機関投資家に聞く

調査・取引だけでない機関投資家の運用

個人的なイメージとして、運用会社の運用部門の代表的な職務(あるいは花形)と言えばファンドマネージャー、そしてアナリスト(エコノミスト等を含む)という二つのポジションが頭に浮かびます。私は運用会社の運用部門に属したことがないのであくまで外から見たイメージに過ぎませんが、一般の投資家や運用会社への就職を希望する方のイメージも同様ではないかと思います。

そして運用のプロセスとして、アナリストが企業調査を行い、ファンドマネージャーがその情報に基づき有価証券の購入・売却という投資判断を行って取引する、というのが一般的なイメージではないでしょうか。
私自身、業界外の人から運用会社の運用って何をしているのかを聞かれたら上記のように答える気がします。

実際、古典的な運用会社の投資先企業への関与の仕方は「ウォール・ストリート・ルール」と呼ばれ、業績等に不満があれば株式を売却し、それによって株価が低下することで当該企業へのシグナルとする、というものでした。
しかし、現在の運用会社の運用、すなわち運用パフォーマンスの追求は取引以外の方法でも行われています。それが議決権行使であり、議決権行使の前提となる企業との対話です。企業との対話を通じて機関投資家の考えを当該企業に伝え改善を促す方法はエンゲージメントとも呼ばれます。

この背景にはまず議決権行使も運用会社の受託者責任の一部であることが法令上明確にされたことがあり、日本では1967年に証券投資信託法(現在の投資信託法)で投資信託委託会社の議決権行使義務が定められ、米国では1988年にエイボン・レターで議決権行使が企業年金の運用会社の受託者責任の一部であることが示されています。
さらに英国や日本でスチュワードシップ・コードが導入されることによって、それを採択した運用会社は投資先企業の企業価値向上のために議決権行使を行うだけでなく必要に応じて投資先企業と対話をし企業価値向上のための行動を促すことも求められるようになりました。

このように考えると、現在の運用会社の運用行為は大きく分けると「(企業)調査」・「投資判断及び取引の執行」・「投資先企業の企業価値向上のための取組み」の3つに分けられるようになっているのではないかと思います。
このうち最後の「投資先企業の企業価値向上のための取組み」は新しい分野であるため私自身運用会社にいても具体的にどのような業務なのかイメージが難しいと感じています。運用会社の人間が企業の幹部やIR担当者とコミュニケーションを取ることはわかりますが、運用会社はどのようなレベル感や視点で企業に提案を行い、企業側はそれをどの程度真剣に受け止めているのかというのはその現場にいないと把握が難しいと思います。

また最近ではESG投資やSDGsという言葉が広がり、運用会社としてもそれらを考慮した投資行動が求められますが、特にE(環境)やS(社会)は関連するステークホルダーが多い(例えばNPO/NGOや行政)ため、運用会社としてそれらのステークホルダーとどのような距離感を持つのが望ましいのかということも運用会社の受託者責任との関係において重要な課題だと考えていますが、運用者ではない自分にはなかなか答えが出ない問題でもありました。

そんなモヤモヤを抱えていたところ、この度非常に参考になる書籍が出版されたとTwitterで見かけたので早速購入して読んでみました。
旬刊商事法務編集部編『機関投資家に聞く』という書籍です。タイトルがそのものズバリですね。

 

 

『機関投資家に聞く』の特徴

本書は大きくエンゲージメント等を取り巻く環境の概説、機関投資家及び指数会社などに対する議決権行使やエンゲージメントの体制に関するインタビュー(アンケート)、そして運用会社の運用者の座談会で構成されています。
本書の特徴としては機関投資家等の議決権行使・エンゲージメントの詳細が掲載されていることと座談会で運用者のエンゲージメントに対する考え方や問題意識が深くかつ広く語られていることだと感じました。

機関投資家へのインタビューは野村アセットマネジメントやブラックロックといった大手運用会社だけでなくFederated Hermesやガバナンス・フォー・オーナーズ・ジャパンといったESGやエンゲージメントに強みのあるユニークな会社も対象にしている点が興味深いです。
さらにGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人:日本最大の公的年金基金)やCalPERS(カリフォルニア州公職員退職年金基金:米国最大の公的年金基金)といったアセットオーナーやMSCIやFTSEなどの指数会社のインタビューもあり、特に海外の年金基金や指数会社の考え方に触れる機会はなかなかなかったのでこちらも面白かったです。

座談会は三名の運用者が議決権行使・エンゲージメントの社内体制や議決権行使・エンゲージメントの課題、ESGやスチュワードシップ責任などについて話されています。ESG投資やスチュワードシップ・コードについて論じる書籍はたくさんありますが、この座談会では教科書的な話だけでなく実際の運用者が考えている具体的かつ難しい論点が多く取り上げられていて、同じ運用会社にいる自分もこのような論点があるのか、と目から鱗が落ちる感じがしました。
個人的には本書で一番重要な部分はこの座談会でなかったかと思います。実際座談会の内容が興味深いということで本書を購入しましたし。

 

印象に残ったポイント

せっかくなのでいくつか本書で印象に残ったポイントをいくつかご紹介したいと思います。前述のとおり特に座談会の内容が面白かったのでそのあたりを少し。

議決権行使・エンゲージメントに関する社内体制について

私の知っている限りではファンドマネージャーやアナリストなどの運用担当者は私のようなバック部門とは報酬体系が異なり、成果報酬的な性格が比較的強いようです(本書でもそのように指摘されています)。
そしてそれは成果が数値化しやすいことが前提になっていると思います。
本書でも紹介されていますが、GPIFが運用会社の報酬体系を委託調査した報告書が公表されており、その中でファンドマネージャーが固定報酬の割合が低く、スチュワードシップ・ESG担当者はそれに比べ固定報酬の割合が高いことが示されています(報告書P15)。

固定報酬の割合の大小にかかわらず役職員の待遇や配属を決めるうえで評価は重要なはずですが、議決権行使やエンゲージメントの結果というのは数値化が難しいのが実態です。仮に投資先企業の業績・株価が上がったとして、それがどの程度議決権行使・エンゲージメントによるものかは明確にはわかりません。逆に業績・株価が下がっても同様に評価は難しいと思います。
では、議決権行使・エンゲージメントの担当者の評価はどのようにするのか。評価しないわけにはいかず、一方で評価は難しい。管理職としても人事としても悩ましいところだと思います。

この点については試行錯誤が続いているようです。具体的な内容については詳述を避けますが、評価が難しい中でもやりようはあるものだと感じさせられました。

NGO等との距離感

ESG投資には各運用会社が取り組んでいますが、特にEとSについてはNGOなど従来の運用行為の文脈では接点が少なかった(と思う)ステークホルダーの影響力が大きく、彼らもまた運用会社や銀行などの金融機関の動向に注目しており、運用会社としてそのような主体とどのように関わるかが問われています。

最近では多くの運用会社が運用会社が多く加入しているイニシアティブと呼ばれるプラットフォーム(一番著名なのがPRIでしょうか)を通じてESGの観点から共同でエンゲージメントを行っているようです。そしてNGOとの連携もイニシアティブを通じて行われることが多いようです。業界団体だと生命保険会社が生命保険協会をプラットフォームとして共同でエンゲージメントを行うという事例もあります。

NGOもイニシアティブも世間には数多くあり、その規模や質は千差万別です。その中には当然「評価できないNGO・イニシアティブ」もあり、座談会の中でも具体的な評価基準が述べられていました。
NGOにはNGOの正義や信念があると思いますが、運用会社にもお客様のお金を預かってリターンを(役職員の個人的な価値観は脇において)追求するという受託者責任があり、それらは時として相反することもありえます。
例えば武器製造や酒・ギャンブルへの投資の可否がSRI(社会的責任投資)においてよく問題となりますし昨今では原発なども注目されていますが、それらが仮に社会的に悪だと断罪されたとしても運用行為においては法令や投資家の意思(投資信託約款や運用ガイドライン)に反しない限り投資対象から排除することは難しいです。それによって運用会社がNGOや社会から批判される可能性もありますが、運用会社はそれに流されるわけにはいきません。その場合お互いの正義と責任が真っ向からぶつかることになりますが、お互いに理解し合って建設的な議論ができるというのが望ましい形なのだろうと思います。逆に言えば相手の主張を全く無視して独善的に振舞うような形になると社会はいい方向に向かわなさそうな気がします。

あと、ESG関連のステークホルダーとしてESG格付機関や指数会社も登場していて、確かにこういう主体も意識しておかなくてはならないと気づかされました。

パッシブ運用とエンゲージメントについて

パッシブ運用とはインデックス(指数)に連動する運用成果を目指す運用手法で、基本的には指数を構成する銘柄に機械的に投資します。その性格として投資銘柄が非常に多くなること(したがって1銘柄ごとのパフォーマンスへの影響は小さい)や高パフォーマンスより指数への連動度合いが重視されるという点があると思います。加えてアクティブ運用に比べて運用会社が受け取る報酬が小さいことも重要な点です。

このようなパッシブ運用においてエンゲージメントをアクティブ運用と同じようにしようとすると膨大な手間やコストがかかり運用会社としても低報酬で運用している中で収益を大きく圧迫してしまいます。例えばTOPIXの構成銘柄は2,000以上ありますのでこれらすべてに対応しようとすると相当の数の専担者が必要でしょう。議決権行使はシステム的に対応ができるのでまだいいのですが、エンゲージメントはどうしても人的な対応が必要なためどこまで対応するのかというのが問題になります。
また、エンゲージメントの効果は全ての株主が享受するため、他の株主によるただ乗りの議論もあります。

そのため、私はパッシブ運用については運用会社は議決権行使はしても、ほとんどエンゲージメントをしないと思っていました。
しかし、実際には大きい会社はエンゲージメント専担の部署を作って比較的幅広に対応したり、アセットオーナーの要請で運用会社がパッシブ運用でもエンゲージメントを行っていることがあるようです。コストとの見合いはケースバイケースでしょうが、委託者がエンゲージメントを求めるパッシブ運用については運用会社に追加で報酬を払っているケースもあるそうです。

パッシブ運用の残高が増加傾向にある中で機関投資家がどのように投資先企業に向き合っていくかというのは資産運用業界にとって大きな課題になっていくのでしょうが、どのような解が出てくるのか興味深いところです。

 

以上、『機関投資家に聞く』の感想でした。運用会社にいながら運用に携わっていない身としては議決権行使やエンゲージメントの論点や実態についてあまり知らなかったので、機関投資家各社の具体的な取り組みや運用担当者の深いお話は議決権行使・エンゲージメントの理解に非常に役立ちました。

法令以外のルールで運用会社が取り組んでいるものとして「顧客本位の業務運営原則」があり、これも運用会社ごとに捉え方・取り組み方が違うものだと思います。機会があればこの原則に対しての各社の取組みや原則に関連する業務担当者の座談会などを拝見したいものです。

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東洋史特殊講義(1)_レポート提出

日本と中国だけでない東洋史

奈良大学通信教育部の東洋史関係の科目には東洋史概論のほかに東洋史特殊講義という科目があります。
東洋史概論はすでに単位取得していますが、東洋史特殊講義は他の科目が終わった後にとっておいたので2021年度最終版に取り組むことになりました。ちなみに東洋史特殊講義は東アジアの歴史の基本的な流れを知っておくことが円滑な学習につながることから東洋史概論と同時かその後に学習することが推奨されています。

東洋史特殊講義のテキストは放送大学の吉田光男編『東アジア近世近代史研究』。放送大学のテキストというとベージュのカバーのイメージがありますが、こちらは大学院の教材のようです。

 

本書は東アジアのうち中国史と朝鮮史における近世・近代をカバーしています。
東洋史と聞くと中国史好きな私はまず中国史が思い浮かんで、後はせいぜい(広義の?)東洋史ということで日本史をイメージするくらいで、他の地域の歴史についてはあまり意識することがないのが実際のところです。地理的にも文化的にも日本にとって大きな存在である隣国の朝鮮の歴史についてすら何となく王朝名がわかるくらいで、その他の東洋・東アジアの国々の歴史については恥ずかしながらほとんど知らないというありさま。

東アジア各国(あるいはAPAC)の歴史を網羅的に学習するのはかなり厳しいと思いますが、日本の隣国であり、中国とともに共通の文化圏に属する朝鮮半島の歴史は少しは知っておいた方がよいと思っていましたので、この科目が朝鮮史をカバーしていることはありがたいです。

ちなみに東洋史の中に日本史が含まれるという認識を書きましたが、奈良大学通信教育の過程の中で日本史そのものの授業というのは少なかったりします。日本史の中の文化を扱った科目は多いですが、歴史の流れを追う科目としては日本史特殊講義という科目くらいでしょうか。概論科目にも日本史はありません。
歴史好きの人が入学する大学なので日本史そのものはある程度分かっているでしょ?ということなのでしょうか。でも研究も日進月歩ですし、独学とは違う深い知見を得られると思いますので、日本史自体も大学で学びたい気はしますね。

テキストのタイトルのとおり、この科目では中国と朝鮮における近世・近代史について学びます。中国史では宋王朝以降(唐代末期を含むともいわれる)、朝鮮史では李氏朝鮮王朝以降が近世となります。これらは単に王朝の変化というだけでなく、国家・社会のシステム自体がこの時期に大きく変化したことを意味しています。
例えば中国の場合、唐王朝の頃までは貴族が大きな力を持っていたのに対し、唐王朝末期を含め、特に宋王朝以降は科挙によって登用された官僚が大きな力を持つ、ある種の平等な社会に移行したことが指摘されます。それ以外にも一般庶民に経済的自由が広範に認められるようになったのも唐代中期の両税法や宋代の財産私有の許可が契機となったようで、この点でもそれまでとの社会の違いが伺えます。
一方朝鮮史においては高麗を排して建国された李氏朝鮮では仏教から儒教への移行や科挙による官僚の登用、私兵の禁止による国家による軍事の一元化など中央集権的な社会に移行しており、このような変化が近世への転換を表すものと言われています。

そしてこのテキストではこれらの時代を通史的に見ていくのではなく、社会の特徴ごとに論じるという構成になっています。

 

レポートの内容

レポートのテーマは3つのうちから一つを選んで論述するもので、私は明王朝の建国期から滅亡に至る時期までに東アジアの国際環境について、モンゴル・朝鮮・日本・琉球を念頭に論ずるというお題を選びました。

明王朝はその設立の経緯や外交政策の特異性のため国際関係という観点から論ずるべき点は多いですが、特にポイントとなるのは北虜南倭海禁政策冊封体制ではないかと思います。

明王朝はモンゴル民族の元王朝を中原から駆逐して建国された王朝ですがモンゴル民族が滅亡したわけではなく北方で依然として勢力を保っており、北方民族との摩擦は明王朝通しての外交課題となっています。一方南方では倭寇(当初は日本の武士団が主であったが後期には中国の密貿易業者が多くなった)が跋扈しやはり明王朝の重い問題となっています。

海禁政策と冊封体制はリンクする面があり、明王朝は外国との外交関係と貿易関係を一致させた点が外交における大きな特徴とされています。外交関係、具体的には明王朝と朝貢・冊封関係を通じて従属する国に対してのみ貿易を認め、それ以外の国との貿易は認めていませんでした(総称して冊封体制と呼ぶ)。また民間人の外国との貿易も認めず、民間人は外国に出ることを禁じられ、また朝貢国以外の国が中国の港に入港することもできませんでした。この政策は海禁政策と呼ばれますが、貿易が莫大な利益を生むため密貿易も横行しました。そして彼らは当局の取り締まりに対抗するため武装することになり、これが倭寇に転じたとされています。

これらのポイントと上記の国々をリンクさせるのは比較的容易だと思います。
大雑把にいえば、モンゴルは北虜として、朝鮮や琉球は冊封体制下の国として、日本は倭寇・冊封国家(足利義満の「日本国王」冊封)・文禄・慶長の役での交戦国などとして論ずることになると思います。
この他にも冊封体制の基盤となった洪武帝の中華思想やティムール朝・清朝の台頭、冊封関係の錯綜(薩摩藩における琉球支配や清王朝に対する朝鮮の従属など)など触れるべき点はいくつかありますが、大筋としては前述のポイントが特に重要な気がします。

明王朝の外交政策については東洋史概論で概要は学習しましたが、詳しく掘り下げるとその特徴が鮮明になり、大変興味深かったです。特に明王朝の外交は日本とも強いつながりがあり、日本史の学習という意味でも学ぶところが大きかったです。
レポートを作成するにあたってはテキスト以外に参考文献を読む必要があり、そのうちの一つに日本の戦国大名の外交に関するものを取り上げたのですが、よく知られる細川氏や大内氏だけでなく大友氏や相良氏といった戦国大名も明との貿易を行っている形跡があり、彼らのしたたかさと明朝の外交政策の実態が垣間見えた気がします。

とりあえず奈良大学通信教育部課程で単位を取る必要があるテキスト科目のレポートはこれで最後となります。あとは来年度のスクーリング科目と卒業論文で卒業に必要な単位は取得できる見込みです。
ただ、せっかくなら古文書学も勉強したいし、4年次に初めて履修できる科目もありますので、来年度も卒業論文に注力しつつものんびりテキスト科目も取り組んでいこうと思います。

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書誌学(1)_レポート提出

「本」の二面性

史料学概論のレポートを提出し概論科目のレポートは全て終わったので今年度レポートを終わらせてしまいたい科目は書誌学と東洋史特殊講義の2科目になりました。
他にも履修している科目はありますが卒業に必要な単位数と来年のスクーリング科目を考えるとこの2科目で卒業の単位数は揃うので、古文書学など残りの科目は余裕があればのんびり学習しようと考えています。
そしてその2科目のうち書誌学から手を付けることにしました。

書誌学とは本(及び書物)の内容というより、物質的な面について考える分野です。
私たちが「本」というとその内容に関心が行くことが多いと思います。
読んだ本について話すときは普通その内容を話すでしょうし、本を読んだ後に内容を記憶していることはあっても、その本がどんな形でどのような作りであったかを覚えていることはあまりないのではないでしょうか。

しかし、本を含む書物には文字が登場してから長い工夫と発明の歴史があります。
身近なところでもハードカバーの書籍が文庫本としてリニューアルされることがありますが、それ自体も印刷や製本に工夫がこらされていると思います。
そして書物の歴史を紐解けば、近世の和書、古代の木簡・竹簡、さらには殷の時代の甲骨文字にまでさかのぼることができます。
書誌学ではそのような要素を踏まえながら書物の発展の歴史について学びます。

テキストは、真庭基介・長友千代治著『日本書誌学を学ぶ人のために』。

本書では特に日本における書物や印刷の発展の歴史について概観するとともに、書物を物的史料としてみるときのポイントについて解説されています。
史料を物的資料として考察の対象にするという点は考古学と共通するので、書誌学には考古学的な側面があるといえそうです。

現在はデジタル印刷が主流だと思いますが、本書は江戸時代までの書物までが考察の対象となっており、近現代における書物や印刷については説明の対象外となっています。
印刷技術としてデジタルが導入されているほか、情報の記録・発信媒体としてもウェブサイトや電子書籍が登場しており、これらもいずれ書誌学の対象となっていく(既になっている?)と思うので、そのような観点で論じられた本も機会があれば読んでみたいと思います。

電子書籍といえば、論文などにおける出所の記載の仕方が紙媒体の書籍とは異なり面倒なようで論文を書く時の材料にはしにくいので、専門的な書籍は紙媒体を読んでしまいます。書誌学とあまり関係ないですが、この辺も明確で簡単なルールができるといいなと思っています。

 

書物の要素と発展の歴史

書誌学は書物というモノ自体を考察の対象とするため、書物がどのような要素で成り立っているかを知る必要があります。
書物を構成する要素は文字や紙などの素材はもちろん、その作り方(綴じ方)や装飾など多岐にわたります。自分の書棚を見ただけでもカバーの有無や紙の素材、箱の有無など同じような製本のようでそれぞれが意外に違っていることに気づきます。

紙を発明したのは後漢の蔡倫と言われますが(実際にはそれ以前にもあったようで蔡倫は改良者とするのが正しいようです)、それ以前にも竹簡や絹などに文字を書いて情報伝達の媒体とされていました。
竹と紙、あるいは木簡と紙では素材が違うため、情報伝達媒体としての加工方法も異なります。紙でも綴り方次第で体積当たりの情報量や検索性が異なってきます。例えば同じ紙の量の巻物と書籍のどちらが読みやすいかを考えるとわかりやすいと思います。特に紙は折ることもできるので枚数当たりの情報量を増やす工夫の余地が大きかったと思います。実際、書物の発展の中で紙の折り方・綴じ方の工夫は多いです。
このように、本を含む文字情報の伝達媒体(書物)の歴史はとても長く、深いです。

文字の記入方法もやはり発展の歴史があります。何も技術がない場合、情報媒体への記入は当然人力で、奈良時代には写経をする役所もありました。そのため書物は非常に貴重なものでした。
しかし奈良時代中頃には整版技術が伝わったようで、寺院を中心に整版印刷が行われていきます。特に貴族が善行を積むため(作善)の写経を大量に行うために整版印刷が使われた事例もあるようです。なんだか経済力にモノをいわせているような気がしますし、それが本当に善行なのかわかりませんが…
その後も明治時代に至るまで基本的に整版印刷が主流になりますが、16世紀終盤に活字印刷が伝わり、しばらくの間は活字印刷も盛況となります。活字印刷は仏典中心だった刊行物のジャンルを広範囲に広げ、書物の読者層を広げるという重要な役割を担うことになります。
これらの印刷方法にはそれぞれクセがあって、印刷されたものを見るといろんな差異があるので面白いです。例えば整版印刷では何度も版を使いますが、版の出来たてと何度も使用した後では出来たての時の印刷はキレがあるのに対しずっと使っている版では版木がすり減って少しぼやけた感じになります。削りたての鉛筆としばらく使った鉛筆の違いのようなイメージです。

また、書物にはいろんな部位があり、書物の作りや時代によっても特徴がありますし、部位ごとに役割もあります。
今の書籍と同じ部位が昔の和本にあることも多く、今の書籍の作りは昔からつながっていることに驚きます。

こうして書物の歴史をたどると、書物というジャンルにも奥深い歴史があることがわかりますし、特に書物は自分たちの生活にも密接な関係があるので発展の歴史を少し身近に感じた気がします。
個人的には扉紙がなぜあるのかわからなかったのですが、今回勉強して少なくとも昔から扉紙はあったことがわかって謎が少し解けた感じです。

 

レポート課題

書誌学のレポート課題として出されたお題は、①古活字版について説明すること、②書名の決定方法について説明すること、でした。

古活字版とは

普段我々が使う「活字」という言葉は印刷用語でもあるのですが、印刷の方法には大きく分けて「整版」と「活字版」があります。
整版というのは1ページ(あるいは見開き)まるごと板木に彫刻を行い、それをそのまま紙に押し当ててページごとに印刷する方法、活字版は1文字ごとに彫刻した判子を作ってそれを印刷する内容ごとに並べてまとめ、それを紙にあてて印刷する方法です。一文字一文字が「きて」いることから活字と呼ぶそうです。

整版印刷は歴史が古く、奈良時代には日本に伝えられ仏典を中心に利用されていました。一方活字版は戦国時代が終わる頃(16世紀末)に日本に入ってきました。そのルートは二つあり、一つは西洋の宣教師がもたらした「きりしたん版」、もう一つは文禄・慶長の役の過程で朝鮮からもたらされた「古活字版」です。

キリスト教の禁制もあって江戸時代初期には古活字版が盛況となります。古活字版には後陽成天皇や徳川家康といった権力者が注目したり、従来仏典が中心であった印刷物の対象が古典や実用書、娯楽書にまで広がったりと出版の歴史における転換点となります。
もっとも、活字版は一文字ずつ彫った文字の印をまとめて押しているだけなので、百部ほど刷ると版がほどけてしまうという弱点があり、大量印刷をするには向かなかったようで、それが大規模商業出版への障害となり、やがて整版が主流に戻ってしまうということになります。
ちなみに活字(活版)印刷には活字の彫り方によって「凸版」「凹版」などがあるのですが、凸版印刷という会社の社名の由来はこれかとようやくわかりました(同社ウェブサイトによると創業当時の最先端技術である「エルヘート凸版法」というのが由来のようです)。

今はデジタル製版の時代なのでやはり活字印刷ではありませんが、「活字」という言葉が残って日常的に使われるのは活字印刷も印刷術冥利に尽きると感じているでしょうか。

 

書名の決定方法

ここでいう書名の決定方法とは著者や出版社がどんなことを考えて書名をつけるか、ということではなく、第三者がどのように書名を判断するかという問題です。
書名は書物に書いているんだから誰でもわかるのでは?と思いたくもなりますが、意外に難しい論点だったりします。

一般的に書物の表紙には書名が書いてありますが、それだけでなく内側にも書名が書いてあることがよくあります。自分の書棚の本をいくつか見ても表紙のほかに扉紙(表紙・見返しの後のペラ紙一枚)や本文のはじめなど複数の個所に書いているものが多いです。
このように表紙に書いてある書名を外題げだい、本の内側に書いてある書名を内題ないだいというのですが、外題と内題が異なっている場合、どちらを正式な書名として扱うかという問題が生じます。

現在の目録法(法令ではなく方法の意味)では内題を正式な書名として扱うようです。その理由として表紙は入れ替えられたり、書名が張り付けてある場合(題簽)にそれが取れた後に別の書名が張り付けられて正確な書名でない可能性があり、外題の信頼性は比較的低いのに対し、中身が変わることはないため内題は信頼性が高いということがあります。

一方で著者の目線で考えると、表紙というのは本の顔とも言うべき一番注目してほしい部分であり、そこにこそ著者の思いが一番反映されると考えるべきで、そう考えると外題の方を優先すべきではないかという意見もあります。

どちらもなるほどと思いますし、私ごときがどっちが正しい!というのはおこがましいのですが、このような論点もあるというのは非常に興味深く感じました。

 

書物を守る

書物は紙や竹、木、あるいは羊皮紙のような皮など素材は様々ですが大なり小なり時間の経過や悪環境での保管によって劣化しますし、戦乱などで失われることも多々あります。そして一度失われると同じものは元に戻りません。写しがあればともかくそれもなければその内容自体が永遠に失われます。

そのため、書物は守る努力をしなければ受け継いでいくことはできないのだと思います。
保存環境が整った図書館等の整備に加え、天災や戦乱などの人災といった危機から書物を守るという努力がなければ貴重な書物は受け継がれないのだと思います。
以前アルカイダから貴重な書物を守った方の体験をつづった書籍を読みましたが、貴重な書籍のうちの一部は危険を冒した先人の努力のおかげで現存しているのだと思うとありがたい気持ちでいっぱいです。恐らく日本でも戦乱や戦争の危険の中で書籍や史料の保全に尽力したくださった方が多くいたと思います。

 

今般ロシアとウクライナが戦火を交えることとなりそれ自体が非常に悲しいことですが、ウクライナには史跡や史料も多いでしょうからそれらが危険にさらされるのもまた残念なことです。
平和のためにも貴重な先人の遺産の保全のためにも一刻も早く戦争が終結することを祈りたいと思います。

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史料学概論(1)_レポート提出

史料学概論の内容

昨年末に西洋史概論のレポートを出し終え、概論科目5つのうち4つのレポート作成が終わったので、今年の年初からは最後の概論科目である史料学概論に取り組んでいました。

史料学概論では、歴史学において歴史的事実を解明するための根拠・裏付けとなる史料の扱いについて学びます。
史料と一言でいってもその種類は多様で、書物や古文書、木簡などの文献史料だけでなく、遺跡や遺物といった考古資料、さらには伝承や民俗といった無形の史料・文化財もあります。
ある事実が発生したことを確認できれば史料となりうるので、今後はインターネットの記事や電磁的記録文書などデジタルな情報も史料の一形態として扱われるようになるのだと思います。昨今では法定帳簿も電磁的保存が認められるようになっていますので、現代の歴史を歴史学で検証する頃には紙より電子媒体の方が史料として重要になってくる可能性すらあるように思います。

とはいえ、現在の歴史学がカバーするのは概ね電磁媒体が登場する以前と言えますので、史料として考慮すべきは伝統的な史料、すなわち文献史料・考古資料・音声や表現などの無形史料と考えていいと思います。
そして、それらの史料をそれぞれの性格を踏まえて過去に発生した事実・過去に存在していたものの解明につなげていくのが歴史学で、そのための史料との接し方を学ぶのが史料学だと考えています。

史料学概論のテキストは東野治之『日本古代史料学』(岩波書店)。東野先生は史料学の第一人者で以前には奈良大学で教鞭をとられていたようです。

 

テキストは筆者の東野先生が発表された論文や講演をまとめたもので、①編纂物、②古文書、③木簡・銘識、④文物と文献史料というカテゴリーわけがなされています。

①編纂物というのは文字通り原史料(生の史料)を編纂した史料で歴史書や律令などの法令、歌集などが該当します。一般に書物は編纂物のカテゴリーに含まれると思います。
②古文書というのは生の史料のうち、手紙や日記、広く言えば地図などの書類を指します。相手のある文書、という定義もあるようですがあまり深く考えず生の史料のうち書類は基本的に古文書と考えてもいいと思います。
③木簡・銘識のうち、木簡は木の板に何らかの情報が記されたものです。例えば荷札や簡単な命令などが該当します。奈良時代の長屋王邸から大量の木簡が発見されて研究が進んだことはよく知られています。銘識は銘文と識語の略で、銘文は石や金属に銘を掘ったもの、識語は書物などに書き加えた文章・文言を指します。例えば写経したものの後書きとして誰が誰のために奉納したものかを書いたりしているものが該当します。
④文物と文献資料について、歴史的な事実の考察は文献史料だけでなく考古資料など物的資料をとっかかりとして進むこともありますが、その場合も考古資料の分析を補完する資料として文献史料が役立つことがあります。そのような文献資料の活用の仕方も史料と向き合ううえで認識しておくべきことだと思います。

テキストではこれらのテーマごとに具体的な事例を用いて資料の解釈の仕方を学びます。一つの資料に対して多くの資料、しかも場合によっては中国や韓国など海外の史料(編纂物や木簡・竹簡など)も用いて解釈がなされるので、深度のある資料の解釈には非常に広い知識が必要とされることがわかりますし、同時にどんな分野の知識もあって損することはないともいえそうです。想像もしないところから新しい解釈の手がかりを見つけることにつながりそうですし。

ともあれ、歴史学を学ぶ上で史料の取り扱いは不可欠なので、いろんな種類の資料を扱う具体例に触れることができたのは有意義でした。

 

レポートのテーマと内容

史料学概論のテキストでは上記の4カテゴリーの実例が紹介されていますが、それぞれの史料についてその性格と具体例を述べるのがレポートのお題でした。

レポートではそれぞれの事例について、①編纂物:日本書紀などから法隆寺の火災年代を特定した事例、②古文書:写経生の試字について信憑性を検討した事例、③木簡:長屋王邸発掘書簡から伺える家政機関や日常生活、④銘識:光覚知識経の供養対象の解釈、⑤文物と文献資料:富本銭の性格の検討(流通通貨か厭勝銭ようしょうせんか)を選びました。
テキストに記載されていない事例を挙げるのもありだと思いますが、レポートはテキストにある事例で完結させました。といってもいくつかテキスト以外の書籍も参考にして少し広がりのある内容にできたと思います。

ちなみに②の写経生の試字というのは、天平時代や奈良時代には写経をする専門の役人として写経生がおり、その採用試験が試字と呼ばれていました。本件はその試字で書かれた文書がよく見られるものと様式が異なるため、本当に試字のものであったかを検証するという事例でした。
また⑤の富本銭は考古学的な分析から7世紀に日本で製造されたとされる貨幣ですが、それが貨幣として流通したものか儀式的に使用される厭勝銭であるかははっきりとはわかっていないようです。その点について文献史料の記述を検討することにより富本銭がどのように扱われていたかを検討するという内容になっています。

この科目のサブテキストにも記載がありましたが、具体的な事例を学ぶと研究者の思考を追体験しているような感じになって、このように考察を展開していくのかと大変勉強になりました。
一般的な歴史の科目は歴史的事実とその解釈をある意味所与のものとして学ぶので、歴史的事実自体を解明していくプロセスに触れるのはまさしく歴史学を学んでいるのだと感じます。

とりあえず史料学概論のレポートが終わったことで概論科目のレポートは一通り完了したことになります。このレポートが再提出になる可能性もゼロではありませんが(実際大学の掲示板を見ると再提出になっている方もいるようです)、今は頭を切り替えて新しい科目のレポートに取り掛かることとします。

残念ながら史料学概論を含め履修科目の全単位を今年度中に取得することは難しそうですが、せめて一つでも多くのレポートを年度内に提出して来年度早々に卒業に必要な単位をそろえて卒業論文に注力できればと思います。

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西洋史概論(3)_レポート返却

西洋史概論レポートの結果

西洋史に全く土地勘のない私が苦労して作成し、昨年末に提出した西洋史概論のレポートが1か月ほどして返却されました。

西洋史に触れるのはほぼ初めてで、政治体系にしても習俗や宗教なども、そもそも地理的感覚もほとんどない中でテキストや参考文献を読んで、大丈夫かなと心配しながら提出したレポートでした。西洋史(後期ローマ帝国)の理解だけでなく、レポートの構成や論理の展開も適切か自信はありませんでした。

そんなレポートの結果はこちら。

かろうじて合格はいただきましたが、これまでのレポートの中で最も厳しい評価となりました。ご覧のとおりコメントがたくさん書かれていますが、足りない点をいろいろご指摘いただいています。
講評については冒頭以外はぼかしていますが、着眼点はよかったもののレポートの内容はわかりにくい、とのことでした。やはり論述の展開の仕方に問題があったようです。確かに重複した内容もありましたし、スムーズに読み進められるような感じではなかったかもしれません。苦手な分野だと論述自体のクオリティが下がってしまうというのは何度も経験があるのですが(汗)、これから卒論に臨む身として反省すべき点だと思います。

 

レポートの内容と講評

ちなみにレポートは古代ギリシャ・ローマについて与えられたいくつかのテーマの中から一つ選んで論述するというものでした。

私はそのうち、後期ローマ帝国体制について、具体的には軍人皇帝時代以降のローマ帝国(西ローマ帝国)における統治体制について論じました。具体的な内容は下記の記事に書いた通りです。

統治体制といってもいろんな論点がありますが、そのうち政治・行政の表層部分として皇帝の出自と元老院議員の位置づけの変化に重点を置いて論じました。
その点については着眼点がよいという評価を得たのですが、やはり統治体制というのは皇帝・元老院、あるいは行政組織のみで完結するものではないので、その穴埋めをしていた存在についても言及する必要がありました。

実際のところ、元老院議員の役割が後退する一方で行政機関が肥大化する中で住民サービスはどのように変化していったのかという統治の根本的なポイントについてはあまり考慮していませんでした。
現代社会でも住民サービスの変化の潮流は政権とは別の次元で「も」考えられるべき(少子高齢化の流れやNPOの展開云々)だと思いますが、それは古代ローマも同じで現場レベルでは何が変わっていたのかを考える必要があったと思います。

私が文献を読む限りでは特段そのあたりの言及がなかったので意識していなかったのですが、いただいたコメントによると教会が施与行為に代わる貧民救済や地方自治の代替を担っていたようで、住民の視点から見るとこういう面の方が統治体制の変化としては重要であったかもしれません。
改めてテキストを読むと確かにキリスト教の台頭の一面として慈善事業の普及なども述べられていて自分でも線を引いていたのですが、教会=宗教という意識が強く、統治体制と関連付けることができていませんでした。

もっとも、我が国においても宗教と統治体制は無関係ではなく、江戸時代には統治体制の中に寺院を組み入れ、宗門人別改帳が戸籍の役割を果たすなど、統治体制を論ずるにあたって宗教は考慮すべき重要な要素といえると思います。
厳しいコメントではありましたが、自分の足りない点をはっきりと指摘いただいたのはありがたいです。

ちなみにコメントの最後には誤字(元首制→元首政、帝制→帝政)が指摘されていました。重要なポイントだと思っていたので気をつけていたつもりなのに大間違い、お恥ずかしい。

 

試験に向けて

とにもかくにもレポートは合格だったので次は単位修得試験です。
試験では古代ギリシャ・古代ローマ全般が範囲となるため、レポートで扱った後期ローマ帝国だけでなく、テキストで学んだ範囲を広くカバーしておかなくてはなりません。

正直、古代ギリシャのあたりはいまだに地理関係や国家間の関係の認識が曖昧なので、この辺は注意しておかないといけないと思います。
あとキリスト教の勃興と発展についてもテキストを一読しただけなので、前述の内容も含め改めて勉強しておいた方がよさそうです。

恐らくこれが今年度最期の試験になるので、しっかり単位を取って終わり良ければ総て良し、といきたいものです。

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文化財学演習Ⅱ(2)_卒業論文テーマ仮決め

課題提出

この冬受講していたスクーリング科目の文化財学演習Ⅱでは課題のテーマが卒業論文の研究内容の報告でした。
こちらは現時点で固まっている必要はなく実際の卒業論文のテーマは違っていても問題ないようなのですが、やはり課題の提出ですし、また一度考えたテーマを変えるのも簡単なことではないので、実際の卒業論文のテーマ、さらにはその後の大学院等における研究テーマも見据えて何をテーマにするか考えていました。

私のようなアマチュアの歴史好き、だけど歴史をライフワークにしようと考える人間にとってはそのようなテーマを考えるのは容易ではありません。
研究、すなわち学術上の活動と銘打つ以上、単に好きなテーマをポンと打ち出すだけでは不十分で、そのテーマの何がこれまで明らかにされておらず、自分が何を明らかにできるかを考えておく必要があります。学問とはこれまで明らかになっていなかったことを、ごくわずかでも明らかにする活動だと思いますので、明らかになっていなかったことと明らかにできること、この二つは常に意識しておくべきことだと思います。

しかし、明らかでないこと、明らかにできること、そのそれぞれを明確にすることは意外に難しいことでもあります。
これまで明らかでなかった物事を「明らかでなかった」と言い切るには厳密には過去の研究成果のすべてを確認し、そのうえでそのように言い切る必要があります。すべてとは言わなくても主要な研究成果は把握しておかなくてはならないでしょうが、それも自信をもって言い切るためには相当な読み込みが必要だと思います。
また、過去の研究成果を踏まえて自分が新たに何かを明らかにできるのかという問いは、学術研究の核心であり、自分の知識や能力に対する挑戦であるといえます。過去の巨人たちがたどり着けなかった答えに自分がどのようにたどり着けるのか。自分はまだ歴史学や考古学、あるいは自然科学関係に対する知識をほとんど持たない子羊のようなもので、これに対する答えを出すのもまた大変なことです。

学部の卒業論文とはいえ、やはり大学で学んできたことの集大成であり、またこれからの歴史学の研究活動への第一歩でもある以上、このような問いを避けることはできませんししたくありません。子羊であっても一個の研究主体である以上、上記のようなアカデミックなスタンスは持っていたいものです。
・・・と考えると、過去の研究が比較的されていなくて、かつ自分でも新たな観点で論ずることができるテーマを探すことになるのですが、そこに自分の好きな小田原北条氏(後北条氏)関係という条件を重ねるとさらに絞り込みが大変です。

はてさて、テーマの検討はどうなることやら。

 

卒業論文テーマ(仮)

テーマ探しが大変だ、といっても課題の提出は月末と決まっているのでそれまでには提出する必要があります。しかも提出は郵送で月末必着なので実際には少し前にはテーマを決め、必要な事項を報告書にまとめなければいけません。のんびり考えているとそもそも単位が取得できないという本末転倒なことにもなります。

そのため必死にテーマを考え、その結果卒業論文のテーマは小田原上水(早川上水)について書くことにしました。一応仮決定という感じですが、おそらく早川上水を中心に論じることになると思います。
というのも、テーマ決めに際して参考文献を探してみましたが、戦国期の水道整備について論じられた文献はあまり多くなさそうで、その中でも早川上水について詳しく論じた文献はごく僅かでした。

そのうちの一つは郷土史家の方が書かれた書籍でしたが、非常に参考になりました。小田原城と比べて注目度が低い早川上水ですが、その価値を認めて焦点を当て研究をされているのは素晴らしいと思います。
自分も郷土史家に憧れがあるのですが、小田原で歴史学を学ぶ人間としてかくありたいものだと思わされました。

 

早川上水に限らず、世の中には人の認知は得られないながらもその時々で社会の役に立った施設や人の働きが多くあると思います。
そのようなものの価値を再発見し、人に知らせるのも歴史学を学ぶ人間としての社会への貢献だと思いますし、自分もそのようにありたいと考えています。

卒業論文や今後の歴史学の研究が実際にどのような成果に結びつくかはわかりませんが、そのような問題意識や志を忘れずに今後の学習・研究に励みたいと思います。

なおゲームの中の歴史学、というテーマも面白そうなのですが、軌跡シリーズは創の軌跡で歴史学のリィン教官が降板ぽく、新シリーズの黎の軌跡もまだ未プレイなのでお預けです(笑)

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