文明開化と瘦我慢

幕末から明治期にかけて、欧米の知識を積極的に吸収し、日本の近代化に貢献した幕臣・政治家がいます。

榎本武揚。一般に五稜郭の戦いで知られている人物です。

幕末にオランダに留学した後、帰国後は新政府への降伏に反対し、艦船を持ちだし、一路箱館(函館)・五稜郭へ。

そこで民主的な行政(選挙の実施など)を行うものの、新政府軍に敗れ降伏、その後は新政府で北海道の開拓をはじめ、日本の近代化に貢献することになります。

榎本は幕末にオランダに長期間留学していたことから、科学や国際法など、当時の日本にかけていた知識が豊富であり、それゆえに、函館政府として(技術的な)近代外交を展開したり、いろいろな発明をしたりしています。

彼が作り上げた石鹸が資生堂の基になったとも言われています。

また、「〒」のマークも榎本が関わったそうです。

彼は語学にも通じ(フランス語が流暢)、それが各国の信頼を得る要因となったともされています。

そのように日本史上大きな軌跡を遺した榎本に言論の刺客がやってきます。

福沢諭吉の「瘦我慢の説」。これは主に勝海舟と榎本に言及されていますが、(国家という存在は本来私的なものであるが、)忠国という瘦我慢が国家の維持に資している。しかし、勝海舟や榎本はそのような瘦我慢を捨てて新生日本に協力した。彼らの功績は大きいものの、その「瘦我慢」を知らない・・・という結論です。

これに対する勝の返答は、有名な「行蔵は我に存す、毀譽は他人の主張」。

行動は自分自身に属し、評価するのは他人の自由、とでも言えるでしょうか。

ちなみに榎本は、忙しいからまたあとで、とかわしています。

この福沢評が榎本の評価を定めることになったともいわれますが、今でも賛否両論あるようです。

グローバル化が進展してきたとはいえ、まだまだ自分の知らない世界があります。

そのなかには、私たちが見習うべきもの、学ぶべきものもたくさんあることでしょう。

そんなことを考えるうちに、榎本武揚はやっぱり凄い人だったと思い返しました。

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