西洋史概論(1)_躓いた英雄

西洋史概論の内容

奈良大学通信教育部の履修科目のうち学習のコアともいえる概論科目は考古学・東洋史・西洋史・美術史・史料学の5科目あり、そのうち考古学・東洋史・美術史はいいペースで単位を修得をすることができましたが、西洋史概論で想定以上に時間をとられています。

高校時代は世界史を履修しておらず西洋史自体になじみがなかったうえ、人の名前が覚えられないことも理由の一つだと思います。
今でも海外の同僚の名前は日本人の名前に比べて定着するのに時間がかかるうえ、古代の人物は名前が似ていたりして混乱することが少なくありません。ウァレリアヌス帝とウァレンティニアヌス帝(さらにウァレンティニアヌスの弟はウァレンス帝)とか、コンスタンティウス帝とコンスタンティヌス帝(大帝)とかどっちがどっちだっけ?とわからなくなることがしばしばです。
しばしばすぎて、しばしば柴犬ー--☆とか言いたくなります(わかる人だけわかってください笑)。

それはさておき、西洋史概論は古代ギリシャと古代ローマ時代が学習の対象となっており、「大学で学ぶ西洋史(古代・中世)」という書籍がテキストになっています。「大学で学ぶ」とはテキストにぴったりです。

 

本書では古代と中世がカバーされていますが、西洋史概論の学習範囲はその前半です。
ただ本書に加えて参考文献を読むことが推奨されており、私はレポートで後期ローマ帝国を扱う予定のため、その時代を扱った書籍を追加で2冊読みました。

 

 

どちらも頭の整理に役立ってくれましたが、特に『軍人皇帝のローマ』は人物像の描写も多かったので読んでいて面白かったです。
両方とも図書館で借りたのですが、自分で買って持っておきたいと思いました。

しかし、それでもやはりレポートの筆は進みません。まだ時代の流れが頭に定着していないうえ、論点をどのように絞って書くか構成ができていないため、書き進めることができていない感じです。

そんな時はアウトプットしてみると頭の整理になるかな、ということで後期ローマ帝国について勉強しながらふと思ったことをつづってみます。

 

東西の躓いた英雄

多くの人の人生は成功と失敗が入り混じっていると思いますが、人生の大半が成功でも最後の最後に大失敗をしてしまい評価を大きく下げてしまう人も歴史上見かけることがあります。
日本史好きの人にとって真っ先に思い浮かぶ人物の一人はおそらく今川義元ではないでしょうか。彼は今川家の内乱を制し、着々と領国を拡大・発展させながら最後に桶狭間の戦いで織田信長に敗れ戦死したことから、長らく公家大名などの汚名を着せられていた人物として知られています。
その織田信長も、あるいは総理大臣まで務めながら逮捕された田中角栄も最後は躓きながらもそれによって評価が下がっている感じはしないので彼らと今川義元ら最後の失敗で評価が下がってしまった人物の差は何なのか気になるところです。

このような人物は後期ローマ帝国にも存在しました。そのうちの一人が前述のウァレリアヌス帝です。いまだに名前が覚えきれていない彼は軍人皇帝時代を制してローマ皇帝になった人物ですが、当時活発だった異民族の侵入への対応に加え、息子ガリエヌスとの東西分割統治体制の導入や能力本位の人物登用などローマ帝国の発展に貢献した名君ということができると思います。
しかしながら、東方のササン朝ペルシアとの戦い(エデッサの戦い)に敗れあろうことか捕虜になってしまうという大失敗を犯し(その後の消息は不明)、それがローマ帝国の分裂につながったことからその失態が強調され評価を大いに下げることになりました。

ウァレリアヌスの動向は何度も読んだのですが、彼の活動を見るたびに今川義元との共通性を感じ、記事にせずにはいられませんでした。二人とも合戦で失敗しているというのは「勝敗は兵家の常」という言葉の非情さを表しているのかもしれません。
ともあれ、このような共通性を知るのも歴史を学ぶ面白さだと思います。

 

英雄の後継者

英雄が最後に躓くとその後は大混乱になるというのは想像に難くありませんが、これもまた今川義元とウァレリアヌスに共通しています。
今川義元の場合、その後を息子の氏真が継ぎましたが奮闘むなしく領土を徳川家康と武田信玄に奪われ戦国大名としては滅亡しています。
ウァレリアヌス捕囚後は西方皇帝の息子・ガリエヌスが単独統治することにはなりますが、結局ローマは三分され、ガリエヌスは奮闘するも最後は部下のクラウディウスに暗殺されるという悲惨な最期を迎えます。
領地を失い命を長らえた氏真と領土は残し命は残せなかったガリエヌスという対照的な点はありながら、両者とも奮闘しつつも時代に流されたというのは似ています。

また、これは偶然かもしれませんが氏真もガリエヌスも芸術に造詣が深かったようです。そのため二人とも文化に耽溺してその身を滅ぼしたなどと評価されることもあるようですが、それとは関係なく生き残るために努力していたのであり、結果が全てとはいえ低く評価されるのは気の毒だと思います。
ガリエヌスは結構勇敢な人物だったようで、勇敢さと芸術への造詣を持ち合わせているというのはかっこいいと思います。

ガリエヌスの功績としては機動軍の編成や元老院議員を軍事職から排除した「ガリエヌス勅令」などもあり(「ガリエヌス勅令」についてはその位置づけに議論があります)、これもローマ帝国の統治体制に大きな影響を与えているのでガリエヌスに敬意を払う意味でもレポートに書きたいと思います。

今回もアウトプットしたら頭の整理になった気がします。改めてアウトプットの威力を感じました。
歴史も法学もまだ学習は続くので、インプットとアウトプットを繰り返してしっかり吸収したいと思います。

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