武田勝頼・佐久間信盛と自民党

自民党の総裁選が告示され、西村・河野・谷垣の三氏が立候補されたということですが、特に地方では盛り上がりが欠けているとの報道もあります。

もともと、野党になったということで立候補が期待されたいた人も難色を示す中、三氏にはよく起たれたと敬意を表したいところですが、敗北を喫したときにガタガタといくのは、何か武田勝頼の代で滅亡した甲斐武田家を想起させるものがあります。

信玄の時代は言うに及ばず、勝頼時代も当初はイケイケドンドンでやってきていたのですが、長篠の戦いで敗北を喫した後から家中のまとまりが悪くなり、最後には次々と勝頼を見放し、武田家は非情な最期を遂げることになります。

一方の民主党は、前回の衆院選で敗北を喫しながらも、今回再生を遂げました。

「かかれ柴田に退き佐久間、(木綿藤吉、米五郎左)」という言葉があります。

織田信長の家臣で、攻め戦に強かった柴田勝家と、撤退戦に手腕を発揮した佐久間信盛を比較した言葉です。

(後半はオールマイティな羽柴秀吉と組織になくてはならない丹羽長秀を指しています)

佐久間信盛は今でこそ他の三人に比べ知名度がない武将ですが、当時の人は敗戦処理の難しさをよく知っていたからこのような言葉ができたのでしょう。

織田軍団も多くの敗戦を喫しており、信盛のような殿軍をよく務めた武将のおかげで致命傷を負わずに勢力を拡大できた面は大きいと思います。

不幸にして佐久間信盛は晩年信長に追放され悲劇の生涯を閉じましたが、自民党の方々にはこの敗戦処理の価値を十分に認識してほしいものです。

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