笑顔は人を惹きつける

今年も夏真っ盛り。毎日通勤で汗びっしょりでサラリーマン的には(?)少々辛いです。
でも、そんな夏ですが、毎年たくさんのものをくれるので無下にもできません。
特に今年は甲子園に加え、リオデジャネイロオリンピックもあるので、より暑い夏になりそうです。

オリンピックの時は、テレビをつけたときに放送されている種目を見ていることが多いです。詳しくない種目だと(ほとんどの競技についてあまり知識がないのですが)、イメージと違った側面を発見することが多くて面白いです。

今大会でもいくつかの種目を見ましたが、特に印象に残ったのが女子48kg級ウェイトリフティング。
自分より小柄な選手が体重の2倍以上あるバーベルを持ち上げている姿自体が崇高です。

個人的なイメージではウェイトリフティングは筋力勝負の種目という感じでしたが、実際には選手間で多くの駆け引きがあります。
他の選手がどのくらいの重さを持ち上げるのか、限られた試技の回数の中で他の選手を出し抜くためにどの重さを選択するか、など多くの駆け引きの要素がありました。
もちろん、自分の持ち上げられる重さには限界がありますし、試技の際に心身の状態を最高にしなければならず、そのためには休憩の時間も大事で、そのあたりも持ち上げる重さを選択する要素になっているようです。

この種目では、ロンドンオリンピック銀メダリストの三宅宏美選手が、腰を痛めて痛み止めを打ちながらも奮闘し、見事銅メダルを獲得しました。

ウェイトリフティングは「スナッチ(バーベルを一気に頭上に持ち上げる)」と「クリーン&ジャーク(バーベルを一度肩まで持ち上げてから頭上に持ち上げる)」があり、各3回の試技ができるのですが、三宅選手はスナッチ3度目で成功し、しかも床に崩れ落ちそうなところをぎりぎり踏ん張っての成功で、本人もコメントされているとおり、奇跡とも思えるような成功でした。
その後、クリーン&ジャークでも好成績を残し、見事銅メダル。見てて本当にすごいと思いました。

その一方、もう一人印象に残ったのが金メダルを獲得したタイのソピタ・タナサン選手。
もちろん金メダルという成績も素晴らしいのですが、それ以上に印象に残ったのは彼女の「笑顔」。

多くの選手は試技に成功したあと、どちらかというと安堵の表情を浮かべていました(もちろん順位がかかっているときなどは皆さん笑顔でしたが)。
プレッシャーもあるし、そうでなくても力を入れて踏ん張っているわけですから、「ふーっ」という感じになるのが自然だと思います。

そんな中、タナサン選手は成功した後、安堵の表情というよりいつもニコッと笑顔でプラットフォームを離れていました。
その笑顔を見ながら、笑顔って素敵だなー、なんて競技とは別のことを考えていました(笑)

彼女の国、タイは「微笑みの国」とも呼ばれる、笑顔あふれる国民性で知られています。
タイ人の友人は非常に性格がいいし、タイに行った時も多くの人が笑顔でいたのは印象に残っていますが、タナサン選手の笑顔も、まさに「微笑みの国」の代表らしい、といえるのかもしれません。

「笑う門には福来る」といいますが、笑顔は本当に人を惹きつけると改めて感じました。

※あくまで個人的な印象ですし、また試技後の表情に優劣があるとは思っていませんので、念のため。そして、もちろん競技後の三宅選手の笑顔も素敵でした。

一方、涙で人を惹きつけるのが甲子園といえるかもしれません。
勝者の歓喜も素晴らしいですが、同じく練習に打ち込み、一球一打にかけてきた敗者の涙にも心打つものがあります。
だからこそ、プロ野球とは違った魅力があり、多くのファンが時として出身地に関係なく高校球児を応援するのだと思います。

ちなみにこの記事を書きながら、盛岡大付対九州国際大付の試合を見ていましたが、お互いに追いつき追い越し、また追いつきのシーソーゲームで、最後まで試合の行方が分からない素晴らしい試合でした。
毎度のことですが最後まであきらめない球児たちの姿勢にも感動します。

と、いろんな面でスポーツから心に栄養をもらった一日になりました。
スポーツにそこまで関心を持っているわけではない自分でもこんな気持になれるので、オリンピックが平和の祭典として、これから(も)世界中の人の気持ちをつなげてくれることを期待したいと思います。

また、自分もできるだけ笑顔を多くして、周りの人の気持ちを和やかにできたらと思います。

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起業家訪問-LandsSkip

最近は世間的に、というだけではなく、自分の周りにも起業したりフリーランスとして活躍する人が増えてきて、会社勤めの身としてはそういうことに憧れつつも、自分がどうしたいか、どうすべきか、ということをよく考えますが、そんなときに、起業家として活躍している知人がオフィスを移転したと聞いたので、見学がてらお話を伺うことにしました。

今回お話を伺ったのは、株式会社ランドスキップの下村社長。
最近はメディアへの露出も増え、注目されているベンチャー経営者です。

Landskip

ランドスキップのサービスは、オフィスや自宅などに居ながらにして世界の風景を連れてくる、その風景の中に入ることができるようにするというもの。
ゆらぎのある自然の景色によってユーザーに癒しを届けることを目指しているとのこと。

スペースのレイアウトなども影響するでしょうが、例えば壁に貼り付けたモニターやスクリーンに森や海、砂漠や湖などの景色が映し出されると、本当にその中にいるような気分になりそうです。
実際某社のオフィスの様子を見せてもらいましたが、その景色があるだけで雰囲気が全然違いました。

下村さんとは起業前から面識があり、せめてネットワーキングくらいは協力できないかと思い、友人のベンチャーCFOと技術系出身コンサルを誘って飲みながらいろいろ話したことがあります。
今回もその面子でお邪魔することになりました。

オフィスは表参道駅から徒歩数分。オシャレですね。
ベンチャー企業が共同で使用していると思われるフロアの一角にランドスキップはありました。

少し職場を見せていただいた後、応接間に。
IT系ながら(というのも語弊がありますが)自然を大事にするランドスキップの応接間はなんと和室!!これはインパクトがあります。
現在は普通の和室ですが、今後モニターを壁に設置して、ここにも自然の風景を持ってくるようです。その時にはまたお邪魔したいものです。

和室

その応接間では、ビジネス関係の話を1時間半ほどしていました。
やっぱりベンチャー経験者や技術バックグラウンドのあるコンサルがベンチャー経営者と話すと、深くて示唆のある話が多く出ました。

以下、4人で話し合った内容です(特定の個人の意見ではありません)。

【起業に至る経緯、働き方について】
下村さんは文系出身でプログラミングの知識もほとんどなかったが、専門のプログラムを6か月で終え、必要なプログラミングのスキルを習得。
 仕事をしながらだったので非常にハードだったが乗り越えられた。
・オフィススペースは24時間空いているのでいつでも使えるし、いつでも働いている。
・現在は社員2名(下村さん含む)で、他の方はハーフコミット(ハーフコミットの人が動けるのは土日であることが多いため、土日のどちらかはオフィスにいる必要がある)。

【プロフェッショナルの働き方について】
・アウトプットさえ出してもらえれば、ハーフコミットでも支障はない。そのため、プロフェッショナルにフルコミットを求める必要もない(複数のプロジェクトを抱えるコンサルに近い感覚)。
プロフェッショナリズムのある人間を縛るのはナンセンスで、仕事の仕方は任せるべき。気分の乗らないときに仕事させるより、本人が働きやすいやり方を選んでくれればよい。
・副業についても禁止する意味はないのではないか。利益相反については、背任はもとより犯罪であるし、アウトプットベースでの評価ができるのであれば、会社としても不利益はないはず(もちろん、同業他社に副業で行くなど、ケースバイケースの判断は必要だが)。
・逆に副業によって新しい知見や経験を得ることでブレークスルーにつながることもあるのではないか。
・最近では、ローンディールなど、大企業からベンチャー企業に出向するという形で人材育成、スキルの共有を進めるという動きもある。
大企業でゼネラリストとして育成された人材となんでもやらなくてはいけないベンチャー企業は実は相性が良い。特に自分で手を動かす若い人は貴重な存在。
・経営に関する意思決定を実際に行うのもベンチャーでの貴重な経験。実際に「決める」仕事をする人は検討の深度が深い。

【リクルーティングについて】
ハーフコミットする仲間に支えられているビジネスモデルだが、そのような仲間を集めるのは明確なビジョン。
・採用面接の際には仕事の話をしても、良いことしか話さないのであまり効果はない。
・仕事の代わりにその人自体を知るための話をしている。好きなことや節目の決断など。
 人として興味を持てればそれでいい。仕事ができなくても全人格の否定にはつながらない。
 仕事ができないなら手助けしたりできる仕事を探してあげればいい。
ただ、何であれ好きなものに対して浅いことしか話せない人はダメ。

【ランドスキップのビジネスプランなどについて】
最近大手企業と取引するようになってからビジネスが軌道に乗ってきた。
・顧客としてはオフィスやマンション(共有フロアに)が増えてきている。
・Apple TVやスカパーにプロダクトを供給することで固定ユーザーを獲得でき、収益の安定につながっている。
・地方自治体からの撮影依頼も増えている(観光につながる)。
会社やビジネスの規模は大きければいいわけではなく、「Small & Premium」を目指したい。
ベンチャーキャピタルは規模の追求を志向するので、出資を仰ぐなら自分のビジョン・夢と照らし合わせる必要がある。
・会社を大きくしなくても、事業提携・アライアンスなどでビジネスを大きくすることはできる。
・地方とITは相性が良い。そのようなビ
ジネスが地方であまり生まれないのは、プログラミングなどをきちんと教えてくれる人が少ないからではないか。

このように、ベンチャービジネスについて有意義な話をお聞きすることができました。
ベンチャー経営者とベンチャーCFO・コンサルという、良いシナジーが生まれたようで楽しい時間となりました。
また、同年代の人が活躍しているのを見ていると励みになります。

下村社長、ありがとうございました!

こうやってネットワーキングのお手伝いをしたり、ブログ記事を書いて情報発信をするのも楽しいので、これからもいろんな方とお話したり、面白い人と人をつなげていけたらと思います。

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オトナの情報発信あるいは優雅なる学歴コンプレックス(!?)

自分が所属しているある同窓会組織では月に一度、若手の卒業生を集めてカジュアルなディスカッションの場を設けていて、そのテーマは有志が出して、有志自身がファシリテーターとして場をコントロールすることになっているのですが、今回は自分がその立場になりました。

提案したテーマは「オトナの情報発信」。
なぜこんなテーマにしたかというと、以前よりこのブログを含めて情報発信することが好きで、また投稿論文に積極的に応募したりしているのですが、それらをどのようにつなげたら自分のブランディングにつなげられるのか、ということを考えていて、同じような関心を持っている人と意見交換をしたいというのがきっかけでした。
キャリアに関していうと、我々は基本的には組織に雇われ、仕事を与えられることで職場・職務が決まりますが、専門分野についても情報発信を続け、業界内外での認知度を高めることで、組織に縛られないキャリア形成を行っていきたいという気持ちもあります。

で、テーマを掲げて同窓会のメールマガジンで参加者を募るのですが、この申込状況が結構ドキドキします。
「参加者多数で先着順になります、すみません!!」みたいな状況になればいいのですが、残念ながらそういう会ではないので、応募者0人だったらどうしよう?、いやむしろ1人の方が1対1で気まずいかも?なんて気をもんでいました。
まして、関心がありそうな人がどのくらいいるのか想定しにくいテーマなのでなおさらです。

結果的には4人の方が参加してくださり、5人でお話しすることになりました。
5人なら十分議論ができるので一安心です。

参加してくださったのは、IT系のお仕事をされている方(2名)、政治の分野で活躍されている方、OLをしながらも自分の関心分野で活躍したいと思われている方、そして私です。

この同窓会は複数の大学で構成される組織なのですが、自己紹介で話を聞いてみると、自分以外は某超名門大学のご出身とのこと。
なかなかのアウェー感で、軽く学歴コンプレックスを刺激されます(汗)。
もっとも、社会人やってると出身大学とか気にならないよねー、とフォロー(?)いただき、気を取り直しました。
実際職場の人の出身校とか知らないし、それでも何の不都合もないので当然といえば当然のコメントではありますが。
ということで、当校の後輩諸氏にもそのような気概で就職活動を乗り切ってほしいものです(?)
でも、ホントいい人たちでよかった。。。

「オトナの情報発信」という文言からイメージしたものというのは人によって違っていたみたいで、ブランディングやマーケティングに加え、インターネットでの議論のありかたや炎上など情報リテラシーやセキュリティという関心をお持ちの方もいました。
また、選挙権の引き下げに伴い、若年層にどのように政治関連の情報を届けていけばいいのか、という論点も提供されました。

皆さんそれぞれの論点に一家言をお持ちのようでしたので、ファシリテーターとしては特に困ることもなく、適宜コメントしながら適当に話を振っていけば議論が盛り上がったのでよかったです。

土曜カフェ
議論の様子。穏やかながらも白熱した議論。

しかし、盛り上がったにも関わらずしっかりとメモを取っていたわけでもなく、話した内容の記憶もあいまいなのですが、議論の一端をご紹介したいと思います。

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適切なコミュニケーションチャネルを確立することで自分の意図に即した情報発信を行うことができる。これを間違うと、本来ターゲットとしていない人にアクセスすることになってしまうので要注意。

メールマガジンをビジネスとして運営する場合、いろんな仕組みを活用すべき。
メール配信のプログラムを組むのはもちろん、AI・心理学なども応用できる。
大事なのは情報の受け手をコントロールすること。

コンテンツを売るときには煽りすぎてはいけない。
煽ってしまうと、自分が想定していた顧客層と別の人にコミットしてしまい、ビジネスの円滑な遂行の妨げになる恐れがある。

出版を希望するなら、ブログの更新を続けるのも一つの手段。
出版社の人がブログを見て出版につながるケースもある。

情報発信をビジネスで行うなら、グーグルの世界で勝負してはいけない。
顧客を囲い込み、その中で情報発信をすれば、顧客の比較対象も絞られるし、口コミで顧客が増えていく可能性も高い。
属性が少し違うビジネスとコラボすることで囲い込み・アクセスできる顧客を増やす(リストの共有)のも有効な戦略。
インターネットは広いようでクローズドな世界にもなりうるので、うまく活用するべき。

(良いか悪いかは別として)「メールは要らない」と申告してくる顧客ほどメールを送る効果が高い。

発信する情報の質が受け手を決める。
したがって、どういう人とつながりたいのか、どういう専門性をアピールしたいのか、などについてよく考えて情報を発信すべき。
レベルの低いものをだらだら書いていても質の高いファンはできない。

情報発信の質を判断する一つの基準は「公共の利益にかなうか否か」。
私利私欲で、自分の利益しか考えないような情報発信はいかがなものか。炎上マーケティングとか。一方、公共利益を装った私利私欲の情報発信もあるので見極めは難しい。

自分のブランディングが進めば、自分の名前に影響力を持たせられ、組織や他人からコントロールされにくくなる。
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断片的に書きましたので、誤解を招く表現もあるかもしれませんが、本音ベースで議論ができたので、考えさせられることも多かったです。

議論の内容も参考にしつつ質の高い情報発信に励み、自分自身のブランディングにつなげられたらいいな、と思います。

ワッフル

軽食も出るので、ワッフルをいただきました。

ちなみに、自分のブランディングの一環として投稿論文にも積極的に応募していますが、その戦略について参考にさせていただいているのが下記の書籍。

まだまだペーペーですが、いつかは一人前の専門家として業界内で認知されることを夢見て精進を続けます。

投稿論文でキャリアを売り込め
中野 雅至
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RSM Tokyo Chapter 201605

私がオランダのMBA・Rotterdam School of Management (RSM)のプログラムを終えて帰国してから、3年が経ちました。
その間、いろんなことがありましたが、振り返ると時が過ぎるのは本当に早いと感じます。

幸いなことにその後もコンスタントに日本からも入学される方が続き、日本人ネットワークは綿々と続いています。
また、近年では卒業生も含めたネットワークの強化のためにRSM Tokyo Chapterも立ち上がり、卒業生の方々とのつながりも増えてきています。

先日も最近卒業された方が中心となって、RSM Tokyo Chapterで懇親会を企画していただきました。
他の卒業生の方とお会いする機会はなかなかないし、皆さんそれぞれの分野でご活躍されていてお話を伺うのが楽しいので(それゆえに毎度少々気おくれするのですが…)、今回も顔を出してきました。

今回参加されたのは約20名。2005年卒業から先日卒業された方まで幅広い時期の方が一堂に会する場となりました。

今回も例によって、皆さん輝いているなー、と思いながら話を聞いていましたが、RSM(卒業生)の特徴の一つは、比較的高い割合で自分のやりたいことを追求しているということだと思います。

プロフェッショナルとしての自分の能力を信じ、一国一城の主になった方。
若くして経営者へのステップアップを選んだ方。
ビジネスの世界から公共分野にキャリアの舵を切ろうとしている方。
自分のしたい分野の仕事をするため、安定性のないポジションでも厭わない方。
そして、現在の仕事のやりがいをイキイキと語る方。

彼らの選択の素晴らしいところは、必ずしも経済的な要素を第一としているわけではなく、仕事の内容自体に高いモチベーションがあるということではないかと思っています。
だからこそ仕事の話をするときに輝いて見えるのでしょう。

MBAというプログラムないし学位に何を求めるのかは人それぞれであり、各人の選択の是非や優劣を他人が問うことはできませんが、彼らが輝いて見えるのは、(苦労はあるにせよ)充実している証左であり、RSMのMBAが大きなインパクトがあったということなのだと思います。

一方、自分は「社会を良くする金融サービス」に貢献したいと思いながら、運用会社の一職員としての域を抜け出せておらず、まだまだプロフェッショナルとして、あるいはチェンジメーカーとして独り立ちできていないと感じています。

とはいえ、足元を固めないことには始まらないので、自分に必要な知識や経験を追求しつつ、自分の夢を忘れずに前に進みたいと思います。
そして、初心を忘れないように輝いている人たちに刺激を受け続けたいものです。

こういう刺激を受けられることだけでも、RSMに行ってよかったと心底思います。
ということで、次の懇親会を楽しみにしつつ、日々仕事や勉強に精進することにします。

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真田信繁(幸村)にカムバック賞を

プロスポーツではいくつもの賞があり、それを目指して日々奮闘する選手たちの活躍を見るのがっプロスポーツの醍醐味ですが、自分がその中でも好きな賞の一つに「カムバック賞」というのがあります。

カムバック賞とはその名のとおり、けがや病気から復活を遂げた選手の活躍を称えるもので、日本では特にプロ野球のカムバック賞がよく知られています。
これまで多くの選手が受賞していますが、個人的には脳腫瘍から復活した元横浜・近鉄の故盛田幸妃投手が印象に残っています。

カムバックの難しさは、身体能力の克服に加え、試合勘やモチベーションを取り戻す、というところにもあるのではないかと思います。
もちろん、復帰できるか、生活を続けていけるかという不安もあることでしょう。

だからこそ、そういう困難を乗り越えて復活した方々は本当に尊敬できますし、頑張ってほしいと応援してしまいます。

と、カムバックの難しさを考えていたら、ふと、15年のブランクを乗り越えて鮮やかな復活をとげた真田信繁(幸村)って実はすごくない?なんてことを思いました。

真田幸村像
信州・上田駅前の真田幸村像

大河ドラマでスポットライトを浴びていますので、もはや説明は不要だと思いますが、彼は関ヶ原の戦いで西軍につき、徳川家に敵対したことから流罪とされ、逼塞生活を送っていますが、15年後の大坂の陣で豊臣方に登用され、真田丸の戦いなどで善戦した後、最後は徳川家康の陣に突撃し、家康をあと一歩のところまで追いつめた後、討ち死にしました。

1616年の大坂夏の陣の時の年齢が49歳とされていますので、関ヶ原の戦いのときは33歳、冬の陣の大坂入城、真田丸の戦いのときは48歳。
つまり、15年のブランクの後に49歳にして自ら突撃をするという激しい運動をしていた、ということになります。

50前後でスポーツの第一線で活躍した人物といえば、先日引退した元中日の山本昌投手がいますが、ある意味それくらいすごいことだったのではないかと思います。
(当時の武将たちからも大絶賛されていますので、50前にして本当にすさまじい突撃・運動量だったのではないかと想像します。)

また、一度プロ野球を離れ、再度復帰した選手としては元ロッテの小宮山悟投手がいますが、彼の離脱期間は1年間でした(復帰後通算10勝を記録しています)。
一方、信繁のブランクは15年間。この時期は日本自体に戦争がなかったため、ブランク自体は他の人物も同じですが、15年間のブランクの後に天下の勇将たちを相手に目覚ましい活躍をするというのは、身体能力という点でも、戦場勘という点からもカムバックの難しさをよく克服したな、と思います。

ちなみに武将のブランクについては、三国志の劉備の「髀肉の嘆」という故事が有名ですが、彼のブランクは5,6年。彼ほどの人物でもその期間に心身が衰えてしまうわけですから、15年という時間は想像を絶する長さでしょう。
事実、逼塞中の彼は心身がかなり衰え、本人が心身が弱くなったことを手紙に記しています。

そう考えると、山本投手の年齢の、ブランク明けの小宮山投手が、楽天優勝時の田中将大投手の活躍(24勝0敗)をしているようなもので、けがこそしていないかもしれませんが、まさに日本史上のカムバック賞もの、という感じがします。

こんなことを書いていると、ふと生涯現役を目指し、プロ野球復帰を目指している元近鉄の中村紀洋選手のことを思い出しましたが、彼も今後ブランクを乗り越えて信繁のような活躍をすることもありえないことではないのだと思います。ですので、ぜひ頑張ってほしいですね。

ちなみに彼の事績を金融業界に当てはめてみると、30過ぎまでトレーダー/ディーラーやファンドマネージャーとしてバリバリ頑張っていた人が突然退職して15年間金融市場から離れていて、50前に再度同じような仕事で抜群のパフォーマンスをたたき出す、ということになるでしょうか。
寡聞にしてそのような事例を聞いたことはないのですが、そう考えるとやっぱり信繁はすごいということになりそうです(金融市場関係者の中にはイレギュラーな経歴の人もいますので、案外似たような人生を送っている人もいるかもしれませんが)。

※武将としてのキャリアとスポーツ選手・ビジネスマンのキャリアを同様に語ることの是非は今回はおいておきます。

とりとめもない話になりましたが、そんな経緯をもって大河ドラマを楽しもうと思います(笑)

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キラキラネームと日本語

図書館や本屋さんを歩いていると、普段読んでみようと思わないような本をふと手に取って引き込まれてしまう、ということがあります。
そんなとき、やっぱり本探しはネットだけでは足りないと思わせられます。

そして最近、また面白い本に出会いました。
その名もズバリ、『キラキラネームの大研究』。
書き方や読み方、意味が突飛な名前、いわゆるキラキラネームに関する話題を目にするたびに、「なぜこんな名前を付けるのか?」、「その子はどう見られるんだろうか?」ということが気になっていたので、普段は読まなさそうなジャンルですが、読んでみることにしました。

キラキラネームと言えばごく少数の個性的な親がつけるもの、というイメージがありましたが、実際には命名ランキングや届出が出された名前の多くが一見して読みがわからない、これまでの感覚では与えない意味をつけている、という特徴があります。

一方、著者によると、ほとんどの親は子供にキラキラネームをつけようとは思っておらず、ただ子どもにいい名前をつけてあげようと、すてきな要素をどんどん盛り込んでいった結果、キラキラネームと言われかねない命名になっているそうです。

日本語の場合、音と漢字表記が一致しない、画数にも善し悪しがある、語感(音)も重要、といった特徴があり、それがキラキラネームの背景にあり、実際にキラキラネームと言われる名前はそれらの特徴によってパターン化できるようです。

キラキラネームの由来をたどっていけば、漢字が入ってくる頃の古代にまでさかのぼることになります。
もともと文字がなく、言葉が音にだけ頼っていた時期は、「言霊」といって言葉の持つ意味が非常に強く、大陸から文字が入ってきたときも、音読みと訓読みを考え、それまで使われていた言葉の音にのせて使うようになりました。
訓読みは漢字の意味と日本語の音が合致するように設定されていますので、文字を輸入したことによる産物と言えるでしょう。

そんなこともあって、日本語における漢字の読み方はかなりフレキシブルになり、それがキラキラネーム誕生の背景にあります。
よくよく考えると、その読み方って実際の音読み・訓読みとは違うのでは?という命名はキラキラネームと言われないような名前にも存在します。
例えば、「結衣(ゆい)」の「結」は「ゆう」であり、「ゆ」とは本来読みません。
徳川家茂は「いえもち」と読みますが、本来は「いえしげ」が正しいと思われます。
大伴家持は「やかもち」ですが、「持ち」をむりやり「持」に押し込んでいます。

と、一見普通に見える名前も実はキラキラネームの要素を持っているように、普通の名前とキラキラネームの境界はかなり曖昧です。

ちなみにキラキラネームが問題視されているのは現代だけでなく、昔からあった現象のようです。

例えば江戸時代の国学者である本居宣長ははっきりと「最近は名前にふさわしくない文字を使ったり、奇妙な読み方をするのをみかける」とし、その具体例として「和子(かずこ)」を挙げています。
和子(かずこ)といえば典型的な日本人女性の名前かと思いきや、もともと「和」に「かず」と読ませる用法はなく、読むなら「かつ」らしいです。

さらに時代は下って明治時代以降には、憧れの西洋文明との出会いもあり、また現在のように命名に使用する漢字の制限がなかったことから、まさにキラキラネームと言えるような名前が登場します。

女性の名前で「日露英仏」という例があるそうですが、まさに国際化時代と言う感があります。これで「ひろえ」と読むのだとか。
また、男性の名前で「凸(たかし)」、「|(すすむ)」という命名もあるとか。
もちろん、「丸楠(まるくす)」、「真柄(まーがれっと)」といった西洋の名前を当てはめた、現代と同じようなものもあります。
真柄(まーがれっと)さんが、真柄姓の人と結婚したら「真柄真柄(まがらまーがれっと)」ということになるんでしょうか。
ちなみに文豪・森鴎外のお子さんも西洋風の名前であることで有名です。

と、キラキラネームは昔からあった事象で、今の親御さんに特異の現象ではないようです。
ただ、最近はパソコンやスマートフォンなどで難しい漢字にも抵抗がなくなっていることからより珍しい漢字が使われる傾向はあるようです。

ちなみに海外では「カラオケ」や「スシ(寿司)」といった命名例もあるのだとか。
自分がこの名前を付けられたら、すぐに改名したくなりますね。
そういう意味では、日本のキラキラネームはまだマシなんでしょう。

ともあれ、最初は違和感をもって迎えられるキラキラネームも時間が経つとそれが自然と受け入れられるようになるのも確かです。
ですので、今はキラキラネームと言われている名前を持っている方も、その名前が好きになれればそれでいいのかもしれません。

と、そんなことを考えていたら、古巣の会社が合併して新しい商号になることに。
その社名がなかなか新感覚だったので、会社にもキラキラネームの問題はあるなあ、なんて考えましたが、これもやはりその会社が業界で大きなプレゼンスを持てば自然に受け入れられるのでしょう。
ということで、その社名がキラキラネームにならないように、古巣として、同業のライバルとしてエールを送りたいと思った次第です。

また、最近赤毛のアンのアニメを見ていたら、アンが自分の名前の由来に疑問を持ち、その由来を聞いたときに(親の愛に)すごく喜んでいて、やっぱり名前は子どもへの最初の贈り物だし、愛情の証でもあるのだから子どもにも喜んでもらえるような命名は大事だと思いました(ちなみにアンは「Ann」ではなく「Anne」とのこと)。

伊東 ひとみ
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