香港・マカオ旅行記①

9月12日から15日まで、3泊4日で香港・マカオに行ってきました。

ご存じのとおり、香港は英国、マカオはポルトガルの植民地だったところで、中国と英国・ポルトガルの文化が融合している魅力的な観光地です。

また、香港は金融で、マカオはカジノで経済振興を遂げており、活気があるといわれています。

今回搭乗したのは、香港のキャセイパシフィック航空

ゆーけーのお仕事日記-キャセイパシフィック航空

これまで日系の航空会社しか乗ったことがなかったので知らなかったのですが、キャセイパシフィック航空は世界でも安全性・サービスにおいて非常に高い評価を誇るそうです。

実際、機内食はおいしいし、片道で2回アルコールを提供してくれました(白ワインとジントニックをもらいました)。

また、日本人添乗員も複数搭乗していたため、日本語の情報提供もあり安心でした。

そして、無事に香港到着。およそ4時間の旅でした。

空港に入ると、さすが金融の都市、多くの金融関連の広告がお出迎えです。

一番最初に目に入ったのはRBS(ロイヤルバンク・オブ・スコットランド)。

さすがイギリス系ですね。

また、こんな広告もありました。

ゆーけーのお仕事日記-金ETF広告

今話題の金ETF。香港の人は投資に非常に関心があり、特に金への関心は強いそうです。

でも、金を手元においていることが安心というのなら、金ETFは少し違う気も?

入国手続きを終えると、他のツアー客と合流。宿泊ホテルへ。

今回の宿泊はパンダホテル。香港の中堅ホテルです。

いつかはペニンシュラみたいな一流ホテルに泊まってみたいですが、まだまだ先になりそうです。

パンダホテルの外観はこんな感じです。

ゆーけーのお仕事日記-パンダホテル外観

パンダです。「酒店」とはホテルの意味です。

内装もパンダがたくさんいました。

ゆーけーのお仕事日記-パンダホテルの内装

夜に着いて疲れていたのですが、何か食べたいと思い、ホテル付近をチェック。

セブンイレブンがあったので入ってみました。

商品のほとんどが日本のコンビニに売っているもの。日本かと錯覚してしまいます。

また、近くにスイーツの店があったのでのぞいてみると、スイーツが安い!!

さっそく買ってみました。

ゆーけーのお仕事日記-フルーツタルト

このフルーツタルトが6香港ドル(約70円)です。

味もよかったです。

また、タピオカジュースもありましたが、これも安くておいしかったです。

タピオカが多いし、風味も抜群でした。

こんな甘いものを食べた後、すぐに寝ました。

歯磨きは水が怖いので、もったいないですがミネラルウォーターを使いました。

安心して水道を使える日本はこの点素晴らしいです。

そして、旅は2日目へ。

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今日はマカオです

今日はマカオに行ってきます。

マカオはポルトガルの植民地だった都市でカジノで有名です。

カジノも見学予定で、大金持ちになれるかな、なんて夢見てます(笑)

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香港に行ってきます

今日から3泊4日で香港・マカオに行ってきます。

ご存じのとおり、香港は数年前まで英国の植民地だった土地で、英国と中国の文化がコラボしている魅力的な観光地です。

また、近年ではアジアの金融の中心地としても発展しており、金融関連の建物が夜景を彩っていると聞きます。

楽しく有意義な旅行にできるよう頑張ってきます!

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今年も9.11

今年も9.11の日がやってきました。

今年はあまり9.11という印象がなかったです。

衝撃が薄れつつあるのでしょうか。

とはいえ、米国では跡地付近にモスクを建てるか否か、またコーラン焼却騒動があったりして、まだ傷跡が癒えるという状況ではなさそうです。

宗教に関心のあまりない私には、やはりこのような宗教による対立は残念なものに思えます。

どうして人が信じているものを無遠慮に否定したり、刺激したりするのだろうと。

イラク戦争は区切りをつける形になりそうですが、肝心のアフガニスタンでの戦いは依然終焉が見えてきません。

米国、アフガニスタンでの話とはいえ、日本には無関係の話でもありません。

日本は後方支援の役割を果たしているし、タリバンも日本を敵視しているとの表明があったように思います。

無論テロは許されざる行為ではありますが、一刻も早く両者が理解しあい、これ以上犠牲者を増やさないことを切に願います。

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諌言は一番槍より難しい

※このカテゴリでは、別途発行しているメールマガジンの内容を記載しています。
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 日々仕事や生活をしていると、言ってあげたほうが良い、あるいは何かを止めなければならない、という場面に遭遇することがときどきあります。
 しかしながら、性格や力関係その他の事情によって、言わなければいけないことも言えない、ということもまたよくあります。
 そして、その結果、よくない結果が待っている、ということもやはりよくあります。
 そんなとき、自分にもう少し度胸や勇気があれば、と思うのですが、
やはり難しいものは難しい。
 今回は、困難にあっても見事自分の意見を述べた勇者のお話です。
・反戦の言論活動を行う海軍軍人
 ご存じのとおり、第一次世界大戦ののち、日本の軍部(特に陸軍)の活動は一層独善的に、かつ活発になっていきました。
 中国への介入は一層強いものとなり、不況の影響もあって世相も不安定になり、政党政治への不信感も相まって、軍部の活動を抑えられる勢力が減っていきました。
 その中で、統帥権干犯問題や天皇機関説問題なども発生し、軍部に都合の悪い意見は封じ込まれてきました。
 一方、国際的には孤立を深めていき、国際連盟を離脱、中国はもちろん英米その他列強との関係も悪化していきました。
 そんな中、そのような風潮に徹底抗戦した人物としては、東洋経済新報社社長、のちに首相になった石橋湛山が有名ですが、実は海軍内にも反戦ののろしを上げた人物がいました。
 

 水野広徳といいます。
 水野は海軍に入った後、日露戦争に参加、その時の様子を描いた文章が評判になったことにより、海軍内でも文筆家として知られることになり、その後もその才能を生かした経歴を積んでいくことになります。
 そんな中、第一次世界大戦で敗戦したドイツなどを私費で訪問。第一次世界大戦は初めて国家同士の総力戦となった戦争といわれますが、その悲惨さに戦争のむなしさを感じます。
 これがきっかけで、これまでは生粋の軍人として、軍隊に意義や誇りを感じていた彼の姿勢が一変し、反戦の文筆活動を行うことになります。
 
 当然ながら水野の意見は軍部内でも問題になり、ついには言論の自由を得るために海軍を飛び出すことになります。その後も反戦の姿勢は崩さず、発行物も発禁処分を受けたりしています。
 結局、水野は日本の敗戦を目撃し、その直後の10月に亡くなっています。
 彼は、第一次世界大戦のときに、その戦闘規模や兵器の強力さを目の当たりにして、人類が戦争を続けるならば、人類が滅亡するまで戦争は続けられることになり、人類が勇気と良知をもって戦争をやめなければならないと説いています。
 第二次世界大戦終結からもう60年以上たちますが、まだ世界には戦争・紛争が絶えません。
 水野が説く勇気と良知が世界を覆う日が来るのを願うとともに、せめて日本が再びそのような道を歩みそうな時がきたら、せめて少しだけでも彼の気概を見習い、自分の意見を言えたらと思います。
・万難を排し、環境問題を訴える
 今般、地球温暖化を中心とした環境問題が盛んに指摘されていますが、温暖化の前には公害という問題が人々の悩みの種でした。
 公害の歴史は古く、イギリスでは産業革命の頃から大気汚染の問題がありましたし、日本でも明治期に足尾銅山鉱毒事件などが発生しています。
 
 しかし、公害の問題は経済活動によってもたらされているものだけに利害関係が複雑で、解決が難しいものです。公害を抑えるために経済活動を縮小すると、それで不利益を被る人もいるわけですので。
 そのため、公害に立ち向かう人には圧力もかかり、非常に大変な苦境がもたらされるようです。
 言い換えれば、公害の数だけドラマがあり、勇気ある人物がいることになりますが、ここでは、アメリカの農薬問題に立ち向かった一人の女性を紹介します。
 レイチェル・カーソン女史は、「沈黙の春」という著作で知られています。
 「沈黙の春」ではDDTという農薬が環境に非常に悪い影響があると指摘し、その使用をやめるように訴えています。
 当時DDTは安価で人間への影響もあまりないと認識されていたことから農薬や殺虫剤などとして普及しており、当然のことながら反発は大きいものでした。
 業界でもカーソンに反対するキャンペーンが展開されていますし、圧力も相当なものがあったと思います。
 並み居る大企業から連続して訴訟でもされたら対抗するのも難しい。
 彼女もそれは想定していたそうですが、それでも自分の意見を公表します。
 DDTに関しては、この本を読んだケネディ大統領が調査を行い、最終的にDDTは規制されるようになります。
 実はその後、本書については科学的に疑問される点が指摘されたり、マラリア対策の障壁になってしまったとの意見がありますが、やはり環境に悪影響を及ぼすという点ではコンセンサスがあるようで、巨大な環境問題に勇気を出して立ち向かった彼女の偉大さは変わらないものだと思います。
 ちなみに、戦後日本の児童が消毒されている写真を日本史の授業などで見ますが、あの薬剤もDDTです。

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日本振興銀行の破たんについて

9月10日、金融庁より金融担当大臣談話が公表され、かねてより経営状態が懸念されていた日本振興銀行の民事再生手続き開始の予定およびペイオフ発動が予定されているということです。

私自身、将来はソーシャルファイナンス事業に携わりたいと考えており、日本振興銀行のビジネスモデルは大変参考になると思っていましたので、このような状態になることは自分自身大変残念に思っています。

やはり中小企業専業というものの難しさということでしょう。

中小企業融資はリスクが大きいだけでなく、そのなかで信用金庫・信用組合や日本政策金融公庫などが競争しているわけで(最近はメガバンクも注力していると聞きます)、下手をすると誰も手を出せない懸念先に貸し出しが集中してしまうというリスクを負いかねません。

実際、担保をとるのも限界があり、かなりの程度経営者の力量やビジネスモデルに賭けるという面が出てくるのではないかと思いますが、そのあたりの審査ノウハウも相当必要ではなかったかと思います。

日本にも信用金庫をはじめとして中小企業向け金融機関は多くあり、海外にも当然あるでしょうから、MBA期間などを通じて、なぜ日本振興銀行は破たんせざるを得なかったのか、どうすればこのビジネスモデルを活かしつつ、自分のしたいビジネスを続けることができるのか考えていきたいと思います。

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