真田信繁(幸村)にカムバック賞を

プロスポーツではいくつもの賞があり、それを目指して日々奮闘する選手たちの活躍を見るのがっプロスポーツの醍醐味ですが、自分がその中でも好きな賞の一つに「カムバック賞」というのがあります。

カムバック賞とはその名のとおり、けがや病気から復活を遂げた選手の活躍を称えるもので、日本では特にプロ野球のカムバック賞がよく知られています。
これまで多くの選手が受賞していますが、個人的には脳腫瘍から復活した元横浜・近鉄の故盛田幸妃投手が印象に残っています。

カムバックの難しさは、身体能力の克服に加え、試合勘やモチベーションを取り戻す、というところにもあるのではないかと思います。
もちろん、復帰できるか、生活を続けていけるかという不安もあることでしょう。

だからこそ、そういう困難を乗り越えて復活した方々は本当に尊敬できますし、頑張ってほしいと応援してしまいます。

と、カムバックの難しさを考えていたら、ふと、15年のブランクを乗り越えて鮮やかな復活をとげた真田信繁(幸村)って実はすごくない?なんてことを思いました。

真田幸村像
信州・上田駅前の真田幸村像

大河ドラマでスポットライトを浴びていますので、もはや説明は不要だと思いますが、彼は関ヶ原の戦いで西軍につき、徳川家に敵対したことから流罪とされ、逼塞生活を送っていますが、15年後の大坂の陣で豊臣方に登用され、真田丸の戦いなどで善戦した後、最後は徳川家康の陣に突撃し、家康をあと一歩のところまで追いつめた後、討ち死にしました。

1616年の大坂夏の陣の時の年齢が49歳とされていますので、関ヶ原の戦いのときは33歳、冬の陣の大坂入城、真田丸の戦いのときは48歳。
つまり、15年のブランクの後に49歳にして自ら突撃をするという激しい運動をしていた、ということになります。

50前後でスポーツの第一線で活躍した人物といえば、先日引退した元中日の山本昌投手がいますが、ある意味それくらいすごいことだったのではないかと思います。
(当時の武将たちからも大絶賛されていますので、50前にして本当にすさまじい突撃・運動量だったのではないかと想像します。)

また、一度プロ野球を離れ、再度復帰した選手としては元ロッテの小宮山悟投手がいますが、彼の離脱期間は1年間でした(復帰後通算10勝を記録しています)。
一方、信繁のブランクは15年間。この時期は日本自体に戦争がなかったため、ブランク自体は他の人物も同じですが、15年間のブランクの後に天下の勇将たちを相手に目覚ましい活躍をするというのは、身体能力という点でも、戦場勘という点からもカムバックの難しさをよく克服したな、と思います。

ちなみに武将のブランクについては、三国志の劉備の「髀肉の嘆」という故事が有名ですが、彼のブランクは5,6年。彼ほどの人物でもその期間に心身が衰えてしまうわけですから、15年という時間は想像を絶する長さでしょう。
事実、逼塞中の彼は心身がかなり衰え、本人が心身が弱くなったことを手紙に記しています。

そう考えると、山本投手の年齢の、ブランク明けの小宮山投手が、楽天優勝時の田中将大投手の活躍(24勝0敗)をしているようなもので、けがこそしていないかもしれませんが、まさに日本史上のカムバック賞もの、という感じがします。

こんなことを書いていると、ふと生涯現役を目指し、プロ野球復帰を目指している元近鉄の中村紀洋選手のことを思い出しましたが、彼も今後ブランクを乗り越えて信繁のような活躍をすることもありえないことではないのだと思います。ですので、ぜひ頑張ってほしいですね。

ちなみに彼の事績を金融業界に当てはめてみると、30過ぎまでトレーダー/ディーラーやファンドマネージャーとしてバリバリ頑張っていた人が突然退職して15年間金融市場から離れていて、50前に再度同じような仕事で抜群のパフォーマンスをたたき出す、ということになるでしょうか。
寡聞にしてそのような事例を聞いたことはないのですが、そう考えるとやっぱり信繁はすごいということになりそうです(金融市場関係者の中にはイレギュラーな経歴の人もいますので、案外似たような人生を送っている人もいるかもしれませんが)。

※武将としてのキャリアとスポーツ選手・ビジネスマンのキャリアを同様に語ることの是非は今回はおいておきます。

とりとめもない話になりましたが、そんな経緯をもって大河ドラマを楽しもうと思います(笑)

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