ゲームの中の歴史学_軌跡シリーズを例に

ゲームの世界観の中の歴史学

歴史学を学ぶと、日常生活の中でも歴史学の存在を意識するようになりました。
そして歴史学(の魅力)をどのように多くの人に届けることができるのか、ということも。

そんなことを考えている矢先、遊んでいるテレビゲームの中でしっかり歴史学が登場していました。
日本ファルコムという老舗のゲームメーカーが出しているRPGに軌跡シリーズ(英雄伝説シリーズ)というタイトルがあるのですが、そのうちの「閃の軌跡Ⅲ」で主人公が歴史学の先生になっています。

 

 

軌跡シリーズは何作ものタイトルが同じ世界観でつながっている大河シリーズで同じ世界を複数の視点から見るようになっているのですが、そのようなシナリオの中で主人公が歴史学を教えているという設定は非常に興味深いです。

それだけでなく、軌跡シリーズの最初のタイトルである「空の軌跡(FC (1)/SC (2))」では考古学の設定が凝っていて、かつ重要人物と関係する要素の一つになっているなど軌跡シリーズにおける歴史学の位置づけはかなり大きいといえます。
人間社会を扱う大作ストーリーには歴史的な要素が必要不可欠なのかもしれません。

ちなみに軌跡シリーズと並ぶ日本ファルコムのタイトルとしてイースシリーズ(アクションRPG)がありますが、そちらでも主人公の冒険家が歴史好きでやはり歴史が重要な地位を占めます。
日本ファルコムのシナリオライターは歴史を学んでいたか相当歴史が好きなのではないかと個人的には思っています。

 

 

もっとも私がプレイしたことがあるのは『イースⅧ』とその前の『イース セルセタの樹海』くらいなのですが(汗)
先日最新作『イースⅨ』がNintendo Switchで発売されて買ってあるので、軌跡シリーズ(と歴史学の勉強)が終わったらプレイしたいと楽しみにしています。

そして、二つのタイトルをプレイしただけでもイースの中で歴史が大切に扱われているのはよくわかります。

名作として知られるイースⅧでは遺跡が重要な舞台に(『イースⅧ』©Nihon Falcom Corporation)

イースⅧはイースシリーズの中でも特に名作として知られる作品ですが、ストーリーの中では遺跡が重要な舞台になっていますし、冒険家である主人公・アドルが歴史好きということも触れられています。
冒険や歴史の話になると食いつきが非常にいいのが素晴らしい。
サブキャラクターにも古生物学(考古学は人類の歴史を対象にするので違う分野)に詳しい人物がいたりして、歴史や古生物の話がよく出てきます。

古戦場もイースシリーズではよく見かける舞台(『イース セルセタの樹海』©Nihon Falcom Corporation)

イースⅧの前のタイトルである『イース セルセタの樹海』でもやはり古戦場や遺跡などの舞台が設けられています。こちらもストーリー上歴史的なテーマがよく出てきます。
イース自体が昔の歴史を掘り出すようなコンセプトのストーリーだと思いますので、歴史と相性がいいのかもしれません。

あと歴史の話からは外れますが、日本ファルコムのゲームのBGMは非常に素晴らしいです。ゲームをしていない時でもずっと聴いていますが全然飽きません。音楽が素晴らしいだけでなく、ゲームのシナリオとしっかりかみ合ってます(むしろ音楽が先にできてシナリオが音楽に合わせることもあるらしいです)。
しかも日本ファルコムは自社の音楽の提供に寛容で「ファルコム音楽フリー宣言」という方針を公表されています。会社のプレゼンで使用したらテンション上がりまくってしまいそうです(笑)
音楽が素晴らしいのはもちろんですが、こういう自社の音楽を積極的に広げていく方針もまたすごいと思います。日本ファルコムへのインタビュー記事も公表されていますが、こちらも日本ファルコムのゲーム音楽に対する哲学がよくわかって面白いです。

なお、イースシリーズや軌跡シリーズのBGMはyoutubeやAmazon Musicにも公式のものとしてアップロードされているので自由に視聴することができます。

 

 

軌跡シリーズと歴史学

さて、冒頭に触れた通り、軌跡シリーズでは随所に歴史学との接点が現れます。
中でも一番歴史学との関係が深いと思われるのは、軌跡シリーズ3つ目のタイトル、閃の軌跡の主人公、リィン・シュバルツァー。閃の軌跡は彼の学生時代からのストーリーですが、長じて彼は歴史学の教師になります。

主人公が歴史学の教師なんて、歴史好きとしてはそれだけで胸アツです。

主人公が歴史学の先生というのがイイ!(『閃の軌跡Ⅲ』©Nihon Falcom Corporation)

ストーリーの進行具合を示す画面で主人公の身分証明書もみられるのですが、しっかり担当に歴史学と書いてあります。

他の分野が担当でもストーリーが成立しないわけではないですが、ストーリー的にも歴史学がしっくりくるのは閃の軌跡で歴史がストーリー的にも小道具的にも重視されていることを示していると思います。

主人公が歴史オタク扱いされているのもイイ!(『閃の軌跡Ⅲ』©Nihon Falcom Corporation)

ストーリーの中で博物館に行ったときには教え子からも歴史オタク呼ばわりされる始末。
歴史の先生は大体歴史オタクだと思いますが、多分に漏れずということですね。
いやいや、素晴らしい。

主人公が歴史学の授業をするのは感動!(『閃の軌跡Ⅲ』©Nihon Falcom Corporation)

主人公が歴史学の先生なので当然授業があるわけですが、ゲームの中で歴史の授業のシーンを見るのは初めてですし、ましてそれを主人公が行うというのは感動ものです。

授業以外にも教師としての活動がゲームの大きな部分を占めるのですが、教師としての姿勢や生徒たちとのコミュニケーションは見ていて楽しいです。

ちなみに主人公の授業は評価が高い(『閃の軌跡Ⅲ』©Nihon Falcom Corporation)

ちなみに主人公の授業はわかりやすいと好評のようです。
歴史の授業は暗記が多くて嫌という人もよく見かけるのですが、このようにわかりやすく丁寧な解説があれば歴史を好きになってくれる人も増えそうですね。

ちなみに奈良大学のスクリーニングでも授業や動画を見ましたが、わかりやすく、丁寧にというのは意識されているように思いました。歴史好きの生徒が多いから授業にも張り合いがあるのでしょうか。

課外活動で歴史の話をしてくれるリィン先生、イイ!!(『閃の軌跡Ⅲ』©Nihon Falcom Corporation)

閃の軌跡では課外活動が重要なパートで、閃の軌跡Ⅲでは主人公と教え子が課外活動でいろんなところを巡ります。

街にせよ、自然の中にせよ、人があるところには歴史があり、歴史があるところには痕跡があります。
逆に言うと人の活動の痕跡があれば歴史があることを裏付け、歴史があると歴史の先生からすると授業のネタになります。

課外活動自体は歴史の授業とは別なのですが、そこは歴史の先生。いろんな機会を使って歴史の話をしてくれます。
しかも教え子のほうも結構歴史に関心があるようで、先生の薫陶素晴らしきことを伺わせます。

ちなみにこのシーンは歴史学として扱うと割と玄人っぽい分野(だと思う)なのですが、それを歴史学としてシナリオライターの歴史学の造詣を感じます。

軌跡シリーズをプレイしていると歴史とストーリーがうまく組み合わさる仕掛けを感じるのですが、こういうのをきっかけに歴史が好きになってくれる人が少しでもいると軌跡ファンとしても歴史ファンとしても嬉しいものです。

軌跡シリーズでは各地の歴史が図書館などで詳細に説明される(『零の軌跡』©Nihon Falcom Corporation)

もちろんストーリーの中で歴史という題材を活かすためには設定がしっかり作りこまれている必要があります。
そして軌跡シリーズはその点ぬかりありません。

何作にもわたる大河ストーリーなので設定の蓄積が多く、しかもプレイヤーがその設定をきちんと消化するために各作品では図書館などで歴史上の出来事やそれぞれの舞台の設定を確認することができるようになっています。

ちなみに画面中の「百日戦役」という出来事はストーリー上重要なもので、内容を理解しておくとストーリーの楽しみ度合いがグッと上がるので、細かい設定や配慮は本当にありがたいものです。

軌跡シリーズの重要な舞台となるクロスベル史の説明も充実(『零の軌跡』©Nihon Falcom Corporation)

軌跡シリーズは各舞台の歴史的な経緯も重要なポイントなので、その舞台の設定と解説も非常に重要です。

軌跡シリーズの二つ目の舞台(『零の軌跡』・『碧の軌跡』)となるクロスベルは複雑な政情から特に歴史的な経緯が重要で、歴史というのが単に断絶した過去ではなく、現在とつながるものであることをよく示してくれています。

歴史は単なる過去の事象にとどまるものではない、ということは歴史学を学ぶ者として改めて考えておきたいとゲームをしながらしみじみと感じてしまいました(笑)
歴史学の勉強を後回しにしてプレイしているのは皮肉ですが。

クロスベルゆかりの歴史遺物についても考古学的に説明(『閃の軌跡Ⅲ』©Nihon Falcom Corporation)

軌跡シリーズでは各地でその土地の歴史を感じさせる考古資料に触れることができますが、クロスベルでも考古資料が登場します。
こういう設定は本当にしっかりしています。

そのうち考古資料の発掘までしそうな勢いです。
というか、自分がまだプレイしていないところでそういう設定があるかもしれません。

軌跡シリーズはミニゲームもやりこみ要素として魅力的なのですが、考古資料の発掘ミニゲームとかあっても面白そうです。

先生は身体を張って戦う(『閃の軌跡Ⅲ』©Nihon Falcom Corporation)

このように歴史好きとしては歴史という要素を重視したストーリー展開やキャラクター造形に魅力を感じる軌跡シリーズですが、壮大なストーリーやBGM以外も見どころはたくさんあります。

RPGといえば戦闘が非常に重要な要素ですが、戦闘システムも戦略的で頭を使って戦いを進めていくことが必要になります。
各キャラクター自身の能力を活かすだけでなく、キャラクター間の関係・相性や戦闘の状況を活かした戦術も鍵となってきます。

軌跡シリーズでは難易度が選べるのですが、標準的な難易度でも戦闘は結構タフなのでRPG好きな人は手ごたえを感じながらプレイできるのではないでしょうか。
BGMと相まっていい感じで楽しめること請け合いです。

歴史とは関係ないですが、ここはやはり軌跡ファンとしてアピールしておきたいところです。
戦闘システムの基本的な部分は最初の空の軌跡から同じなので、どのタイトルから始めても楽しめます。

 

ちなみに最新作『黎の軌跡』はPS4で本日(2021年9月30日)発売!!
Nintendo Switch派の私はしばらくお預けです…

 

歴史学を学ぶにあたっての目標

ここでいきなり自分語りになりますが、私が奈良大学で歴史学を学ぶ目標として、学術的な根拠に基づいて多くの人に歴史の魅力を伝えたいということがあります。
奈良大学の入学審査書類にもそのようなことを書きました。

そして、信長の野望や三國志シリーズの光栄さんや軌跡シリーズはまさに歴史・歴史学のすばらしさを自らのコンテンツに乗せて多くの人に伝えている好例だと思います。

そのような先例を一ファンとして素晴らしいなと思いつつ、いつか自分も自分なりの形で歴史・歴史学の魅力を誰かしらに伝えていきたいと思っています。
とりあえずはこのブログを通して、ということになりそうな気がしますが、他にもスキルあればなあ。

 

※イースシリーズ、軌跡シリーズの画像については著作権法の引用のルールに従い掲載しているもので、著作権は日本ファルコム株式会社にありますのでご注意ください。

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東洋史概論(1)

東洋史概論の内容

まだまだ美術史概論のレポートに苦戦していますが、ようやく軌道に乗りかかった感じなので勢いで完成させてしまいたいところです。何事も勢いは大事ですよね。

そして美術史概論にてこずっている間に1か月ほど前に提出した東洋史概論のレポートが返ってきました。
概論系では考古学概論という科目もレポートが終わって先日試験を受けたところですが、せっかくなので東洋史概論のことを先に記事にしようと思います。鉄は熱いうちに打て。

東洋史概論では東洋全体の歴史を扱うのではなく、中国史について学びます。中国一か国とはいえ中国四千年の歴史というように非常に量は多く、奥深いです。

テキストは中国の通史を学ぶにふさわしいタイトルの「概説中国史 上・下」。学習した科目で初の2冊です。

この2冊で古代から現代(習近平政権まで)を全て扱います。
中国四千年の歴史を2冊で学ぶことができるのはむしろ少ないかもしれません。
テキスト自体もわかりやすい良書だったと思います。

このテキストが優れていると感じたのは2冊でしっかりまとめられていることに加え、政治や経済、文化など多様なテーマを適切な分量で記述し、かつ相互の関係や時代間の影響についてもわかりやすく述べられていることにあります。
加えて学生用のテキストなので、最新の学説や注意すべき論点も散りばめられています。
自分で買ってきて読むような中国史の書籍には載っていない学説や視点が多く、より中国史に対する見方が深くなった気がします。

一般向けの中国史、あるいは特定の時代の歴史関係の本だと政治や武将・政治家などの人物といったテーマに偏ることもあるかと思いますし、また最新の研究結果による知識のアップデートがなされないまま古い通説が記述されているといったケースも聞きます。
もちろんこの辺は書籍によるので一概には言えませんが。

そして学生としてある分野を学ぼうと思った時、自分で良書を見つけるのは実は難しく、良書を紹介してもらえるというのも大学で学ぶ価値だということに気づかされます。
そしてこの書籍は学生用の教科書なので文字は多いし(一応必要に応じて図や系譜などは記載されています)、史記や三国志(正史・演義)のようなストーリー性もありませんが、何がどのように歴史を動かしたのか、文化がどのように形成され、また社会や歴史に影響を及ぼしたのか、などが丁寧に説明されているので中国史を概観したい方にはお勧めできる書籍だと思います。

 

価値観と政策

このテキストは多様な観点から解説がなされるので興味深いポイントはたくさんありましたが、特に印象に残ったポイントを一つ挙げると、後漢・三国時代の科学技術を説明している部分の最後の一文があります。

後漢・三国時代に限らず中国においては科学の地位が概して低く、数学、天文学、医学、薬学などあらゆる分野でギリシャやヨーロッパよりはるかに早く優れた業績を残しながら、結局はヨーロッパ近代科学に凌駕されたといわれるが、その原因はすでにこの時代に求めることができるようである。
(冨谷至・森田憲司編『概説中国史 上』昭和堂, 2016, 148頁)

本書によると、後漢・三国時代にはすでに優れた科学技術の成果が生まれていましたが、時代もその担い手も科学技術を高い地位に置かず、あくまで儒教的「徳」こそが最も重要なものであるとされていたようです。
そして科学が儒教の下に置かれるという価値観が長く維持されたことにより、最終的にはヨーロッパの近代技術に追い抜かれてしまうということになります。

私にはこの意見の是非を論ずる知見はありませんが、価値観が個々人の生き方や実績はもちろん社会のあり方や国際競争力を明確に規定するということを改めて考えさせられました。
もちろん現代社会でも国ごとに考え方や価値観が異なることは珍しくありませんが、それが直接国際競争力に影響するということを深く考えたことはなかった気がします。

しかし、現在でも日本の科学技術政策あるいは学術政策において予算があまりとられておらず研究者の海外流出や将来の国際競争力の低下を憂慮する意見があり、それはある意味で他の政策課題に対して科学技術や学術を軽視する上記の中国的な価値観といえるのかもしれません(ただし下記のデータを見ると対GDPでは日本が特に科学技術予算が少ないわけではなさそうです)。

逆に中国は近年科学技術予算を絶対額でも対GDP比でも拡大させており、科学技術を低い地位に置く伝統的な価値観を完全に払拭したように見えます。
もちろん中国の科学技術政策についてはいろんな意見がありますが、伝統的価値観との関係から見ると、中国が伝統的な儒教的価値観を乗り越え現代社会に即した新たな価値観を確立しつつあることが垣間見られ、それ自体は好ましいことだと思います(それが共産党的価値観とどのように関わっていくのかはさておき)。

ちなみに下記は文部科学省のデータで科学技術予算の国際比較を行ったものですが、中国のスケールが一目瞭然です。
予算規模だけが研究の質や実績を決めるものではないかもしれませんが、これだけ差がつくとどうやって競争していくのか、政策担当者も苦しいところでしょうね。
もっとも、改めて考えると日本と中国の長い歴史の中では中国が圧倒的に強い時代の方が長いわけで、このような課題は日本史上多くの為政者が乗り越えてきたもので改めて今突き付けられているだけといえるかもしれません。

それにしても中国史上の科学者たちはこの現状をどのように見ているのか、いろんな観点から聞いてみたいところではあります。

科学技術予算総額(OECD購買力平価換算)の推移 出所:文部科学省 科学技術・学術政策研究所、科学技術指標2020

主要国政府の科学技術予算の対GDP比率の推移 出所:文部科学省 科学技術・学術政策研究所、科学技術指標2020

 

レポート課題

概論科目も他のテキスト科目同様、テキストを読んだらまずレポートを提出します。
レポートのお題は「(テキストの時代分類に従って)各時代ごとの特徴を示す事項を1つずつ取り上げ、取り上げた理由がわかるようにその事項を説明する」というものです。
このテキストでは10の時代・時期に分けられていますので、10のテーマについて記述することになります。

私にとってこのお題はとても有意義でした。
まず、当然ながらすべての時代について触れることになるので満遍なくどの時代も頭に入れる必要があります。
私は中国史も結構好きなのですが、関心のある時代が春秋戦国時代や前漢・後漢・三国時代などで、知らない時代は本当に何も知らないなど知識にムラがありました。
しかし、レポートを書くためにはすべての時代を把握し中国史の大まかな流れを理解する必要があるため、知識のムラがある程度抑えられたように思います。

また、関心のある時代についても満遍なく知識があるのではなく政治史や活躍した人物のことだけ知っているなど縦軸・横軸ともに偏っていました。そもそも関心のある分野としては政治や経済が主で文化面への関心は薄いということもあります(だから美術史概論は苦戦中…)。
しかしこのお題には「ジャンルが偏らないようにテーマを選ぶこと」という条件があります。そのため自分が興味のある分野ばかり選んではダメで、関心の薄い分野も選ぶ必要があります。
私の場合、後漢・三国鼎立時代(科学技術の発展)と明朝の時代(民衆文化の隆盛)については文化に関するテーマを選択しました。確かにあまり知識はありませんでしたが、レポートを書くために改めて熟読すると文化も文化だけで独立するのではなく社会の出来事との間に関係があり、政治や経済といった歴史の表舞台にも影響を与えていたりもして、これまで意識しなかった文化の役割・文化の力を考えるきっかけになりました。

このように中国史を縦軸・横軸両方の観点からざっくり把握することができるようになったのはテキストとレポートのおかげであり、大変勉強になりました。

 

ここまで書いてレポートの結果を書いていないことに気づきましたが、レポートは無事合格で単位習得試験に臨むことになります。試験も無事一発合格といきたいところです。

 

中国史に関する思い出

中国史といえば、以前中国人・台湾人の友人と中国史についてコミュニケーションしたのを思い出しました。

中国史について台湾の人の食いつきがよかったのは意外といえば意外でした。
台湾には中華の物がたくさんありますが、歴史についても中国と共有しているというのは興味深かったです。
そういえば関帝廟もちらほらあったような。

ただ海外の人と中国史の人物について語り合うときは発音が課題だと思いました。
やっぱり日本人は日本語の発音で認識しているので同じ漢字であっても話題を共有するのは難しいですね。

先日もAPAC地域でミーティングをしたとき、たまたま関羽の話をしようとしたのですが、中国語の発音がわからず画面越しに関羽像を見せてわかってもらいました。
その点英語話者は中国語の認識も発音から入るので羨ましいですね(その代わり漢字がわからないでしょうけど)。

概論科目には西洋史概論というのもあるので、こちらもしっかり勉強してグローバルに歴史の話ができるようなりたいです。

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美術史概論(1)

美術史概論の内容

奈良大学のカリキュラムは必要単位数と比較すると開講科目が必ずしも多くなく、必然的に履修する科目の選択肢は限られてきます。
スクーリング科目を多く履修すると多少は選択肢が増えますが、そうすると追加の学費が必要になるので判断が難しいところです。

したがって関心の薄い科目、苦手な科目も履修せざるを得ないのですが、強制的にそのような分野を学ぶことは視野を広げることになるので、それはそれでありなのかとも思います。
私にとっては文学や美術がそれで、これまで仏像をお寺や博物館に行って何となく鑑賞することはあっても、それを深く知ろうとしたことはありませんでした。
文学についても軍記物語を除くとほとんど関心がなかったのが正直なところです。

とはいえ、特に美術については美術史概論という4単位取得できる科目があるのでともかく単位を取らなければいけません。
特に苦手なものを後回しにすると気持ちが悪いので、文学系に続いて美術史概論のに取り組むことにしました。

美術史概論では日本の仏像に焦点が当てられ、テキストも仏像の歴史について解説されたものです。
仏像史のテキストなので写真が多く、しかもカラー印刷なのでどのような仏像が作られてきたのか、どのような変遷をたどったのかということがわかりやすくなっています。

 

関心が薄い分野は苦戦する

これまでの科目は比較的頭に入ってきたので、ブログを書くのもレポートを出してからということにしていましたが、残念ながら美術史概論はなかなか進んでいません。
残念ながら、テキストを読んでいてもあまり頭に入ってこないのです。あまりに仏像の歴史に関心がないからなのか、テキストの文字が小さくて読みにくいからなのか。
テキストは悪くないと思うので多分関心が薄いからでしょう。
やはり関心が薄い分野は苦戦しますね。

こういう苦労の記録も大事なので、今回は全然学習が進まない段階で投稿してみました。細切れでも情報を出すのが大事ということもありますし。
もう2週間くらいテキストを読んでいるのですが、やっと1/4といったところです。これからレポートをまとめるとなると相当時間を要しそうで怖いです。

まあ、こういう経験・学習も視野を広めるでしょうし、今後キャリア形成や歴史学の中で苦手な分野の学習を要することもあるかもしれませんので、いい経験だとポジティブに考えていこうと思います。

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性格を変えつつあるソフトロー

変わりつつあるルールの概念

奈良大学に入学してから毎日のように歴史関係の勉強を続けていたので、つい頭が歴史学モードになって自分のアイデンティティが微妙になりますが、あくまで本業は投資運用業(アセットマネジメント)のコンプライアンスであり、それが自分の第一の専門分野であることは忘れないようにしたいと思っています。
仕事も毎日しているので忘れるわけはないのですが、ブログの記事を書こうとしてもどうしても歴史学寄りになってしまうのをいつも複雑に感じています。

もちろん仕事のことは書けないことが多いのでプライベートでの学びの方が書きやすいのですが、自分のアイデンティティや同業者とのつながりの維持という意味でもたまには金融・コンプライアンス関係のネタが欲しいところです。

そんなことを漠然と考えながらTwitterを見ているとタイムラインに英国のスチュワードシップ・コードに関するFinancial Timesの記事が流れてきました。概要としては2020年に改訂された英国のスチュワードシップ・コードについて多くの大手運用会社・機関投資家が署名者として却下されたというものです。
署名者として認められた機関投資家は下記のとおりです(ただし、このページは随時更新されると思われますので、今後内容が変更されるかもしれません)。

ここで「英国の」というのはスチュワードシップ・コードは英国を発祥として他の国でも同じコンセプトが採用されており、日本でも「日本版スチュワードシップ・コード」というものがあります。

運用会社や機関投資家は資金の出し手からお金を預かって運用する組織であり、そのお金を忠実に、思慮深く扱う責任をもっています。そのような責任を受託者責任といいます。
またそのような責任に関連して、運用会社や機関投資家が投資先企業等に働きかけるなどして企業価値を向上させることで運用資産を増やして投資家に還元する責任のことをスチュワードシップ責任といいます(日本版スチュワードシップ・コード 前文5)。

受託者責任とスチュワードシップ責任は似たような責任に思えますが、この二つには決定的な違いがあります。
それは受託者責任が法律(日本だと金融商品取引法・信託業法など)で定められた強制力のある責任であるのに対し、スチュワード責任はスチュワードシップ・コードという強制力のないルールに基づくものであるということです。

ルール、とりわけビジネスに関するルールともなると強制力があると考えがちで、実際我々の周りにあるルールは大抵は守らなければいけないもので破ると罰則があります。
それは金融業に関するルールも同じで、少し前までは金融業が守るべきルールは法律や金融当局の行政指導など強制力があるものだけだったと思います。
ルールを守ることを意味するコンプライアンス(Compliance)が「法令遵守」と訳されることが多いのもその表れかもしれません。

しかし、スチュワードシップ・コードは金融当局が運用会社や機関投資家に〇〇せよ、というものではなく、運用会社や機関投資家がスチュワードシップ・コードに沿って一定の行為を行うことを自ら宣言し、その方針に則り創意工夫を行って業務を推進していくものです(受け入れなくてもいいし、一部原則のみの実施も原則OK)。
このように、行政機関(国家)による強制ではなくプレイヤーが自らそのルールを受け入れて、そのルールに基づいて行動する仕組み(ルール)はソフトローと呼ばれます(法律のように強制力のあるルールはハードローと呼ばれます)。

最近はソフトローの導入が進み、運用会社や機関投資家の行動がソフトローの規律を受ける部分も増えているように思います。
したがって、金融事業者も法令のみを気に掛けるのではなく、自らが受け入れたソフトローもまた考慮して行動しなければなりません。「法令遵守」であったコンプライアンスもまた、「ルール遵守」と捉え方を変える必要があると思います。

 

変化するソフトローの立ち位置

横並びのソフトロー

日本ではスチュワードシップ・コードに始まり、コーポレートガバナンス・コードや顧客本位の業務運営原則といったソフトローが導入され、機関投資家や上場企業が次々と受け入れて方針を公表していきました。
(コーポレートガバナンス・コードは東証の上場規程ともリンクしているので実質的な強制力があるともいえますが)

ソフトローの本来の趣旨は、法令等で強制するのではなく受け入れを任意としつつ、各社の創意工夫で競争を促すということであると思いますが、残念ながら必ずしもそうならず、多くの会社がとりあえず受け入れながら、横並び・紋切り型の対応になってしまうとこともあったように見受けられます。

ソフトローはあくまで任意で、どのように受け入れるかも自由(Comply or Explain)ですので、必要最小限の対応だけして受け入れた体裁を整えるのも「違反」とは言えません。
また、受け入れたとして実際の業務上その方針に違反したことが例えば裁判でどのような影響を及ぼすのかも管見の限り裁判例がなく不明確です。

もちろん投資家のお客様が運用会社や機関投資家のソフトローに基づく方針や実態を細かくチェックして金融商品を選ぶのであればソフトローも有効に機能するかもしれませんが、現在はそのような感じにもなっていないと思います。
証券会社など金融商品の販売会社の場合は共通KPIがあるので比較的わかりやすいですが、運用会社には共通KPIもありませんし、数ある運用会社をチェックするのに細かくみていくと時間がかかりすぎる気もします。

そのような実態があるので、もちろん真剣に取り組んでいる会社も多いのですが、積極的に取り組んでいないけど横並びで受け入れだけしておくというケースも少なからずあったのではないかと思います。
ソフトロー自体は有意義なものですので、うまく機能する仕組みがあれば運用業界の発展にも大きく貢献することでしょう。

横並びでなくなるソフトロー

ソフトロー導入当初は横並びの感もありましたが、当然金融当局もその課題を認識しており、実効性を確保するための取組みが続けられてきました。

前述した共通KPIはその一つで、投資信託の販売会社の顧客サービスの水準を販売会社間で数値で比較できるように設定されました。
KPIにも問題があるという指摘はありますが、やはり数字は訴求力が強く顧客の関心を引くので販売会社もKPIを改善するための努力をせざるを得なくなると思います。
私自身販売会社で働いたことがないので肌感覚としてはわかりませんが、販売会社(本部・営業現場)でもそれなりに意識しているのではないでしょうか。

さらに私が注目していたのは、2021年1月に改訂された顧客本位の業務運営原則について原則に基づく具体的な方針を添えて受け入れの意向を金融庁に伝えていた会社の「多数」が受け入れ金融事業者として認められなかったということです(2021年9月3日金融庁公表資料)。

 

 

これは金融庁が顧客本位の業務運営原則の実効性を重視し、ほとんど取組みの実態がなく体裁だけ整えているとみなした場合は原則を受け入れたとは認めないということを意味していると思います。
つまり、今までは横並びの対応でも一応許容されていたものが、今後はソフトローに基づく運営について横並びの対応は認められないということになろうかと思います。
ソフトローの趣旨を考えると業界で横並びで行動を定めることもないでしょうから、必然的に各社が自分で考えて実施せざるを得ないはずです。

今回どれだけの会社がリストから漏れたのかは不明ですが金融庁が「多数」というからには相当数の会社が漏れたのだと思います。
ちなみに英国のスチュワードシップ・コードの受け入れ事業者の選定については当局も相当厳しくチェックしたようでかなりの数が選外となったとのことです。
ソフトローもしっかり取り組まないと取組み実績として認めないというのは今後世界的な潮流になっていくのかもしれません。

もちろんこのようなソフトローの動向は運用会社のコンプライアンスとしても重要な関心事です。ソフトローの受け入れ実績を維持するためには何をすればよいのか、そしてどのようなルールを各業務に適用すればよいのか、それをどのようにモニタリング・改善していけばいいのか。これを社内ルールや業務の流れに落とし込む中でコンプライアンスが果たすべき役割は大きいはずです。
そして、ソフトローの取組みは常に進化が求められることになると思いますので、コンプライアンスとしても現状維持ではなく一歩先を見た対応ができればいいと思います。実際にはなかなか難しいですが。

ちなみに2020年に改訂された英国のスチュワードシップは下記のとおりです。
P4にあるように”Apply and Explain”、つまり受け入れるからには全部対応しなければいけないし、取り組みについて説明もしなければいけません。
つまり、「できる範囲で取り組みます」といった従来の姿勢が認められないわけであり、これが今後英国の運用会社の業務にどのような影響を及ぼすのか興味深いところです。
また説明内容にも細かな定めがあり、運用会社の情報開示の水準がかなり高いレベルで確保されることが期待できます。

 

 

このように英国のスチュワードシップ・コードはその性格を大きく変えており、これを受けて日本のスチュワードシップ・コードがどのような対応をするのかについてもフォローしておきたいと思います(日本版スチュワードシップ・コードが英国の2020年版に倣うとすると実務上も大きな影響が出そうな気がします)。

いずれにせよ、金融事業者を取り巻くコンプライアンス環境はソフトローという切り口から大きな変化を迎えており、経営陣もコンプライアンス担当者もアンテナの感度を高くしておくことが大事だと記事を書きながら改めて考えました。

 

日本で一番有名なスチュワードは?

ちなみにスチュワードとは英語で「執事」の意味で、主人に仕えて荘園などの財産を管理する執事のように主人たる投資家に責任を負う、というのがスチュワード責任といえます。
ここで執事という言葉を持ってくるのが英国らしい、ともいえるでしょうか。日本だとそういう言葉は使わなさそうですが、あえて言うなら番頭なのでしょうか。日本で一番有名な執事となると高師直が出てきますしね(笑)。

足利尊氏像と伝えられてきた騎馬武者像。最近は高師直との説も有力。

 

いや、若い人なら『ハヤテのごとく!』の綾崎ハヤテか、と思ったら『ハヤテのごとく!』もかなり前に始まった作品なので読者は意外にシニアかも…。
他の執事系作品を知らない時点で若くないことを感じます…(涙)

 

 

自分が年を取っているという事実を改めて認識して辛い…。

 

【追記】
ブログ記事を書いていると新聞記事にリンクを設定したいときがあるのですが、一方で特に新聞記事はリンクについての制限も厳しいことがあるようです。
リンクと著作権についてはいくつか裁判例はあるようなのですが、あまり「リンクは基本的に著作権法上問題ない」と言い切っている記事を見かけず、ブログでの新聞記事の紹介を躊躇してしまいます(下記サイトでは原則問題ないとしていますが)。
今回もそのような理由でFinancial Timesの記事へのリンクは控えています。

ブログ記事を書いたり創作物を作成したりする人は著作権の扱いに敏感だと思いますが、日本の著作権法は著作物の扱いに厳格で柔軟性に欠けると思うことが少なからずあります。
素人なので深入りは控えますが、米国の「フェアユース」のような整理の仕方があると著作物の使用者側としてはありがたいですね。

※本サイトに記載されている内容のうち意見に関するものは全て私の私見であり、所属する組織等とは一切関係なく、誤りについてはすべて私の責任に帰するものです。

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奈良大学通信教育部交流会

同窓生との交流は学生の醍醐味?

奈良大学では歴史学を中心に学んでいますが、基本的には自分でテキストを読んで学習する形式なので、ほとんど一人で完結してしまいます。
しかし、大学生であればやはり学友との交流をしたいところですし、歴史学という日常生活や職場で語り合う相手が少ないテーマであればなおのことです。
歴史上の人物や出来事といった「歴史好き」が好きな内容であればまだ話す相手は探せますが、歴史を学問として学ぶことについてや各科目の気になることを話すとなるとやはり同じカリキュラムで歴史学を学んでいる人と話したいものです。

それに、やはり卒業式の時に学友が集まって卒業を喜び合う姿っていいと思います。
私は今まで3回大学(院)を出ていますが卒業式に出たことはなく、一人で卒業を味わってばかりでした。
ということで、奈良大学では学友と一緒に卒業式を迎えたいと願っています。

もっとも、卒業式で喜び合うにはそもそも学友たちと仲がいい必要があります。
交流がないと結局知らない人の中に一人いるのと変わらないので。
実際、人見知りしがちなので立食パーティーとかいくとよくあるパターンです(汗)
そのため、卒業式までには学友とある程度交流しておかなければいけません。

本来であれば皆さんスクーリングで奈良にある大学のキャンパスに集まって同じ授業をとってその中で交流ができるのですが、コロナ禍でスクーリングが在宅になっているため対面での交流ができなくなっています。
それでは仮に卒業式が実地でもぼっち卒業式になりかねません。

まだ先の卒業式のことは別にしても、やはり同じ関心と志をもって集まっているのですから学生らしく語り合いたいというのはありますし、おそらくそれは他の在校生も同じだと思います。
ただ、そういうのは誰かが動かないと進まないものでもあります。

ということで、有志を募ってオンライン交流会をすることにしました。

 

若者もすなるオンライン交流会といふものを

こういう時、オンライン会議システムは便利です。最近では仕事で使っている人も多いですし、スクーリングでもZOOMが使用されているので皆さんトラブルもなく参加できていました。

交流会はこの前開いたのですが、実は2回目で一度目は7月に開催していました。
この時に記事にしようとしていたのですが延び延びになってしまいました。

一度目は数名でしたが、今回はリピーター含めなんと10名以上の方に参加いただきました。
土日のお昼の時間帯という参加しやすい時間にしたこともありますが、やはり学友と話したいという方が多かったのでしょう。
主催者冥利に尽きますね。

お昼の時間なのでランチを兼ねて、という形で企画していましたが、堂々ともぐもぐしていたのは私含めて2,3人程度だった気がします。
やはりオンラインだと大勢の前でもぐもぐするのに抵抗する方も多いのでしょうか。
私は食べるだけでなくビールのロング缶ぐびぐびしてましたけど(笑)

話題の中心はやはり履修科目と卒業論文。
科目ごとに学習の進め方や抑えておくべき点、難易度が異なるようで、どの科目から手を付けるべきか、〇〇の科目はどのように学習すればいいのか、などについて先輩方からのアドバイスが多くありました。
前回も今回も史料学概論という科目は強くお勧めされましたが、歴史学を学ぶ以上は史料の見方や扱いについても多少は知っておきたいので、この科目は是非勉強したいと思いました。

また、スクーリング科目のうち必修科目は同じ科目を複数の先生が担当されて、そのうち一つを選択して履修することになるのですが、スクーリング科目の選び方についてもアドバイスがありました。その話を聞いて選択を予定していたものを変更することを検討しており、聞いてよかったと思いました。
スクーリングは在宅でも追加でお金がかかるため、より自分に合ったものを選択したいですし。

卒業論文についても留意点について示唆を得ました。
レベル感についていうと、学部の卒業論文とはいえやはり新規性が求められ、既存の研究のパッチワークでは卒論と認められないようです。「論文」である以上、他人の意見ではなく自分の意見を述べなければいけないということでしょう。

新規性が必要ということは研究が進んでいるテーマを選ぶのは難しく、また大きなテーマも手に余ることになるので、あまり研究者が注目しないもの(特定の文化財や場所など)を選ぶのがよさそうです。
例えば城といっても研究が進んでいる小田原城と知名度が低い城では研究の蓄積が全然違いますし、城というテーマでもいろんな切り口があるはずなので、その点でも戦略が必要です。
改めて考えてみると新規性や学生という立場(=プロに比べて蓄積が少ない)という点では博士論文も卒業論文も変わらず、とるべき戦略もおのずと似たものになりそうです。ちなみに修士の人も同じことを言われていましたので学位論文は皆同じかもしれません。

そして卒業論文は結構負荷が大きいようで、さらに奈良大学での学習の集大成でもあるので皆さんすごく時間をかけているようでした。
中には卒業論文を書くために奈良大学に入ったとおっしゃる方もいましたが、卒業論文は自分の好きなテーマで書くもので、形にも残るので卒業論文こそ奈良大学での学習の目的というのはよくわかりますし、同じ感覚です。
論文はある意味で「わが子」みたいな感じさえします。

私も卒業論文を書くのを楽しみにしているので、卒業論文の話を聞いてすごくモチベーションが上がりました。
ただ、4年次の卒業論文作成のスケジュールは結構タイトな感じがあり、今年度中にある程度テーマを固めておく必要があると感じました。
先日のスクーリングでは後北条氏(の民政)を文化財絡みで考察するのは難しそうな感じがしましたが、悩みどころではあります。悩むのも楽しいですけどね。

このように、履修科目に卒論にといろんな話で盛り上がったのでよかったです。
気が付いたら3時間にもなってました。やっぱり話すのは楽しいってことですね。

ちなみに奈良大学の卒業生・在校生にはブログを書かれている方も多くいらっしゃるのですが、その一人の瓊花さんも前回・今回と参加いただきました。
交流会の様子もブログに書いていただきました。ありがとうございます。

 

 

私がブログを書く目的の一つに同じ関心を持つ人とつながるきっかけにしたい、ということがありますが、歴史学についても関心がある人がこのブログを読んで交流を持つきっかけになってくれればうれしいです。
(仕事(アセットマネジメント)関係の記事では比較的そういう機会がありました)

ともあれ、交流会は2回とも楽しかったので、また機会があれば開催したいと思います。

カテゴリー: 奈良大学通信教育部 | 2件のコメント

退職時の悩みはみんな同じ?

退職時に一番きついこと

退職時の最大のハードルは初動にあり!?

私が社会人になりたてのころは(私の周りでは)転職することは一般的ではなく、家族をはじめ周りのほとんどの人が同じ会社で勤務していましたが、最近は退職・転職が以前よりは一般的になっているのではないかと思います。

それを雇用の流動性とポジティブに捉えるべきか、雇用・労働環境の悪化と捉えるべきかはさておき、転職というカードは労働者が持っておくべきカードだと思います。
選択肢を持っている人は強いですから。

かくいう私も結構な回数の退職・転職を経験していますので、転職することのメリット・デメリットについては理解しているつもりです。
そして、退職に伴う大変さも。

退職をするとき、基本的にはまず直属の上席に伝えるのがマナーです。同僚、上司の上司など第三者に先に伝えるのはマナー違反で後々面倒になります。
そして、この上司に退職の意思を伝えるというのが最初かつ最大のハードルだと思います。

上司との関係が良好な場合、当然自分にも後ろめたい気持ちがありますし、上司が嫌な思いをすることもわかるので、非常に気が重いです。いい上司ならこちらの気持ちを汲んで気持ちよく送り出してくれる、と信じたいところですが、それはそれでやはり辛いものです。

上司との関係がよくない場合、これで縁が切れるぞ、とテンションが上がるかもしれませんが、切り出した瞬間の反応を想像すると恐ろしいものがあります。怖い上司ならなおさらでしょう。一時の我慢と思うしかありませんが、まあ憂鬱です。

よほど図太い人はわかりませんが、多くの人はまず上司に伝えるというステップが厳しく感じるのではないでしょうか。私もそう思います。これができたら転職のハードルはほとんどなくなったも同然です。

米国では日本より転職が一般的だと思うのでこういう心理的なハードルは低いのだと思いきや、やはり上司に伝えるのは気を遣うようです。
転職に関するテーマは米国でも関心が高く、Harvard Business Reviewでもたびたび取り上げられているようで、たまたま見かけた下記の記事でも転職時に気を付けることが述べられていました。

曰く、まず退職の意思は上司に伝えよ、転職の理由が上司にあってもそれを言う必要はなくキャリアゴールが変わったなどというべき(特に米国は転職先から元の勤務先へのリファレンスチェックの可能性があるため)、転職するならなるべく早く伝えるべき(会社の対応、円滑な引継ぎ、本人の心理的なプレッシャーの軽減などのため)、とのこと。
気をつけることは日本と変わらないものだということにかえって関心を持ちました。

上司に退職の意思を伝えるときの心持ち

しかし、改めて読むとこの記事は肝心なことに触れていないように思います。
すなわち、「上司に伝えるのにどのような心持でいればよいか」ということ。
上司に早く伝えたいのは誰だって同じですが、それが嫌だから困るので。
これに正解はないと思います。よほど会社・上司が自分のことをやめさせたいとかでなければ上司にとってはメンバーが一人減るのは面倒事なはずなので。

私の経験からアドバイスをするとしたら、初動は無理やり自分の背中を押す、ということでしょうか。
一瞬だけ理性を吹っ飛ばして上司に声をかける、あるいはメールの送信ボタンを押す。
声をかけてしまったら「何でもありません」とはいえないので、「ご相談したいことがあるのですが」と声が出ると思います。メールも同様。

一度そのように動いてしまえば、後は勝手に状況が動きます。
上司を個室に呼び出せば上司も察するでしょうし、個室で上司と相対すればこちらも退職のことを切り出さざるを得ません。
初動のときに一瞬だけ理性を吹っ飛ばして上司に声をかければ終わりなのです。

ちなみに理性を吹っ飛ばすというのは「勇気を出す」というのとは違う感覚です。
勇気を出すというのはドキドキしながら声をかけるイメージですが、理性を吹っ飛ばして話しかけるというのはその一瞬だけはノーガードで後のことを何も考えずに行動する感じです。
何も考えないとその一瞬はストレスがないので、後回しになりにくいと思います。

罪悪感を小さくすれば話は進めやすい

退職の意思を伝えるのが辛い理由には罪悪感というのも大きいと思います。忙しい職場であれば自分が抜けた後に上司や同僚が苦労するのが想像できますし、関係者への引継ぎなども余分な負担になります。
自分が退職しなければ…と考えるのは責任感がある人なら当然でしょう。

とはいえ、退職・転職を決めた以上そんなことを考えても仕方がありません。
ただ、罪悪感を小さくすることは退職の意思を上司に伝える際の心理的な負担の軽減につながると思います。

私は上司に退職の意思を伝えるときには、転職先に迷惑をかけない限り会社の要請をすべて受け入れるつもりでいました。
メンバーの負担軽減のために極力業務をしてほしいということであれば有給休暇の消化は控えましたし、引継ぎも最大限丁寧に行ったつもりです。

退職の前にはできるだけ有給休暇を消化してしまいたいというのが人の性かもしれませんが、自分の希望を前面に押し出すと上司やメンバーとの関係がこじれ、最悪の場合転職先に自分の悪い評判が伝わってしまうかもしれません。

したがって、上記の記事にもありますが円滑な引継ぎのために最大限協力するという姿勢を伝えるのが円滑な話し合いにつながりますし、上司に切り出す際の安心感(あるいは自分は悪くないという自信)も得られるのではないでしょうか。

逆に言えば、退職する意思があるのであれば計画的に有給休暇を消化していくべきともいえるかもしれません。状況が許せば、ですが。
かといって有給休暇をちょくちょく取得している人を疑わないように(笑)

 

真摯に、丁寧に、かつドライに

上司に退職の意思を伝えたら後は引継ぎをするだけです。
退職日が決まっていれば最終出社日はほぼ自動的に決まるので、逆算で引継ぎスケジュールができれば後はそれに沿って動けば問題はないと思います。

ただ、時々退職して次の会社で働き始めてからも前の会社の仕事をさせられているという話を聞きます。
雇用関係もない状況で業務を行うのは本人にとっても会社にとっても大きなリスクがあると思うのですが、お構いなしな会社もあるのでしょう。
転職する側もすがられたら嫌とは言えないこともあるのかもしれません。

これも日本らしいなあと思いきや、実は海外でもある話のようです。
再びHBRから。

海外でも罪悪感が仇となってズルズルと前の会社の仕事を引きずってしまうことがあるようです。やはり罪悪感は危ないですね。

もちろん引継ぎ時に漏れなく自分の作業やノウハウ(ファイルの保存先や関係者の連絡先など)を伝えることは難しいので、一定期間は前職からの問い合わせに対応する必要はあると思います。
私の場合もそういう経験はありましたし、記事中にもあるようにそれは一般的だと思います。

しかし、これが長期間にわたったり、依頼内容が業務そのものになってくるとそれは異常事態と言わざるを得ません。
給料が出るわけでもないのに時間を割いたり責任を負うことは自分だけでなく転職先の会社にとっても問題がある行為です。

まともな会社だとこういうことはないと思うのですが、引継ぎをする際には記事にもあるように極力文書化することと期限を設定することは留意すべきだと思います。
期限を明示することは難しいですが、文書化は自分でできるのでこちらは力を入れるべきだと思います。文書化すればマニュアルにもなって喜ばれるでしょうし。

で、常識的な期間を超えても作業を依頼してこられたらドライに「十分に引き継ぎ対応をしましたし、もう現在の勤務先での業務に集中したいので連絡しないでください」と伝えた方がいいのでしょう。
引き継ぎの記録があれば変な脅しや風評にも対応できるでしょうし。
というか、そういう非常識な会社とはさっさと縁を切るべきだと思います。

ということで、結論としては退職時のストレスを極力減らすには、次のアドバイスを送りたいと思います。
一瞬だけ理性を吹っ飛ばす
極力現職に協力的な姿勢を示して罪悪感を小さくする
最大限の協力をしても依存してくる(利用しようとしてくる)ならドライに切る

 

退職・転職を経験した人ならわかると思いますが、最終出社日に退社するときの空はとても明るいです。夕方でも夜でも明るいです。
苦しい状況において退職が常にベストな選択肢とはいいませんが、退職すべき時に退職のプロセスを終えると非常にポジティブな気持ちになります。
退職を明るい未来につなげたいと思う方にこのアドバイスが少しでも役に立てば幸いです。

あ、こんな記事を書いているからといって私が今退職を考えているとかではないですからね!

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