ゴルフの街、白河
先日、奈良大学のスクーリング科目「文化財学演習Ⅰ」で重要文化的景観や重要伝統的建造物群保存地区について学び、その中の一つを取り上げ受講生全員が発表しました。
授業中に全員が発表したのでその内容は知っているのですが、後日全員の発表資料が成績と一緒に郵送されてきて、それを眺めながら改めて各地の重要文化的景観や重要伝統的建造物群保存地区について勉強させていただきました。
私が取り上げたのは福島県の大内宿でした。
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文化財学演習Ⅰで報告した大内宿の資料
大内宿についてはそれまで知らなかった場所なのですが、それを選んだ理由の一つは近々福島県の白河に行く予定があり、運が良ければ実際に行ってみることができるかもしれない、という背景がありました。
単にゴルフをしに行くというだけですが、せっかく行くなら史跡も回りたいというのが歴史好きの性。
白河と言えば白河の関や白河城(小峰城)が有名ですし、足を延ばせばいわきや会津も行けそうです。
白河には新幹線で行くルートと福島空港まで空路で行くルートがありますが、今回は新幹線で新白河駅へ。
すると早速ゴルフウェア姿のキャラクターがお出迎え!
白河がゴルフ推しというのは知りませんでしたが、確かにゴルファーにとってはいい場所かも?個人的にはより首都圏に近い古河あたりの方がゴルフのイメージがありましたが。
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白河市キャラクターの小峰シロさんがお出迎え
今回プレーしたのはプロの試合も行われるグランディ那須白河ゴルフクラブ。
プロがプレーするだけあって?結構難しいように感じました。自分のレベルでプレーするのは恐れ多いかもです(笑)
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グランディ那須白河ゴルフクラブにて。天気には恵まれました。
かなり前から予約していたところ、直前に台風が接近して気を揉みましたが、プレー日の直前に通過してくれたので、台風一過の好天でした。
スコアも好天(好転)とはなりませんでしたが、楽しかったのでヨシ!
文化財学演習Ⅰ・課外活動編
いざ、大内宿へ
好天に恵まれたので、ゴルフ後には事前の計画通りレンタカーを借りて史跡巡りをすることに。
白河から太平洋側のいわき市、さらに郡山市西方の磐梯熱海に宿泊し、会津若松を通過して大内宿を訪れ、そのまま白河に戻るという福島の南東部を一周するような旅でした。
いわきや会津若松でも歴史の息吹を感じましたが、今回のお目当ては大内宿。
大内宿では自分が作った資料を見ながら回っていたので、イメージと実物の違いを考えることができました。授業では制約がありましたが、やはり資料を作るなら実物を見ないといいものはできないということを感じました。
それは卒業論文にもいえるでしょうし、本業(?)であるアセットマネジメントに関する法学の研究も同様だと思います。経験のある実務から離れた論考を行うと酷い研究になりそうです。
話がそれましたが、いざ大内宿へ。
大内宿は江戸時代初期に栄えた宿場町で、茅葺の寄棟造りの家屋が妻側を道に向けて並んでいるというのが特徴です。
寄木造りとは屋根の頂点が点ではなく線になっている(屋根が六面になっている)造りのことで、妻側は屋根の辺と垂直に交わる側(面積が狭い側)を指します。
そんなことを考えながらその風景を見てみると、確かに茅葺の建物が妻側を道路に向けて同じ向きで並んでいます。
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大内宿の特徴である、妻側を道路に向けて並ぶ茅葺・寄木造りの家屋群
ちなみに大内宿は東日本大震災前には年間百万人以上が訪れていたという、福島県を代表する観光名所で、当日も多くの観光客が訪れていました。
震災後は往時の観光客を迎えるには至っていませんが、それでも2019年には87万人の観光客を受け入れるなど、注目度は今も健在です。
大内宿はその名のとおり宿場町として発展した場所で、会津藩主も参勤交代などで訪れることがありました。
大内宿町並み展示館には往時の旅籠の様子も再現されていました。
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大内宿町並み展示館に再現された偉い人用の部屋
こちらは展示館内に再現された謁見の間。参勤交代などで休憩した藩主が使用していたのでしょう。
大内宿を訪れたら是非食べたいのが「ねぎそば」。
その名のとおり、一本のねぎを箸のように使って食べます。
・・・って、「ねぎそば」という名前を聞いてねぎを使ってそばを食べると想像する人はあまりいないかもしれません(笑)
ねぎは生なのでかじるととても辛いし、匂いが口に残ります。
ねぎをどの程度食べるのが作法なのかはわからずじまいでしたが、一応全部食べておきました。辛い。
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大内宿名物のねぎそば。その名のとおり(?)ねぎを使って食べます。
茅葺・木造の家屋が建造物群の中心になるため、その景観を維持するためには防火体制が欠かせません。
そのため、大内宿ではところどころに防火設備が設置され、万が一の場合にも被害を最小限に抑えることができるようになっています。
防火体制の一環として各戸に屋内消火栓が設置されているそうですが、この設備がそれかもしれません。
このような防火体制を実際に目にして景観の維持について考えることができるのも現地で見学する意義だと思います。観光用のコンテンツではあまり出てこないので。
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家屋の屋外に設置されている消火設備。防火対策としてかなりの数が設置されている。
町のはずれには高台があり、そこから大内宿を一望することができました。
改めてほとんどの家屋が同じ方向を向いて並んでいるのがわかります。
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大内宿全景。こうして見ると古き宿場町の雰囲気を感じるかも。
大内宿から少し離れたところには大内ダムというダムがあります。
大内ダム建設に伴う経済的活況のためトタン屋根の家屋が増えるなど景観への影響も大きく、大内宿の歴史、特に景観との関連の中で大内ダムが与えた影響は大きく、開発と景観維持の関係の重要性や難しさについて考えさせられました。
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南方より大内ダムを望む。開発と景観維持の関係の難しさを考えさせられるひと時。
百聞は一見に如かず
こうして実地を訪れた上で自分の作った資料を見てみると、何となくのイメージで書いた内容が実感をもって頭に入ってきました。
例えば大内宿が使用されなくなった背景として白河方面の街路が整備されたことがありますが、大内宿の方面は山道が多く車でも移動するのが大変でした。徒歩で移動する時代ならなおさらでしょう。
地図でも想像は出来ますが、実際に行ってみると実感をもって理解できます。
大内ダムとの関係や防火体制の整備についてもしかり。
町並みの実際の感じやそこで働く方を含めた雰囲気も行ってみないとわかりません。
観光客についても、白河や会津若松からも距離がある山の中の宿場町に本当に多数の観光客が来ているのが半信半疑でした。
しかし実際に行ってみると平日にもかかわらず多くの観光客が来ていて、本当に人気があるんだと驚きました。
バスでの訪問客も多く、授業で先生が大内宿の観光地としての発展の背景にはバス用を含めた駐車場の整備が大きいと指摘されていましたが、よくわかりました。
今まで旅行や史跡巡りをするときに景観保護や観光地としての戦略について考えることは少なかったですが、このような予習をしておくとより楽しめることが分かったので、旅行の計画を立てるときには意識しようと思います。