考古学特殊講義

考古学特殊講義の内容

この夏の前半にスクーリング科目3科目を受け、先日最後のテキスト科目の西洋史特殊講義の単位取得が決まったので、スクーリング科目の単位取得を前提とすると残すはスクーリング科目1科目と卒業論文のみになりました。

最後のスクーリング科目は考古学特殊講義。
文化財修復学と並んでこういう機会でなければ学習することもないだろうということで履修しました。本当は実地で学びたかったので非常に残念ですが、これも巡り合わせというものでしょう。

考古学特殊講義では飛鳥時代、つまり推古天皇の時代から平城京に至るまでの宮殿・寺院・古墳の変遷について学びます。実は飛鳥時代に特段思い入れはなかったのですが、王宮の変遷は政治とも関係するので興味深く学びました。
課題も宮殿・寺院・古墳のどれか一つについて飛鳥時代における変遷について述べるものでしたが、迷わず宮殿を選びました。

 

課題の内容と学び

上記のとおり、課題では王宮・寺院・古墳のどれかの飛鳥時代の変遷の意義について説明するというもので、王宮の変遷について述べることにしました。

平安京や現代の東京、あるいは鎌倉・江戸といった幕府の拠点を知っている我々からするとイメージがしにくいですが、飛鳥時代には天皇が変わるごとに王宮が移る「歴代遷宮」が行われていました。そのため、飛鳥地方には王宮の後が多く存在します。
現代的な感覚では代替わりの度に王宮が移転していたら建造費の負担は大きいし、それについていく役人たちも大変だろうなという感じもしますが、それが可能なだけの権力が王権にあったということでしょう。

歴代遷宮が行われた背景には死の穢れを嫌ったとか建物の耐用年数の事情があったなどいくつかの説がありますが、どれも決め手に欠けて特定されていないようです。
さすがにこれだけの大事業を繰り返すのですから何かしら明確な理由はありそうなものですが、今後の研究に期待したいところです。

レポートの作成には下記の二つの書籍を参考にしました。
古代の都の移転は古代の重要なテーマであり、書籍も比較的多く図書館においてありました。これらの本は内容がわかりやすく整理されていたので読みやすかったです。

 

 

推古天皇時代以降平城京ができるまで、基本的には飛鳥地方で王宮が移動していましたが、いくつか例外があって難波宮や大津宮は飛鳥地方の外に設けられています。
これらの背景としては対中国・朝鮮半島の外交関係の変化があり、こういうところにも国際情勢が影響してくるのは興味深いです。

また東京や平安京に慣れていると王宮の移転が都市の移転を意味するように思いますが、王宮と都市(京域)はずっと一体だったわけでもなさそうで、王宮と京域が一体となった都市計画が作られたことは判明している最初の例は平城京の前の藤原京だったそうです。

また、推古天皇の即位は直前の崇峻天皇暗殺のわずか1か月後で、蘇我氏の邸宅を用いて豊浦宮として急ぎ形式を整えたようで、推古天皇と蘇我氏の協力関係が垣間見られるなど王宮の建設や移転から見えてくるものはたくさんありそうです。

個人的にはあまり古代、特に飛鳥時代には関心がなく知識もあやふやでしたが、このように情報を整理してアプトプットすることで最低限の知識は身についたような気がします。あくまで最低限ですが。

このレポートの提出をもって、すべての履修科目の単位修得が完了する予定です。
あとはひたすらに卒業論文を書くだけです。
時間があると思っていたらもう1か月しかない。
時の流れとは怖いものですね…

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考古学特殊講義 への2件のフィードバック

  1. 瓊花 のコメント:

    ゆーけーさん

    瓊花です。ご無沙汰しております。
    不躾ですが単刀直入、連絡事項がございまして、お手数おかけいたしますが私のメールにご一報いただけますと幸いです。
    何卒宜しくお願い申し上げます。

    瓊花

    • ゆーけー のコメント:

      瓊花さん

      コメントありがとうございました。
      メールをお送りしましたのでよろしくお願いいたします。

      ゆーけー

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