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最近英語を勉強して、英語の新聞やウェブサイトを読んだり、外国人と話す機会が増えましたが、そうする中で、日本語で過ごしていると触れることのなかった世界に出会うことがあります。
そんなとき、外国語を勉強することで世界が広がっていくことを実感します。
外国語だけでなく、日本語でも知らない言葉に出会うと自分の思考の幅が広がることもあるし、やっぱり言葉は世界を広げてくれると思います。
ということで、今回は言葉と世界のお話です。
●「自由」という言葉を作った福沢諭吉
私たちが好んで使う言葉の一つに「自由」があります。幅広いニュアンスを持つ言葉ですが、この言葉を日本語として確立させたのは、福沢諭吉であると言われています。
英語の「liberty」に対応する言葉がなく、さてなんと表現したものかということで持ってきたのが「自由」。
「自らに由る」。好き勝手、という意味ではなく、自分の意志で行動できるということです。
言葉の意味を考えると、まさに責任と裏表の言葉であることがわかります。
福沢は「身分制度は親の敵」と語り、実力が発揮できない世の中に憤慨していましたが、自分の実力次第で自分の道を切り開くことができる「自由」という概念は彼だからこそ生み出すことができたのかもしれません。
福沢の産んだ「自由」は人口に膾炙し、後年、自由民権運動などにもつながることになります。
福沢がもたらした言葉は他にも、「版権」、「貸方・借方(簿記)」などなど。
「経済」という言葉も彼が作ったそうです。
個人的には、「アイデンティティ」はまだしっくりくる日本語がない気がします。
ちなみに、福沢が日本にもたらしたものとして、中央銀行、生命保険などもあります。
生命保険のはじまりとしてよく福沢が登場します。
●英語ができなくては海軍将校として役立たない?
投手、投球姿勢にはいって、第一球、「よし!」。
太平洋戦争中、英語は敵国の言葉であるため、敵国のスポーツである野球でも英語を使うことができませんでした。
そのため、ストライクは「よし!」、ボールは「ダメ!」。アナウンサーがかなり苦労したという話も聞いたことがあります。
そんなバカな、と思うこともありますが、竹槍・特攻で戦おうとするお国柄ですから、さもありなん、という気もします。
そんな時代、海軍将校を育成する海軍兵学校でも英語の授業や入学試験をやめようという意見がありました。敵性言語だし、戦争中で将校をゆっくり育てる時間もないし、なら英語から・・・というわけです。
そんな意見にはっきりNOを突き付けたのが、当時の校長で、「最後の海軍大将」と称される井上成美。
彼は言います。「どこの国に英語が話せない海軍将校がいる?」「英語が話せなくて国際的に動けるか?」。
海軍将校というのは、一種の外交官的な性格を有していることもあり、英語は必須です。
事実、井上自身英語やドイツ語に精通していましたし、その時代に活躍する軍人の多くが海外経験を有し、英語を話しています。
さらに、陸軍士官学校は英語を試験から外しているので優秀な学生がとられてしまう、という意見に、「そんな志望者ならこっちからお断りだ。」とあくまで英語は必須の構え。
結局、井上校長の意見が通り、英語教育は継続になりました。
彼自身、外国語のおかげで国際的な見聞を広め、当時失われつつあった大局観を養ったという思いがあったでしょうし、また、戦後軍人としての身分を失ってもやっていけるようにという配慮もあったといいます。
彼の中で重視していたのは英語や数学などの一般的な学問で軍事学はその次でした。
彼の配慮のおかげで卒業生の多くが戦後もしっかり生きていくことができたそうです。
戦後、彼は海軍の軍人としての責任を感じ、逼塞することになりますが、その際にも近所の子供たちに英語を教えていました。「これからの時代、英語はできた方がいい」と。
国際化の時代、肝に銘じたい言葉です。
井上成美についてはこちらもご参照ください。