ノーベル賞のお話②

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 前回に続き、ノーベル賞受賞者のお話です。
●日本初のノーベル賞受賞者:湯川秀樹

 1945年に終戦を迎え、挫折感と焦土の中から復興に向かう日本。
 食べるものはないわ、インフレが進むわ、内輪もめは多いわで必ずしも順調でなかった復興ですが、1949年に日本人を大いに鼓舞するニュースが入ります。
 それが、湯川秀樹博士のノーベル物理学賞受賞です。もちろん、日本人初の快挙です。
 当然新聞も大騒ぎ。一面トップで大きく取り上げます。
 よく知られているとおり、湯川博士の受賞の業績は「素粒子の相互作用について」ですが、これを発表した時、湯川博士はまだ若干28歳だったそうです。
 彼の祖父は漢学や英語に造詣が深く、小さいころから漢籍に触れていたことが、後の活躍につながったそうです。また、父や兄弟も学者であるなど、学問をする環境にも恵まれていたようです。
 ちなみに、彼の兄は歴史学の貝塚茂樹氏、そのご長男(つまり湯川博士のおい)は財政学者の貝塚啓明氏だそうです。筋金入りの学者一族です。
 また、彼は大成する学者には珍しく留学をしていません(当時の科学の先端は欧州だった)が、仁科芳雄氏をはじめ、よき師匠、同僚(後にノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏も同僚だった)に恵まれたことも大成する要因だったのではないでしょうか。
 後年、大学の講義では、学生にはいつも「優」を与えたそうですが、代わりに「勉強は君たちがするものだ」と言っていたそうです。
●夫婦親子でノーベル賞受賞:マリー・キュリー(キュリー夫人)
 女性科学者として名高いキュリー夫人ことマリー・キュリー。
 本人がノーベル賞を二度受賞しただけでなく、夫も共同受賞、娘夫婦もノーベル賞を受賞するなど、ノーベル賞一族として知られています。
 マリーは、ポーランド・ワルシャワ生まれですが、後にパリに移り、ソルボンヌ大学で教育を受けました。
 生活費が苦しく、食べ物も極力節約し、研究に打ち込んだそうです。
 研究活動を続ける中で、同じく科学者のピエール・キュリーと出会い、結婚。
 二人で研究を続けた結果、ラジウム・ポロニウムを発見。二人のノーベル物理学賞受賞(1903年)につながります。
 なお、ポロニウムの名前は、マリーの祖国・ポーランドに由来しています。
 
 その後、夫のピエールを交通事故で亡くしますが、一人で子育てをしつつ研究活動を続け、1911年にはノーベル化学賞を受賞。
 その後も研究を続けますが、放射線によって体を害し(ラジウム及びポロニウムは強い放射線を発するそうです)、白血病で亡くなります。
 長女のイレーヌも両親同様科学者の道に進みます。そして、同じく放射線の研究を行い、夫婦でノーベル賞を受賞します。そして、母と同じく、放射線のために体を害し、その生涯を終えることになります。
 次女のエーブは、音楽や文学の才能があり、母親の伝記を著すなどの活躍をしています。マリーの最期を看取ったのも彼女だと言われています。実は、彼女の夫(ヘンリー・ラブイス元ユニセフ事務局長)も勤務するユニセフがノーベル平和賞を受賞しており、文字通りノーベル賞受賞者に囲まれた、ある意味大変な人生だったかもしれません。

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