バックとフロント

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 企業などで、営業部門や(金融機関の)資産運用部門など、直接収益を生む(直接サービスを提供する)部門を「フロント」、総務や経理、人事、コンプライアンス、監査部門など、会社の管理に関わる部門を「バック」と呼称することがあります。
 これらの部門はそれぞれ組織の両輪で、バランスがとれていれば組織は成長していくのですが、しばしば噛み合わなかったりすることがあります。
  「○○部はいつも口うるさい」とか、「△△部はこちらの言うことを聞かない」という経験をされている人も多いのではないでしょうか。あるいは、会社の本流はフロント部門あるいはバック部門などどいう企業文化(社長は代々●●畑など)がある場合もあるでしょう。
  これは、現代の組織だけでなく、昔からある話です。今回は、そんな「バックとフロント」の話です。
●お前たちは狩の犬だ
  秦が滅びた後、中華の覇権を争った項羽と劉邦。圧倒的に戦闘に強い項羽に敗れ続けた劉邦が最終的に勝利を収めることができたのは、人材の活用や寛容さなど多くの要因が指摘されていますが、重要な要因の一つに「後方部門の重視」が挙げられます。
  項羽は戦闘に強いばかり、戦闘で敵をなぎ倒すことこそ戦争の勝利に貢献すると考えていました。換言すれば、フロントが一番、という考え方です。
  一方劉邦は、大規模の軍隊が粘り強く戦うためには兵糧などの補給が重要であることに気づいていました。そのため、政治的・事務的手腕にすぐれた蕭何を後方支援にあたらせるとともに、項羽軍の補給船の分断に力を入れました。
  そのため、項羽はいつも肝心なところで劉邦を追い込むことができず、最終的に兵が疲弊して敗れてしまうことになりました。
  戦後、論功行賞が行われると、劉邦は蕭何を第一に表彰します。
  これには、戦場で戦っていた武将たちが猛反発。「彼はずっと安全な所にいただけではないですか」
  劉邦は諭します。「お前たちは狩りを知っているだろう。狩では犬を放って獲物を追いたてる。お前たちはその犬だ。蕭何の役割は犬に指図をした人のもの。だから蕭何を第一の勲功とするのだ」。
  これにみな納得し、蕭何は勲功第一とされます。
  ちなみに、蕭何は後方の大事な部分を一手に引き受けていることから劉邦に疑われてはならないと、戦場に一族を多く送り出しています。劉邦はこの事情も酌んで納得していな人を説得しています。
  犬に例えられた武将たちはかわいそうな気もしますが、蕭何を重用したことで、劉邦はその後の漢帝国の礎を築くことができました。
●現場を知らない者が口出しする悲劇
 時は南北朝時代。天皇親政を目指す南朝、武家の政権を目指す北朝。
 足利尊氏率いる北朝は、武家政権を目指すだけあり武家の発言力が強いのですが、南朝は、天皇親政を目指すこともあって公家の発言力が強かったようです(武家の地位が低い)。
 そのため、南朝で軍事的な中心となった楠木正成や新田義貞は戦争を知らない公家の口出しに困ったようです。
 例えば、一時九州に追いつめた足利軍が圧倒的な兵力で京にもどってくる際に、「正面から戦っては勝ち目がないので、いったん京に入れて包囲して兵糧攻めにすれば勝てる」という策に「天皇が京を離れると権威が落ちる」として不採用。新田義貞と湊川で足利軍を迎え撃ち、義貞は敗走、正成は討ち死にという結果になり、南朝はますます追いつめられることになりました。
  また、正成は武家の立場を理解していたし、足利軍の戦力も分かっていたので足利家と和睦することも提案していましたが、これも却下。
 では、公家が正成に替わる案を持っていたかといえばそうでもなく。
 現場を知らない人間が発言力だけ持って介入するというのは組織の悲劇。今も昔も同じですね。
  同様の例は、大坂の陣での淀君にも言えますし、今は天下りなどでも指摘されています。

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