法学を学ぶアプローチというのは何種類かありますが、その一つに判例分析というものがあります。
判例とは裁判における裁判所の判断、特に最高裁判所の判断を指しますが、具体的な事案において、誰と誰が、どのような点で争って、どのような法令が引き合いに出され、各裁判所はどのように判断したのか、ということを分析して、法令解釈やその背景、適用範囲などを考えていくのが判例分析です(非常にざっくりとした説明ですが)。
一般的な会社において一番法律と向き合う仕事といえば、おそらく法務とコンプライアンスでしょう。
私の理解では、そのうち法務は会社の契約を主な業務対象として、会社と取引先の具体的な法律関係について扱う業務であり、場合によっては訴訟関係も含まれるものです。
一方コンプライアンスは会社の各種の業務が法令の要件を満たしているかという観点での業務であり、個々の契約ではなく、業務のプロセスそのものの適法性を確保する業務と言えます。
(とはいえ、法務とコンプライアンスは全くの別物ではなく、法務にもコンプライアンス的な要素があったり、コンプライアンスの立場からも契約内容の確認をしたりすることがあります。実際に法務とコンプライアンスを同一の部署が担っているケースも少なくなありません。)
自分自身はずっと資産運用会社でコンプライアンス業務を担当していたため、業務に関連する法令についてはそれなりに理解していますが、実際の裁判における法令解釈の仕方、原告・被告の争点の出し方や裁判の手続きなどについてはほとんど意識することがありませんでした。
資産運用会社自体は訴訟の当事者になることは少ないので、これまで通りコンプライアンス業務をこなしていくだけなら敢えて判例に触れる必要はないのかもしれませんが、自分の研究を進めるにあたって役に立つ可能性があることに加え、せっかくお金を払って大学院に行くのであれば、これまで知らなかった世界を見てみるのも大事なことだと思って、判例分析を行うことにしました。
担当した事案は「西武鉄道株式会社による有価証券報告書の虚偽表示事件」。
2004(平成16)年10月に、西武鉄道株式会社は有価証券報告書において株主構成を虚偽表示しており、本当は東京証券取引所の上場基準に合致しないことを公表しました。
その結果、上場廃止の見通しとなったことによって株価が急落し、西武鉄道株に投資していた個人投資家・機関投資家は損失を被ったため、西武鉄道などに対し損害賠償を求めたという事件です。
本件は東京地裁から東京高裁を経て最高裁まで争われた事案ですので、各裁判所における議論と判例を確認していきます。
具体的には、各裁判所の判例について、判例タイムズや判例時報といった判例を収録した雑誌で判例の内容を読み込んでいきます。
今回の事案は個人投資家と機関投資家で別の裁判でしたので、3×2=6回分の判例を読み込むことになりました。
もっとも最高裁だけはまとめて判例が出ていたので5回分というのが正しいですが、それにしても結構な量でした。
本件については、争点は下記の通り3つありました。
①有価証券報告書の虚偽表示は不法行為か?
②株主に損害は発生しているのか?
③損害が発生しているのであれば、それはどの程度か?
不法行為については、民法709条に「故意又は過失によって他人の権利または法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と定められています。
つまり、この事案は証券取引法(現在の金融商品取引法)に定められる有価証券報告書の虚偽記載をテーマとしながら、民法上の損害賠償について争っていることになります。
論点を整理するためには、まず原告と被告の主張を見てみるのですが、想像以上にお互いにハードルの高い主張をしていることに驚きました。
どちらの主張も「それは厚かましいんじゃないの?」と。
ただ、それは裁判上のテクニックでもあり、当然それは両者織り込み済みで、それぞれ次の矢を用意しています。
それらを予備的主張と呼び、最初に放った主張は主位的主張と呼ばれます。
ある意味主位的主張が最も厚かましく、予備的主張はそれに比べると妥協が入っているので現実的になっていきます。
原告は当然「有価証券報告書の虚偽記載は不法行為である」、「虚偽表示に伴う株価の下落で損害を被った」とし、損害額については「上場していない株式は無価値なので取得額全額が損害」(主位的主張)と主張します。
対する被告は、「株主構成は重要な事項ではないので不法行為に該当しない」、「株主は自己責任に基づき株式を取得したので損害賠償すべき損害は発生していない」(主位的主張)と主張しています。
ここから先は裁判所の判断に注目が移ります。
①の論点については、有価証券報告書の趣旨は、自己責任で投資をするために、投資家が正しい情報に基づき投資判断を行うことができるようにすることにありますが、正しい投資判断を行うには会計情報のみならず、株主構成や上場の有無も重要な要素であることから、地裁から最高裁にに至るまで不法行為と認定しています。
②についても、不法行為である以上損害賠償すべき損害が発生していると、やはり地裁から最高裁に至るまで一貫した見解となっています。
この事案における最大の争点は③の損失額でした。
今回は虚偽表示の公表に端を発した株価の下落が損失の原因となりましたが、損失額をどのようにとらえるのかは難しい問題です。
分かりやすい考え方としては、取得価額から売却額を引いた額といえます。つまり、投資によって生じた損失がそのまま損害額となるという考え方です。
では、投資による損失はすべて虚偽表示によるものかというと、そうとも言い切れません。
株価を形成する要因は複雑で、株価の下落の原因は虚偽表示によるものではなく、業績が悪化しているから、あるいは業界全体に悪い風が吹いていたからかもしれません。
つまり、虚偽表示による株価の下落がどの程度であったかを特定することが難しいのです。
また、損害額を考える上で重要な考え方に、相当因果関係説というものがあります。
不法行為と損失額の因果関係を考えるにあたって、相当の因果関係が認められれば、その行為が当該損失をもたらしたとみなす考え方です。
我が国における法学上の因果関係の考え方としては相当因果関係説が最も一般的とのことですが、今回の場合、虚偽表示がなければそもそも上場されていないため、個人投資家も機関投資家も西武鉄道額を購入していないと考えられるため、損害額の算定のベースは取得価額であると最高裁は断じています。
個人的には、取得時から虚偽表示公表時までは貸しのない上場銘柄として取引されていたので、損害額の算定のベースは取得額ではなく虚偽表示公表日の終値であると思い、その点については授業中にも議論をさせていただきました(ちなみに最高裁判決の補足意見でもそのように算出すべきとされていたので、頓珍漢な意見でもないと思います)。
ちなみに、損害額については正解がないので、こういう場合は民事訴訟法第248条に基づき、裁判所が損害額を認定することができます。
最後は決めの問題になるので、算定根拠の妥当性を議論し尽くした後は裁判所が決めてしまうということですね。
裁判の手続きを含め、手続法についてはこれまで触れることがなかったので、このような定めがあることも新鮮に感じました。
一回の授業で一つの事案を報告・議論するので不完全燃焼感が少々残りましたが、初めて判例を読み込んで、自分なりにいろんな角度から分析し、その過程で手続法にも触れることができるなど、実りの多い学習機会となりました。
やはり新しいことに触れてみるのは、世界が広がって楽しいものです。