友達100人できるかな

小学生の頃、よく聴いた歌に「友達100人できるかな」というのがありました。

そう、1年生になったら・・・、というあの歌です。

僕は内向的とまではいわないにせよ、結構人見知りなタイプなので、あまり友達は多くできませんでした。

イベントに行っても結構控えめで、人に話しかけるのも結構苦手・・・。

端っこの方でポツンといることが少なくありません。

もちろん、こんなことではいけないというのはいつも思います。

特にこれから人間関係を広くしなければいけないときに人見知りや無用の遠慮は厳禁。

また、留学までに多くの人にお会いして見識を広めておきたいという気持ちもあります。

とはいえ、なかなかそれを積極的にやっていくきっかけがない・・・。

と考えていたところに、ちょうどいい企画があるのを知りました。

Just Givingといって、自分の挑戦に共感する人に、指定する団体に対する寄付を募り、自分の挑戦とチャリティを両立させる仕組みです。

早速自分も挑戦を登録してみました。

新たな出会いを作って障がい者の就労支援!!」というものです。

僕の目標は、留学するまで、つまり今年中に100枚の名刺を交換すること。

つまり、それだけの方とお知り合いになるということです。ちなみにプライベート限定で、通し番号の入ったプライベート名刺も作成しました。

そして、僕のこの挑戦に共感してくださる方は、是非コメントや寄付をお願いできればと思います。

コメントだけでも大きな力になります。

今のところ、3枚配布できました。

これから大きなイベントがいくつかあるので、積極的にいろんな人と話して、結果として名刺もたくさん配れたらありがたいです。

進捗があったら、適宜ブログでご報告させていただきます。

まずは友達を100人作って、自分を変え、そして世界を変える第一歩としたいと思います。

将来の友人の皆様、ご理解とご協力のほどどうぞよろしくお願いします。

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寛容

※このカテゴリでは、別途発行しているメールマガジンの内容を記載しています。
(バックナンバーはこちら

 日本社会は「失敗が許されない社会」と言われることがよくあります。
 ちょっとした失敗を皆でたたいたり、ビジネスで失敗した人は再生する機会を与えられなかったり。島国国家のためか、異なる価値観を受け入れられないということもよくあるのではないでしょうか。
 しかし、経済的にも心理的にも活力が必要な今こそ、寛容さを大切にし、失敗や多様な価値観・考え方を受け入れるべきだと個人的には思っています。
 ということで、今回のテーマは「寛容」です。
・沈黙公

 オランダという国は、多様な価値観に寛容であると言われています。
 いろんな国と近く、国際的な雰囲気であるというのも一つの要因であると思われますが、国家の源流にその理由を見出すこともできそうです。
 16世紀のはじめ、オランダは神聖ローマ帝国の支配を経て、スペインの支配を受けていました。そして、その頃、オランダには宗教革命の結果、プロテスタントがドイツなどから流入して一大勢力となっていました。
 それを見過ごすことのできないスペインはプロテスタントの弾圧を行います。
 当然ながらオランダ現地の貴族たちはそれに反発。リーダーに推されたのが、オラニエ公ウィレム1世です。
 ウィレム1世は、艱難辛苦の中オランダ独立のために戦い抜き(80年戦争)、最後は暗殺に倒れた悲劇の英雄ですが、彼には「沈黙公」という呼び名があります。
  スペインがプロテスタントを弾圧していたころ、プロテスタントの虐殺を計画したことがあります。
  人づてにそのことを聞いたウィレム1世は顔色も変えませんでした。具体的な命令を受けても。
  しかし、本心は違いました。彼は命令を受けたことを逆手に取り、この計画を破たんさせます。
  (彼自身はカトリックだったとも言われています)
  この結果、多くの人が救われました。
  このエピソードから、彼は「沈黙公」と呼ばれます。
  その後、彼は暗殺されますが、暗殺者は狂信的なカトリックだったそうです。
  そして、彼の最後の言葉は、自信と暗殺者たちに慈悲を祈る内容だったと言われます。
  暗殺者と対比することによって、一層彼の寛容さが浮かび上がるようです。
  こうした彼の人格もあったからか、彼は多くの協力者を集めて独立戦争を進め、同時に今のオランダの寛容さの基礎が形成されたように思えます。
泰山は土壌を譲らず

 中国・戦国時代も終わりの頃、西の秦が始皇帝のもと天下統一事業に王手をかけていました。
 
 しかし、始皇帝は即位してしばらくは実権を握ることができず、また何度か謀反に遭いました。
 そして、その多くが秦の人間でないこと、また秦以外の外国人が出世していることに反感を感じていた秦の人間たちの意見もあって、「逐客令(外国人追放令)」を出します。
 始皇帝のブレーンとして活躍していた李斯もその一人です。
 李斯としては、せっかく苦学して出世しつつあったのに、今更追放されるなど納得がいきません。
 そのため、始皇帝を説得しようとします。
 「泰山(中国の大きい山)は土壌を譲らず、だからこそ大きいのです。大きい河川はどのような小さな支流も受け入れ、だからこそ大きくなるのです。」と。
 その結果、逐客令は撤回され、李斯は再び出世の道を歩みます。
 ・・・そしてその後。

 あるとき、始皇帝は一つの書に出会い、感激します。そして「この著作の著者に会えるなら死んでもいい」とまで言ってのけます。
 しかし、偶然にもその著者が隣国・韓の王族であることを知り、招聘しようとします。
 その名は韓非。そしてその書物こそ、法家の集大成ともいえる「韓非子」です。
 大国秦の王なら、韓非を呼ぶことなど朝飯前。韓非は秦王のブレーンとなります。
 しかし、それを妬んだ李斯は彼を讒言し、韓非は自殺に追い込まれます。同門であるにもかかわらず。
 この時、李斯が外国人(韓非)を受け入れていたことをどう思ったのでしょうか。
 最終的に、李斯は秦帝国の宰相にまで上り詰めますが、始皇帝の死後、政争に敗れ刑死します。
 そして、秦の滅亡、漢楚の戦いを経て、政権はやはり寛容さで知られた劉邦に引き継がれることになります。
 

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NPOで働く

最近その活動に注目が集まるNon Profitable Organization (NPO)

そのNPOに対するイメージというのは様々でしょう。

似たような言葉にNGOというものがあることも影響していると思います。

大きいものでは「オックスファム 」「国境なき医師団 」、小さいものでは、町のボランティア団体みたいなものまで様々です。

そのNPOの一つに、若者の社会参加を促すプログラムを運営していることで知られる「育て上げ」ネット という団体があります。

最近社会問題としてよく取り上げられるテーマとして「ニート」がありますが、ニートが必ずしもやる気がないのではなく、社会に送り出す準備さえすれば、問題の解決につながることに注目し、社会教育・職業訓練の機会を提供している団体です。

その団体の理事長をされている工藤啓氏はこの団体の創設者であり、その経験がまとめられたのが「NPOで働く」という本です。

NPOの立ち上げから軌道に乗せるまでの取り組みや人材の確保など、課題やその取り組みの経緯が具体的に書かれていて非常に参考になりました。

また、実際に働かれている方のこともたくさん書かれていますので、どんな人がどのように働いているのか、というイメージもしやすいと思います。

先日読んで同じく感銘を受けたライフネット生命・岩瀬大輔氏の「ネットで生保を売ろう!」と同じ雰囲気です。

この本を読んでいて思ったのは、頑張って取り組んでいれば、協力者はきっと現れる、ということ。

もちろん他力本願でよいというのではなく、必死に取り組んでいれば、またその過程で人との出会いを大切にすれば、人の輪が広がっていくということ。

それを積み重ねていけば、いろんなケースで道が開けていくということもあるみたいです。

これはこの団体のケースに限らず、いろんな人がこういう経験をしているみたいで、見習わなければいけないと思いました。

一方で、行政の委託事業の問題点やNPO団体の経営の難しさについても考えさせられることがありましたが、また、多くの課題を知恵を絞って乗り越えていくたくましさにまた感嘆させられました。

将来はNPOも含め、ソーシャルビジネスを支援することで社会の改善に貢献したいと考えている自分にとって、NPOの実態について具体的に教えてくれる好著でした。

最後にNPOの事業の意義について「放置すればタックスイーター、支援すればタックスペイヤーとして社会の担い手になる」という言葉に強く共感しました。

また、著者は「優れた政策立案のためには3割は当事者がかかわるべきだが、全く関わっていないケースがある」という指摘をされており、これもなるほどと思いました。

将来的に、社会問題の改善に貢献するためのキャリアの選択肢が増え、自分もその一端に携われるようにいろいろ勉強したいと思います。

NPOで働く/工藤 啓
¥1,470
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オランダ・スペイン旅行記

先週はRSMのインタビューを受けてきましたが、それとは別に観光という目的があったので、そちらの方も書き残しておこうと思います。

7月9日(土):日本発

夕方に成田から出発。お世話になるのはおなじみキャセイパシフィック。

昨年の香港旅行以来ファンになりました。

今回は香港で乗り継ぎ。香港に夜中について2時間くらい待ちました。

香港国際空港はWiFiが無料なので助かります。

そしてオランダ・スキポール空港に出発。

7月10日(日):アムステルダム着

飛行機に乗ること約20時間、ようやくアムステルダムのスキポール空港に到着。

スキポール空港はヨーロッパのハブ空港の一つで、アムステルダム中央駅まで電車で約20分。

都心から1時間程度かかる成田空港に比べ格段に便利です。

ちなみにWiFiは1日1時間まで無料。30分ごとにログインが求められます。

ゆーけーのお仕事日記-アムステルダムCSまで

そして、電車に乗ってアムステルダム中央駅に。

アムステルダム中央駅は東京駅のモデルになったとも言われています。

ゆーけーのお仕事日記-アムステルダム中央駅

確かに、何となく似ているような?

そして、思い鞄をガラガラ引きずりながら途中で朝ごはん。

ゆーけーのお仕事日記-オランダの朝ごはん

さすが酪農の国、チーズが大きいです!

僕はチーズ苦手なんですが・・・。

市内には、王宮やダム広場、ラボバンク(オランダの農業系金融機関)などがありました。

ゆーけーのお仕事日記-王宮とダム広場

ゆーけーのお仕事日記-ラボバンク

そして、しばらく歩くと、フォンデル公園。代々木公園あるいは吉祥寺公園みたいな感じです。

ゆーけーのお仕事日記-フォンデル公園

多くの人が走ったり自転車をこいだりしています。

ちなみに、オランダでは21時くらいまでは明るいので、夜でもこの公園で運動したり日向ぼっこしたりしている人が多かったです。都心なのに非常にのどかでした。

そして、フォンデル公園に近接したところにホテルがある・・・はずだったのですが見当たりません。

詳細な地図ももっておらず困っていたら、何人かの方が声をかけてくれました。

親切にもスマートフォンで場所を調べてくれ、案内までしてくれました。

オランダ人は本当に親切です。これはイギリスに行った時も感じましたが。

これで一気にオランダへの好感度がアップです。

ホテルに着くと疲れが一気に出てすぐに寝てしまいました。

夜中に目が覚めたり大変でしたが・・・。

7月11日(月):RSM訪問・ロッテルダム観光

翌11日はRSMのインタビューを受けるため、オランダ第2の都市であり、欧州有数の港町、ロッテルダムに行きました。

ロッテルダムはアムステルダムから電車で約1時間。途中、ライデンやハーグを通過しました。

ゆーけーのお仕事日記-オランダの電車

「2」というのは2等車のこと。2等車は日本の普通の電車と同じ感じです。ただ、2階建てですので、2階席は景色が良かったです。

途中戸惑いながらも、何とか大学に到着し、インタビュー。

その後、帰りながらロッテルダム見学をしました。

ロッテルダムと言えは近代的な街並みで知られていますが、特に有名なのがキューブハウス

ゆーけーのお仕事日記-キューブハウス

これ、実はマンションで、人が住んでいるらしいです。見学もできるとのことです。

他にもぶらぶらしながらアムステルダムに帰還。

7月12日(火):アムステルダム観光

ロッテルダムから帰ってきて、再びアムステルダム観光に。

まずはアムステルダム有数の観光名所である美術館地域に。

アムステルダム国立美術館やゴッホ美術館などが集まっています。

美術館の中には入りませんでしたが、しっかりお土産はチェック(笑)

ゆーけーのお仕事日記-ゴッホ消しゴム

ゴッホ画伯の消しゴムがあったり。

近くのビアガーデンで食事をして、せっかくなのでハイネケンを飲んだり。

ゆーけーのお仕事日記-ハイネケンとピザ

ハイネケンを初めて飲んだのですが、とても飲みやすかったです。あまり苦みがなかったような。

ピザもおいしかったです。ピザがオランダ料理かどうかは知りませんが・・・。

その後、アムステルダムの運河ツアーに参加。

ボートで運河を回っていると、アムステルダムの街並みがいろいろ見えてきます。

ゆーけーのお仕事日記-運河ツアー

古い物を大切にするお国柄で、かつ地震もないからでしょうか、古い町並みで統一感がありました。

しかも、その辺自転車だらけ。でも日本みたいに放置自転車が多いわけではなく、しっかり駐輪されています。

このあたり、日本も見習うところがありそうな気がしました。

その後、とりあえずホテルに帰ってオランダ料理でも食べに行こうー、と思っていましたが、疲れて気が付いたら寝てました(笑)

ただ、翌日は早朝にホテルを出るので、タクシーの予約のお願いだけはしておきました。

7月13日(水):バルセロナ観光

この日は格安航空でスペイン・バルセロナの日帰り旅行。

6時10分発で、公共交通機関は使えなかったので、4時15分にホテルにタクシーを予約。

4時には用意をしていました。

お世話になるのは、オランダKLM航空のグループ格安航空・トランサビア航空

格安航空というと、市内から遠く離れた空港を利用することも多いのですが、トランサビア航空は、スキポール空港と、バルセロナ・エル・プラット空港と、両方とも目的地のメイン空港で助かりました。

ゆーけーのお仕事日記-トランサビア航空

8時30分ごろバルセロナに到着。

電車と地下鉄を乗り継ぎ、まずは最初の目的地、サグラダ・ファミリアへ。

アントニオ・ガウディが設計し、今もなお建設が続けられている巨大建築物です。

ゆーけーのお仕事日記-サグラダ・ファミリア

まだ建設中ですが、すでに大きいです。

2020年には建設が完了するとも言われており、その頃にまた観に行きたいものですね。

その次は、同じく有名なグエル公園

坂の上にあったので、結構疲れました。暑かったですし。

そして、そのグエル公園の頂上にあるゴルゴタの丘からバルセロナを眺めるのは壮観です。

ゆーけーのお仕事日記-ゴルゴタの丘から

サグラダ・ファミリアも遠くに見えますね。

ちなみに、ゴルゴタの丘というのは、もともとはエルサレムでイエス・キリストが磔になった場所だそうです。

その後、バルセロナの繁華街を通り、バルセロナ現代美術館などを回りました。

現代美術館では現代アートが展示されていましたが、その方面のことは全然わからないので、それらのアートが表現したいものの理解ができませんでした。残念。

あと、スペインは革製品が有名なので、鞄を買いたいと思っていたところ、鞄の専門店でPICARDというブランドの鞄がよさそうなので即購入。

後で調べてみると、PICARDはドイツのブランドでした。ドイツの製品をスペインで買うというのも不思議なものです。まあ、EU域内だと関税もかかっていないのでしょうから、日本で買うよりお得なのは確かでしょう。

そのあと、コロンブスの塔を観たり、ショッピングモールに行ったりしていると、気が付いたら飛行機に乗るまでの時間がない!!

焦りましたが、仕方なく近くの駅からタクシーで空港に向かいました。

ひやりとしましたが、なんとかセーフ。

そして、深夜にホテルに戻りました。

ちなみに、スペインの地下鉄にはこんな手すりがありました。

ゆーけーのお仕事日記-スペイン地下鉄の手すり

1本で三人以上つかまれる優れものです。

日本の鉄道でも導入してもいいかもー、と思いました。

ちなみに、電車に吊革はありませんでした。この点は日本の方が便利かも?

あと、興奮して、勢いでFCバルサのシャツや闘牛をモチーフにしたTシャツを買ってしまいました。

ゆーけーのお仕事日記-バルサTシャツ

ゆーけーのお仕事日記-BAD TORO

7月14日(木):オランダ発

いよいよオランダ最終日、といってもお昼には飛行機が出るので、大したことはできません。

最後にホテルの近くを散歩して、写真を何枚か撮っておしまい。

ゆーけーのお仕事日記-Albert Heijin

Albert Heijinはオランダ最大のスーパーマーケットチェーンです。

ホテルの近くにもあってお世話になりました。

そしてスキポール空港へ。

お土産を買ってさあ飛行機へ、と思ったら天候が悪く1時間ほど出発が遅れます、とのこと。

オランダに長く居られて嬉しいようなそうでもないような?

ともあれ、何とかオランダを出発、長い旅路を経て香港へ。

そして香港では乗継が難しいから他の便に変更されたうえ、さらにその飛行機も天候不順で1時間ほど遅れて出発。ぐったり・・・。

ともあれ、なんとか成田まで帰ってくることができそうです。

7月15日(金):日本着

・・・ということで、無事に成田に到着。予定より3時間くらい遅れていますが、まあよし!です。

後は電車とバスを乗り継いで自宅に。

むわーっとした空気が気持ち悪かったです(笑)

ということで、1週間のオランダ・スペイン(と少々香港)の旅が終了しました。

初めてツアーでなく自分で手配した旅行で、かつ別の国に行くというオプションまで付けたのでうまくいくのか不安もありましたが、無事全ての旅程をこなすことができてよかったです。

ちなみに旅行中に読んだ本は下記の3冊です。

・江上剛「さらば銀行の光

・工藤啓「NPOで働く

・百田尚樹「永遠の0

それぞれ面白かった本で充実した読書の時間になりました。

これらについては、後ほど書評を書いてみようと思います。

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コクリコ坂から

本日公開のジブリ新作「コクリコ坂から」を観てきました。

今回は宮崎吾郎監督ということで、「ゲド戦記」の評判が芳しくないということでしたが、幸か不幸か僕はその作品を見ていないので特段先入観はありませんでした。

「コクリコ坂から」は同タイトルの漫画を下敷きにした作品で、高度経済成長期の横浜が舞台となっています。

その港町の高校で、古いクラブハウスの存続を巡り、学生たちが高度経済成長期の空気を浴びながらアグレッシブに動き回ります。

そんな空気の中、主人公たちは出会い、活動を共にします。

そして、紆余曲折を経ながら、人間関係をはぐくんでいきます。

我々の世代にとって、高度経済成長期は活字やメディアを通じてしか触れることのできない、ある意味伝説化した時代ですが、その雰囲気が良く伝わってきました。

「となりのトトロ」が高度経済成長期の裏側を描いたとすれば、「コクリコ坂から」はそれを表から描いた作品、と言えるかもしれません。

海ちゃんと俊君の関係を温かく見守りつつ、学生たちの元気を見て、今の社会に足りないものはまさにこれなんだろうな、と思いました。

一方で、そのアグレッシブさから出る行動は、MBA学生たちのそれに似ているようにも見え、自分が留学する際にはまさにその意気が必要なんだと思わされました。

また、「古いもの」と「新しいもの」の関係もこの作品のテーマの一つだと思いますが、これについても考えさせられました。

新しい物を積極的に取り入れることは大事だけれども、過去のものを大切にし、受け継いでいくこともまた大事なこと。

あと、すごく印象に残ったのは、ある実業家が学生に哲学者の話を振られて、即座に「・・・か!」と答えたところ。特に欧州で顕著と聞きますが、実業家・ビジネスパーソンも教養を身に付けておくべきものかと思いました。

そういえば、一昔前の実業家は旧制学校の影響があるのか、教養も豊かである印象があります。

MBAだって勉強だけでなく、いろいろな人間味が大事と言われたこともありますので、心しておきたいと思います。中国古典はともかく、西洋哲学はあまりよくわかりませんが・・・。

内容に加え、音楽も秀逸でした。思わずサントラを購入してしまいました。

特に手嶌葵さんの「さよならの夏~コクリコ坂から~」はグッときますね。

今日たまたまアニメ産業に関する雑誌の記事を読んでいたのですが、やはりアニメは産業として、また私たちの心を豊かにするエンターテイメントとして大切にしたいものだと思いました。

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RSM出願結果

本日、オランダ・スペイン7日間の旅から帰ってきました。

7日間と言っても、乗継だったので、飛行機に20時間×往復で40時間くらい乗っていましたが。

10日(日)にアムステルダムに着き、翌日11日にはロッテルダムにあるエラスムス大学のRotterdam School of Management (RSM) のインタビューを受けてきました(記事はこちら)。

で、翌週に会議があるので合否はその時に、という話を聞いていたので、まずは受験を忘れて観光を楽しんできました。

そして、今日日本に着くと、鞄の中で携帯電話がブーブーなっている。

誰だろう?と思ってみてみると、見慣れない番号。

日本の電話番号ではなかったので、国際電話だと気づきました。

そういえば、依然RSMから自宅に国際電話がかかってきたことがありました。

今回もRSMからか、と思って電話番号をもう一度見ようとすると、そこで運悪く充電切れ。

自宅に帰るまで、誰からの電話かわからずじまいでした。

さて、自宅に帰って早速見てみると、確かにRSMからの電話でした。

そこでまずはメールを送ってみました。

しかし、そこでTwitterにて「国際電話をかけて殻を破れ!」との檄が。

そうまで言われてはかけないわけにもいきません。

・・・といっても、国際電話をかけるのは初めてなので緊張しました。

ちなみに気になる料金はIP電話で20円/分。想像していたよりは安かったです。

ともあれ、いつまでもうじうじしていても仕方がないので、思い切ってボタンをプッシュ!

すると、件の担当者。

「おー、ゆーけーさん!ペラペラ・・・」速くてよく聞き取れません(汗)

でも、何となくofferとか言っている気がする。

そこで、「つまりCongratulations!ってことですか?」と聞くと、その通り、とのこと。

RSM合格です!

メール送ったんだけど見てない?と言われ、来てませんけど、ということで再送してもらうことに。

・・・が、その後何気なく迷惑メールフォルダを見ると、何と別の担当者からOfferメールが。

すみません~(汗)

ということで、僕のMBA受験についてはここで一度終了です。

今後、奨学金や交換留学の関係でGMATのスコアアップを図るかもしれませんが。

お世話になった皆さん、ブログを読んでくださった(特にコメントをいただいた)皆さん、これまで本当にありがとうございました。


そして、これから始まる新たな挑戦においても、どうぞご協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

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