言語伝承論(1)_学習内容とレポート課題

関心が薄い分野を学ぶ意味

「歴史好き」な人はたくさんいますが、「歴史」の分野が数多ある中でその関心を一括りにすることは難しく、すべての分野に満遍なく関心を持っているという人はあまり多くないのではないしょうか。

私も多分に漏れず文学の分野には関心が薄く、古代・近現代の文学はおろか、昔の詩にもあまり関心はありませんでした。
文化系のテーマに関心がないと教養がない、なんて言われそうですが、関心がないものはしかたありません。自分で勉強するなら好きな分野のことを知りたいものです。

しかし、大学のカリキュラムに組み込まれているとそのような逃げはできません。
関心がなくても勉強して単位がもらえないと卒業できないわけで、「関心がないから勉強しない!」と我を張る選択肢は存在しません。

ただ、これは決まったカリキュラムの中で学習するメリットでもあると思います。
政治や経済だけでなく文化もまた現在の社会につながる歴史を形成している分野であり、過去の文化について学ぶことは自分の関心事である政治や経済の歴史の理解を多少なりとも深めてくれると思います。点と点がつながってできる理解の面が広がるという感じです。

また、建前的にはグローバル化が進んで海外の人との交流が増える中で自国の文化について理解をしておいた方が便利・有利になる可能性はあるかもしれません。
もっとも、留学していた時も業務上海外の同僚などと話すときもに日本の過去の文化が話題になったことはありませんが(笑)

ともあれ、苦手な(関心が薄い)分野は先に済ませておきたいという心理もあり、関心のある分野より先に言語伝承論に取り掛かることにしました。

 

言語伝承論の内容

言語伝承論というタイトルだけではテーマがわかりにくいですが、この科目では万葉集を読むことになります。
万葉集は飛鳥時代から奈良時代(7~8世紀)にかけて編集された歌集で、その期間の歌人や庶民の詩が収められています。特に有名な歌人としては大伴家持額田王などが挙げられるでしょうか。
旅の途中で息絶えた旅人を悼む聖徳太子の有名な歌も含まれています。
※家ならば 妹が手かまむ 草枕 旅に臥せやる この旅人あはれ(巻三の四一五)

万葉集を味わうこの科目のテキストは『万葉挽歌のこころ 夢と死の古代学』。
著者は上野誠先生という以前奈良大学で教鞭をとられていた方で万葉集研究の第一人者として著書も多い有名な先生です。
最近別の大学に転出されたそうですが、「神話伝承論」というスクーリング科目はまだ担当されているので、受講する機会があれば教えを受けることができそうです。

挽歌というのは棺を挽くときに詠む歌、つまり死者を悼む歌です。
万葉集に収められている歌は家族や恋人を想う歌、仕事のことを取り上げた歌、風景を描いた歌など様々なカテゴリーがありますが、本書では挽歌に焦点を当てて万葉集の世界を学びます。

本書で取り上げる挽歌は9つ。全て天智天皇が崩御する前後のものです。
読み手は天皇の妻や近侍する女官など身近な人たちが選ばれています。

同じような立場の人が同じ人物を対象に挽歌を読むので同じような印象の歌になるのかと思いきや、それぞれの読み手が色んな技法で自らの感情を発露しています。
悲しむという点では同じなので何も知らずに一読するとみんな悲しいんだな、という理解で終わってしまいますが、歌の背景・読み手の意図を理解すると同じ気持ちであってもそれぞれの立場が反映されていることがわかります。

そして、各人が自らの感情を公に発露(主張とも言えます)することは一種の戦いであると著者は指摘しています。
言われてみると天皇を悼むという極めて政治的な行為が単なる個人の感情で済むはずはなく、他の妻・女官との相対的地位、後継の天皇その他関係者との関係も踏まえた上で詠まれてもおかしくないと思いますし、それはまさに一種の戦いと言えそうです。

一連の歌についてこういう見方ができるようになっただけでもこの科目を履修した甲斐がありました。
ただ、せっかく万葉集に触れるのなら特定の歌にだけ触れておしまい、というのももったいないのでもう少し広く学習するために万葉集を解説した漫画を買ってきました。

 

これも上野先生が監修。すごいですね。
絵師さん(サイドランチ所属のイラストレーター)もよかったです(笑)

上野先生監修とはいえこれで言語伝承論はバッチリ!、なんてことにはならないのですが、万葉集の世界観を理解するにはイラスト入りというのはよかったです。
イラストレーターもよかったですしね(しつこい)。

 

レポート課題

言語伝承論のレポートのお題はテキストにある歌の一つを選んで著者の解釈をまとめること、歌にある「影」という言葉について用例を調べたうえで自分の解釈を述べること、テキストにある歌について自分なりの釈義(現代語訳)を行うことでした。

最初のテーマについては下記の額田王の歌を選びました。

かくあらむの 心知りせば 大御船 泊てし泊まりし 標結はましを(巻二の一五一)

この歌は視覚的に理解することが比較的容易で、詩歌に造詣のない人でも読み手の心情が映像となって伝わってくると思います(著者もそのような形で解説していました)。
芸術作品の理解の仕方は感覚的な部分に拠るところが大きいと思いますが、作者の伝えたいことが映像として想像できるものは素人にもとっつきやすい気がします。

詳述は避けますが、大御船が天智天皇の魂が乗る船、標(しめ)が港の内外の境界を示す標識で、天皇の魂が乗った船が外界に出ていく(=崩御)するのを標を結って引き留めたかった、という趣旨の歌になります。

次に「影」という言葉の解釈。
影という言葉は万葉集の中でもよく見かけますが、テキストの中では下記の歌に出てきます。

人はよし 思ひ止むとも 玉かづら 影に見えつつ 忘れえぬかも(巻二の百四十九)

影という言葉は現代でも使いますが、用法としては物体の後ろにできる部分(日陰など)、面影、影響などがすぐに浮かびます。
中国語だと電影で映画という意味になりますね。

では、万葉集の時代にはどのように使われていたのか。
これを知るためには古語辞典の定義と万葉集の実際の用法を調べる必要があります。
同時代の資料に当たるというのはいかにも歴史を学んでいる感じがしていいですね。

調べてみると現代と同じ部分と違う部分があり、現在日常的に使用している言葉でも大なり小なり変化していることがわかります。まさに「言葉は生きている」です。
そして言葉の変化を受け入れながら使い続けるというのは、まさに「言語伝承」といえるかもしれません。今思いついただけですが(笑)

最後の歌の釈義については基本的にはテキストの解釈を踏襲しつつ、自分なりの解釈を自分の言葉で加えてみました。
二つの歌について釈義を加えたのですが、人によって感情の表現の仕方が違って、でもそれぞれに「自分は天皇を慕っていた!!」という感情(というか自己主張)が強く出ていて、歌を詠むのも読むのもエネルギー消費が激しいと感じました。

こんな感じでレポートを提出しましたが、無事に合格をいただきました。
大変よくまとまっていて釈義も豊かに表現することができていると高評価でした。
普段触れることが少ない文学という分野ですが、学んでみるとそれなりに面白いですし、理解の程度もしっかり評価していただけたのはよかったとおもいます。

先日投稿した平安文学論を含め他にも文化・文学に関する科目はありますので、そのような科目もおろそかにせず、多少なりとも文化的なビジネスパーソンになりたいと思います。

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