初の寄稿論文脱稿

初めての自分の名前での仕事

社会人になってからサラリーマンとしてそれなりに長い間働いていますが、仕事をしていていつも思うのは自分の名前で仕事をしてみたいということ。
多くのサラリーマンと同じように、自分の仕事は表に名前が出るようなものではないし、また会社の名前で仕事をしています。
資産運用会社や証券会社だと一部のスター的なファンドマネージャーやアナリストは個人の名前で仕事をして評価されるという面もありますが(ただし、資産運用会社の場合は運用もチーム制になっていることが多いです)、私のような管理部門ではそのようなことはほぼありません。

博士号を目指したのも、博士論文は引用元としては適していないとされることもあるようですが、一応公表されて自分自身の業績として残りますし、またそれをきっかけに論文などを学術誌に寄稿することができれば自分の名前で何かを残すことができると考えたことが背景にあります。

とはいえ伝手がなければそのような機会を得ること自体が難しいのですが、幸いとある学会誌にて寄稿する機会をいただき、先般無事に脱稿することができました。
最終確認のためにゲラをいただいたのですが、自分の名前が入っているのを見て感動しました。自分の名前でできた成果物をみると、自分の子ども(?)のような愛情さえ感じるのは言い過ぎでしょうか。
ともかく、自分のキャリアの新たな一歩を踏み出すことができたのは感慨深いです。

 

自分の名前で仕事をする怖さ

一方、公に組織とは関係のない形で自分の名前を出して寄稿するということは、その責任をすべて自分一人で負うことでもあり、その点については怖さも感じました。
業務上でも対外的に担当者として自分の名前を出すことはありますが、それはあくまで組織の一員としてであり、私の行動の責任は良くも悪くも会社が負うことになるので、その意味では気楽な面があります。

しかし、自分の名前で成果物を公表するということは、何か間違ったことを書いていたり、誰かを傷つけるような内容があった場合、自分で責任を取らなくてはなりません。
特にキャリア形成の一環として行っている場合、成果物の内容も自分の仕事に近いので内容に問題があった場合には自分の評価、キャリアへの影響も少なからず生じると思います。

今回の寄稿も自分の業界に関係する内容にしていますので、間違った内容が含まれていると業界の方から批判を受ける可能性も大いにあります。しかし、自分の意見を論じるということは、すでに答えのあることではなくまだ業界でも定見がないことを扱うということでもあるため、事実確認できることばかりでもありません。そもそもプライベートな活動でもあるので、いろんな人に確認することも難しいです。
もちろん最善は尽くすのですが、自分の意見が正しい方向を向いているのか、重要なポイントを見落としているのか、というのはやはりリスクとして残っている気はします。正直怖いです。

このようなリスクは学者の方でもそうでしょうし、歴史学のような他分野でもあるように思います。したがって、自分の名前で勝負する以上、自分がアクセスできる限られたリソースを最大限に生かしてもなお残るリスクは自分で引き受けなければなりません。
そのかわり、通常の業務と異なり、その成果物は自分の名前とともに残ります。それこそがキャリアに影響を及ぼすリスクに対するリターンだと思います。

初めて自分の名前で成果物を作るという経験をして、今まで見ることができなかった景色やリスクに接することができたのは大きな収穫でした。
本業の分野で自分の名前で勝負できるように機会を求めていくのはもちろんですが、いずれは歴史学の方でも何かしら自分の名前で足跡を残していけたらと思いますが、まずは勉強ですね!

ああ、卒論の修正が進まない…

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