酒は飲めども

GWは終わってしまいましたが、梅雨が明けると、今度は花火や枝豆と、お酒ビールがおいしい季節です。

お酒は楽しく飲めばおいしいものですが、飲み方を間違えると大変なことになります。

現代でも失敗の種になりがちなお酒ですが、これは昔からの人間の性のようです。

ということで、今回はお酒のお話です。

・酒で失敗する人間が多いだろうなあ

中国で初めてお酒ができたのは、古代の聖人・禹の頃とされています。
ある時、お酒を発明した人が、禹に献上しました。
禹がその酒を飲んで言うには、「これはとても美味しい。しかし、この酒のために将来国を滅ぼす人間が出てくるだろう」と。

以降、禹は酒の味を認めながらもお酒を遠ざけたそうです。

正に至言。お酒が命取りになった人間はこれ以降数知れずいるわけですが、とはいえ遠ざけられないものです。
まあ、「酒は百薬の長」というように、さまざまな効能があったり、人間関係を円滑にするという良い面も多いわけなので、適度にということを心掛けたいところです。

これって、たばこや娯楽、果てはサブプライムローン問題の一因になった証券化など何にでも当てはまる法則でもあるかもしれません。

・酔った無礼が命取り

時代は下って、秦末期。
秦に反乱を起こした農民の陳勝は瞬く間に勢力を拡大し、その中で趙という国に部下の武臣を王として派遣しました。
そこでも秦との対抗、勢力拡大が重要で、武臣は秦の人間を取り込むなどして勢力拡大を図りました。
そんなある日、宴に出かけていた武臣の姉と、元秦将の李良という人物が出くわします。
李良は下馬し礼をするのですが、武臣の姉は酔っていて彼をぞんざいに扱います。
李良はプライドも高く、この行為に激怒。秦から寝返り工作を受けていたこともあり、この姉や武臣を殺害し、秦に寝返ります。

悪気はなかったとはいえ、言葉通りお酒が命取りになりました。

この直後、趙は秦軍の猛攻を受け、苦闘することになります。

・酔いがさめたら君主でした

さらに時代は下って、宋の時代。
唐が滅び、中国が分裂する中、後周という国が生まれました。
後周の世宗は優れた君主でしたが、彼がなくなり、その遺児が後継となると、あまりに若年であるため、世宗の側近であった趙匡胤を新たな君主として擁立することを望む声が高まりました。

趙匡胤自身はそれを渋っていましたが、彼が宴会で酔いつぶれたすきに彼の部下が無理やり君主として擁立してしまいます。
まさに、気がついたら君主だったというわけです。

そんな彼は、宋王朝設立後、力を持った功臣をうまく引退させるのにも酒の席を使いました。
ある時、酒の席で「皇帝の座は狙うものも多いし大変だ。諸君もかつがれたらどうする?」と。
王朝設立後、功臣が粛清されるケースは多いので、功臣たちは震えあがり「どうすればいいのです?」とすがります。
そこで、狙い通り「人生は短いのだから、あとは気楽に過ごしては?」と引退を勧め、自らの権力の座を安定させることに成功します。

優れたリーダーは酒の席の有効活用にも長けているのかもしれません。

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