長い旅の終わり、そして始まり

昨年後半から就職活動を本格的に始めて1年あまり、そして、大学院卒業直後の今年4月から一切の肩書きを失って4ヶ月という長くて苦しい就職活動の旅でしたが、この度ようやくオファーを頂くことができ、8月から勤務を開始することになりました。

オファーを頂いたのは外資系の運用会社で、前職同様コンプライアンスを担当することになります。
業務内容こそあまり変わらず、キャリアチェンジをしたわけではないですが、日系から外資系への移動やポジション・業務範囲という点では満足しており、就職活動で苦労した甲斐はあったと感じています。

MBAというと卒業後の進路はバラ色で選択肢も豊富、というイメージを持たれがちですが、残念ながらそういうわけでもなく、実際にはこれまでの経験を基にポジションを選択することになります。
私の場合、これまで広報・IR、CSRとコンプライアンスの経験を積んできたので、基本的には広報・IRかコンプライアンスのポジションに応募することになりました。

元々は色んな職種に関心があったので幅広く応募しようとしていたのですが、仲介するエージェントから「ポジションの応募要件を満たさないので推薦できない」と断られたり、幸い応募させてもらっても経験が合致しないから不合格、というケースがほとんどで面接の機会さえありませんでした。

また広報とコンプライアンスの経験があるといっても、企業側が重視するのは直前の経歴であるため、実際には金融機関(特に運用会社)のコンプライアンスという選択肢しかなかったと言えます。

これまで応募したポジションは大きく分けてコンプライアンス、広報・IR、その他未経験職種の3つになりますが、企業側の反応は下記の通りです。

コンプライアンス:基本的に書類選考は通過。面接も進みやすい。
広報・IR:経験の点から書類選考落ちが多いが、面接に呼ばれることも(でもNG)。
その他未経験職種:基本的に書類選考でNG。

多くの企業のポジションに応募しましたが、基本的にはMBAや留学経験というのは、せいぜい「英語ができる」というくらいのアピールポイントにしかならず、キャリアを大幅に変える武器とは言えない(希望職種の経験不足を補うことはできない)と感じました(MBAを積極的に評価する企業やコンサル、投資銀行は除く)。
他校、特に超有名校の状況はわかりませんが、恐らく日本においては同じような扱いを受けるのではないかと思います。
そのため、キャリアチェンジ(特に職種)を目指す人はMBAを目指す前にMBA後のキャリアチェンジの戦略と可能性、及び他の選択肢についてよく検討すべきだと思います。

就職活動を始めて前述のことを痛感したため、キャリアチェンジが難しいと判断し、基本的には金融機関のコンプライアンスを中心に、時々広報・IR、CSRのポジションも応募する、という感じで就職活動を進めていました。

しかし、金融機関といっても銀行・証券・保険・アセットマネジメントなどの分野があり、それぞれビジネスやオペレーションが異なるため、基本的には経験があるアセットマネジメントのコンプライアンスに絞られることになりました。

しかし運用会社というのは数が限られていて、その中でもコンプライアンスというポジションはそれほど人員を要しないため、昨今のコンプライアンス強化の流れの中でもなかなか魅力的なポジションは出てきませんでした。

そのため自分に合ったポジションに応募することもなかなかできず、経験と要件が異なるポジションに応募すると不合格、ということの繰り返しでした。
そしてそれを数ヶ月続けていると、自信はなくすし焦ってくるし、本当にどん底の気分でした。
ブランクが長くなると就職活動に不利になるし、加えて貯金も少なくなるし、家族からのプレッシャーも強くなってきたりと、冷や汗ダラダラでした。

そんな中、何とか少しでも状況を良くしたいとハローワークに足を運んでみたり、派遣社員のコンプライアンスポジションの面接を受けてみたりもしました。
結局、派遣社員としての経歴も履歴書に記載しなければならないということで、派遣社員になることはありませんでしたが。
MBA留学までしてこんなことしている人はいないだろうな、と思うと強い劣等感や絶望感に襲われたりもしました。

また、社会的所属がなくなって時間が経ってくると人との接触が極端に減り、さらに恥ずかしさから人に会うのを避けるようになることもあり、疎外感も増してきました
そんなことを言っている場合か、とも思いますが、無職の身では働いている人と話すのはやはり辛いものがあります。

どん底の数ヶ月は本当に辛く、二度と経験したくはないですが、学ぶことも大変多かったです。
特にどん底の状態に置ける精神状態や人間関係、そしてそういう状況の人がどういうことを言われると嬉しい、あるいは辛いかを自分で経験したのは、今後誰かをサポートする上でも役に立つと思います。

どん底の状態の時に一番嬉しかったのは、エージェント以外の人とのコミュニケーションをとるのが辛くなってきた時期に、「自分もこういう協力ができるから連絡して」と言われたことでした。
もちろん全ての人の協力に感謝をしていますが、特にどん底の状態で実効的なサポートを受けることほど嬉しかったことはありませ
もちろん励ましてもらったり飲み会に誘われたりするのも嬉しいのですが。

こんな風に孤独や劣等感、焦燥感など負の感情を持ちながらもくじけずに就職活動を続けて7月に入った頃、お世話になり始めたばかりのエージェントから入手直後のポジションを紹介されました。
そのポジションこそ今回のポジションで、トントン拍子に面接がセットされました。

面接ではこれまでの面接とは違い、これまでの経験もさることながら、自分の人柄や私費でリスクをとって留学に挑戦したという向上心を高く評価され、あっという間にオファーを頂きました。
これまで散々苦労していたので、拍子抜けしたり、信じられなかったり。
引き際を認識するのも大事だけど、諦めないのも大事なんだと思いました。

前述の通りキャリアチェンジではないですが、外資系への転換、より広い業務範囲と責任、ということで非常に満足しています。
職種についても、これまでの経験をベースに強みを磨いた方が将来的な市場価値につながるし、守備範囲が広いならそれも面白いということで、キャリアチェンジしない方がよかったとも感じています。

キャリアチェンジの是非については人それぞれだと思いますが、基本的には経験を活かした方が企業側の評価や待遇につながりやすいので、キャリアチェンジしなくてもその職種に面白さや価値を見いだして満足感を高めるというのもキャリアの選択肢として考えておくべきだとしみじみ思いました。

ともあれ、これでキャリア探しの長い旅を終え、次の旅にでることになります。
そして、ようやく本当の意味でMBA留学を終えることができました。
この「MBA・ソーシャルファイナンス留学記」も本稿で最後の記事としたいと思います。

これまで留学準備やオランダ生活、及び就職活動においてご協力いただいた皆さまには心より感謝申し上げます。
そして、ご期待を裏切らないように職場で、あるいはソーシャルファイナンスの舞台で頑張っていきたいと思います。

本当にありがとうございました!!!!
留学仲間のLograyさんに本記事をご紹介いただきました。ありがとうございます!

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蘇秦・李斯に学ぶキャリア形成

最近就職活動や今後のキャリア形成について悩みながら歴史のことを考えると、色んな人物の人生に自分を重ねていることが多いです。

自分なりに色々頑張ったり挑戦したりするけれど、なかなか認めてもらえないという今の状況を見つめていると、よく思い出すのが中国の戦国時代の外交官・蘇秦です。

蘇秦といえば有名なのが、うだつが上がらない頃は親戚にも冷たくされていたけれど、立身出世したら途端に親類がぺこぺこしているのを見て「自分が少しでも豊かだったら今の自分があっただろうか」と感慨にふける話です。

上記の通り、絶頂期は六国の宰相を兼ねる蘇秦ですが、弁論を学んだ後自分の考えを色んな国に売り込みますが全然相手にされないまま放浪を重ね、親類にも嘲笑されるという時期がありました。

これは蘇秦の同門である張儀も同様で、彼も放浪したり暴行を受けたりして嘲笑されても「舌があれば大丈夫」と心配する妻に言い、最終的には大国・秦の宰相に昇りつめます。

今、自分自身が就職活動で彼らと似た境遇にありますが、蘇秦や張儀のような遊説の大家でさえこのような時期があったのだから、と思うと自分もまだまだ頑張らなければ、という気にさせられます。
そして彼らのように諦めなければいつか自分を必要としてくれる組織があるはずと言い聞かせています。

そしてこれからどういう人間になっていこうか、と考える時に思い出すのが、真の始皇帝のブレーンとなってその覇業と新国家形成を支えた宰相・李斯です。というのも、彼の人生はMBAをとってキャリアアップをしていく人の人生と非常に似通っているからです。

彼ははじめ小役人として食料庫の管理をしていたのですが、倉庫の中で悠々と穀物を食べているネズミと厠で人間に戦々恐々としているネズミがいるのを見て、「人生は環境で変わる」と一念発起し荀子の門を叩きます。これがMBAその他の高等教育にあたるでしょう。

学業を終えた李斯は縁にも恵まれ秦の始皇帝のブレーンとなり出世していきます。
MBAを終えた学生たちがキャリアアップをするのと似ています。
その際に同門の韓非を陥れたりするところも競争という点では似ているかもしれません。

途中追放の危機もありましたが、それも無事に切り抜けついには丞相の地位に至ります。
MBA風にいえば超大手優良企業のCEOといったところでしょうか。

しかし、始皇帝が亡くなってから彼の運命は変転します。
奸臣・趙高の恫喝に屈して始皇帝の遺命に背き、暗愚とされる次男・胡亥を二代皇帝にしてしまいます。
二代皇帝の治世下、各地で反乱が起き秦帝国の土台が揺らぐ中、趙高に謀られて謀反のぬれぎぬを着せされて一族もろとも処刑されてしまいます。
現代風にいえば、悪い部下にそそのかされて違法行為に手を出した挙げ句、その人間に裏切られて自分だけ逮捕され、一切の社会的地位を失ってしまうという感じでしょう。

若かった頃の李斯は理想に燃えるところがあったでしょうし、始皇帝の下で彼はその才覚をフルに発揮して秦帝国を隆盛に導きます。
しかしながらちょっとした心の隙が彼の運命を栄光から急転直下に導いてしまうことがあるという恐ろしさを彼の人生は示しています。

今は蘇秦・張儀のように苦労しているけれど、自分にも春がくるかもしれない。
そして春が来ても初心を忘れると、李斯のように運命が激変するかもしれない。

自分に彼らのような才覚があるかどうかはともかく(そして自己弁護をするつもりもないですが)、彼らの人生に思いをいたしながらこれからも自分のキャリアを考えていきたいものです。

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RSM同窓会@オランダ大使公邸

時間が経つのは早いものでGWがあっという間に終わって梅雨の季節が近づいてきているようです。服装も夏物が多くなってきました。

そんな中スーツでネクタイを着けて就職活動をしていると心身ともに堪えます。
まさか帰国後半年してもまだ就職活動をしているとは…
情けないと言えば情けない限りですが、どこにある良縁を信じて歩いてます。
いつかある人にタフそうに見えないなんて言われましたけど、こんな状況でも前を向いて歩いているのは結構タフだと思う…

それはさておき、先日RSMの同窓会が開催されましたので参加しました。
前回に引き続き今回もオーガナイザーということで雑用などをしていました。
こういうときは時間がある無職という立場がありがたいものです(汗)

今回はなんと在日オランダ大使公邸での開催です。
オランダ大使館にRSMの卒業生がいたため、その伝手でオランダ大使公邸での開催へとこぎつけました。ご縁というのはかくもありがたいものです。

当日は天気もよくパーティ日和でした。


オランダ大使公邸。緑が豊かです。

会場に着くと、まずはお世話になるスタッフの方々にご挨拶。
英語だったり日本語だったり。

大使館側では、日蘭友好の機会ということで関連グッズを用意していただきました。
ミッフィーの生みの親、ディック・ブルーナさんがデザインした特製ピンバッジです。


ミッフィーそっくりのまなざしがかわいいです。

RSMの連帯感を高めるべく、RSMグッズを会場に展開したりもしました。
こういったブランディングには学校も色々協力してくれるようです。


RSM特製のぼり(!?)

定刻に近づくと参加者の方がどんどんいらっしゃいます。
参加者は約30名。この規模の学校にしてはなかなかの盛会だと思います。

そしていよいよ開会。
まずはラーディンク・ファン・フォレンボーヴェン在日オランダ王国大使のスピーチ。
実は大使もRSMが所属するエラスムス大学のご出身だそうです。

スピーチの中ではこれまでの日蘭の交流の歴史のほか、アベノミクスやTPPなどの日本経済、歴史認識の問題などホットなトピックについても触れられていました。

TPPに関しては「なかなか信じてもらえないがオランダはアメリカに次ぐ世界第二位の農産物輸出国なので、日本もオランダから学ぶこともあるのではないか」と仰っていました。ちなみにオランダの面積は九州と同じくらいなので、いかにオランダの農業が進んでいるか伺えます。

歴史認識の問題については対中国・韓国の文脈で捉えられがちですが、日本から離れたオランダでも強い関心を持たれていることが印象的でした(太平洋戦争中にオランダ領が日本に占領されたことが背景にあります)。


オランダ大使のスピーチ。多くの話題に触れていただきました。

次にRSMの卒業生で現在起業をされている方のプレゼンテーション。
何を考えてキャリアを積んできたのか、その背景やキャリアの転換点における考え方などを話していただきました。
自分自身キャリアの転換点にあり、アントレプレナーシップにも関心があったので、大変関心を持ってお話を聞きました。

その後は参加者と懇談。卒業生の方だけでなく大使ともお話しすることができました(ミーハー)。

卒業生の皆さんも楽しまれている様子で、会を催してよかったと感じました。
自分自身も大使や卒業生の方とお話しして学ぶこともあったので良かったです。

今回はディナーを大使館にごちそうになりました。
ちなみにビールはハイネケンでした(笑)
料理もお酒も大変美味しかったです。ごちそうさまでした!

最後はみんなで記念撮影。
今後もこれくらい盛り上げていきたいものです。

せっかくなのでMBA2013でも。


I love RSM MBA 2013!

こうして無事にRSM同窓会を終えることができました。
最初は大使館を巻き込むなんて、と思っていましたがやってみると案外できることってあるものなんだと思いました。
RSM(エラスムス大学)の持っているネットワークは我々が知っている以上に大きいと思いますので、これから色んな機会を探っていきたいと思います。

ゆくゆくはエラスムス大学同窓会とかオランダの他のビジネススクールを交えたイベントができたらいいかも、と個人的には思っていたり。

その前に早く仕事を決めたいですが…(汗)

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良心に従って生きる

早いもので4月も終わり、世間様はゴールデンウィークを楽しまれている頃でしょうか。
私も働いていた頃は楽しみで仕方ありませんでしたが、無職の今となっては毎日がゴールデンウィークみたいなものなので特段のありがたみを感じないというなかなか厳しい状況です(汗)
さすがに4月が終わっても進路が決まっていないとは帰国時には想像もしていませんでした。

とはいえ新年度に入っていい流れを感じていますので、その流れに乗って良縁に巡り会いたいものです(外資系企業の場合、3月に新年度の予算が本国に承認されるため4月から募集が始まるポジションも多くなるらしいです)。

浪人生活をしていると時間だけは有り余っているため読書をする時間も増えました。
ジャンルは歴史、ビジネス、NPO、自己啓発など様々です。

本は図書館で借りることが多いのですが、図書館を歩いていると見たことのある名前が目に入ってきましたので、その本を読んでみることにしました。

その名前は根本博。旧陸軍の中将で、太平洋戦争時はモンゴル方面の司令官を務め、戦後は蒋介石を助けるべく台湾に渡り、共産党と戦った人物です。

彼の数奇な人生に関心を持ちつつもその詳細を知らなかったのですが、その人生を追いながら彼が非常に素晴らしい人物であることを知りました。

感銘を受けたポイントはいくつもありますが、特に下記の点は印象に残りました。

1.  自分の判断に対する自信、その判断に対して責任を取る姿勢
終戦時、日本軍は勅命において武装解除を命じられるのですが、彼はソ連軍に相対していたところ、武装解除をしては配下35万の将兵や民間人の命を守ることができないと判断し、責任を一身に負うことを明らかにして武装解除しないことを決定し、ソ連軍と交戦しながらも中国軍(国民党)の協力も得て無事に多くの日本人を帰国させることに成功します。
彼の判断が正しかったことは満州方面の武装解除後の悲劇を見れば明らかですが、実際にそのような判断を下し、また一身に責任を負って行動に移すことができるかと言えば容易ではないでしょう。

もし自分がこのような立場にあったらどのような行動をとるでしょうか。
唯々諾々と上司の命令に従って保身に走るか、敢然と自らの判断と責任のもと行動するのか。彼のようにありたいとは思いますが、決して楽な意思決定ではなさそうです。

2. 我が身を省みない恩返し
太平洋戦争が終結すると中国では国民党と共産党が内戦状態に入り、最終的に共産党が勝利を収め、蒋介石率いる国民党は台湾に追いつめられ絶体絶命の危機に陥ります。
共産党が勢いに乗る中で国民党は壊滅の危機にあったのですが、彼は中国からの撤兵時に国民党の協力があったことを忘れておらず、今こそ恩返しの時と、風前の灯であった国民党とともに戦うことを選びます。当然命を失う可能性は低くはありません。

恩返しが必要なのは誰でも知っていますし、恩人が苦しい時にこそ恩返しをしたいとは多くの人が感じることでしょう。
しかし、その時に自分にも危険が及ぶ場合、それでも恩返しできるでしょうか。
恩人の連帯保証人になれるか、その人の子を代わりに育てられるか、社会的地位を捨ててもその人のもとに駆けつけられるか。
これもまた自分がその立場になったら、と考えると簡単ではなさそうです。

3. 常識に逆らう
軍隊には鉄拳制裁がつきもの、というのはよくある話ですが、実際には将兵の士気は下がるし、組織内の調和・結束という点でも必ずしも利はないと素人ながら感じたりします。
過去の名将の例を見ても、軍の中の調和を保ち、将兵の扱いに配慮していた人物が多いのは、やはりそういう要素が軍隊の強さに影響するからだと思います(無論そうでない名将も多くいるでしょうが)。

特に旧日本軍の場合鉄拳制裁やいじめというのはよく聞く話ですが、根本中将はそのような制裁をやめさせたそうです。
陸海軍問わず鉄拳制裁はある種の慣習・常識になっていたと思いますが、それを一切排除するというのは言うは易く、行うは難きでしょう。

自分の判断に基づき断固として行動するという素晴らしい事例でした。

これらに共通しているのは、彼が自らの良心に従って行動したということだと思います。
我々は(少なくとも私は)良心を持ちながら、色んな事情でそれを後回しにしてしまうことがあるのですが、彼はそれを最優先したわけで、それこそが彼を彼たらしめたのだと思います。言い換えれば、良心に基づいて生きることこそが彼のリーダーシップだったのではないでしょうか。

私も良心に従って生きる勇気を持つことができれば彼のようなリーダーになれるかもしれない、と勇気づけられる思いです。

彼の事績は台湾の歴史を巡る複雑な経緯もあって必ずしも知られていないのが残念ですが、このような人物がいたことは誇りに思います。

ともあれ、台湾と日本を巡る深い縁やリーダーシップについて考える大変良い機会になりました。
浪人生活というのも悪くないですね(笑)

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浪人生活…

早いもので新年度が始まって半月が経ちました。
3月中には就職を決めて無職という状態は避けたかったのですが、結局まだ良いご縁がなく就職活動が続いています。
興味のあるポジションは色々あるのですが、そういうポジションは競争が激しく魅力を感じてもらうのは容易ではありません。

そうこうしているうちに正式に無職という立場になり、また留学仲間達も次々と新しい道へと進んでいく中で自分だけが取り残されている状況になってしまい、さすがに焦燥感を感じるようになってきました。

しかしながら、その中で得るものもたくさんありました。

苦しい時にこそ見えてくるのが人の親切さ
苦しい心中を慮って励ましの言葉をかけてくれたり、専門的なアドバイスを頂いたり。
残念ながら未だにその親切さに答えられていないのが心苦しいところですが、早く良いご報告をすると共に、いつか恩返しさせていただきたいと切に思います。

また色んな企業、職種・業種のポジションを検討することで新しく考えたこと、見えてきたことも多くあり、自分の視野や考え方が広がった気がします。
それに伴って希望するポジションやキャリア展望も変化があったりして、柔軟に考えることの重要性を痛感しました。
あるものを手に入れる方法は1つとは限らず、色んなやり方があるんだということに気づくと、自分の選択肢が広がり、人間としても一皮むけたような感じがします。

あとは人と違う状況に置かれてもある程度平然としていられる落ち着きも収穫です。
これまで受験のために浪人したこともなければブランクもなく、とりあえず普通のレールを歩いてきましたが、留学・浪人(無職生活)というレールを外れ、かつ先も見えないという、一般的(というと語弊があるかもしれませんが)な状況からかけ離れた状態になり、周囲からは心配されています。
確かに人と(悪い意味で)違う状況というのは不安です。回りの目も気になります。
しかし、人と違う状況にいるから見えてくるものもありますし、そういう状況になるリスクをとってこそ得られるチャンスもあると思います。
そう考えると、大事なのは人と違う状況になることを恐れたり、そうなったときに不安になることではなく、むしろそういう状況を乗り越えること、そしてそのためにある程度平然としていることなのではないかと思ったりもします。自己弁護が入ってますが(笑)

・・・と気丈に書いてみたものの、やはり早く次の進路を決めたいものです。

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惜別の時

先日卒業要件を満たして卒業が決定したのですが、今般ついに卒業式の日を迎えることになりました。
もっともオランダに行く余裕はなかったので式に参加はできませんでしたが。

卒業式はロッテルダムのWorld Trade Centerで行われました(卒業式の様子はこちら)。
式にはロッテルダム市長のほか、日本人同級生の尽力でデン・ハーグの国際司法裁判所で裁判所長をされていた小和田恒氏も講演をされたそうです。
その行動力にはいつも驚かされ、刺激を受けてきました。
他の日本人同期にも言えますが、本当にたくさん学ばせてもらいました。

その後、ガウン姿のクラスメイト一人一人卒業証書を受け取り、最後は定番ですが角帽を投げていました。

卒業式

こういうの一度やってみたかったのですが、大学卒業の時も卒業式に出ていないのでどうも縁がないようです。次は博士課程の時にでも…?

ともあれ、これで名ばかりながら正式にMBAとなりました。
学生の身分を失ったので無職ということでもありますが…(汗)

親戚や世間様に対しては少々肩身の狭い立場ではありますが、電力王・松永安左衛門翁曰く「大病・投獄・浪人こそが成功の条件」ということですので、ゆっくり考えを巡らせるいい機会と考えることにしています。

他の日本人同期はそれぞれ自分の道を歩き出していますが、自分は就職活動で一進一退しているだけで何事もなしていないことに忸怩たる思いを抱いていましたので、卒業にあたり自分で小さなプロジェクトを立ち上げて動き始めることにしました。

これから自分がどのような方向に行くのかわかりませんが、自分なりに納得のいくように時間を過ごしたいものです。

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