携帯を持った時期

携帯電話持ったの何歳から? ブログネタ:携帯電話持ったの何歳から? 参加中

私は16歳~18歳派!

初めて携帯を持ったのは大学受験の時。
さすがに遠くに子供を送り出すので心配したのでしょうか、親が持たせてくれました。
高校時代は友達とは自宅の電話で不自由なくやりとりできましたし、そもそもそんなに頻繁に友達と自宅でやりとりもしていなかったですね。
家に帰ったら一人の時間や家族との時間を大切にしていました。
結婚してみると、やはり同じように携帯電話を家庭で頻繁に使うことはないですね。
そう考えてみると、子供に携帯電話を持たせるのも、やはり親元から離れる時でいいのかな、と思います。
携帯持ったの何歳から?
  • 10歳以下
  • 11~15歳
  • 16歳~18歳
  • 19歳~20歳
  • 21歳~25歳
  • 26歳~
  • 持ってない

気になる投票結果は!?

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ハイブリッドカー

今日の英語のお題はハイブリッドカーについてでした。

環境にやさしいハイブリッドカーですが、静かすぎて、耳が不自由な人にとって危険ということで、逆に音を出す装置を付けることなどを検討中とか。

今の車のクラクションの音は殺伐としているので、かわいい音や気持ちいい音にしてほしいです。

街中がそんな音であふれたら気持ちいいと思うのですが。

私の職場の前の道路はいつもクラクションが鳴っていて心臓に悪いです。

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5年前

5年前、何してた? ブログネタ:5年前、何してた? 参加中

5年前、2004年。
何してた・・・?
ん~・・・
そのころは学生でしたが、サークルに精を出したり、いろいろ本を読んでた時期ですね。
CSR・SRIという概念を知ったのもこのころ。
あ、ゼミの教授とそりが合わずに涙した・・・
でも、他大学のゼミで今につながる人間関係を作ったり。
今の妻と知り合ったり、etc
挫折もいろいろしましたが、今の私に最も影響している年ですね。
2004年、ありがとう!!
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巨人優勝、楽天2位まであと一歩・優勝も・・・?

今日、巨人が中日との直接対決を制し、三連覇を決めたようです。

一年目に入団した坂本選手は優勝しか知らないそうで、結構プレッシャーなようです。

彼の成長の著しさには他球団ファンでも感嘆するしかないでしょう。

我らが楽天は今日は勝利し、2位ソフトバンクとのゲーム差を1に。

2位がいよいよ射程圏に入ってきました。

1位日ハムとのゲーム差は4.5。贅沢かもしれませんが、優勝の可能性もなきにしもあらず。

ここまで来たら最高の結果を期待したいものです。

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300人で160トン

今日は空の日だったらしく、成田空港では、ジェット機飛行機を綱で引くイベントがあったそうです。

全国から公募で選ばれた約300人の親子が160トンのジェット機を引いたところ、なんとゆっくり動いたそうです。

一人約500キロ?

車輪があったとはいえ、人間の力ってすごいと驚きました。

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山登りのお話

※このカテゴリでは、別途発行しているメールマガジンの内容を記載しています。

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最近、登山中の遭難の話をよく聞きます。登山は気持ちいいのでしょうが、意外に危険が伴うそうで、十分に注意しなけばいけないようです。
特にこれから紅葉シーズンを迎えるので、皆さんも十分にご注意ください。

ということで、今回は山登りの話です。

●冬のアルプス越え

1582年に織田信長が本能寺で最期を遂げると、織田家は羽柴秀吉と柴田勝家の勢力に分かれました。
柴田勝家の部下であった織田家中の名将・佐々成政は勝家に味方します。勝家の敗北後、成政は一度降伏しますが、秀吉が織田信雄(信長二男)・徳川家康と交戦すると、再び秀吉に敵対します。

しかし、秀吉は織田・徳川とも講和。成政の立場はかなり危険なものに。

なんとしてでも家康に戦ってもらわなければならない。

成政は越中(富山)、家康は浜松。周りはみな敵。しかも季節は冬。

成政は、冬のアルプス越えを決行。非常に困難で危険の伴うコースです。

しかし、成政は準備を周到に行い、その不屈の闘志を以て浜松までたどり着きます。
が、残念ながら時すでに遅し。家康が再び秀吉と戦うことはありませんでした。

その後、成政は秀吉に降伏。一命を救われ、のちに肥後に封じられますが、反乱が勃発し、1588年に責任を取って自害させられることになります。

成政のアルプス越え(さらさら越え)は現在でもルートがはっきりしないなど、ある意味人間離れしたありえない行動とも考えられていますが、このアルプス越えは史実のようです。

また、成政は徹底した秀吉嫌いとして伝わっており、もしかすると人間関係のなせる業だったのかもしれません。

●八甲田山の悲劇

1902(明治35)年、日本が列強への道を歩み始めたころ、その陰で悲惨な事件が起きていました。
新田次郎氏の小説でも知られる八甲田山の雪中行軍事件です。

日本は日清戦争に勝利し、世界の注目を集めていましたが、利権の対立するロシアとの緊張も日に日に強くなる一方。

そのロシアとは厳寒の中戦うことが予想されますが、日清戦争では寒さの中苦戦したことがあり、厳寒地における戦いに強くならなければいけない、ということで雪中行軍の訓練が行われました。

しかし、行軍一日目から遭難。前後もわからない状況になりながらも行軍の続行を決定します。
行軍二日目には行軍の撤回。しかし、このころには補給も休息もままならない状況でした。凍死者も出るし、指揮系統も働きませんでした。そのままなんとか生還の可能性を探りつつ歩き続けますが、最終的にわずかの生還者を除きほとんどが凍死。210人中11人の生還と伝わっています。

この失敗の原因としては、気象を甘く見ていた、準備不足、指揮系統の混乱などが挙げられています。

これは今でも登山で失敗する人に見られるものであり、また、そのほかの事業などでも当てはまることでもあり、現代の私たちも十分に心したいところです。

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