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・損して得取れ
時は中国、春秋戦国時代。数多くの食客を抱え、その能力を十分に生かして名声を得た人物が多くいました。
特に名声が高かったのが「戦国四君」と呼ばれる、斉の孟嘗君、魏の信陵君、趙の平原君、楚の春申君。
中でも孟嘗君は、「鶏鳴狗盗」のエピソードなどで日本人にもなじみのある人物です。
そんな孟嘗君の「損して得取れ」のエピソード。
孟嘗君は、自分の領地の人間に対して金貸業を営んでいました。
ある時、取り立てを行おうと思っていた時に、馮諼という人物を起用しました。
この人物は曰くつきの人物でした。というのも、食客になった時、何の働きもしていないので、「魚を食べさせない」「車がない」「家がない」と騒ぎたて、半ば強引にこれらを手に入れたのです。
彼がどんな働きをしてくれるのか興味があった孟嘗君は彼を取り立てに遣わします。
ついでに、帰りに「***を買ってきて」と頼んで。
さて、 取り立てに出向いた馮ケンは早速債務者を集め、払えるものには払わせ、必要な場合には返済を繰り延べ、払えない者の証文はその場で焼き捨てました。
そして、その場で得たお金で債務者に飲み食いをさせ、「これらは孟嘗君の計らいだ」と吹聴します。
当然債務者は孟嘗君に深く感謝します。
つまり、返済できない人から無理やり取り立てるのではなく、代わりに人望の源としたのでした。
さて、孟嘗君に事の次第を報告した彼に、孟嘗君は「***を買ってきてくれましたか?」と問います。
馮ケン答えて曰く、「はい、あなたのために恩義を買ってきました」と。
勝手に債権放棄された孟嘗君は渋い顔。
しかし、この恩義は無駄にはなりませんでした。
後年、孟嘗君が失脚した時に領地に帰ると、領民は孟嘗君を大歓迎。安住の地を得ることになりました。
このとき、「彼が買ってきてくれたのはこれだったのか」と悟ります。
ちなみに「***」とは「我が家には無いもの」。
馮ケンは、孟嘗君への諫言と(貸金業の)社会的責任の遂行を同時に行ったのでした。
・経済道徳合一説
数々の大銀行や基幹産業、商工会議所などを設立し、近代日本経済の礎を築いた渋沢栄一。
そんな彼は、市場原理一辺倒の人間ではありませんでした。
彼は孔子の論語にも造詣が深く、道徳と経済は相反するものではなく、共存するものだと考えていました。
また、目先の利益を追いすぎることで、本当に大切なものを見落とす危険があるとも説いています。
そのため、利益の社会への還元を促したり、人材の育成を説いたり、また自ら先頭に立って民間外交や社会貢献活動に乗り出したりしました(日本赤十字社の設立にも携わったとか)。
また、彼は多くの企業の設立に携わったにもかかわらず、その株式についてはほとんど保有しておらず、ここからも彼の清廉さが伺えます。
ちなみに、彼は幕末期に筋金入りのナショナリストとして過激な活動を行った経歴もあります。
また、もともと実家が富農で商才に長けていたこともあり、訪欧経験などと合わせて彼の独特の経済感が養われたのかもしれません。
商業人には、高度な学問・教養が必要という考えから、様々な学校の創設にも携わっています。
いま日本の経済等を振り返ってみると、渋沢の遺産の多さに改めて驚きます。
(渋沢の関係した企業のCSR報告書などを見ると、その起源を渋沢に求めている会社は結構多いようです)