書誌学(1)_レポート提出

「本」の二面性

史料学概論のレポートを提出し概論科目のレポートは全て終わったので今年度レポートを終わらせてしまいたい科目は書誌学と東洋史特殊講義の2科目になりました。
他にも履修している科目はありますが卒業に必要な単位数と来年のスクーリング科目を考えるとこの2科目で卒業の単位数は揃うので、古文書学など残りの科目は余裕があればのんびり学習しようと考えています。
そしてその2科目のうち書誌学から手を付けることにしました。

書誌学とは本(及び書物)の内容というより、物質的な面について考える分野です。
私たちが「本」というとその内容に関心が行くことが多いと思います。
読んだ本について話すときは普通その内容を話すでしょうし、本を読んだ後に内容を記憶していることはあっても、その本がどんな形でどのような作りであったかを覚えていることはあまりないのではないでしょうか。

しかし、本を含む書物には文字が登場してから長い工夫と発明の歴史があります。
身近なところでもハードカバーの書籍が文庫本としてリニューアルされることがありますが、それ自体も印刷や製本に工夫がこらされていると思います。
そして書物の歴史を紐解けば、近世の和書、古代の木簡・竹簡、さらには殷の時代の甲骨文字にまでさかのぼることができます。
書誌学ではそのような要素を踏まえながら書物の発展の歴史について学びます。

テキストは、真庭基介・長友千代治著『日本書誌学を学ぶ人のために』。

本書では特に日本における書物や印刷の発展の歴史について概観するとともに、書物を物的史料としてみるときのポイントについて解説されています。
史料を物的資料として考察の対象にするという点は考古学と共通するので、書誌学には考古学的な側面があるといえそうです。

現在はデジタル印刷が主流だと思いますが、本書は江戸時代までの書物までが考察の対象となっており、近現代における書物や印刷については説明の対象外となっています。
印刷技術としてデジタルが導入されているほか、情報の記録・発信媒体としてもウェブサイトや電子書籍が登場しており、これらもいずれ書誌学の対象となっていく(既になっている?)と思うので、そのような観点で論じられた本も機会があれば読んでみたいと思います。

電子書籍といえば、論文などにおける出所の記載の仕方が紙媒体の書籍とは異なり面倒なようで論文を書く時の材料にはしにくいので、専門的な書籍は紙媒体を読んでしまいます。書誌学とあまり関係ないですが、この辺も明確で簡単なルールができるといいなと思っています。

 

書物の要素と発展の歴史

書誌学は書物というモノ自体を考察の対象とするため、書物がどのような要素で成り立っているかを知る必要があります。
書物を構成する要素は文字や紙などの素材はもちろん、その作り方(綴じ方)や装飾など多岐にわたります。自分の書棚を見ただけでもカバーの有無や紙の素材、箱の有無など同じような製本のようでそれぞれが意外に違っていることに気づきます。

紙を発明したのは後漢の蔡倫と言われますが(実際にはそれ以前にもあったようで蔡倫は改良者とするのが正しいようです)、それ以前にも竹簡や絹などに文字を書いて情報伝達の媒体とされていました。
竹と紙、あるいは木簡と紙では素材が違うため、情報伝達媒体としての加工方法も異なります。紙でも綴り方次第で体積当たりの情報量や検索性が異なってきます。例えば同じ紙の量の巻物と書籍のどちらが読みやすいかを考えるとわかりやすいと思います。特に紙は折ることもできるので枚数当たりの情報量を増やす工夫の余地が大きかったと思います。実際、書物の発展の中で紙の折り方・綴じ方の工夫は多いです。
このように、本を含む文字情報の伝達媒体(書物)の歴史はとても長く、深いです。

文字の記入方法もやはり発展の歴史があります。何も技術がない場合、情報媒体への記入は当然人力で、奈良時代には写経をする役所もありました。そのため書物は非常に貴重なものでした。
しかし奈良時代中頃には整版技術が伝わったようで、寺院を中心に整版印刷が行われていきます。特に貴族が善行を積むため(作善)の写経を大量に行うために整版印刷が使われた事例もあるようです。なんだか経済力にモノをいわせているような気がしますし、それが本当に善行なのかわかりませんが…
その後も明治時代に至るまで基本的に整版印刷が主流になりますが、16世紀終盤に活字印刷が伝わり、しばらくの間は活字印刷も盛況となります。活字印刷は仏典中心だった刊行物のジャンルを広範囲に広げ、書物の読者層を広げるという重要な役割を担うことになります。
これらの印刷方法にはそれぞれクセがあって、印刷されたものを見るといろんな差異があるので面白いです。例えば整版印刷では何度も版を使いますが、版の出来たてと何度も使用した後では出来たての時の印刷はキレがあるのに対しずっと使っている版では版木がすり減って少しぼやけた感じになります。削りたての鉛筆としばらく使った鉛筆の違いのようなイメージです。

また、書物にはいろんな部位があり、書物の作りや時代によっても特徴がありますし、部位ごとに役割もあります。
今の書籍と同じ部位が昔の和本にあることも多く、今の書籍の作りは昔からつながっていることに驚きます。

こうして書物の歴史をたどると、書物というジャンルにも奥深い歴史があることがわかりますし、特に書物は自分たちの生活にも密接な関係があるので発展の歴史を少し身近に感じた気がします。
個人的には扉紙がなぜあるのかわからなかったのですが、今回勉強して少なくとも昔から扉紙はあったことがわかって謎が少し解けた感じです。

 

レポート課題

書誌学のレポート課題として出されたお題は、①古活字版について説明すること、②書名の決定方法について説明すること、でした。

古活字版とは

普段我々が使う「活字」という言葉は印刷用語でもあるのですが、印刷の方法には大きく分けて「整版」と「活字版」があります。
整版というのは1ページ(あるいは見開き)まるごと板木に彫刻を行い、それをそのまま紙に押し当ててページごとに印刷する方法、活字版は1文字ごとに彫刻した判子を作ってそれを印刷する内容ごとに並べてまとめ、それを紙にあてて印刷する方法です。一文字一文字が「きて」いることから活字と呼ぶそうです。

整版印刷は歴史が古く、奈良時代には日本に伝えられ仏典を中心に利用されていました。一方活字版は戦国時代が終わる頃(16世紀末)に日本に入ってきました。そのルートは二つあり、一つは西洋の宣教師がもたらした「きりしたん版」、もう一つは文禄・慶長の役の過程で朝鮮からもたらされた「古活字版」です。

キリスト教の禁制もあって江戸時代初期には古活字版が盛況となります。古活字版には後陽成天皇や徳川家康といった権力者が注目したり、従来仏典が中心であった印刷物の対象が古典や実用書、娯楽書にまで広がったりと出版の歴史における転換点となります。
もっとも、活字版は一文字ずつ彫った文字の印をまとめて押しているだけなので、百部ほど刷ると版がほどけてしまうという弱点があり、大量印刷をするには向かなかったようで、それが大規模商業出版への障害となり、やがて整版が主流に戻ってしまうということになります。
ちなみに活字(活版)印刷には活字の彫り方によって「凸版」「凹版」などがあるのですが、凸版印刷という会社の社名の由来はこれかとようやくわかりました(同社ウェブサイトによると創業当時の最先端技術である「エルヘート凸版法」というのが由来のようです)。

今はデジタル製版の時代なのでやはり活字印刷ではありませんが、「活字」という言葉が残って日常的に使われるのは活字印刷も印刷術冥利に尽きると感じているでしょうか。

 

書名の決定方法

ここでいう書名の決定方法とは著者や出版社がどんなことを考えて書名をつけるか、ということではなく、第三者がどのように書名を判断するかという問題です。
書名は書物に書いているんだから誰でもわかるのでは?と思いたくもなりますが、意外に難しい論点だったりします。

一般的に書物の表紙には書名が書いてありますが、それだけでなく内側にも書名が書いてあることがよくあります。自分の書棚の本をいくつか見ても表紙のほかに扉紙(表紙・見返しの後のペラ紙一枚)や本文のはじめなど複数の個所に書いているものが多いです。
このように表紙に書いてある書名を外題げだい、本の内側に書いてある書名を内題ないだいというのですが、外題と内題が異なっている場合、どちらを正式な書名として扱うかという問題が生じます。

現在の目録法(法令ではなく方法の意味)では内題を正式な書名として扱うようです。その理由として表紙は入れ替えられたり、書名が張り付けてある場合(題簽)にそれが取れた後に別の書名が張り付けられて正確な書名でない可能性があり、外題の信頼性は比較的低いのに対し、中身が変わることはないため内題は信頼性が高いということがあります。

一方で著者の目線で考えると、表紙というのは本の顔とも言うべき一番注目してほしい部分であり、そこにこそ著者の思いが一番反映されると考えるべきで、そう考えると外題の方を優先すべきではないかという意見もあります。

どちらもなるほどと思いますし、私ごときがどっちが正しい!というのはおこがましいのですが、このような論点もあるというのは非常に興味深く感じました。

 

書物を守る

書物は紙や竹、木、あるいは羊皮紙のような皮など素材は様々ですが大なり小なり時間の経過や悪環境での保管によって劣化しますし、戦乱などで失われることも多々あります。そして一度失われると同じものは元に戻りません。写しがあればともかくそれもなければその内容自体が永遠に失われます。

そのため、書物は守る努力をしなければ受け継いでいくことはできないのだと思います。
保存環境が整った図書館等の整備に加え、天災や戦乱などの人災といった危機から書物を守るという努力がなければ貴重な書物は受け継がれないのだと思います。
以前アルカイダから貴重な書物を守った方の体験をつづった書籍を読みましたが、貴重な書籍のうちの一部は危険を冒した先人の努力のおかげで現存しているのだと思うとありがたい気持ちでいっぱいです。恐らく日本でも戦乱や戦争の危険の中で書籍や史料の保全に尽力したくださった方が多くいたと思います。

 

今般ロシアとウクライナが戦火を交えることとなりそれ自体が非常に悲しいことですが、ウクライナには史跡や史料も多いでしょうからそれらが危険にさらされるのもまた残念なことです。
平和のためにも貴重な先人の遺産の保全のためにも一刻も早く戦争が終結することを祈りたいと思います。

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史料学概論(1)_レポート提出

史料学概論の内容

昨年末に西洋史概論のレポートを出し終え、概論科目5つのうち4つのレポート作成が終わったので、今年の年初からは最後の概論科目である史料学概論に取り組んでいました。

史料学概論では、歴史学において歴史的事実を解明するための根拠・裏付けとなる史料の扱いについて学びます。
史料と一言でいってもその種類は多様で、書物や古文書、木簡などの文献史料だけでなく、遺跡や遺物といった考古資料、さらには伝承や民俗といった無形の史料・文化財もあります。
ある事実が発生したことを確認できれば史料となりうるので、今後はインターネットの記事や電磁的記録文書などデジタルな情報も史料の一形態として扱われるようになるのだと思います。昨今では法定帳簿も電磁的保存が認められるようになっていますので、現代の歴史を歴史学で検証する頃には紙より電子媒体の方が史料として重要になってくる可能性すらあるように思います。

とはいえ、現在の歴史学がカバーするのは概ね電磁媒体が登場する以前と言えますので、史料として考慮すべきは伝統的な史料、すなわち文献史料・考古資料・音声や表現などの無形史料と考えていいと思います。
そして、それらの史料をそれぞれの性格を踏まえて過去に発生した事実・過去に存在していたものの解明につなげていくのが歴史学で、そのための史料との接し方を学ぶのが史料学だと考えています。

史料学概論のテキストは東野治之『日本古代史料学』(岩波書店)。東野先生は史料学の第一人者で以前には奈良大学で教鞭をとられていたようです。

 

テキストは筆者の東野先生が発表された論文や講演をまとめたもので、①編纂物、②古文書、③木簡・銘識、④文物と文献史料というカテゴリーわけがなされています。

①編纂物というのは文字通り原史料(生の史料)を編纂した史料で歴史書や律令などの法令、歌集などが該当します。一般に書物は編纂物のカテゴリーに含まれると思います。
②古文書というのは生の史料のうち、手紙や日記、広く言えば地図などの書類を指します。相手のある文書、という定義もあるようですがあまり深く考えず生の史料のうち書類は基本的に古文書と考えてもいいと思います。
③木簡・銘識のうち、木簡は木の板に何らかの情報が記されたものです。例えば荷札や簡単な命令などが該当します。奈良時代の長屋王邸から大量の木簡が発見されて研究が進んだことはよく知られています。銘識は銘文と識語の略で、銘文は石や金属に銘を掘ったもの、識語は書物などに書き加えた文章・文言を指します。例えば写経したものの後書きとして誰が誰のために奉納したものかを書いたりしているものが該当します。
④文物と文献資料について、歴史的な事実の考察は文献史料だけでなく考古資料など物的資料をとっかかりとして進むこともありますが、その場合も考古資料の分析を補完する資料として文献史料が役立つことがあります。そのような文献資料の活用の仕方も史料と向き合ううえで認識しておくべきことだと思います。

テキストではこれらのテーマごとに具体的な事例を用いて資料の解釈の仕方を学びます。一つの資料に対して多くの資料、しかも場合によっては中国や韓国など海外の史料(編纂物や木簡・竹簡など)も用いて解釈がなされるので、深度のある資料の解釈には非常に広い知識が必要とされることがわかりますし、同時にどんな分野の知識もあって損することはないともいえそうです。想像もしないところから新しい解釈の手がかりを見つけることにつながりそうですし。

ともあれ、歴史学を学ぶ上で史料の取り扱いは不可欠なので、いろんな種類の資料を扱う具体例に触れることができたのは有意義でした。

 

レポートのテーマと内容

史料学概論のテキストでは上記の4カテゴリーの実例が紹介されていますが、それぞれの史料についてその性格と具体例を述べるのがレポートのお題でした。

レポートではそれぞれの事例について、①編纂物:日本書紀などから法隆寺の火災年代を特定した事例、②古文書:写経生の試字について信憑性を検討した事例、③木簡:長屋王邸発掘書簡から伺える家政機関や日常生活、④銘識:光覚知識経の供養対象の解釈、⑤文物と文献資料:富本銭の性格の検討(流通通貨か厭勝銭ようしょうせんか)を選びました。
テキストに記載されていない事例を挙げるのもありだと思いますが、レポートはテキストにある事例で完結させました。といってもいくつかテキスト以外の書籍も参考にして少し広がりのある内容にできたと思います。

ちなみに②の写経生の試字というのは、天平時代や奈良時代には写経をする専門の役人として写経生がおり、その採用試験が試字と呼ばれていました。本件はその試字で書かれた文書がよく見られるものと様式が異なるため、本当に試字のものであったかを検証するという事例でした。
また⑤の富本銭は考古学的な分析から7世紀に日本で製造されたとされる貨幣ですが、それが貨幣として流通したものか儀式的に使用される厭勝銭であるかははっきりとはわかっていないようです。その点について文献史料の記述を検討することにより富本銭がどのように扱われていたかを検討するという内容になっています。

この科目のサブテキストにも記載がありましたが、具体的な事例を学ぶと研究者の思考を追体験しているような感じになって、このように考察を展開していくのかと大変勉強になりました。
一般的な歴史の科目は歴史的事実とその解釈をある意味所与のものとして学ぶので、歴史的事実自体を解明していくプロセスに触れるのはまさしく歴史学を学んでいるのだと感じます。

とりあえず史料学概論のレポートが終わったことで概論科目のレポートは一通り完了したことになります。このレポートが再提出になる可能性もゼロではありませんが(実際大学の掲示板を見ると再提出になっている方もいるようです)、今は頭を切り替えて新しい科目のレポートに取り掛かることとします。

残念ながら史料学概論を含め履修科目の全単位を今年度中に取得することは難しそうですが、せめて一つでも多くのレポートを年度内に提出して来年度早々に卒業に必要な単位をそろえて卒業論文に注力できればと思います。

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西洋史概論(3)_レポート返却

西洋史概論レポートの結果

西洋史に全く土地勘のない私が苦労して作成し、昨年末に提出した西洋史概論のレポートが1か月ほどして返却されました。

西洋史に触れるのはほぼ初めてで、政治体系にしても習俗や宗教なども、そもそも地理的感覚もほとんどない中でテキストや参考文献を読んで、大丈夫かなと心配しながら提出したレポートでした。西洋史(後期ローマ帝国)の理解だけでなく、レポートの構成や論理の展開も適切か自信はありませんでした。

そんなレポートの結果はこちら。

かろうじて合格はいただきましたが、これまでのレポートの中で最も厳しい評価となりました。ご覧のとおりコメントがたくさん書かれていますが、足りない点をいろいろご指摘いただいています。
講評については冒頭以外はぼかしていますが、着眼点はよかったもののレポートの内容はわかりにくい、とのことでした。やはり論述の展開の仕方に問題があったようです。確かに重複した内容もありましたし、スムーズに読み進められるような感じではなかったかもしれません。苦手な分野だと論述自体のクオリティが下がってしまうというのは何度も経験があるのですが(汗)、これから卒論に臨む身として反省すべき点だと思います。

 

レポートの内容と講評

ちなみにレポートは古代ギリシャ・ローマについて与えられたいくつかのテーマの中から一つ選んで論述するというものでした。

私はそのうち、後期ローマ帝国体制について、具体的には軍人皇帝時代以降のローマ帝国(西ローマ帝国)における統治体制について論じました。具体的な内容は下記の記事に書いた通りです。

統治体制といってもいろんな論点がありますが、そのうち政治・行政の表層部分として皇帝の出自と元老院議員の位置づけの変化に重点を置いて論じました。
その点については着眼点がよいという評価を得たのですが、やはり統治体制というのは皇帝・元老院、あるいは行政組織のみで完結するものではないので、その穴埋めをしていた存在についても言及する必要がありました。

実際のところ、元老院議員の役割が後退する一方で行政機関が肥大化する中で住民サービスはどのように変化していったのかという統治の根本的なポイントについてはあまり考慮していませんでした。
現代社会でも住民サービスの変化の潮流は政権とは別の次元で「も」考えられるべき(少子高齢化の流れやNPOの展開云々)だと思いますが、それは古代ローマも同じで現場レベルでは何が変わっていたのかを考える必要があったと思います。

私が文献を読む限りでは特段そのあたりの言及がなかったので意識していなかったのですが、いただいたコメントによると教会が施与行為に代わる貧民救済や地方自治の代替を担っていたようで、住民の視点から見るとこういう面の方が統治体制の変化としては重要であったかもしれません。
改めてテキストを読むと確かにキリスト教の台頭の一面として慈善事業の普及なども述べられていて自分でも線を引いていたのですが、教会=宗教という意識が強く、統治体制と関連付けることができていませんでした。

もっとも、我が国においても宗教と統治体制は無関係ではなく、江戸時代には統治体制の中に寺院を組み入れ、宗門人別改帳が戸籍の役割を果たすなど、統治体制を論ずるにあたって宗教は考慮すべき重要な要素といえると思います。
厳しいコメントではありましたが、自分の足りない点をはっきりと指摘いただいたのはありがたいです。

ちなみにコメントの最後には誤字(元首制→元首政、帝制→帝政)が指摘されていました。重要なポイントだと思っていたので気をつけていたつもりなのに大間違い、お恥ずかしい。

 

試験に向けて

とにもかくにもレポートは合格だったので次は単位修得試験です。
試験では古代ギリシャ・古代ローマ全般が範囲となるため、レポートで扱った後期ローマ帝国だけでなく、テキストで学んだ範囲を広くカバーしておかなくてはなりません。

正直、古代ギリシャのあたりはいまだに地理関係や国家間の関係の認識が曖昧なので、この辺は注意しておかないといけないと思います。
あとキリスト教の勃興と発展についてもテキストを一読しただけなので、前述の内容も含め改めて勉強しておいた方がよさそうです。

恐らくこれが今年度最期の試験になるので、しっかり単位を取って終わり良ければ総て良し、といきたいものです。

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文化財学演習Ⅱ(2)_卒業論文テーマ仮決め

課題提出

この冬受講していたスクーリング科目の文化財学演習Ⅱでは課題のテーマが卒業論文の研究内容の報告でした。
こちらは現時点で固まっている必要はなく実際の卒業論文のテーマは違っていても問題ないようなのですが、やはり課題の提出ですし、また一度考えたテーマを変えるのも簡単なことではないので、実際の卒業論文のテーマ、さらにはその後の大学院等における研究テーマも見据えて何をテーマにするか考えていました。

私のようなアマチュアの歴史好き、だけど歴史をライフワークにしようと考える人間にとってはそのようなテーマを考えるのは容易ではありません。
研究、すなわち学術上の活動と銘打つ以上、単に好きなテーマをポンと打ち出すだけでは不十分で、そのテーマの何がこれまで明らかにされておらず、自分が何を明らかにできるかを考えておく必要があります。学問とはこれまで明らかになっていなかったことを、ごくわずかでも明らかにする活動だと思いますので、明らかになっていなかったことと明らかにできること、この二つは常に意識しておくべきことだと思います。

しかし、明らかでないこと、明らかにできること、そのそれぞれを明確にすることは意外に難しいことでもあります。
これまで明らかでなかった物事を「明らかでなかった」と言い切るには厳密には過去の研究成果のすべてを確認し、そのうえでそのように言い切る必要があります。すべてとは言わなくても主要な研究成果は把握しておかなくてはならないでしょうが、それも自信をもって言い切るためには相当な読み込みが必要だと思います。
また、過去の研究成果を踏まえて自分が新たに何かを明らかにできるのかという問いは、学術研究の核心であり、自分の知識や能力に対する挑戦であるといえます。過去の巨人たちがたどり着けなかった答えに自分がどのようにたどり着けるのか。自分はまだ歴史学や考古学、あるいは自然科学関係に対する知識をほとんど持たない子羊のようなもので、これに対する答えを出すのもまた大変なことです。

学部の卒業論文とはいえ、やはり大学で学んできたことの集大成であり、またこれからの歴史学の研究活動への第一歩でもある以上、このような問いを避けることはできませんししたくありません。子羊であっても一個の研究主体である以上、上記のようなアカデミックなスタンスは持っていたいものです。
・・・と考えると、過去の研究が比較的されていなくて、かつ自分でも新たな観点で論ずることができるテーマを探すことになるのですが、そこに自分の好きな小田原北条氏(後北条氏)関係という条件を重ねるとさらに絞り込みが大変です。

はてさて、テーマの検討はどうなることやら。

 

卒業論文テーマ(仮)

テーマ探しが大変だ、といっても課題の提出は月末と決まっているのでそれまでには提出する必要があります。しかも提出は郵送で月末必着なので実際には少し前にはテーマを決め、必要な事項を報告書にまとめなければいけません。のんびり考えているとそもそも単位が取得できないという本末転倒なことにもなります。

そのため必死にテーマを考え、その結果卒業論文のテーマは小田原上水(早川上水)について書くことにしました。一応仮決定という感じですが、おそらく早川上水を中心に論じることになると思います。
というのも、テーマ決めに際して参考文献を探してみましたが、戦国期の水道整備について論じられた文献はあまり多くなさそうで、その中でも早川上水について詳しく論じた文献はごく僅かでした。

そのうちの一つは郷土史家の方が書かれた書籍でしたが、非常に参考になりました。小田原城と比べて注目度が低い早川上水ですが、その価値を認めて焦点を当て研究をされているのは素晴らしいと思います。
自分も郷土史家に憧れがあるのですが、小田原で歴史学を学ぶ人間としてかくありたいものだと思わされました。

 

早川上水に限らず、世の中には人の認知は得られないながらもその時々で社会の役に立った施設や人の働きが多くあると思います。
そのようなものの価値を再発見し、人に知らせるのも歴史学を学ぶ人間としての社会への貢献だと思いますし、自分もそのようにありたいと考えています。

卒業論文や今後の歴史学の研究が実際にどのような成果に結びつくかはわかりませんが、そのような問題意識や志を忘れずに今後の学習・研究に励みたいと思います。

なおゲームの中の歴史学、というテーマも面白そうなのですが、軌跡シリーズは創の軌跡で歴史学のリィン教官が降板ぽく、新シリーズの黎の軌跡もまだ未プレイなのでお預けです(笑)

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美術史概論(4)_現代の文化財?

新しい種類の文化財?

本ブログでは奈良大学で歴史学について学ぶ内容についてご紹介していますが、私は特に文化財について学習を進める予定です。
ちなみに奈良大学の通信課程では文化財と(文献)史学のどちらを学ぶか当初の履修時に選択することとなり、史学を選択した場合は史学講読などの科目を履修し、主に史学を学ぶことになります。もっとも履修が必要な科目は文化財と史学のどちらを選択しても大きく変わらないので、講読・演習科目と卒業論文以外は同じ内容を学ぶともいえそうです。

話を戻して文化財を学ぶということになれば、文化財とは何かということが気になります。
文化財とはざっくりいうと長い歴史の中で各地の人たちが作成・形成してきた文化を体現する有形・無形の存在で建造物や遺物などの有形のものや芸能・伝承といった無形のものなど様々なものが含まれます。
文化財の体系については下記の文化庁の資料にまとめられています。

文化財の体系図(出所:文化庁ウェブサイト)

この図にある通り、文化財とはかなり広い概念で極論を言えば歴史を経ているもの、歴史を感じさせるものであれば何でも文化財ということもできそうです。

そして歴史は現在進行形のものであり、今この瞬間もいつか歴史上の時間として認識されることになります。そうなると現在我々が扱っているものや楽しんでいる風景もまた文化財として扱われる時が来るのでしょう。
事実、博物館などでは高度経済成長期の家電製品などが文化財のように展示されていますし、もしかすると初代ファミリーコンピューター(ファミコン)やゲームボーイあたりももはや文化財として扱われているかもしれません。

したがって文化財となるものの性格は時代によって変わり、今身近にあるものが文化財として我々の歴史を未来につなげる役割を持つことになります。そのため、せめて自分が大事に思うものだけでもきちんと扱っていきたいと思いますし、多くの人にも自分が大事に思うものはそのような役割を持ちうると思って大切にしてもらいたいなと思います。
その意味でもオタク志向の人って大事!

ちなみに投資信託の歴史を調べているときには初期の投資信託の目論見書やその他の書面を読んでみたいと思ったので、そういった事務書類的なものですら価値のある文化財となりうると思います。最近はデータで容易に残すことができますが、それでも実際に印刷された資料とは質感や読みやすさが違うので、実物を残すことは有意義だと考えます。

 

新時代の文化財来たる!

時代によって文化財の性格は異なるという話をしましたが、その好例として立体像が挙げられます。
美術史概論では日本の仏像史について学びましたが、日本に仏像が持ち込まれた飛鳥時代から奈良時代、平安時代、さらに鎌倉時代以降にかけて仏像の製作手法や特徴は大きく変わっていきました。
これは技術の進歩や仏教の位置づけが変化する以上当然のことだと思います。

そして現代においては3Dプリンターが登場するなど立体像の作成の概念自体が大きく変化しようとしています。
また二次元の表現手法が多様化する中で立体像の造形も多様化しているように思います。
そのような表現手法の変遷を具現化するものとして現在我々が手にしているコミックやイラスト、フィギュアなども十分文化財となりうるものだといえそうです。

私も文化財について学ぶ者としてそんな将来の文化財候補を大事にしていきたいと思っているのですが、そんな私のもとに本日新たな文化財が到着しました。
『閃の軌跡』シリーズの主人公にして歴史学の教官、リィン・シュバルツァーの1/8フィギュアです。ちなみにリィンは第二弾で、第一弾は彼の教え子で『閃の軌跡Ⅱ』から登場するアルティナ。こちらも当然お迎えしていたのですがさすがに女性キャラだけだと紹介しずらいので本日文化財としてご紹介することができました。
ちなみにアルティナのエピソードは泣けたりジーンとくるのが少なくないので(特にⅢとⅣ)、アルティナが第一弾になったのもわかります。軌跡ファン以外にはどうでもいい話ですけどね…。
第三弾も企画されているらしいのですが、誰なんだろうな。

 

 

記念に我が家の文化財(立像分野)を撮影してみました。

我が家の有形文化財。フィギュアもねんどろいどもよき!!

1/8のリィンとアルティナの造形の繊細さが目立ちます。サブカルチャーのフィギュア化の歴史は仮面ライダーやウルトラマンの頃には始まっているので結構長いと思いますが、長い時間をかけて非常に精巧になっています。恐らく目に見えない部分も大きく進化しているのでしょうし、まさに進化の歴史を体現した文化財といえます(熱弁)。

一方、『零/碧の軌跡』のSDキャラのフィギュア(ねんどろいど)も各キャラクターの特徴をよく表現していて、かつかわいい感じになっていてよきです。
軌跡シリーズのキャラクターのねんどろいどは多くの種類があるようなのですが出回っている数が少なかったり海外限定のものが多かったりでなかなか集まりません。機会があればお気に入りキャラだけでもゲットしたいものです。文化財保護のためにも(熱弁)。

 

文化財はすぐそばに

以上、自分の趣味に文化財を無理やり絡めて熱弁してしまった感がありますが、日常生活の中で身の回りにあるものが文化財になりうるというのは確かだと思います。
文化財学演習Ⅱの資料の中で千田先生も研究すべきテーマは日常生活の中や見知っている景観の中にもあるということをおっしゃっていますが、我が意を得たりという感じです。

キャラクターものが好きな方や鉄道模型が好きな方などは人の目や家族からのプレッシャーなどで肩身の狭い思いをしていることも多いかもしれませんが、これも文化財だ!と堂々とその趣味やキャラクターを愛してほしいと思います。
我々は未来の文化財の保護者です!

まあそのような濃いものでなくても、身近な風景、例えば出勤した時に見るビル街の風景だって将来歴史的景観として保護の対象になるかもしれません。
そう思うと日常の一瞬が違ったものに感じるでしょうし、大切に思えそうです。
そんな風に自分の時間、自分の場所を大切にできるのも幸せなことではないでしょうか。

実は奈良大学に願書を書いた時の志望動機にも、多くの人に身近にある歴史的な文化財から歴史を感じるきっかけを提供したいということを書きました。
さすがに軌跡シリーズのフィギュアは研究対象にはしないと思いますが(笑)、いつか多くの人に文化財の意義、そしてその文化財が刻んできた歴史を知ってもらえるような活動ができるようになりたいと思います。

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はじめての〇〇かい

実務家研究者として生きていくために

長年の努力が実り経営法で博士号をとって早半年。実務家研究者としてもキャリアを積んでいきたいと思っているのでアカデミックな活動にも力を入れていきたいと考えていたところ、ご縁があってとある研究プロジェクトに参加させていただくことができました。

このプロジェクトは非常に勉強なるうえ自分の実務経験も活かすことができるので自分のアカデミックな活動の第一歩としてはとてもありがたい機会なのですが、プロジェクトである以上終わりがあるので、継続的にアカデミックな活動を行う道を考えなければなりません。

ほとんどの分野アカデミックな活動を行う場としてはおそらく学会が最も一般的なものだと思いますし、複数の学会に所属している研究者も多くいらっしゃるようです。
そのため、とりあえず学会に入ってみようと思ってどんな学会があるのか調べてみました。

関心のある分野が投資信託などの投資運用業関連ということで「投資信託 学会」で検索してみるといくつかヒットしました。
それぞれの学会のウェブサイトを見てみると機関誌に寄稿されている論文も面白そうなものがあり、理事の先生も有名な研究者や読んだことのある論文の著者だったりする学会もあり、こういう学会に入会してみるのもいいかもと感じました。
特に日本金融学会という学会は歴史に焦点を当てた歴史部会があり、歴史も重点的に学びたいと思っている身としては惹かれるものがあります。

一方で、学会に入会するにはハードルもあります。一つは会費、もう一つは学会にもよりますが会員の推薦が必要なことです。
会費は飲み会代程度のことが多いので飲み会を我慢したと思えばいいのですが、それでも入りすぎると会費の負担は大きくなりますし、多くの学会に入ってもそれぞれの学会で十分な活動が行うのは難しいでしょうから、多くても3つか4つくらいに留める必要がありそうです。

それ以上に大きいのが会員の推薦だと思います。そもそも自分の周りに入会したい学会の会員がいるかどうかわかりませんし、わかったとしてもその方との関係がそれなりになければ推薦を依頼するのも容易ではないと思います。
生粋の大学院生や研究者だとネットワークもあるのでしょうが、私のような実務家はどのように会員にアクセスすればよいのか、それだけで悩んでしまいます。

アカデミックな活動への道のりの最初から暗雲が立ち込めています。。。

 

小さな行動が転機をもたらした

そんな風にどうやって学会に入会してアカデミックな活動を始めようか考えていたところ、転機が訪れました。

ある日Twitterを眺めていたら論文を書かなきゃ―、みたいなことをおっしゃっていた方がいたので、自分も「論文を書きたいな」とつぶやいたら反応していただいて論文を書く機会をいただける学会を紹介いただき、とんとん拍子に入会することができました。

雑誌や学会誌などに論文を投稿する予定のことを「論文債務」といったりするようなのですが、その論文債務という言葉に憧れていて自分も「論文債務履行しなきゃ…」みたいなことを言ってみたいと思っていました(笑)
そして、学会に入会させていただいた流れで論文債務もいただくことができました。

論文債務の履行時期はかなり先で内容もあまり考えていないですが、せっかくなので投資信託の実務関係でホットなトピックを扱うことができればいいと思っています。

論文債務といえば、おそらく来年度は奈良大学の卒業論文も作成しなければいけません。
卒論など学位論文は自分のためにするものなので論文債務とは言わない気がしますが、ともあれこちらの論文もしっかり仕上げたいと思います。
できれば歴史学の方も学会に入るなどしてアカデミックな活動をしたいと思っていますので、こちらの方面も今後の研究分野を絞っていきたいところです。

本当は法学の研究と歴史学の研究で交差してくれるといいのですが、今のところはなかなか接点が思い浮かびませんね。
思いついたものとしては、投資運用業では日本版スチュワードシップ・コードが注目されているので、そのスチュワードと日本の荘園制度を絡めて、日本の歴史から考察した日本のスチュワードシップ・コードはこういうものだ、みたいな話は面白いかもしれません。
荘園の管理者も荘官・下司から地頭に移行する中で荘園領主に対する姿勢も変わったでしょうから、そのあたりも日本のスチュワードシップの変遷として面白いかもしれません。
いずれにせよ、荘官や地頭の義務と現代金融事業者のスチュワードシップ・コードを同様に語ることはおかしいのですが、金融と歴史の交差点としては面白い視点だとは思います。
まあ、このテーマが論文としていけるかはともかく、しっかりと言い論文を書ける世に準備をしないといけないですね。

ということで、法学も歴史学もアカデミックな活動につなげられるよう、今年はしっかり基礎固めにいそしむ所存です。

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