバイスを送りたいと思います。
一瞬だけ理性を吹っ飛ばす
極力現職に協力的な姿勢を示して罪悪感を小さくする
最大限の協力をしても依存してくる(利用しようとしてくる)ならドライに切る

 

退職・転職を経験した人ならわかると思いますが、最終出社日に退社するときの空はとても明るいです。夕方でも夜でも明るいです。
苦しい状況において退職が常にベストな選択肢とはいいませんが、退職すべき時に退職のプロセスを終えると非常にポジティブな気持ちになります。
退職を明るい未来につなげたいと思う方にこのアドバイスが少しでも役に立てば幸いです。

あ、こんな記事を書いているからといって私が今退職を考えているとかではないですからね!

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初めての試験結果(奈良大学通信教育部)

初めての(奈良大学の)試験結果

奈良大学通信教育部ではスクーリング科目以外の履修科目は、テキストを読みレポートを書いて、それで合格が出たら単位修得試験を受けて60点以上取れば単位がもらえる、という流れになります。

私は履修科目のうち、文化財学講読Ⅰ、民俗学及び言語伝承論からレポートを書いて合格したので、まずはその3科目について試験を受けました。

そして結果を待つこと1か月、試験結果が郵送で送られてきました。

若干緊張しながらの開封です。

 

ドキドキ。

 

ドキドキ。

 

ドキドキ。

 

・・・

 

じゃーん!!

 

 

どやぁ(笑)

結果は言語伝承論と文化財学講読Ⅰは80点超え(いわゆる優)となりましたが、民俗学は75点と80点を下回る、いわゆる良という結果になりました。

それぞれ頑張ったので優の結果となった科目については嬉しいですが、民俗学が良となったのは忸怩たる思いがあります。
もっとも、民俗学は万全の回答ではなかったと思いますので単位が取れただけでもよしとすべきかもしれません。

各科目の試験の振り返りについては別の記事を作成したいと思いますが、とりあえず全て合格という結果になり一安心です。

とはいえまだ3科目。とるべき単位はまだたくさんありますし、その中には苦手な分野もあります。
今回の結果に慢心せず、これからの学習も気を引き締めて続けていきたいところです。

 

でも貴重な土日にずっと手書きで回答を書き続けるとか、我ながらよく頑張りました(笑)

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言語伝承論(1)_学習内容とレポート課題

関心が薄い分野を学ぶ意味

「歴史好き」な人はたくさんいますが、「歴史」の分野が数多ある中でその関心を一括りにすることは難しく、すべての分野に満遍なく関心を持っているという人はあまり多くないのではないしょうか。

私も多分に漏れず文学の分野には関心が薄く、古代・近現代の文学はおろか、昔の詩にもあまり関心はありませんでした。
文化系のテーマに関心がないと教養がない、なんて言われそうですが、関心がないものはしかたありません。自分で勉強するなら好きな分野のことを知りたいものです。

しかし、大学のカリキュラムに組み込まれているとそのような逃げはできません。
関心がなくても勉強して単位がもらえないと卒業できないわけで、「関心がないから勉強しない!」と我を張る選択肢は存在しません。

ただ、これは決まったカリキュラムの中で学習するメリットでもあると思います。
政治や経済だけでなく文化もまた現在の社会につながる歴史を形成している分野であり、過去の文化について学ぶことは自分の関心事である政治や経済の歴史の理解を多少なりとも深めてくれると思います。点と点がつながってできる理解の面が広がるという感じです。

また、建前的にはグローバル化が進んで海外の人との交流が増える中で自国の文化について理解をしておいた方が便利・有利になる可能性はあるかもしれません。
もっとも、留学していた時も業務上海外の同僚などと話すときもに日本の過去の文化が話題になったことはありませんが(笑)

ともあれ、苦手な(関心が薄い)分野は先に済ませておきたいという心理もあり、関心のある分野より先に言語伝承論に取り掛かることにしました。

 

言語伝承論の内容

言語伝承論というタイトルだけではテーマがわかりにくいですが、この科目では万葉集を読むことになります。
万葉集は飛鳥時代から奈良時代(7~8世紀)にかけて編集された歌集で、その期間の歌人や庶民の詩が収められています。特に有名な歌人としては大伴家持額田王などが挙げられるでしょうか。
旅の途中で息絶えた旅人を悼む聖徳太子の有名な歌も含まれています。
※家ならば 妹が手かまむ 草枕 旅に臥せやる この旅人あはれ(巻三の四一五)

万葉集を味わうこの科目のテキストは『万葉挽歌のこころ 夢と死の古代学』。
著者は上野誠先生という以前奈良大学で教鞭をとられていた方で万葉集研究の第一人者として著書も多い有名な先生です。
最近別の大学に転出されたそうですが、「神話伝承論」というスクーリング科目はまだ担当されているので、受講する機会があれば教えを受けることができそうです。

挽歌というのは棺を挽くときに詠む歌、つまり死者を悼む歌です。
万葉集に収められている歌は家族や恋人を想う歌、仕事のことを取り上げた歌、風景を描いた歌など様々なカテゴリーがありますが、本書では挽歌に焦点を当てて万葉集の世界を学びます。

本書で取り上げる挽歌は9つ。全て天智天皇が崩御する前後のものです。
読み手は天皇の妻や近侍する女官など身近な人たちが選ばれています。

同じような立場の人が同じ人物を対象に挽歌を読むので同じような印象の歌になるのかと思いきや、それぞれの読み手が色んな技法で自らの感情を発露しています。
悲しむという点では同じなので何も知らずに一読するとみんな悲しいんだな、という理解で終わってしまいますが、歌の背景・読み手の意図を理解すると同じ気持ちであってもそれぞれの立場が反映されていることがわかります。

そして、各人が自らの感情を公に発露(主張とも言えます)することは一種の戦いであると著者は指摘しています。
言われてみると天皇を悼むという極めて政治的な行為が単なる個人の感情で済むはずはなく、他の妻・女官との相対的地位、後継の天皇その他関係者との関係も踏まえた上で詠まれてもおかしくないと思いますし、それはまさに一種の戦いと言えそうです。

一連の歌についてこういう見方ができるようになっただけでもこの科目を履修した甲斐がありました。
ただ、せっかく万葉集に触れるのなら特定の歌にだけ触れておしまい、というのももったいないのでもう少し広く学習するために万葉集を解説した漫画を買ってきました。

 

これも上野先生が監修。すごいですね。
絵師さん(サイドランチ所属のイラストレーター)もよかったです(笑)

上野先生監修とはいえこれで言語伝承論はバッチリ!、なんてことにはならないのですが、万葉集の世界観を理解するにはイラスト入りというのはよかったです。
イラストレーターもよかったですしね(しつこい)。

 

レポート課題

言語伝承論のレポートのお題はテキストにある歌の一つを選んで著者の解釈をまとめること、歌にある「影」という言葉について用例を調べたうえで自分の解釈を述べること、テキストにある歌について自分なりの釈義(現代語訳)を行うことでした。

最初のテーマについては下記の額田王の歌を選びました。

かくあらむの 心知りせば 大御船 泊てし泊まりし 標結はましを(巻二の一五一)

この歌は視覚的に理解することが比較的容易で、詩歌に造詣のない人でも読み手の心情が映像となって伝わってくると思います(著者もそのような形で解説していました)。
芸術作品の理解の仕方は感覚的な部分に拠るところが大きいと思いますが、作者の伝えたいことが映像として想像できるものは素人にもとっつきやすい気がします。

詳述は避けますが、大御船が天智天皇の魂が乗る船、標(しめ)が港の内外の境界を示す標識で、天皇の魂が乗った船が外界に出ていく(=崩御)するのを標を結って引き留めたかった、という趣旨の歌になります。

次に「影」という言葉の解釈。
影という言葉は万葉集の中でもよく見かけますが、テキストの中では下記の歌に出てきます。

人はよし 思ひ止むとも 玉かづら 影に見えつつ 忘れえぬかも(巻二の百四十九)

影という言葉は現代でも使いますが、用法としては物体の後ろにできる部分(日陰など)、面影、影響などがすぐに浮かびます。
中国語だと電影で映画という意味になりますね。

では、万葉集の時代にはどのように使われていたのか。
これを知るためには古語辞典の定義と万葉集の実際の用法を調べる必要があります。
同時代の資料に当たるというのはいかにも歴史を学んでいる感じがしていいですね。

調べてみると現代と同じ部分と違う部分があり、現在日常的に使用している言葉でも大なり小なり変化していることがわかります。まさに「言葉は生きている」です。
そして言葉の変化を受け入れながら使い続けるというのは、まさに「言語伝承」といえるかもしれません。今思いついただけですが(笑)

最後の歌の釈義については基本的にはテキストの解釈を踏襲しつつ、自分なりの解釈を自分の言葉で加えてみました。
二つの歌について釈義を加えたのですが、人によって感情の表現の仕方が違って、でもそれぞれに「自分は天皇を慕っていた!!」という感情(というか自己主張)が強く出ていて、歌を詠むのも読むのもエネルギー消費が激しいと感じました。

こんな感じでレポートを提出しましたが、無事に合格をいただきました。
大変よくまとまっていて釈義も豊かに表現することができていると高評価でした。
普段触れることが少ない文学という分野ですが、学んでみるとそれなりに面白いですし、理解の程度もしっかり評価していただけたのはよかったとおもいます。

先日投稿した平安文学論を含め他にも文化・文学に関する科目はありますので、そのような科目もおろそかにせず、多少なりとも文化的なビジネスパーソンになりたいと思います。

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ファビコンを設定してみた

愛着あるブログにするために

私がこのブログを始めたのは涙をたびたび飲んだ就職活動を終えた2005年の秋頃で、もう15年も経つことになります。
懐かしいので、記念すべき最初の投稿を引っ張ってみました(最初は「就職活動日記」でした)。

 

その間更新が途絶えたり、逆に頻繁に更新したりする時期があったりとムラが目立つ運営ですが、飽きっぽい人間としてはよく続いているものだと我ながら感心します。

ブログを運営していると日々の生活でも記事のネタを探す癖がついて、ちょっとアンテナが高くなった気がします。ほとんどの場合は「何もないなー」という感度が低いアンテナではありますが…(汗)

それはさておき、細々とでも情報発信ができる人間でありたいという思いで続けてきたブログなので自分のアイデンティティを支える存在でもありますし、まだ見ぬ人とつながる貴重なツールでもあり、結構愛着があります。
そして愛着がある存在だからこそ、より自分でカスタマイズできるようにしたいということで、アメブロからWordPressに引っ越しして独自ドメインも取得しました。
アメブロも非常に使いやすいサービスですが、独自色を出していくにはWordPressの方が面白いと思っての引っ越しでした。

その割には更新頻度が…という感じですが、これはアンテナを高くするのと勉強や仕事を頑張ってネタを探すしかないですね(仕事のことをブログ化するのは限度がありますが)。

ともあれ、長年続けてきたブログなのでより愛着ある存在にしていきたいものです。

 

ファビコンつけました

ウェブサイト・ブログを運営する上で自分なりの「ブランド化」というのは若干意識していましたが、特にやってみたかったのがファビコンの設定です。
ファビコンとはウェブサイトのURLについているアイコンで、人気のあるウェブサイトやSNSには概ねついていると思います(GoogleのGマークやTwitterの青い鳥マーク)。

以前にも調べたことがあるのですが、その時はあまり理解ができず放置していたのですが、今般たまたま思い出して改めて設定方法を調べてみるとWordPressの機能を使って簡単にできることがわかったので早速設定してみました。

じゃーん!(日本銀行風に)

初めてのファビコン。センスは問わないで…

 

センスはともかく、Simple is bestということで。

愛着ポイントが増えたところで、このブログをこれからも楽しく運営していきたいところです。愛着、大事ですよね。

 

※「じゃーん!(日本銀行風)」というのは話題になったこちらのツイートを指すものです。

 

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平安文学論(1)_学習内容とレポート課題

平安文学論とは

平安文学論の概要

今日も今日とて奈良大学の学習を進め、この度平安文学論のレポートを提出しました。
提出しただけなのでどのような評価になるかわかりませんが、細切れでも記事にした方が役に立つ、ということをこの前の記事で考えたばかりなので、簡単に平安文学論という科目のお話をしたいと思います。

平安文学というと源氏物語や枕草子、竹取物語や蜻蛉日記といった女性による作品が多いことで知られます。古典に関心がない人でも名前を聞いたことはあるでしょうし、漫画家されているものが多いのも特徴だと思います。源氏物語を描いた「あさきゆめみし」は学校の図書館にも置いてあった気がします。

では平安文学論という科目がそれらの作品を読み込む科目かというとそうではなく、平安文学の背景を学ぶのが平安文学論の内容です。
平安文学論は女性の恋愛を描いたものが多いこともあり、特に平安時代の婚姻・男女関係のあり方について学びます。

テキストは工藤重矩著『平安朝の結婚制度と文学』。平安文学の背景となる婚姻制度について学べそうなタイトルです。

 

本書では、一般に理解されている「平安時代は一夫多妻制であった」という考え方について検討した上で、平安時代の婚姻制度から平安文学の中の登場人物の置かれた境遇について検討しています。
特に源氏物語、蜻蛉日記(藤原道綱母)、うつほ物語、狭衣物語について検討がなされていて、これらの作品が好きな方は楽しく読めると思います。

平安文学論の狙い

本書の内容について詳細は省きますが、平安時代の婚姻のあり方について、法令(養老律令)の規定や各文学作品の記述から検討がなされています。改めて考えるに、文学を論じるにあたってその背景を知ることはとても重要だと思います。
例えば大人気ドラマ「半沢直樹」では銀行員である主人公の半沢と金融庁のせめぎ合いが見どころの一つですが、銀行が金融庁の監督下にあり、金融庁の意向は大きな影響力を持つとともに行政処分が致命的で絶対に避けなければいけないということが前提になっています。この背景を知らなければ、なぜ半沢が金融庁に対して神経をとがらせているかピンとこないのではないでしょうか。
同じように、源氏物語のヒロイン・紫上や蜻蛉日記の著者・道綱母が当時の婚姻制度において置かれた状況を把握できれば、より彼女たちの心情を理解することができるのだと思います。

そして文学そのものを読むのではなくその背景を理解して文学を考えるというのは、なるほど平安文学「論」だなと思いました。

 

レポートの内容

単位習得試験に先立ち提出するレポートのお題は、平安時代の婚姻制度における各種の男女関係について説明を法制資料や文学作品を用いて行うというものです。

テキストでも律令や文学作品を引用して検討がなされているので基本的にはそれに沿って論述を行うのですが、テキストの説明はピンポイントでもう少し読みたかったのと、もともと日本の法制史に関心があったこともあり、養老律令(平安期の日本の法令集)を図書館で借りてきて読んでみました。
ちなみに律は刑罰を定めた刑法、令はそれ以外の分野(行政法、民法など)で、併せて法令体系として律令と呼ばれます。律と令はそれぞれが分野ごとの律・令によって構成され、例えば窃盗・反逆に関する刑罰を定めた賊盗律や大学・国学の運営に関して定めた学令などがあります。

平安文学論テキストと養老律令(「日本思想体系3 律令」)

律令は各分野の法令をカバーしているだけあり、非常に分厚いです。
読んでみると結構細かいことにも規定があり、古代においてすでに精緻な法令体系が確立していたことに驚きました。
例えば公文書の作成について定めた公式令66では公文書は楷書で作成すること、帳簿や刑罰に関しては数字は大字(漢数字ではなく、壱・弐・参など)を使用することが決められています。
法律に関係する仕事をしている人にとっては読み物としても面白いかもしれません。

養老律令。分厚い…(ただし半分は解説)

平安時代の婚姻制度は法令上「戸令」の定めに従います。
そして戸令には妻との正式な婚姻手続きや嫡妻と妾妻の区別などが定められており、また戸婚律(逸文)には重婚の禁止の定めもあることから、法令の定めからは一夫多妻ではなく、一夫一妻制が導かれるようです。

平安時代の恋愛を考える上で、一夫多妻か一夫一妻かは大きな違いです。例えば源氏物語のヒロインである紫上の立場が妻であるか(妻に劣後する)妾であるかは、彼女の心情を想像するうえで重要な要素になるはずです。

ひとまずレポートを書く中で平安時代の男女関係のあり方についてざっくりと理解をすることができました。
学習としてはここで一区切りですが、せっかくなのでこの理解を用いて平安文学を少し読んでみるのもいいかなと思いました。

漫画で(笑)

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