美術史概論(1)

美術史概論の内容

奈良大学のカリキュラムは必要単位数と比較すると開講科目が必ずしも多くなく、必然的に履修する科目の選択肢は限られてきます。
スクーリング科目を多く履修すると多少は選択肢が増えますが、そうすると追加の学費が必要になるので判断が難しいところです。

したがって関心の薄い科目、苦手な科目も履修せざるを得ないのですが、強制的にそのような分野を学ぶことは視野を広げることになるので、それはそれでありなのかとも思います。
私にとっては文学や美術がそれで、これまで仏像をお寺や博物館に行って何となく鑑賞することはあっても、それを深く知ろうとしたことはありませんでした。
文学についても軍記物語を除くとほとんど関心がなかったのが正直なところです。

とはいえ、特に美術については美術史概論という4単位取得できる科目があるのでともかく単位を取らなければいけません。
特に苦手なものを後回しにすると気持ちが悪いので、文学系に続いて美術史概論のに取り組むことにしました。

美術史概論では日本の仏像に焦点が当てられ、テキストも仏像の歴史について解説されたものです。
仏像史のテキストなので写真が多く、しかもカラー印刷なのでどのような仏像が作られてきたのか、どのような変遷をたどったのかということがわかりやすくなっています。

 

関心が薄い分野は苦戦する

これまでの科目は比較的頭に入ってきたので、ブログを書くのもレポートを出してからということにしていましたが、残念ながら美術史概論はなかなか進んでいません。
残念ながら、テキストを読んでいてもあまり頭に入ってこないのです。あまりに仏像の歴史に関心がないからなのか、テキストの文字が小さくて読みにくいからなのか。
テキストは悪くないと思うので多分関心が薄いからでしょう。
やはり関心が薄い分野は苦戦しますね。

こういう苦労の記録も大事なので、今回は全然学習が進まない段階で投稿してみました。細切れでも情報を出すのが大事ということもありますし。
もう2週間くらいテキストを読んでいるのですが、やっと1/4といったところです。これからレポートをまとめるとなると相当時間を要しそうで怖いです。

まあ、こういう経験・学習も視野を広めるでしょうし、今後キャリア形成や歴史学の中で苦手な分野の学習を要することもあるかもしれませんので、いい経験だとポジティブに考えていこうと思います。

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性格を変えつつあるソフトロー

変わりつつあるルールの概念

奈良大学に入学してから毎日のように歴史関係の勉強を続けていたので、つい頭が歴史学モードになって自分のアイデンティティが微妙になりますが、あくまで本業は投資運用業(アセットマネジメント)のコンプライアンスであり、それが自分の第一の専門分野であることは忘れないようにしたいと思っています。
仕事も毎日しているので忘れるわけはないのですが、ブログの記事を書こうとしてもどうしても歴史学寄りになってしまうのをいつも複雑に感じています。

もちろん仕事のことは書けないことが多いのでプライベートでの学びの方が書きやすいのですが、自分のアイデンティティや同業者とのつながりの維持という意味でもたまには金融・コンプライアンス関係のネタが欲しいところです。

そんなことを漠然と考えながらTwitterを見ているとタイムラインに英国のスチュワードシップ・コードに関するFinancial Timesの記事が流れてきました。概要としては2020年に改訂された英国のスチュワードシップ・コードについて多くの大手運用会社・機関投資家が署名者として却下されたというものです。
署名者として認められた機関投資家は下記のとおりです(ただし、このページは随時更新されると思われますので、今後内容が変更されるかもしれません)。

ここで「英国の」というのはスチュワードシップ・コードは英国を発祥として他の国でも同じコンセプトが採用されており、日本でも「日本版スチュワードシップ・コード」というものがあります。

運用会社や機関投資家は資金の出し手からお金を預かって運用する組織であり、そのお金を忠実に、思慮深く扱う責任をもっています。そのような責任を受託者責任といいます。
またそのような責任に関連して、運用会社や機関投資家が投資先企業等に働きかけるなどして企業価値を向上させることで運用資産を増やして投資家に還元する責任のことをスチュワードシップ責任といいます(日本版スチュワードシップ・コード 前文5)。

受託者責任とスチュワードシップ責任は似たような責任に思えますが、この二つには決定的な違いがあります。
それは受託者責任が法律(日本だと金融商品取引法・信託業法など)で定められた強制力のある責任であるのに対し、スチュワード責任はスチュワードシップ・コードという強制力のないルールに基づくものであるということです。

ルール、とりわけビジネスに関するルールともなると強制力があると考えがちで、実際我々の周りにあるルールは大抵は守らなければいけないもので破ると罰則があります。
それは金融業に関するルールも同じで、少し前までは金融業が守るべきルールは法律や金融当局の行政指導など強制力があるものだけだったと思います。
ルールを守ることを意味するコンプライアンス(Compliance)が「法令遵守」と訳されることが多いのもその表れかもしれません。

しかし、スチュワードシップ・コードは金融当局が運用会社や機関投資家に〇〇せよ、というものではなく、運用会社や機関投資家がスチュワードシップ・コードに沿って一定の行為を行うことを自ら宣言し、その方針に則り創意工夫を行って業務を推進していくものです(受け入れなくてもいいし、一部原則のみの実施も原則OK)。
このように、行政機関(国家)による強制ではなくプレイヤーが自らそのルールを受け入れて、そのルールに基づいて行動する仕組み(ルール)はソフトローと呼ばれます(法律のように強制力のあるルールはハードローと呼ばれます)。

最近はソフトローの導入が進み、運用会社や機関投資家の行動がソフトローの規律を受ける部分も増えているように思います。
したがって、金融事業者も法令のみを気に掛けるのではなく、自らが受け入れたソフトローもまた考慮して行動しなければなりません。「法令遵守」であったコンプライアンスもまた、「ルール遵守」と捉え方を変える必要があると思います。

 

変化するソフトローの立ち位置

横並びのソフトロー

日本ではスチュワードシップ・コードに始まり、コーポレートガバナンス・コードや顧客本位の業務運営原則といったソフトローが導入され、機関投資家や上場企業が次々と受け入れて方針を公表していきました。
(コーポレートガバナンス・コードは東証の上場規程ともリンクしているので実質的な強制力があるともいえますが)

ソフトローの本来の趣旨は、法令等で強制するのではなく受け入れを任意としつつ、各社の創意工夫で競争を促すということであると思いますが、残念ながら必ずしもそうならず、多くの会社がとりあえず受け入れながら、横並び・紋切り型の対応になってしまうとこともあったように見受けられます。

ソフトローはあくまで任意で、どのように受け入れるかも自由(Comply or Explain)ですので、必要最小限の対応だけして受け入れた体裁を整えるのも「違反」とは言えません。
また、受け入れたとして実際の業務上その方針に違反したことが例えば裁判でどのような影響を及ぼすのかも管見の限り裁判例がなく不明確です。

もちろん投資家のお客様が運用会社や機関投資家のソフトローに基づく方針や実態を細かくチェックして金融商品を選ぶのであればソフトローも有効に機能するかもしれませんが、現在はそのような感じにもなっていないと思います。
証券会社など金融商品の販売会社の場合は共通KPIがあるので比較的わかりやすいですが、運用会社には共通KPIもありませんし、数ある運用会社をチェックするのに細かくみていくと時間がかかりすぎる気もします。

そのような実態があるので、もちろん真剣に取り組んでいる会社も多いのですが、積極的に取り組んでいないけど横並びで受け入れだけしておくというケースも少なからずあったのではないかと思います。
ソフトロー自体は有意義なものですので、うまく機能する仕組みがあれば運用業界の発展にも大きく貢献することでしょう。

横並びでなくなるソフトロー

ソフトロー導入当初は横並びの感もありましたが、当然金融当局もその課題を認識しており、実効性を確保するための取組みが続けられてきました。

前述した共通KPIはその一つで、投資信託の販売会社の顧客サービスの水準を販売会社間で数値で比較できるように設定されました。
KPIにも問題があるという指摘はありますが、やはり数字は訴求力が強く顧客の関心を引くので販売会社もKPIを改善するための努力をせざるを得なくなると思います。
私自身販売会社で働いたことがないので肌感覚としてはわかりませんが、販売会社(本部・営業現場)でもそれなりに意識しているのではないでしょうか。

さらに私が注目していたのは、2021年1月に改訂された顧客本位の業務運営原則について原則に基づく具体的な方針を添えて受け入れの意向を金融庁に伝えていた会社の「多数」が受け入れ金融事業者として認められなかったということです(2021年9月3日金融庁公表資料)。

 

 

これは金融庁が顧客本位の業務運営原則の実効性を重視し、ほとんど取組みの実態がなく体裁だけ整えているとみなした場合は原則を受け入れたとは認めないということを意味していると思います。
つまり、今までは横並びの対応でも一応許容されていたものが、今後はソフトローに基づく運営について横並びの対応は認められないということになろうかと思います。
ソフトローの趣旨を考えると業界で横並びで行動を定めることもないでしょうから、必然的に各社が自分で考えて実施せざるを得ないはずです。

今回どれだけの会社がリストから漏れたのかは不明ですが金融庁が「多数」というからには相当数の会社が漏れたのだと思います。
ちなみに英国のスチュワードシップ・コードの受け入れ事業者の選定については当局も相当厳しくチェックしたようでかなりの数が選外となったとのことです。
ソフトローもしっかり取り組まないと取組み実績として認めないというのは今後世界的な潮流になっていくのかもしれません。

もちろんこのようなソフトローの動向は運用会社のコンプライアンスとしても重要な関心事です。ソフトローの受け入れ実績を維持するためには何をすればよいのか、そしてどのようなルールを各業務に適用すればよいのか、それをどのようにモニタリング・改善していけばいいのか。これを社内ルールや業務の流れに落とし込む中でコンプライアンスが果たすべき役割は大きいはずです。
そして、ソフトローの取組みは常に進化が求められることになると思いますので、コンプライアンスとしても現状維持ではなく一歩先を見た対応ができればいいと思います。実際にはなかなか難しいですが。

ちなみに2020年に改訂された英国のスチュワードシップは下記のとおりです。
P4にあるように”Apply and Explain”、つまり受け入れるからには全部対応しなければいけないし、取り組みについて説明もしなければいけません。
つまり、「できる範囲で取り組みます」といった従来の姿勢が認められないわけであり、これが今後英国の運用会社の業務にどのような影響を及ぼすのか興味深いところです。
また説明内容にも細かな定めがあり、運用会社の情報開示の水準がかなり高いレベルで確保されることが期待できます。

 

 

このように英国のスチュワードシップ・コードはその性格を大きく変えており、これを受けて日本のスチュワードシップ・コードがどのような対応をするのかについてもフォローしておきたいと思います(日本版スチュワードシップ・コードが英国の2020年版に倣うとすると実務上も大きな影響が出そうな気がします)。

いずれにせよ、金融事業者を取り巻くコンプライアンス環境はソフトローという切り口から大きな変化を迎えており、経営陣もコンプライアンス担当者もアンテナの感度を高くしておくことが大事だと記事を書きながら改めて考えました。

 

日本で一番有名なスチュワードは?

ちなみにスチュワードとは英語で「執事」の意味で、主人に仕えて荘園などの財産を管理する執事のように主人たる投資家に責任を負う、というのがスチュワード責任といえます。
ここで執事という言葉を持ってくるのが英国らしい、ともいえるでしょうか。日本だとそういう言葉は使わなさそうですが、あえて言うなら番頭なのでしょうか。日本で一番有名な執事となると高師直が出てきますしね(笑)。

足利尊氏像と伝えられてきた騎馬武者像。最近は高師直との説も有力。

 

いや、若い人なら『ハヤテのごとく!』の綾崎ハヤテか、と思ったら『ハヤテのごとく!』もかなり前に始まった作品なので読者は意外にシニアかも…。
他の執事系作品を知らない時点で若くないことを感じます…(涙)

 

 

自分が年を取っているという事実を改めて認識して辛い…。

 

【追記】
ブログ記事を書いていると新聞記事にリンクを設定したいときがあるのですが、一方で特に新聞記事はリンクについての制限も厳しいことがあるようです。
リンクと著作権についてはいくつか裁判例はあるようなのですが、あまり「リンクは基本的に著作権法上問題ない」と言い切っている記事を見かけず、ブログでの新聞記事の紹介を躊躇してしまいます(下記サイトでは原則問題ないとしていますが)。
今回もそのような理由でFinancial Timesの記事へのリンクは控えています。

ブログ記事を書いたり創作物を作成したりする人は著作権の扱いに敏感だと思いますが、日本の著作権法は著作物の扱いに厳格で柔軟性に欠けると思うことが少なからずあります。
素人なので深入りは控えますが、米国の「フェアユース」のような整理の仕方があると著作物の使用者側としてはありがたいですね。

※本サイトに記載されている内容のうち意見に関するものは全て私の私見であり、所属する組織等とは一切関係なく、誤りについてはすべて私の責任に帰するものです。

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奈良大学通信教育部交流会

同窓生との交流は学生の醍醐味?

奈良大学では歴史学を中心に学んでいますが、基本的には自分でテキストを読んで学習する形式なので、ほとんど一人で完結してしまいます。
しかし、大学生であればやはり学友との交流をしたいところですし、歴史学という日常生活や職場で語り合う相手が少ないテーマであればなおのことです。
歴史上の人物や出来事といった「歴史好き」が好きな内容であればまだ話す相手は探せますが、歴史を学問として学ぶことについてや各科目の気になることを話すとなるとやはり同じカリキュラムで歴史学を学んでいる人と話したいものです。

それに、やはり卒業式の時に学友が集まって卒業を喜び合う姿っていいと思います。
私は今まで3回大学(院)を出ていますが卒業式に出たことはなく、一人で卒業を味わってばかりでした。
ということで、奈良大学では学友と一緒に卒業式を迎えたいと願っています。

もっとも、卒業式で喜び合うにはそもそも学友たちと仲がいい必要があります。
交流がないと結局知らない人の中に一人いるのと変わらないので。
実際、人見知りしがちなので立食パーティーとかいくとよくあるパターンです(汗)
そのため、卒業式までには学友とある程度交流しておかなければいけません。

本来であれば皆さんスクーリングで奈良にある大学のキャンパスに集まって同じ授業をとってその中で交流ができるのですが、コロナ禍でスクーリングが在宅になっているため対面での交流ができなくなっています。
それでは仮に卒業式が実地でもぼっち卒業式になりかねません。

まだ先の卒業式のことは別にしても、やはり同じ関心と志をもって集まっているのですから学生らしく語り合いたいというのはありますし、おそらくそれは他の在校生も同じだと思います。
ただ、そういうのは誰かが動かないと進まないものでもあります。

ということで、有志を募ってオンライン交流会をすることにしました。

 

若者もすなるオンライン交流会といふものを

こういう時、オンライン会議システムは便利です。最近では仕事で使っている人も多いですし、スクーリングでもZOOMが使用されているので皆さんトラブルもなく参加できていました。

交流会はこの前開いたのですが、実は2回目で一度目は7月に開催していました。
この時に記事にしようとしていたのですが延び延びになってしまいました。

一度目は数名でしたが、今回はリピーター含めなんと10名以上の方に参加いただきました。
土日のお昼の時間帯という参加しやすい時間にしたこともありますが、やはり学友と話したいという方が多かったのでしょう。
主催者冥利に尽きますね。

お昼の時間なのでランチを兼ねて、という形で企画していましたが、堂々ともぐもぐしていたのは私含めて2,3人程度だった気がします。
やはりオンラインだと大勢の前でもぐもぐするのに抵抗する方も多いのでしょうか。
私は食べるだけでなくビールのロング缶ぐびぐびしてましたけど(笑)

話題の中心はやはり履修科目と卒業論文。
科目ごとに学習の進め方や抑えておくべき点、難易度が異なるようで、どの科目から手を付けるべきか、〇〇の科目はどのように学習すればいいのか、などについて先輩方からのアドバイスが多くありました。
前回も今回も史料学概論という科目は強くお勧めされましたが、歴史学を学ぶ以上は史料の見方や扱いについても多少は知っておきたいので、この科目は是非勉強したいと思いました。

また、スクーリング科目のうち必修科目は同じ科目を複数の先生が担当されて、そのうち一つを選択して履修することになるのですが、スクーリング科目の選び方についてもアドバイスがありました。その話を聞いて選択を予定していたものを変更することを検討しており、聞いてよかったと思いました。
スクーリングは在宅でも追加でお金がかかるため、より自分に合ったものを選択したいですし。

卒業論文についても留意点について示唆を得ました。
レベル感についていうと、学部の卒業論文とはいえやはり新規性が求められ、既存の研究のパッチワークでは卒論と認められないようです。「論文」である以上、他人の意見ではなく自分の意見を述べなければいけないということでしょう。

新規性が必要ということは研究が進んでいるテーマを選ぶのは難しく、また大きなテーマも手に余ることになるので、あまり研究者が注目しないもの(特定の文化財や場所など)を選ぶのがよさそうです。
例えば城といっても研究が進んでいる小田原城と知名度が低い城では研究の蓄積が全然違いますし、城というテーマでもいろんな切り口があるはずなので、その点でも戦略が必要です。
改めて考えてみると新規性や学生という立場(=プロに比べて蓄積が少ない)という点では博士論文も卒業論文も変わらず、とるべき戦略もおのずと似たものになりそうです。ちなみに修士の人も同じことを言われていましたので学位論文は皆同じかもしれません。

そして卒業論文は結構負荷が大きいようで、さらに奈良大学での学習の集大成でもあるので皆さんすごく時間をかけているようでした。
中には卒業論文を書くために奈良大学に入ったとおっしゃる方もいましたが、卒業論文は自分の好きなテーマで書くもので、形にも残るので卒業論文こそ奈良大学での学習の目的というのはよくわかりますし、同じ感覚です。
論文はある意味で「わが子」みたいな感じさえします。

私も卒業論文を書くのを楽しみにしているので、卒業論文の話を聞いてすごくモチベーションが上がりました。
ただ、4年次の卒業論文作成のスケジュールは結構タイトな感じがあり、今年度中にある程度テーマを固めておく必要があると感じました。
先日のスクーリングでは後北条氏(の民政)を文化財絡みで考察するのは難しそうな感じがしましたが、悩みどころではあります。悩むのも楽しいですけどね。

このように、履修科目に卒論にといろんな話で盛り上がったのでよかったです。
気が付いたら3時間にもなってました。やっぱり話すのは楽しいってことですね。

ちなみに奈良大学の卒業生・在校生にはブログを書かれている方も多くいらっしゃるのですが、その一人の瓊花さんも前回・今回と参加いただきました。
交流会の様子もブログに書いていただきました。ありがとうございます。

 

 

私がブログを書く目的の一つに同じ関心を持つ人とつながるきっかけにしたい、ということがありますが、歴史学についても関心がある人がこのブログを読んで交流を持つきっかけになってくれればうれしいです。
(仕事(アセットマネジメント)関係の記事では比較的そういう機会がありました)

ともあれ、交流会は2回とも楽しかったので、また機会があれば開催したいと思います。

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退職時の悩みはみんな同じ?

退職時に一番きついこと

退職時の最大のハードルは初動にあり!?

私が社会人になりたてのころは(私の周りでは)転職することは一般的ではなく、家族をはじめ周りのほとんどの人が同じ会社で勤務していましたが、最近は退職・転職が以前よりは一般的になっているのではないかと思います。

それを雇用の流動性とポジティブに捉えるべきか、雇用・労働環境の悪化と捉えるべきかはさておき、転職というカードは労働者が持っておくべきカードだと思います。
選択肢を持っている人は強いですから。

かくいう私も結構な回数の退職・転職を経験していますので、転職することのメリット・デメリットについては理解しているつもりです。
そして、退職に伴う大変さも。

退職をするとき、基本的にはまず直属の上席に伝えるのがマナーです。同僚、上司の上司など第三者に先に伝えるのはマナー違反で後々面倒になります。
そして、この上司に退職の意思を伝えるというのが最初かつ最大のハードルだと思います。

上司との関係が良好な場合、当然自分にも後ろめたい気持ちがありますし、上司が嫌な思いをすることもわかるので、非常に気が重いです。いい上司ならこちらの気持ちを汲んで気持ちよく送り出してくれる、と信じたいところですが、それはそれでやはり辛いものです。

上司との関係がよくない場合、これで縁が切れるぞ、とテンションが上がるかもしれませんが、切り出した瞬間の反応を想像すると恐ろしいものがあります。怖い上司ならなおさらでしょう。一時の我慢と思うしかありませんが、まあ憂鬱です。

よほど図太い人はわかりませんが、多くの人はまず上司に伝えるというステップが厳しく感じるのではないでしょうか。私もそう思います。これができたら転職のハードルはほとんどなくなったも同然です。

米国では日本より転職が一般的だと思うのでこういう心理的なハードルは低いのだと思いきや、やはり上司に伝えるのは気を遣うようです。
転職に関するテーマは米国でも関心が高く、Harvard Business Reviewでもたびたび取り上げられているようで、たまたま見かけた下記の記事でも転職時に気を付けることが述べられていました。

曰く、まず退職の意思は上司に伝えよ、転職の理由が上司にあってもそれを言う必要はなくキャリアゴールが変わったなどというべき(特に米国は転職先から元の勤務先へのリファレンスチェックの可能性があるため)、転職するならなるべく早く伝えるべき(会社の対応、円滑な引継ぎ、本人の心理的なプレッシャーの軽減などのため)、とのこと。
気をつけることは日本と変わらないものだということにかえって関心を持ちました。

上司に退職の意思を伝えるときの心持ち

しかし、改めて読むとこの記事は肝心なことに触れていないように思います。
すなわち、「上司に伝えるのにどのような心持でいればよいか」ということ。
上司に早く伝えたいのは誰だって同じですが、それが嫌だから困るので。
これに正解はないと思います。よほど会社・上司が自分のことをやめさせたいとかでなければ上司にとってはメンバーが一人減るのは面倒事なはずなので。

私の経験からアドバイスをするとしたら、初動は無理やり自分の背中を押す、ということでしょうか。
一瞬だけ理性を吹っ飛ばして上司に声をかける、あるいはメールの送信ボタンを押す。
声をかけてしまったら「何でもありません」とはいえないので、「ご相談したいことがあるのですが」と声が出ると思います。メールも同様。

一度そのように動いてしまえば、後は勝手に状況が動きます。
上司を個室に呼び出せば上司も察するでしょうし、個室で上司と相対すればこちらも退職のことを切り出さざるを得ません。
初動のときに一瞬だけ理性を吹っ飛ばして上司に声をかければ終わりなのです。

ちなみに理性を吹っ飛ばすというのは「勇気を出す」というのとは違う感覚です。
勇気を出すというのはドキドキしながら声をかけるイメージですが、理性を吹っ飛ばして話しかけるというのはその一瞬だけはノーガードで後のことを何も考えずに行動する感じです。
何も考えないとその一瞬はストレスがないので、後回しになりにくいと思います。

罪悪感を小さくすれば話は進めやすい

退職の意思を伝えるのが辛い理由には罪悪感というのも大きいと思います。忙しい職場であれば自分が抜けた後に上司や同僚が苦労するのが想像できますし、関係者への引継ぎなども余分な負担になります。
自分が退職しなければ…と考えるのは責任感がある人なら当然でしょう。

とはいえ、退職・転職を決めた以上そんなことを考えても仕方がありません。
ただ、罪悪感を小さくすることは退職の意思を上司に伝える際の心理的な負担の軽減につながると思います。

私は上司に退職の意思を伝えるときには、転職先に迷惑をかけない限り会社の要請をすべて受け入れるつもりでいました。
メンバーの負担軽減のために極力業務をしてほしいということであれば有給休暇の消化は控えましたし、引継ぎも最大限丁寧に行ったつもりです。

退職の前にはできるだけ有給休暇を消化してしまいたいというのが人の性かもしれませんが、自分の希望を前面に押し出すと上司やメンバーとの関係がこじれ、最悪の場合転職先に自分の悪い評判が伝わってしまうかもしれません。

したがって、上記の記事にもありますが円滑な引継ぎのために最大限協力するという姿勢を伝えるのが円滑な話し合いにつながりますし、上司に切り出す際の安心感(あるいは自分は悪くないという自信)も得られるのではないでしょうか。

逆に言えば、退職する意思があるのであれば計画的に有給休暇を消化していくべきともいえるかもしれません。状況が許せば、ですが。
かといって有給休暇をちょくちょく取得している人を疑わないように(笑)

 

真摯に、丁寧に、かつドライに

上司に退職の意思を伝えたら後は引継ぎをするだけです。
退職日が決まっていれば最終出社日はほぼ自動的に決まるので、逆算で引継ぎスケジュールができれば後はそれに沿って動けば問題はないと思います。

ただ、時々退職して次の会社で働き始めてからも前の会社の仕事をさせられているという話を聞きます。
雇用関係もない状況で業務を行うのは本人にとっても会社にとっても大きなリスクがあると思うのですが、お構いなしな会社もあるのでしょう。
転職する側もすがられたら嫌とは言えないこともあるのかもしれません。

これも日本らしいなあと思いきや、実は海外でもある話のようです。
再びHBRから。

海外でも罪悪感が仇となってズルズルと前の会社の仕事を引きずってしまうことがあるようです。やはり罪悪感は危ないですね。

もちろん引継ぎ時に漏れなく自分の作業やノウハウ(ファイルの保存先や関係者の連絡先など)を伝えることは難しいので、一定期間は前職からの問い合わせに対応する必要はあると思います。
私の場合もそういう経験はありましたし、記事中にもあるようにそれは一般的だと思います。

しかし、これが長期間にわたったり、依頼内容が業務そのものになってくるとそれは異常事態と言わざるを得ません。
給料が出るわけでもないのに時間を割いたり責任を負うことは自分だけでなく転職先の会社にとっても問題がある行為です。

まともな会社だとこういうことはないと思うのですが、引継ぎをする際には記事にもあるように極力文書化することと期限を設定することは留意すべきだと思います。
期限を明示することは難しいですが、文書化は自分でできるのでこちらは力を入れるべきだと思います。文書化すればマニュアルにもなって喜ばれるでしょうし。

で、常識的な期間を超えても作業を依頼してこられたらドライに「十分に引き継ぎ対応をしましたし、もう現在の勤務先での業務に集中したいので連絡しないでください」と伝えた方がいいのでしょう。
引き継ぎの記録があれば変な脅しや風評にも対応できるでしょうし。
というか、そういう非常識な会社とはさっさと縁を切るべきだと思います。

ということで、結論としては退職時のストレスを極力減らすには、次のアドバイスを送りたいと思います。
一瞬だけ理性を吹っ飛ばす
極力現職に協力的な姿勢を示して罪悪感を小さくする
最大限の協力をしても依存してくる(利用しようとしてくる)ならドライに切る

 

退職・転職を経験した人ならわかると思いますが、最終出社日に退社するときの空はとても明るいです。夕方でも夜でも明るいです。
苦しい状況において退職が常にベストな選択肢とはいいませんが、退職すべき時に退職のプロセスを終えると非常にポジティブな気持ちになります。
退職を明るい未来につなげたいと思う方にこのアドバイスが少しでも役に立てば幸いです。

あ、こんな記事を書いているからといって私が今退職を考えているとかではないですからね!

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初めての試験結果(奈良大学通信教育部)

初めての(奈良大学の)試験結果

奈良大学通信教育部ではスクーリング科目以外の履修科目は、テキストを読みレポートを書いて、それで合格が出たら単位修得試験を受けて60点以上取れば単位がもらえる、という流れになります。

私は履修科目のうち、文化財学講読Ⅰ、民俗学及び言語伝承論からレポートを書いて合格したので、まずはその3科目について試験を受けました。

そして結果を待つこと1か月、試験結果が郵送で送られてきました。

若干緊張しながらの開封です。

 

ドキドキ。

 

ドキドキ。

 

ドキドキ。

 

・・・

 

じゃーん!!

 

 

どやぁ(笑)

結果は言語伝承論と文化財学講読Ⅰは80点超え(いわゆる優)となりましたが、民俗学は75点と80点を下回る、いわゆる良という結果になりました。

それぞれ頑張ったので優の結果となった科目については嬉しいですが、民俗学が良となったのは忸怩たる思いがあります。
もっとも、民俗学は万全の回答ではなかったと思いますので単位が取れただけでもよしとすべきかもしれません。

各科目の試験の振り返りについては別の記事を作成したいと思いますが、とりあえず全て合格という結果になり一安心です。

とはいえまだ3科目。とるべき単位はまだたくさんありますし、その中には苦手な分野もあります。
今回の結果に慢心せず、これからの学習も気を引き締めて続けていきたいところです。

 

でも貴重な土日にずっと手書きで回答を書き続けるとか、我ながらよく頑張りました(笑)

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言語伝承論(1)_学習内容とレポート課題

関心が薄い分野を学ぶ意味

「歴史好き」な人はたくさんいますが、「歴史」の分野が数多ある中でその関心を一括りにすることは難しく、すべての分野に満遍なく関心を持っているという人はあまり多くないのではないしょうか。

私も多分に漏れず文学の分野には関心が薄く、古代・近現代の文学はおろか、昔の詩にもあまり関心はありませんでした。
文化系のテーマに関心がないと教養がない、なんて言われそうですが、関心がないものはしかたありません。自分で勉強するなら好きな分野のことを知りたいものです。

しかし、大学のカリキュラムに組み込まれているとそのような逃げはできません。
関心がなくても勉強して単位がもらえないと卒業できないわけで、「関心がないから勉強しない!」と我を張る選択肢は存在しません。

ただ、これは決まったカリキュラムの中で学習するメリットでもあると思います。
政治や経済だけでなく文化もまた現在の社会につながる歴史を形成している分野であり、過去の文化について学ぶことは自分の関心事である政治や経済の歴史の理解を多少なりとも深めてくれると思います。点と点がつながってできる理解の面が広がるという感じです。

また、建前的にはグローバル化が進んで海外の人との交流が増える中で自国の文化について理解をしておいた方が便利・有利になる可能性はあるかもしれません。
もっとも、留学していた時も業務上海外の同僚などと話すときもに日本の過去の文化が話題になったことはありませんが(笑)

ともあれ、苦手な(関心が薄い)分野は先に済ませておきたいという心理もあり、関心のある分野より先に言語伝承論に取り掛かることにしました。

 

言語伝承論の内容

言語伝承論というタイトルだけではテーマがわかりにくいですが、この科目では万葉集を読むことになります。
万葉集は飛鳥時代から奈良時代(7~8世紀)にかけて編集された歌集で、その期間の歌人や庶民の詩が収められています。特に有名な歌人としては大伴家持額田王などが挙げられるでしょうか。
旅の途中で息絶えた旅人を悼む聖徳太子の有名な歌も含まれています。
※家ならば 妹が手かまむ 草枕 旅に臥せやる この旅人あはれ(巻三の四一五)

万葉集を味わうこの科目のテキストは『万葉挽歌のこころ 夢と死の古代学』。
著者は上野誠先生という以前奈良大学で教鞭をとられていた方で万葉集研究の第一人者として著書も多い有名な先生です。
最近別の大学に転出されたそうですが、「神話伝承論」というスクーリング科目はまだ担当されているので、受講する機会があれば教えを受けることができそうです。

挽歌というのは棺を挽くときに詠む歌、つまり死者を悼む歌です。
万葉集に収められている歌は家族や恋人を想う歌、仕事のことを取り上げた歌、風景を描いた歌など様々なカテゴリーがありますが、本書では挽歌に焦点を当てて万葉集の世界を学びます。

本書で取り上げる挽歌は9つ。全て天智天皇が崩御する前後のものです。
読み手は天皇の妻や近侍する女官など身近な人たちが選ばれています。

同じような立場の人が同じ人物を対象に挽歌を読むので同じような印象の歌になるのかと思いきや、それぞれの読み手が色んな技法で自らの感情を発露しています。
悲しむという点では同じなので何も知らずに一読するとみんな悲しいんだな、という理解で終わってしまいますが、歌の背景・読み手の意図を理解すると同じ気持ちであってもそれぞれの立場が反映されていることがわかります。

そして、各人が自らの感情を公に発露(主張とも言えます)することは一種の戦いであると著者は指摘しています。
言われてみると天皇を悼むという極めて政治的な行為が単なる個人の感情で済むはずはなく、他の妻・女官との相対的地位、後継の天皇その他関係者との関係も踏まえた上で詠まれてもおかしくないと思いますし、それはまさに一種の戦いと言えそうです。

一連の歌についてこういう見方ができるようになっただけでもこの科目を履修した甲斐がありました。
ただ、せっかく万葉集に触れるのなら特定の歌にだけ触れておしまい、というのももったいないのでもう少し広く学習するために万葉集を解説した漫画を買ってきました。

 

これも上野先生が監修。すごいですね。
絵師さん(サイドランチ所属のイラストレーター)もよかったです(笑)

上野先生監修とはいえこれで言語伝承論はバッチリ!、なんてことにはならないのですが、万葉集の世界観を理解するにはイラスト入りというのはよかったです。
イラストレーターもよかったですしね(しつこい)。

 

レポート課題

言語伝承論のレポートのお題はテキストにある歌の一つを選んで著者の解釈をまとめること、歌にある「影」という言葉について用例を調べたうえで自分の解釈を述べること、テキストにある歌について自分なりの釈義(現代語訳)を行うことでした。

最初のテーマについては下記の額田王の歌を選びました。

かくあらむの 心知りせば 大御船 泊てし泊まりし 標結はましを(巻二の一五一)

この歌は視覚的に理解することが比較的容易で、詩歌に造詣のない人でも読み手の心情が映像となって伝わってくると思います(著者もそのような形で解説していました)。
芸術作品の理解の仕方は感覚的な部分に拠るところが大きいと思いますが、作者の伝えたいことが映像として想像できるものは素人にもとっつきやすい気がします。

詳述は避けますが、大御船が天智天皇の魂が乗る船、標(しめ)が港の内外の境界を示す標識で、天皇の魂が乗った船が外界に出ていく(=崩御)するのを標を結って引き留めたかった、という趣旨の歌になります。

次に「影」という言葉の解釈。
影という言葉は万葉集の中でもよく見かけますが、テキストの中では下記の歌に出てきます。

人はよし 思ひ止むとも 玉かづら 影に見えつつ 忘れえぬかも(巻二の百四十九)

影という言葉は現代でも使いますが、用法としては物体の後ろにできる部分(日陰など)、面影、影響などがすぐに浮かびます。
中国語だと電影で映画という意味になりますね。

では、万葉集の時代にはどのように使われていたのか。
これを知るためには古語辞典の定義と万葉集の実際の用法を調べる必要があります。
同時代の資料に当たるというのはいかにも歴史を学んでいる感じがしていいですね。

調べてみると現代と同じ部分と違う部分があり、現在日常的に使用している言葉でも大なり小なり変化していることがわかります。まさに「言葉は生きている」です。
そして言葉の変化を受け入れながら使い続けるというのは、まさに「言語伝承」といえるかもしれません。今思いついただけですが(笑)

最後の歌の釈義については基本的にはテキストの解釈を踏襲しつつ、自分なりの解釈を自分の言葉で加えてみました。
二つの歌について釈義を加えたのですが、人によって感情の表現の仕方が違って、でもそれぞれに「自分は天皇を慕っていた!!」という感情(というか自己主張)が強く出ていて、歌を詠むのも読むのもエネルギー消費が激しいと感じました。

こんな感じでレポートを提出しましたが、無事に合格をいただきました。
大変よくまとまっていて釈義も豊かに表現することができていると高評価でした。
普段触れることが少ない文学という分野ですが、学んでみるとそれなりに面白いですし、理解の程度もしっかり評価していただけたのはよかったとおもいます。

先日投稿した平安文学論を含め他にも文化・文学に関する科目はありますので、そのような科目もおろそかにせず、多少なりとも文化的なビジネスパーソンになりたいと思います。

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