「外資にお金が流れるのは悪い」論
統合型リゾート(IR)整備推進法案、いわゆるカジノ法案の議論が佳境に差し掛かっています。
カジノの是非についてはいろんな意見があるので、その誘致に際しては十分に議論していただきたいと思いますが、個人的に気になるのは、主に野党有力議員が唱える「カジノは外資が運営するので、その利益が外国に流れるために国益を損なう」という外資悪玉論ともいえる意見です。
しかし、自分が属する資産運用業界では外資系運用会社が活躍し、業界の発展に貢献していますし、それ以外の分野でも外国資本・外国会社に利益をあげる機会を提供しつつ、我が国は恩恵を受けてきました。
そのような利益には目を向けず、単に外国に利益が流れるからといって外国資本・外国会社を敵視すること自体が国益を損なうものだと思います。
折角の機会ですので、改めて外資はどのような存在であるのかについて考えてみたいと思います。
日本は外資の利益と共存して発展してきた
歴史的に見て、島国である日本は、必然的に他国から最新の技術や考え方を取り入れ、それを上手にアレンジして成長につなげていくという発展の経路をたどることになりました。
古くは中国から、中世・近世には欧州諸国から、そして近代に入ってからは欧米諸国から、時には外国の資本を通じて、外国に対して利益を提供しながら発展してきました。
日本が以下に外国の技術や資本を活用して成長したか、いくつか歴史上の事例を見てみたいと思います。
渡来人
古代日本は文化や技術など多くの分野で中国に依存していたといっても過言ではないと思いますが、その橋渡しをする存在をうまく取り込むことで日本の成長につなげていきました。
その最たるものが、中国や朝鮮半島からやってきた渡来人です。
渡来人は日本に居住したため、現代の外資とは位置付けが少し異なりますが、外国人に報酬や領地を与えて海外の技術や文化を受け入れたという点では外資と似ています。
渡来人氏族としては秦氏(はたうじ)や東漢氏(やまとのあやうじ)が知られ、彼らは土木建築や機織の技術を日本にもたらすと共に、日本での地位を築いていきました。
その後、秦氏や東漢氏は日本に根を下ろし、有力氏族として繁栄しました。
例えば戦国時代に四国を統一した長宗我部氏は秦氏の末裔と言われています。
そういえば、以前ヤクルトスワローズで秦真司という外野手が活躍していましたが、もしかしたら彼も秦氏に縁があるのかもしれません。
このように渡来系の氏族は日本から大いに報われていますが、彼らから得たものはかけがえのないほど大きいものです。
彼らが日本で繁栄したからと言って、外国人に国富が流出したので許せない、などという人はいないでしょう。
それは、彼らが単に日本に根を下ろしたから、というだけではなく、日本にもたらしたものが大きかったからではないでしょうか。
したがって、外国人や外国資本に利益を提供することが国益に適うか否かは、あくまで日本が得たものと比べて評価されるべきでしょう。
鉄砲
戦国時代、ポルトガルから鉄砲がもたらされ、合戦のあり方が大きく変わったことはよく知られています(鉄砲伝来の経緯については異説もありますが)。
日本各地で合戦があったことから鉄砲は日本国内で広く普及し、戦国時代の日本は世界の中でも最大の火力を有していたとも言われています。
ただし、鉄砲が普及したのは、単に需要があったというだけではありません。
もう一つ重要な要素として、国内で生産できることにより生産コストが下がったことも挙げられると思います。
鉄砲は海外からもたらされたものであるため海外から高い価格で購入していました。
しかし、それでは大量の鉄砲を揃えることもできないし、海外に資金が流出してしまいます。
そこで、鉄砲が最初にもたらされた種子島の領主・種子島時尭は国産化を図り、見事に成功します。
その結果、鉄砲が普及し、長篠の戦いに代表されるように合戦でも大いに活躍することになりました。
鉄砲のために多額の資金を海外に支払ったことについて、種子島時尭の先見の明を評価することはあっても、国益を損なったという人はいないと思います。
お雇い技師
更に時代は下って明治時代。
産業や制度など多くの分野で欧米列強に追いつく必要があった日本は、官民問わず多額の報酬を支払って欧米諸国の技術者や官僚を雇い、産業育成や近代法制度の確立を図ります。
有名な人物としては、「少年よ大志を抱け」で知られる札幌農学校(現在の北海道大学)のクラーク博士、日本の近代法制度の整備に貢献したボアソナード博士、鹿鳴館などの設計に携わった建築家のコンドルなどがいます。
お雇い外国人は、高い人だと有力政治家レベルの報酬をもらっていたようで、平均水準もかなり高かったと言われています。
今より貧富・身分の差が大きかった時代のことであり、一般庶民とは隔絶した水準の報酬であったと思われます。
しかし、彼らのもたらした技術や制度、教育のおかげで日本は大きく成長し、列強の一角を占めることに成功しました。
彼らに払った多額の報酬の大部分はおそらく彼らの母国に移されたと思いますが、それは決して日本の国益を損なうものではなかったでしょう。
新幹線
太平洋戦争後、その国力が一気に低下した日本は復興のために国際社会の援助を受けます。
もちろん米国からの援助(ガリオア資金・エロア資金)も大きかったのですが、二国間の支援だけでなく国際機関からの援助を受けるようになったということも時代の変化として注目すべきことだと思います。
そのうち有名な事案としては東海道新幹線の建設に係る国際復興開発銀行(世界銀行)の融資があります(融資自体は世界銀行から国鉄に対して行われています)。
なんと実際の融資契約も見ることができました。
世界銀行から受けた融資はプロジェクト費用の1割弱ですが、それでも巨額の融資であり、(当時の国内における貸出金利よりは低いですが)多額の利息が発生し(利率は年利5.75%)、国際機関とはいえ海外に流出します。
しかし、現在新幹線は我が国の交通システムの中核を担い、世界銀行に支払った利息を遥かに超える利益を生み出しています。
また前掲の世界銀行の記事によると、日本はこの融資契約を通じてプロジェクト管理のノウハウを得ることもできたことが指摘されています。
当然ですが、これもまた利益が海外に流れて国益を損なうなどという人はいないでしょう。
海外に利益を提供することについては、あくまで日本が得られる利益と比較して、海外に提供する利益を上回るものを得られるのであれば、外国資本を活用するのは何ら国益に反するものではないといえます。
外資によって産業は発展する
現在日本の主要産業となっているものでも、以前は外資が寡占状態にあったものもあります。
それらの産業は勃興期には外資系企業・外国産製品が独占的な地位を占めていましたが、その中で国内企業が技術やノウハウを得て主要産業に成長させています。
現在では国内企業が有力な地位を占めているとはいえ、その礎を作った外国資本の意義は評価されるべきでしょう。
以下にそのような産業の例を挙げてみます。
自動車産業
今や日本が世界に誇る最大の産業ともいえる自動車産業。
特にトヨタグループは世界トップクラスの生産・販売台数を誇るなど、日本のものづくりのシンボルにもなっています。
トヨタに限らず、多くの自動車メーカーが国内外で積極的にビジネスを展開していますし、裾野産業まで含めると日本経済にかなり大きな影響力を持っていると思われます。
このように大活躍の自動車産業ですが、日本で乗用車の国産化が本格的になったのは戦後のことでした(戦争中は軍用のトラック生産がメインでした)。
したがって、国産乗用車が登場するまでは乗用車は輸入に頼っていたことになりますが、もし当時の日本が「自動車を輸入すると外資ばかりが儲けることになるからけしからん」などと言って自動車の輸入を禁止していたら日本において国産車の生産が始まったのはもっと遅くなり、現在に至るまで欧米の自動車メーカーと競うだけの力を持てなかったかもしれません。
そもそも外国企業の利益になることを嫌うのであれば外国企業とビジネスを行うことすら不可能になってしまいますが、今やそのようなことは非現実的です。
公的機関が敢えて国内企業ではなく外国企業の製品やサービスを購入する必要はないかもしれませんが、ことビジネスにおいては自分たちに利益があるのであれば、外資系・外国製品であっても何ら気にすることはないはずです。
第三分野の保険
保険といえば生命保険や損害保険という言葉がすぐに出てくると思いますが、そのような保険に加え、最近では医療保険・がん保険などの新しい分野も注目されています。
このような保険は、第一分野の保険(生命保険)・第二分野の保険(損害保険)に対し第三分野と言われますが、実は当初は国内の保険会社が取り扱うことは禁止されていて、2001年に自由化されるまでは外資系の保険会社しか取り扱うことができませんでした。
この背景には米国との政策的な合意があったとされていますが、自由化までは外資系保険会社しか取り扱うことができなかったため、外資系のシェアが高く、今でもアフラックなどの外資系が強い分野です。
では、当時の日本は「外資系しか販売できないのであれば外国に利益が流れるばかりだから日本では第三分野保険は認めない」という姿勢を取るべきだったでしょうか。
おそらくそれは誤りでしょう。
多くのニーズがあったということは、そのような保険商品が登場することで恩恵を受ける消費者が多く存在したことを意味します。
もちろん現在のように国内保険会社にも市場が開放されている方が望ましいとは思いますが、それでも外国に流れた利益以上に国内の消費者が受けた恩恵のほうが大きいでしょう。
ビジネスを行う者が誰であれ、消費行動が行われるということは、その商品やサービスで価値を得ている消費者がいる、ビジネスが行われていること自体が価値をもたらしているということは忘れてはならないと思います。
外資は国民生活にも利益をもたらす
外資系企業であっても、日本においては基本的には日本の法律に従ってビジネスを行うため、最終的な利益の分配を除けば国内企業と同じような恩恵を日本経済にもたらします。
雇用の拡大
企業が経済活動をすることによる最大の恩恵は雇用の拡大ではないでしょうか。
そしてそれは外資系企業も同じです。
だからこそ少なくない国や地域が対外直接投資(FDI)の誘致を行って雇用の拡大を図ろうとしています。
仮に利益がが海外に移されようとも、雇用という形で受入国は恩恵を受けることができます。
外資ならではの技術・サービスの提供
外資が日本でビジネスを行う動機としては、日本にはない商品やサービスを日本に持ち込んで営業するということが主だと思います。
また、外資系企業は国内企業と別の環境で成長しているため、企業文化や戦略も日本の企業とは異なることも少なくないでしょう。
つまり、外資を受け入れるということは日本には従来なかった商品やサービス、さらには企業文化や経営戦略など新しいものに接する機会を得るということでもあると思います。
実際、私が所属する資産運用業界において、外資系運用会社は日系運用会社がなかなか提供できない海外市場への投資商品や運用戦略を持ち込むことによって日本の投資家にそのような投資商品・運用戦略にアクセスする機会を提供しています。
もし日本で外資系運用会社の存在が認められなかったら(実際認められなかった時期もありますが)、日本の投資家の選択肢はかなり狭くなっていたことでしょう。
金融に限らず、我々の日常生活には外国製品が少なからずありますが、海外にお金が流れるからといってそれらを排除してしまうと、我々の生活はずいぶん色あせたものになるのではないでしょうか。
納税
外資系企業が現地にもたらす経済的な恵みとしては納税も重要です。
(租税回避の方法はあるかもしれませんが、)外資系企業も国内企業同様に納税の義務があるため、利益が出たら、まず納税を行う必要があります。
さらに外資系企業から所得を得ている従業員も納税を行うため、外資系企業といっても、直接的・間接的に納税を行うことで現地社会に貢献することになります。
良いビジネスは誰がしても良く、悪いものは悪い
カジノ法案の論点の一つとして、「分配の公益性」というものがあるようです。
日本で賭博事業が認められる要件として、賭博事業で得た利益が公益性のある対象に分配されていれば問題ないですが、そうでなければ賭博事業は認められないということです。
その論点を論じるにあたって、「海外のカジノ事業者にはオーナー企業もあり、賭博事業の利益が海外の金持ちに流れるのだからカジノは認められない」という意見があります。
しかし、その論点の本質は利益の分配が公共部門に行くのか、私企業や個人に行くのか、ということであり、国内か海外かが問題ではないはずです。
仮に日本人のカジノオーナーにわたるのであれば、やはり問題とされるべきでしょう。
ただし、日本の公共部門ないしNPO・NGOにわたるのか、外国の公共部門や国際機関にわたるのか、で問題になることはあり得ると思います。
これに限らず、基本的には国内企業も外資系企業も同じ国内法の下で活動するのであり、そのビジネスの是非について異なる基準で判断すべきではないと思います。
もちろん安全保障等の観点から外資系企業にのみ独自の規制を課すべき場合もありえますが、それも外資排除の隠れ蓑にならないよう、最低限になされるべきです。
大事なのは外資の排除ではなく活用
このように我が国は外国資本・海外人材の協力を得て発展してきましたし、多くの分野でグローバル化が進む中、その傾向は強まることはあっても、低下することはないでしょう。
また、逆に多くの日本人や日本の起業も海外に進出し、活躍しています。
そのような中、外資だから、外国人だからといって、合理的な理由なく排除してしまうのは、我々にとってもマイナスになるように思います。
カジノにしても、経営ノウハウが豊富な外資系企業を誘致することにより、そのノウハウを蓄積することで日系企業がカジノを経営することも可能になると思います。
(カジノ自体が認められないのであれば、それは日系・外資問わず禁じられるべき)
海外に利益が流れるくらいならせめて日本人・国内企業に、というのは感情としては理解できますが、長い目で見るとやはり外資を受け入れて実を取る方が「日本らしい」ように思いますが、いかがでしょうか。