抵抗にあっても信念を貫く難しさ

仕事をしたり、議論をしたりするときに、相手から強い抵抗や非難を受けたりすると、ついつい自分の意見を引っ込めてその場がうまくいくようにしてしまいがちで、その結果自己嫌悪に陥ることがままあります。

 

もちろん、何かを進めるときには妥協が必要なときもあるでしょうが、毎度腰砕けになっていては自分の役割も果たせませんし、自分の向かうべき場所に進むこともできません。

だから、必要な時に自分の主張を通すべく強い気持ちをもって粘ることは大事なことだと常々思います。

 

自分の主張を通すための強い意志は、すべての改革者に共通するものです。

中国史上、最大の改革者の一人である宋(北宋)の宰相・王安石の姿勢にもまさにその強さが垣間見えます。

偶然図書館で王安石の書籍を見かけて手に取ってみると、王安石の政策のみならず、それを推進せしめた彼の性格についても考えさせられるものがありました。

 

唐王朝滅亡後の五代十国時代を制した宋ですが、建国当初から異民族の侵攻に悩まされ、その異民族対策のための国防費の増加や官僚機構の拡大による経費の膨張で、建国から100年の間に深刻な財政危機に陥っていました。

もちろん、その間改革は試みられ経済的に発展したものの、財政難を克服するまでには至りませんでした。

王安石はそのような状況下、当時の皇帝・神宗の期待を受けて登板します。

宰相になったのは50歳の時。それまではどちらかというと地方においてキャリアを積んでおり、中央での活躍が比較的目立たなかった中での抜擢でした。

 

王安石が展開した政策は総称して新法といわれます。

新法において王安石が目指したものは富国強兵、すなわち国家自体を豊かにし、同時に軍事力も向上させ、異民族に対する弱腰の態度を改めるということでした。

文治国家であった宋は異民族から攻勢を受けており、お金で解決していましたが、緊張関係がある以上軍備も整えておく必要があり、実効的かつ効率的な軍事力の整備が喫緊の課題でした。

自分の中では政治改革というとまず経済政策というイメージがあり、特に宋王朝では強兵政策というイメージがなかったので、改めて新法を俯瞰すると王安石のスケールの大きさを感じさせられます。

 

新法で彼が展開した政策は多数ありますが、その中でも有名かつ議論の的になったのは青苗法募役法です。

青苗法は有事の際の民衆の救済のために政府が備蓄していた穀物を有利子で農民に貸与するものです。

政府が備蓄していた穀物はしばしば流用されたり、管理がずさんで傷んで使い物にならなくなったりして、備蓄制度が機能しなくなっていました。

そこで、備蓄している穀物を有利子で貸与し、期日に穀物を返済させることで、常に新しい穀物を備蓄し、国庫にも寄与させるというのが青苗法の趣旨です。

 

募役法は、従来政府の事業のために民衆に労役を課していましたが、その労役に対し賃金を支払うとともに、労役を免除されていた層に課金することでその賃金に充当するというものです。

 

彼の革新的な政策に反対する人も多くいました。

そのような反対派は旧法派といわれます。その代表として知られるのが、資治通鑑の著者である司馬光です。

旧法派と新法派は価値観の違いや既得権益の保護などを巡って激しい対立を繰り広げます。

もともと宋の文化として議論を大事にするということがあり、それが行き過ぎで議論のための議論があったようで、そういうことを嫌った王安石は反対者に対し左遷で応じます。
もちろん、何でも一方的に左遷させたわけではなく、妥協も図って政策に修正もかけていますが、最終的には新法を通すために突き進んでいます。

 

結果的には新法派は旧法派に敗れ、王安石の政策はことごとく廃止されてしまいます。

そして、この新法と旧法の対立が宋の寿命を縮めたといわれています。

この辺りは二大政党制の課題として、現代にも共通するところかもしれません。

 

新法の是非については専門家の評価に任せるとしても、理想に突き進む王安石の強い意志は、一社会人として見習うべきところが多いと思います。

2017年の仕事を始めるにあたり、王安石の姿勢に学ぶ、ということを一つの目標にして頑張っていきたいところです。

 

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