グラミン銀行を知っていますか?

2006年のノーベル平和賞には、初めて民間企業が選ばれました。

グラミン銀行。バングラデシュ出身の経済学者、ムハマド・ユヌス博士(2006年ノーベル賞受賞)によって設立された、主に貧困層にターゲットを当てた銀行です。

通常、銀行との取引からは除外されることが多い貧困層に対し、小額の融資を行い、良いサイクルを作るきっかけを提供すると共に、融資対象者には五人組のようなグループを作らせ、連帯責任を求めるなどの工夫がなされています。

また、勉強会のような機会も提供し、特に貧困層の女性が希望を持って生きていけるように努力しています。

このような取り組みの結果、グラミン銀行での貸し倒れ率は非常に低いものとなっているそうです。

私が特に関心を持ったのは、銀行の取引先への関与(関心)がとても強いこと。

日本の銀行の感覚では、資金の融資と返済というドライな関係が常識だと思いますが(法人の場合はまた違うでかもしれません)、グラミン銀行では様々なことにスタッフが相談に乗っているようです。
また、前述のグループの結び付き自体も、融資対象者に勇気を与えているそうです。

いつか、自分もソーシャル・ファイナンスの世界に入ってみたいと思いますが、このような先進的かつ泥臭い取り組みは大いに勇気づけられます。

グラミン銀行を知っていますか―貧困女性の開発と自立支援/坪井 ひろみ
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立花宗茂

忠義と仁愛を旨としたサラブレッド

 立花宗茂は、大友家の勇将・高橋鎮種(のち紹運)を実父に、同じく大友家の柱石である立花道雪(戸次鑑連)を養父に持つ、いわば戦国時代のサラブレッドであった。しかし、宗茂の人生の少なくとも前半は苦労の連続であった。そのため、人のありがたさがよくわかる人格が形成されていった。

宗茂は1567年に、鎮種の長男として生まれる。器量に優れ、また嫡男でもあることから鎮種にとっても大事な後継者であったのだが、同じく大友家の重臣である立花道雪が、彼に息子がいなかったことから、娘の誾千代の婿養子にほしいと鎮種に要請した。
大事な後継者でもあることから、鎮種は最初は断っていたが、度重なる道雪の要請についに折れ、1581年、宗茂を婿養子に送り出すことになった。

渋々といったところではあろうが、送り出すにあたって鎮種は宗茂に対し、「養子になった以上は立花(戸次)の人間なのだから、高橋家と立花家が敵対することになったら、立花家の人間として戦うように」と厳命している(もっとも、その後も高橋・立花両家は盟友として戦っていくことになる)。

その後、立花家待望の婿養子、ということで甘やかされたかというとそうではなく、養子入りしても厳しく育てられたようである。

 宗茂が歴史の表舞台に立とうとした頃、すでに主家大友家は斜陽の状態にあった。大友宗麟の治世の前半は彼の優れた器量と有能な家臣たちによって大友家は積極的に勢力を拡大していった。しかし、宗麟が驕ったうえ、キリスト教に入信し家臣団に亀裂が入り、さらに中国の毛利家が九州北部に侵攻してくるようになると、次第に大友家にも陰りが現れてきた。

そして、その大友家に致命的な打撃を与えたのが1578年の耳川の戦いである。この戦いでは九州南部の島津家と北部の大友家の決戦となったわけだが、宗麟は家臣団たちの諫言も聞かずに決戦を行い、大敗北を喫し、有能な家臣たちの多くを失うこととなった。その後、大友家は南の島津家、西の竜造寺家、そして内部の反乱など多くの敵を抱えることになった。まさに、内憂外患である。宗茂はこのような状況で成人し、戦いの中でその青春期を過ごすことになってしまった。

1585年、高橋紹運とともに大友家を支えていた立花道雪が死去。この頃には竜造寺家も島津家の傘下にあり、九州統一を狙う島津家の攻勢が激しくなっていた。翌年には島津家が大友領筑前に侵攻。父の拠る岩屋城も島津軍に包囲された。宗茂は父を救援しようとするが、紹運は救援を拒否し、島津軍の降伏勧告も拒否し、30倍もの敵軍を相手に奮戦し、致命的な被害を与えた後、自害した。その後、島津軍は宗茂のいる立花城も包囲するが、なんとか死守する。
紹運・宗茂父子の他、志賀親次などの必死の抵抗により、豊臣軍の援軍まで大友家は守り抜かれ、その滅亡を避けることができた。戦後、その忠義と武勇を豊臣秀吉に賞賛されることになるが、その際に彼の性格をエピソードが残っている。

 秀吉に賞賛された宗茂は、「羽柴」の姓と従四位の位を授けられる。しかし、宗茂は官位は固辞した。主君の宗麟が従五位であったからである。主君より高い位はもらえない、ということである。宗茂の忠心が良く表れている話である。なお、宗茂とともに大友家を守り抜いた志賀親次も秀吉に賞賛されている。

 その後、豊臣政権下では秀吉に気に入られ、活躍した。朝鮮出兵にも従軍し、目覚しい活躍をする。が、秀吉が亡くなると彼の運命はまた二転三転することになる。

 彼は、大友家への忠義を見てもわかるように、恩義に忠実な人間であった。そのような彼であるから、関が原の戦いでも石田三成率いる西軍に参加する。逆にこのことからも三成の忠義もわかる。宗茂は1万5千の兵を率いて、近江大津城京極高次を攻撃し、大津城を開城させるが、高次の粘り強い抵抗により、結局関が原での戦闘には参加できず、そのまま領地に帰国することになる。

 戦後、改易された宗茂はまず熊本城加藤清正に庇護される。しかし、清正に迷惑がかかると思ったため、放浪のたびにでる。この時、家臣の多くが共に旅に出ることを希望したが、物理的な限界のために人数を絞ることになった。このあたり、主君と家臣のお互いの絆の強さが表れている。

 こうして、諸国放浪の旅に出た宗茂だが、特に何をするわけでもなかった。収入があるわけでもなく、共に放浪してきた家臣が必死に主君を養っていた。こうした中で、宗茂が家臣を気遣わないはずがない。こうして日々、苦しいながらも主従仲良く過ごしていた。そんなある日、江戸幕府の将軍・徳川秀忠から呼び出しを受ける。

 秀忠は、主従の仲睦まじいという話を聞いて、宗茂の話を聞くために呼び出したのだった。当時は戦国時代も終わって新たな秩序ができ始めた時代。戦国の弱肉強食の論理から江戸時代の忠義の論理を浸透させるために、彼の話を聞いた秀忠は、宗茂の罪を許し、5000石の旗本に取り立て、さらに奥州棚倉1万石の大名に戻した。彼の忠義を顕彰することで模範としようとしたのだった。

 彼はもともと九州柳川13万石の大名であった。しかし、不満ももらさず奥州まで行った。そのあたりも秀忠を感心させたのであろうか(ただし1万石の大名復帰でも恵まれている方である)、柳川の田中家が跡継ぎ不在で改易されると、その後釜に宗茂が返り咲いた。柳川に戻ると、領民や旧臣が彼を出迎えたという。宗茂も、長い間離れていた家臣の名を一人一人呼んだという。

 宗茂は秀忠やその子家光によく信頼され、その相談役としてよく話し相手になった。晩年には島原の乱にも出陣、昔日の勇姿を見せた。1642年死去。享年76。

 宗茂が一番苦労したのは浪人時代であり、その頃のエピソードが最も多く残っている。そのいくつかを紹介する。

 彼が放浪する時、行動を共にできなかった家臣は帰農して、その作物を送って主君を養った。共に行動した家臣も働いたり物乞いをしたりして主君をなんとか養っていた。

 そんな宗茂は、柳川に復帰したとき、屋敷を大きくすることをしなかった。できるだけ狭くして主従の距離を縮めたいということである。ここまでくると相当の主従愛である。また、宗茂は「我が家に監査役は無用」と言い切っており、このあたりも立花家の家風が表れている。

子どもの頃に、家臣同士の争いに遭遇し、周囲の人間が退避を進める中、「周りが騒ぐからかえって争いをやめにくい。主家の自分がいるから気まずくなって喧嘩も収めやすいだろう」といって、そのとおりになるなど、幼少の頃から人間愛に富んでいた。

 また、徳川家光に「もし関が原が長引いていたら祖父(家康)を討ったか」と聞かれて「もしかするとそうかもしれません」と応じ、「まことの武人である」と賞賛されている。

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文明開化と瘦我慢

幕末から明治期にかけて、欧米の知識を積極的に吸収し、日本の近代化に貢献した幕臣・政治家がいます。

榎本武揚。一般に五稜郭の戦いで知られている人物です。

幕末にオランダに留学した後、帰国後は新政府への降伏に反対し、艦船を持ちだし、一路箱館(函館)・五稜郭へ。

そこで民主的な行政(選挙の実施など)を行うものの、新政府軍に敗れ降伏、その後は新政府で北海道の開拓をはじめ、日本の近代化に貢献することになります。

榎本は幕末にオランダに長期間留学していたことから、科学や国際法など、当時の日本にかけていた知識が豊富であり、それゆえに、函館政府として(技術的な)近代外交を展開したり、いろいろな発明をしたりしています。

彼が作り上げた石鹸が資生堂の基になったとも言われています。

また、「〒」のマークも榎本が関わったそうです。

彼は語学にも通じ(フランス語が流暢)、それが各国の信頼を得る要因となったともされています。

そのように日本史上大きな軌跡を遺した榎本に言論の刺客がやってきます。

福沢諭吉の「瘦我慢の説」。これは主に勝海舟と榎本に言及されていますが、(国家という存在は本来私的なものであるが、)忠国という瘦我慢が国家の維持に資している。しかし、勝海舟や榎本はそのような瘦我慢を捨てて新生日本に協力した。彼らの功績は大きいものの、その「瘦我慢」を知らない・・・という結論です。

これに対する勝の返答は、有名な「行蔵は我に存す、毀譽は他人の主張」。

行動は自分自身に属し、評価するのは他人の自由、とでも言えるでしょうか。

ちなみに榎本は、忙しいからまたあとで、とかわしています。

この福沢評が榎本の評価を定めることになったともいわれますが、今でも賛否両論あるようです。

グローバル化が進展してきたとはいえ、まだまだ自分の知らない世界があります。

そのなかには、私たちが見習うべきもの、学ぶべきものもたくさんあることでしょう。

そんなことを考えるうちに、榎本武揚はやっぱり凄い人だったと思い返しました。

榎本武揚―幕末・明治、二度輝いた男 (PHP文庫)/満坂 太郎
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社会起業家になる方法

「未来を変える80人」では、比較的成功している世界の社会的起業家が紹介されていますが、実際日本ではどのような社会起業家が活動しているのでしょうか。

そんな疑問に答えてくれるのが本書です。

本書では、日本で活動している社会起業家が紹介されています。

本書で紹介されているのは成長途上の社会的企業で、そのため資金繰りをはじめとする苦労とそれを乗り越えようとする情熱が伝わってきます。

本書ではどちらかというと、金銭的報酬以上に自分の満足が報酬であるというスタンスの方が多かったように思います。

確かに、利益が出にくいビジネスモデルだとは思いますが、そこを何とかクリアしていけたら優秀な人材による社会的起業も増加していくのかもしれません。

また、社会的起業にどのように投資家がアクセスしていくかも重要な論点だと思います。

貯蓄から投資、と言われ投資が身近になっていくなかで、自分のお金をどのように活用していくかということを考える必要が出てくるのでしょうが、その中で社会的企業への投資が選択肢になっていってほしいと思います。

もちろん、現在でも社会的責任投資(SRI)がありますが、どうしても大企業中心になってしまいますからね。

自社のSRIファンドを否定するつもりはないですが、もっと初期段階の起業家も応援したい気がします。

ちなみに、アメリカのNPOなどではかなり高級のスタッフを抱えていることも多いようです。

無論、優秀な人材を抱え、その分資源を有効活用することができるなら合理的なのでしょう。

日本も優秀な社会起業家が受け入れられやすい懐の深い社会になってほしいです。

社会起業家になる方法/大島 七々三
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未来を変える80人

いろいろと社会問題が取り上げられている日本ですが、当然ながら世界にはそれ以上に難しい問題が山積しています。

そんなとき、やれ政府が悪い、企業が悪い、仕方がない、などという意見が出ますが、一方で社会問題を乗り越えるために、ビジネスによる継続的な取り組みを進める社会的起業家も世界には多くいます。

そんな様々な問題に取り組む世界の社会的起業家を紹介しているのが本書です。

環境問題、貧困、教育、有機農業etc多様な問題に多様なビジネスが世界中で展開されています。

彼らに共通するのは、「●●主義ではなく、実践主義だ」ということ。

いろいろな問題を火の粉のかからないところで難しい言葉を使って声高に叫ぶのは簡単ですが、大切なことは、実際に行動を起こすこと。

今の時代、政府が何でもやってくれるわけではなく、だからこそ自主的な取り組みが求められていると言えそうです。

読んでいて、この考え方に非常に強い共感を覚えました。

仕事をやっていても、やっぱり実践が一番大事だと思います。

小さいところからコツコツ取り組みを続けている数々の事例にとても勇気づけられます。

未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家/シルヴァン・ダルニル
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職業

先日、英語のレッスンで職業について話しました。

リストの中から、どんな職業が好き?と聞かれましたので、一番なりたいのは株のブローカー、その次はパイロットとヘッドハンターだと答えました。

株のブローカーについては、「今でこそその強欲(greed)について批判されているものの、社会への影響力は魅力的」と答えました。

また、パイロットについては、世界中の土地に行って見たいから、ヘッドハンターについては、経験豊かな人と話すのは自分にとっても良い糧になるからと答えました。

改めて考えてみると、ヘッドハンターというのは面白そうな職業かもしれませんね。

ちなみに、俳優やキャスターについては、人前で話すのが苦手だし、プライバシーがないのも辛いと答えました。

人前で話すと、手が震えたり声が上ずったりするんですよね。

慣れの問題かもしれませんが。

でも、今日も早口になっちゃったし・・・。

いろいろな職業について考えるのは楽しいですね。

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