オトナの情報発信あるいは優雅なる学歴コンプレックス(!?)

自分が所属しているある同窓会組織では月に一度、若手の卒業生を集めてカジュアルなディスカッションの場を設けていて、そのテーマは有志が出して、有志自身がファシリテーターとして場をコントロールすることになっているのですが、今回は自分がその立場になりました。

提案したテーマは「オトナの情報発信」。
なぜこんなテーマにしたかというと、以前よりこのブログを含めて情報発信することが好きで、また投稿論文に積極的に応募したりしているのですが、それらをどのようにつなげたら自分のブランディングにつなげられるのか、ということを考えていて、同じような関心を持っている人と意見交換をしたいというのがきっかけでした。
キャリアに関していうと、我々は基本的には組織に雇われ、仕事を与えられることで職場・職務が決まりますが、専門分野についても情報発信を続け、業界内外での認知度を高めることで、組織に縛られないキャリア形成を行っていきたいという気持ちもあります。

で、テーマを掲げて同窓会のメールマガジンで参加者を募るのですが、この申込状況が結構ドキドキします。
「参加者多数で先着順になります、すみません!!」みたいな状況になればいいのですが、残念ながらそういう会ではないので、応募者0人だったらどうしよう?、いやむしろ1人の方が1対1で気まずいかも?なんて気をもんでいました。
まして、関心がありそうな人がどのくらいいるのか想定しにくいテーマなのでなおさらです。

結果的には4人の方が参加してくださり、5人でお話しすることになりました。
5人なら十分議論ができるので一安心です。

参加してくださったのは、IT系のお仕事をされている方(2名)、政治の分野で活躍されている方、OLをしながらも自分の関心分野で活躍したいと思われている方、そして私です。

この同窓会は複数の大学で構成される組織なのですが、自己紹介で話を聞いてみると、自分以外は某超名門大学のご出身とのこと。
なかなかのアウェー感で、軽く学歴コンプレックスを刺激されます(汗)。
もっとも、社会人やってると出身大学とか気にならないよねー、とフォロー(?)いただき、気を取り直しました。
実際職場の人の出身校とか知らないし、それでも何の不都合もないので当然といえば当然のコメントではありますが。
ということで、当校の後輩諸氏にもそのような気概で就職活動を乗り切ってほしいものです(?)
でも、ホントいい人たちでよかった。。。

「オトナの情報発信」という文言からイメージしたものというのは人によって違っていたみたいで、ブランディングやマーケティングに加え、インターネットでの議論のありかたや炎上など情報リテラシーやセキュリティという関心をお持ちの方もいました。
また、選挙権の引き下げに伴い、若年層にどのように政治関連の情報を届けていけばいいのか、という論点も提供されました。

皆さんそれぞれの論点に一家言をお持ちのようでしたので、ファシリテーターとしては特に困ることもなく、適宜コメントしながら適当に話を振っていけば議論が盛り上がったのでよかったです。

土曜カフェ
議論の様子。穏やかながらも白熱した議論。

しかし、盛り上がったにも関わらずしっかりとメモを取っていたわけでもなく、話した内容の記憶もあいまいなのですが、議論の一端をご紹介したいと思います。

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適切なコミュニケーションチャネルを確立することで自分の意図に即した情報発信を行うことができる。これを間違うと、本来ターゲットとしていない人にアクセスすることになってしまうので要注意。

メールマガジンをビジネスとして運営する場合、いろんな仕組みを活用すべき。
メール配信のプログラムを組むのはもちろん、AI・心理学なども応用できる。
大事なのは情報の受け手をコントロールすること。

コンテンツを売るときには煽りすぎてはいけない。
煽ってしまうと、自分が想定していた顧客層と別の人にコミットしてしまい、ビジネスの円滑な遂行の妨げになる恐れがある。

出版を希望するなら、ブログの更新を続けるのも一つの手段。
出版社の人がブログを見て出版につながるケースもある。

情報発信をビジネスで行うなら、グーグルの世界で勝負してはいけない。
顧客を囲い込み、その中で情報発信をすれば、顧客の比較対象も絞られるし、口コミで顧客が増えていく可能性も高い。
属性が少し違うビジネスとコラボすることで囲い込み・アクセスできる顧客を増やす(リストの共有)のも有効な戦略。
インターネットは広いようでクローズドな世界にもなりうるので、うまく活用するべき。

(良いか悪いかは別として)「メールは要らない」と申告してくる顧客ほどメールを送る効果が高い。

発信する情報の質が受け手を決める。
したがって、どういう人とつながりたいのか、どういう専門性をアピールしたいのか、などについてよく考えて情報を発信すべき。
レベルの低いものをだらだら書いていても質の高いファンはできない。

情報発信の質を判断する一つの基準は「公共の利益にかなうか否か」。
私利私欲で、自分の利益しか考えないような情報発信はいかがなものか。炎上マーケティングとか。一方、公共利益を装った私利私欲の情報発信もあるので見極めは難しい。

自分のブランディングが進めば、自分の名前に影響力を持たせられ、組織や他人からコントロールされにくくなる。
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断片的に書きましたので、誤解を招く表現もあるかもしれませんが、本音ベースで議論ができたので、考えさせられることも多かったです。

議論の内容も参考にしつつ質の高い情報発信に励み、自分自身のブランディングにつなげられたらいいな、と思います。

ワッフル

軽食も出るので、ワッフルをいただきました。

ちなみに、自分のブランディングの一環として投稿論文にも積極的に応募していますが、その戦略について参考にさせていただいているのが下記の書籍。

まだまだペーペーですが、いつかは一人前の専門家として業界内で認知されることを夢見て精進を続けます。

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RSM Tokyo Chapter 201605

私がオランダのMBA・Rotterdam School of Management (RSM)のプログラムを終えて帰国してから、3年が経ちました。
その間、いろんなことがありましたが、振り返ると時が過ぎるのは本当に早いと感じます。

幸いなことにその後もコンスタントに日本からも入学される方が続き、日本人ネットワークは綿々と続いています。
また、近年では卒業生も含めたネットワークの強化のためにRSM Tokyo Chapterも立ち上がり、卒業生の方々とのつながりも増えてきています。

先日も最近卒業された方が中心となって、RSM Tokyo Chapterで懇親会を企画していただきました。
他の卒業生の方とお会いする機会はなかなかないし、皆さんそれぞれの分野でご活躍されていてお話を伺うのが楽しいので(それゆえに毎度少々気おくれするのですが…)、今回も顔を出してきました。

今回参加されたのは約20名。2005年卒業から先日卒業された方まで幅広い時期の方が一堂に会する場となりました。

今回も例によって、皆さん輝いているなー、と思いながら話を聞いていましたが、RSM(卒業生)の特徴の一つは、比較的高い割合で自分のやりたいことを追求しているということだと思います。

プロフェッショナルとしての自分の能力を信じ、一国一城の主になった方。
若くして経営者へのステップアップを選んだ方。
ビジネスの世界から公共分野にキャリアの舵を切ろうとしている方。
自分のしたい分野の仕事をするため、安定性のないポジションでも厭わない方。
そして、現在の仕事のやりがいをイキイキと語る方。

彼らの選択の素晴らしいところは、必ずしも経済的な要素を第一としているわけではなく、仕事の内容自体に高いモチベーションがあるということではないかと思っています。
だからこそ仕事の話をするときに輝いて見えるのでしょう。

MBAというプログラムないし学位に何を求めるのかは人それぞれであり、各人の選択の是非や優劣を他人が問うことはできませんが、彼らが輝いて見えるのは、(苦労はあるにせよ)充実している証左であり、RSMのMBAが大きなインパクトがあったということなのだと思います。

一方、自分は「社会を良くする金融サービス」に貢献したいと思いながら、運用会社の一職員としての域を抜け出せておらず、まだまだプロフェッショナルとして、あるいはチェンジメーカーとして独り立ちできていないと感じています。

とはいえ、足元を固めないことには始まらないので、自分に必要な知識や経験を追求しつつ、自分の夢を忘れずに前に進みたいと思います。
そして、初心を忘れないように輝いている人たちに刺激を受け続けたいものです。

こういう刺激を受けられることだけでも、RSMに行ってよかったと心底思います。
ということで、次の懇親会を楽しみにしつつ、日々仕事や勉強に精進することにします。

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真田信繁(幸村)にカムバック賞を

プロスポーツではいくつもの賞があり、それを目指して日々奮闘する選手たちの活躍を見るのがっプロスポーツの醍醐味ですが、自分がその中でも好きな賞の一つに「カムバック賞」というのがあります。

カムバック賞とはその名のとおり、けがや病気から復活を遂げた選手の活躍を称えるもので、日本では特にプロ野球のカムバック賞がよく知られています。
これまで多くの選手が受賞していますが、個人的には脳腫瘍から復活した元横浜・近鉄の故盛田幸妃投手が印象に残っています。

カムバックの難しさは、身体能力の克服に加え、試合勘やモチベーションを取り戻す、というところにもあるのではないかと思います。
もちろん、復帰できるか、生活を続けていけるかという不安もあることでしょう。

だからこそ、そういう困難を乗り越えて復活した方々は本当に尊敬できますし、頑張ってほしいと応援してしまいます。

と、カムバックの難しさを考えていたら、ふと、15年のブランクを乗り越えて鮮やかな復活をとげた真田信繁(幸村)って実はすごくない?なんてことを思いました。

真田幸村像
信州・上田駅前の真田幸村像

大河ドラマでスポットライトを浴びていますので、もはや説明は不要だと思いますが、彼は関ヶ原の戦いで西軍につき、徳川家に敵対したことから流罪とされ、逼塞生活を送っていますが、15年後の大坂の陣で豊臣方に登用され、真田丸の戦いなどで善戦した後、最後は徳川家康の陣に突撃し、家康をあと一歩のところまで追いつめた後、討ち死にしました。

1616年の大坂夏の陣の時の年齢が49歳とされていますので、関ヶ原の戦いのときは33歳、冬の陣の大坂入城、真田丸の戦いのときは48歳。
つまり、15年のブランクの後に49歳にして自ら突撃をするという激しい運動をしていた、ということになります。

50前後でスポーツの第一線で活躍した人物といえば、先日引退した元中日の山本昌投手がいますが、ある意味それくらいすごいことだったのではないかと思います。
(当時の武将たちからも大絶賛されていますので、50前にして本当にすさまじい突撃・運動量だったのではないかと想像します。)

また、一度プロ野球を離れ、再度復帰した選手としては元ロッテの小宮山悟投手がいますが、彼の離脱期間は1年間でした(復帰後通算10勝を記録しています)。
一方、信繁のブランクは15年間。この時期は日本自体に戦争がなかったため、ブランク自体は他の人物も同じですが、15年間のブランクの後に天下の勇将たちを相手に目覚ましい活躍をするというのは、身体能力という点でも、戦場勘という点からもカムバックの難しさをよく克服したな、と思います。

ちなみに武将のブランクについては、三国志の劉備の「髀肉の嘆」という故事が有名ですが、彼のブランクは5,6年。彼ほどの人物でもその期間に心身が衰えてしまうわけですから、15年という時間は想像を絶する長さでしょう。
事実、逼塞中の彼は心身がかなり衰え、本人が心身が弱くなったことを手紙に記しています。

そう考えると、山本投手の年齢の、ブランク明けの小宮山投手が、楽天優勝時の田中将大投手の活躍(24勝0敗)をしているようなもので、けがこそしていないかもしれませんが、まさに日本史上のカムバック賞もの、という感じがします。

こんなことを書いていると、ふと生涯現役を目指し、プロ野球復帰を目指している元近鉄の中村紀洋選手のことを思い出しましたが、彼も今後ブランクを乗り越えて信繁のような活躍をすることもありえないことではないのだと思います。ですので、ぜひ頑張ってほしいですね。

ちなみに彼の事績を金融業界に当てはめてみると、30過ぎまでトレーダー/ディーラーやファンドマネージャーとしてバリバリ頑張っていた人が突然退職して15年間金融市場から離れていて、50前に再度同じような仕事で抜群のパフォーマンスをたたき出す、ということになるでしょうか。
寡聞にしてそのような事例を聞いたことはないのですが、そう考えるとやっぱり信繁はすごいということになりそうです(金融市場関係者の中にはイレギュラーな経歴の人もいますので、案外似たような人生を送っている人もいるかもしれませんが)。

※武将としてのキャリアとスポーツ選手・ビジネスマンのキャリアを同様に語ることの是非は今回はおいておきます。

とりとめもない話になりましたが、そんな経緯をもって大河ドラマを楽しもうと思います(笑)

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キラキラネームと日本語

図書館や本屋さんを歩いていると、普段読んでみようと思わないような本をふと手に取って引き込まれてしまう、ということがあります。
そんなとき、やっぱり本探しはネットだけでは足りないと思わせられます。

そして最近、また面白い本に出会いました。
その名もズバリ、『キラキラネームの大研究』。
書き方や読み方、意味が突飛な名前、いわゆるキラキラネームに関する話題を目にするたびに、「なぜこんな名前を付けるのか?」、「その子はどう見られるんだろうか?」ということが気になっていたので、普段は読まなさそうなジャンルですが、読んでみることにしました。

キラキラネームと言えばごく少数の個性的な親がつけるもの、というイメージがありましたが、実際には命名ランキングや届出が出された名前の多くが一見して読みがわからない、これまでの感覚では与えない意味をつけている、という特徴があります。

一方、著者によると、ほとんどの親は子供にキラキラネームをつけようとは思っておらず、ただ子どもにいい名前をつけてあげようと、すてきな要素をどんどん盛り込んでいった結果、キラキラネームと言われかねない命名になっているそうです。

日本語の場合、音と漢字表記が一致しない、画数にも善し悪しがある、語感(音)も重要、といった特徴があり、それがキラキラネームの背景にあり、実際にキラキラネームと言われる名前はそれらの特徴によってパターン化できるようです。

キラキラネームの由来をたどっていけば、漢字が入ってくる頃の古代にまでさかのぼることになります。
もともと文字がなく、言葉が音にだけ頼っていた時期は、「言霊」といって言葉の持つ意味が非常に強く、大陸から文字が入ってきたときも、音読みと訓読みを考え、それまで使われていた言葉の音にのせて使うようになりました。
訓読みは漢字の意味と日本語の音が合致するように設定されていますので、文字を輸入したことによる産物と言えるでしょう。

そんなこともあって、日本語における漢字の読み方はかなりフレキシブルになり、それがキラキラネーム誕生の背景にあります。
よくよく考えると、その読み方って実際の音読み・訓読みとは違うのでは?という命名はキラキラネームと言われないような名前にも存在します。
例えば、「結衣(ゆい)」の「結」は「ゆう」であり、「ゆ」とは本来読みません。
徳川家茂は「いえもち」と読みますが、本来は「いえしげ」が正しいと思われます。
大伴家持は「やかもち」ですが、「持ち」をむりやり「持」に押し込んでいます。

と、一見普通に見える名前も実はキラキラネームの要素を持っているように、普通の名前とキラキラネームの境界はかなり曖昧です。

ちなみにキラキラネームが問題視されているのは現代だけでなく、昔からあった現象のようです。

例えば江戸時代の国学者である本居宣長ははっきりと「最近は名前にふさわしくない文字を使ったり、奇妙な読み方をするのをみかける」とし、その具体例として「和子(かずこ)」を挙げています。
和子(かずこ)といえば典型的な日本人女性の名前かと思いきや、もともと「和」に「かず」と読ませる用法はなく、読むなら「かつ」らしいです。

さらに時代は下って明治時代以降には、憧れの西洋文明との出会いもあり、また現在のように命名に使用する漢字の制限がなかったことから、まさにキラキラネームと言えるような名前が登場します。

女性の名前で「日露英仏」という例があるそうですが、まさに国際化時代と言う感があります。これで「ひろえ」と読むのだとか。
また、男性の名前で「凸(たかし)」、「|(すすむ)」という命名もあるとか。
もちろん、「丸楠(まるくす)」、「真柄(まーがれっと)」といった西洋の名前を当てはめた、現代と同じようなものもあります。
真柄(まーがれっと)さんが、真柄姓の人と結婚したら「真柄真柄(まがらまーがれっと)」ということになるんでしょうか。
ちなみに文豪・森鴎外のお子さんも西洋風の名前であることで有名です。

と、キラキラネームは昔からあった事象で、今の親御さんに特異の現象ではないようです。
ただ、最近はパソコンやスマートフォンなどで難しい漢字にも抵抗がなくなっていることからより珍しい漢字が使われる傾向はあるようです。

ちなみに海外では「カラオケ」や「スシ(寿司)」といった命名例もあるのだとか。
自分がこの名前を付けられたら、すぐに改名したくなりますね。
そういう意味では、日本のキラキラネームはまだマシなんでしょう。

ともあれ、最初は違和感をもって迎えられるキラキラネームも時間が経つとそれが自然と受け入れられるようになるのも確かです。
ですので、今はキラキラネームと言われている名前を持っている方も、その名前が好きになれればそれでいいのかもしれません。

と、そんなことを考えていたら、古巣の会社が合併して新しい商号になることに。
その社名がなかなか新感覚だったので、会社にもキラキラネームの問題はあるなあ、なんて考えましたが、これもやはりその会社が業界で大きなプレゼンスを持てば自然に受け入れられるのでしょう。
ということで、その社名がキラキラネームにならないように、古巣として、同業のライバルとしてエールを送りたいと思った次第です。

また、最近赤毛のアンのアニメを見ていたら、アンが自分の名前の由来に疑問を持ち、その由来を聞いたときに(親の愛に)すごく喜んでいて、やっぱり名前は子どもへの最初の贈り物だし、愛情の証でもあるのだから子どもにも喜んでもらえるような命名は大事だと思いました(ちなみにアンは「Ann」ではなく「Anne」とのこと)。

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憧れの仕事@江戸時代

たくさんの人と話したり、様々な場所に行ったりする中で自分の知らないもの、考えもしなかったようなことを見聞きすると非常に楽しくなります。

しかし、そんな風に自由に人と話したり行動したりすることができるようになったのは長い歴史の中でもつい最近のことです。

例えば江戸時代には身分の差があり、藩の外に出ることも自由ではありませんでしたし(許可が必要)、外国に行くことは不可能でした。

決して当たり前のことではないからこそ、憲法でも居住・移転の自由を明記して保障しているのだと思います。

そんな江戸時代に自分がいたらどんな生き方をしてみたいか、と考えることがありますが、大体三つの答えに落ち着きます。

一つ目は将軍となって、自分のやりたい政策をどんどん進める。かつ私生活もかなりやりたい放題(笑)。実際は仕事も大奥も窮屈だったと思いますけどね。

二つ目は商人となって、新しい・面白い商売を広げていく。江戸時代には現在に連なる多くのビジネスが生まれていますが、時代によって多少異なる可能性はあっても、商業に関してはかなり自由だったのではないかと思います。だからこそ、自分のアイデアで勝負していくのは夢がありそうです。

そして三つ目が長崎奉行。江戸時代は鎖国していたため、外国人と接点を持てる人は限られていました。幕府の海外への窓口である長崎のほか、朝鮮との外交を担当していた対馬藩、琉球を間接支配していた薩摩藩、アイヌとの窓口だった松前藩くらいでしょうか。
その中で一番メジャーなのは、やはり中国やオランダとの窓口であった長崎で、その政庁のトップが長崎奉行です。
海外の情報が限られていて、社会的な変動も比較的小さかった江戸時代において、長崎奉行に入ってくる情報は知的好奇心をくすぐるものだったと思いますし、考えただけでワクワクします。

さて、それほど関心を持っている長崎奉行というポジションですが、実は実態をあまり知らなかったりします。長崎奉行の名前やエピソードなどもほとんど浮かびません。
そこで、長崎奉行について書かれた書籍を読んでみることにしました。
タイトルはそのまま、「長崎奉行 ~等身大の官僚群像~(鈴木康子著)」。

上述の通り、長崎奉行は外交窓口であった長崎で現地の行政を取りしきる、いわば外務大臣兼長崎県知事といったイメージのポジションでした。
当然長崎に居住する外国人も管轄しており、海外との接点は日常的にありました。

しかし、海外との地位を相対的に高めたい幕府の思惑もあり、長崎奉行は高い地位とはされず、江戸時代初期は数ある奉行職の中でも下位の方におかれていました。
そして、江戸時代中期、川口摂津守宗恒の時代に長崎貿易の重要性が認識されたことから、中位にまでその地位は上がりました。
19世紀には欧米諸国からの接触が増えてきて、長崎奉行の役割も貿易の管理から長崎の防衛という役割に変わっていったようです。1808年にはフェートン号事件が発生し、当時の長崎奉行・松平康英が自害しています。

江戸時代には125人の人物が長崎奉行に就任したそうですが、その中にはいろんな人物がいて、やはり外交政策や長崎の統治に力を尽くした人も多かったようです。
本書ではそんな人物が紹介されていました。

河野通定(在任1666-72)は、江戸初期の名奉行として紹介されています。
当時は長崎での貿易が自由にできたことから、全国から一旗揚げようと多くの人が集まってきて、長崎の風紀・秩序に乱れが見られたそうです。
そこでその風紀の更正に勤めたのが河野通定でした。
長崎の市民や外国人に対して厳格かつ情に満ちた対応を行い、また低い身分のものであっても孝行を顕彰したりしたことから、長崎は秩序を取り戻し、彼は長崎市民に大いに敬愛されたそうです。

大森時長(在任1732-34)は、長崎で最も人気のある長崎奉行なのだそうです。
彼が着任した直後、西日本は大飢饉に襲われ、長崎も飢餓の危機に直面しました。
そんな折、彼は全国各地から必死に食料をかき集めます。
また、長崎で幕府から禁じられた米の買い占めがあり、商人が捕まったときも罰する代わりに安価に米を放出させるなどの柔軟な対応を取っています。
それだけに留まらず、最終的には幕府に無断で官庫を開放し、市民に食料を提供しました。
その甲斐あって、長崎は一人も餓死者を出さずに飢饉を乗り越えました。

しかしながら、その後彼は無断で官庫を開放したことの責任を問われ、免職の憂き目にあってしまいました。
この辺りの話は、宝永の大飢饉の時にやはり無断で官庫を開放して庶民を救った代わりに切腹となった関東郡代・伊奈忠順と似ています。切腹にならなかっただけよかったとすべきかもしれません。

ちなみに彼が江戸に戻る時、沿道には多くの市民が詰め寄せて別れを惜しんだそうです。
奉行冥利に尽きますね。

松浦信正(1748-52)は徳川吉宗の時代の長崎奉行で、勘定奉行として活躍していたところ、吉宗直々の命で長崎奉行を兼務することになりました。
元々勘定奉行の職務だけでも大変だったので、「自分は漢字も読めない文盲なので、長崎奉行などできません」と辞退するのですが、吉宗から「漢字が分からないならひらがなで仕事すればいいだろ」と強く要請され、やむなく長崎奉行の役目を受けたそうです。

信正は、吉宗の期待に応え、貿易の統制や対オランダに対する日本の立場の強化、勘定奉行所スタッフを取り込んだ長崎奉行所の改革(これは彼が勘定奉行兼務だったためにできたことだと思われます)などを成し遂げます。

そんな彼も吉宗が死去すると後ろ盾を失い、長崎奉行の兼務が解かれた後、勘定奉行も突如解任されてしまいます。
旗本・お奉行様と言っても結局は仕え人の哀しさ、といったところでしょうか。
もっとも、彼が失脚の憂き目に遭ったとしても、彼の業績は依然として輝き続けるのですが。

他にも江戸初期の長崎奉行で、女性スキャンダルで切腹した竹中重義(竹中半兵衛の甥)や長崎奉行の地位を引き上げた川口宗恒などいろんな長崎奉行の人間ドラマが描かれていて、長崎奉行という役職やエリート武士の悲喜こもごもが垣間見られていて面白かったです。

本書は長崎奉行個人に焦点を当てているため、あまり長崎奉行・長崎奉行所という役職・組織の役割・位置づけについては触れられておらず、そういう立場でどのようなものが見えたのかということについては
理解をなかなか深められなかったのですが、今後関連する書籍などを通じて、長崎における行政についても学んでいきたいところです。

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Fintechにどう向き合うか

少し前に取引所が経営破綻したことで話題になった疑似通貨・ビットコインを始め、既存の金融にテクノロジーが変革を迫る動き、いわゆるFintech(フィンテック)が注目を集めています。

資産運用業界にとってもFintechの動きは他人事ではなく、例えば特定のアルゴリズムをプログラミングして、それでコンピューターに投資判断を行わせるロボット運用はすでに導入されつつあります。
その結果、ファンドマネージャーやエコノミスト・アナリストの重要性が相対的に低下し、また個人投資家のニーズに応えるサービスを安価に提供することが期待されています。

また疑似通貨の存在や決済手段の多様化は、個人の生活に影響を与えるだけでなく、やはり資産運用のあり方にも影響があると思われます。

そのようなことからFintechには関心を持っていたのですが、このほどFintechに関する勉強会(読書会)があるということを聞きつけ、参加してきました。

定期的に開催されている会のようですが、Fintechについては普段と比べ参加者が非常に多かったようで、Fintechに対する注目度の高さが伺えます。

今回は日経BPムックの「Fintech革命」という雑誌が課題図書で、この本をベースに議論が行われました。

いろんな人が参加していただけに、議論の切り口も多様で、気付くこと、学ぶことがとても多かったです。
自分が常識だと思っていた金融業務についても変容が迫られるものも多そうで、業界人としても、金融サービスの消費者としてもいろんなことを意識する必要があると感じました。

また、金融サービスの提供のあり方が変わる故に、これまで金融サービスにアクセスできなかった人にも容易にサービスの提供ができるようになる(Social Inclusion)一方で、逆に格差の拡大を促し、場合によってはサービスへのアクセスを閉ざすケースもあるのではないか(Social Exclusion)という意見もあり、このあたりは社会政策とセットで議論する必要もあるのかもしれないと感じました。

勉強会の運営に差し支えがあると申し訳ないので会の中での議論の詳細は割愛しますが、やっぱりいろんな人の話を聞くのは学びや刺激があっていいですね。

よく言われる通り、Fintechには既存の法制度で整理しきれない部分が多く、特にビットコインは現状は通貨ではないので、法令上の取り扱いについても検討すべき点が多いため、コンプライアンス担当としてもどのように整理がなされるのか興味は尽きません。

例えば、投資信託の運用としてビットコインに投資することは認められるのか、ビットコイン建ての株式や債券を発行することは可能か、あるいはビットコイン建ての投資信託は可能か、ビットコインはどのように評価をするのか、など投資信託に関連する論点だけでも次々と思い浮かびます。

まだまだビットコインは法定通貨ほど普及していないので、これらの疑問が現実になるのは時間がかかりそうですが、思考実験としては面白いと思いますし、ビットコインに限らず資産運用サービスに影響を及ぼし、コンプライアンスとしても何らかの対応を求められる局面はいつか来ると思いますので、この分野についてもできるだけアンテナを張っておきたいと思います。

ちなみに運用業界の知人も会に参加していたので、会の後にFintechが業界に変革を迫る中、投信業界はどういうサービスを提供していくべきなのかという話をしていました。

妄想に近い話も多かったですが、いつかはそういうサービスを提供していけるようになりたいと強く思いました。
ということで、これからは妄想を共有できる仲間とたくさん議論を重ねて業界の発展に貢献したいと思います。

ホント、妄想は楽しい!!(笑)

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