戦国大名の「外交」

戦国時代で最も注目を浴びるものといえば合戦がありますが、それと同じかそれ以上に時代の流れに大きな影響をもたらしたものに外交があります。

戦国時代で有名な同盟といえば、織田家と徳川家の清州同盟や武田家・北条家・今川家の甲相駿三国同盟、足利義昭・武田信玄・本願寺顕如・朝倉義景・浅井長政らの信長包囲網などが挙げられます。
これらの同盟は外交によって成し遂げられたものですが、この外交の成果が時代の流れに大きな影響をもたらしたことは言うまでもないでしょう。

先に挙げたものは戦国大名同士の外交によるものですが、各地には国衆と呼ばれる小勢力もたくさんおり、それらを取り込むことも戦国大名にとって重要なことで、そのためにも国衆との外交は重要でした。

では、戦国時代における大名や国衆の外交はどのようになされていたのか。
それを丁寧に解説してくれているのが丸山和洋先生の『戦国大名の「外交」』です。
(ちなみに、「」の中に「」がつく書名を書くときは書名の「」を『』にするべきなのか、と悩みましたが、一般的なルールによると書名は『』で書くようですので、悩む必要はなかったようです)

本書によると、戦国時代の外交において最も重要な要素の一つは「作法(外交儀礼)」とのこと。
外交儀礼に様々なルールがあるのは現代も同様ですが、官僚機構や文書システムが現代ほど発展していない500年前の時代から厳格な儀礼が確立していることは驚きでした。

戦国時代の外交というと、大名がどこかの大名と同盟すると決めたら、相手に使者を送って了解されたらすぐ同盟成立、というイメージを持ってしまいそうですが、実はそれほどシンプルではありません(大筋はその通りだと思いますが)。

戦国大名はどの勢力においても、外部との交渉を担当する「取次」と呼ばれる人物がいました。取次は大名の側近であったり、一門・宿老であったり(またはその両方)するのですが、彼らが外部の取次と接触を持ち、直接戦国大名と外部が接触することはありませんでした。

電子メールや電話がないこの時代、外部とのコミュニケーションは手紙と使者の口上がメインになりますが、手紙を送る際には戦国大名自身が作成する書状だけでは原則として外交書状の要件を満たさず、取次による「副状(添状)」がセットになって初めて正式な書状とみなされます。
というのも、戦国大名個人が作成した書状だけでは、それがその大名家としての返答かどうかの確証がありません。
最高権力者が作成しているのだからそれが最優先のものと言えなくもないでしょうが、必ずしも戦国大名個人の考え通りに家中がまとまっているとは限らないため、側近や有力者の添状により、その書状に書いていることが大名家としての正式な意思表示であることを保証することが求められていたようです。

北条家が登場する直前の関東の争乱である「享徳の乱」のきっかけは、関東公方・足利成氏が関東管領・上杉憲忠の添状がないと書状が出せず、実権が制限されていることに対する不満がきっかけだったとされていますが、戦国時代の外交慣行を見ていると、これが一般的だったのかもしれません(室町幕府にも将軍と大名の意思疎通を補完するための取次制度が存在しています)。

また、書状の書き方についても厳格なルールがありました。
例えば、同盟を締結する際には「起請文」を交わし、神々の前でお互いに約束を守ることを誓うのですが、信仰している神は大名家によって違うので、まずその神々を決めるところから交渉する必要があります。
面白いのは、キリスト教が絡む場合で、一般的には日本の神々が記されるところをキリスト教の神の名を記していたりします(これを受け入れるかは相手次第でもありますが)。
さらに起請文の場合は、紙(料紙)に護符を刷るのですが、どの護符を刷るかもやはり交渉によって決められます。

現代でも同じですが、文章の書き方にもルール(書札礼)があります。
書面の宛先(大名宛か家臣宛か)、相手の呼び方、書止の書き方など、関係性に応じて適切に使い分ける必要があり、大変気を遣うポイントだったようです。
書札礼に適っていなければ受け取りを拒否されることもあるようで、例えば今川氏真は武田信玄に滅ぼされる前から上杉謙信と通交していましたが、領土を失い北条家に身を寄せた後も以前と同じ書札礼で文書を作成していたところ、上杉家から返信が来なくなり戸惑っていたことがあります。
確認してみると、戦国大名でなくなった氏真が戦国大名である謙信と対等の文書を送ってくるのは無礼だ、ということで文書の受け取りが拒否されていたようで、書札礼一つで外交に大きな影響を及ぼすことがよくわかります。
このほか、使う紙や紙の封じ方にもルールがあったようです。

また、取次は相手方によって異なり、例えば、対●●家の取次はA・B、対xx家の取次はC・Dというようになっています(側近+一門・宿老のペアが多いようです)。
そして、取次は相手との交渉をまとめることが重要な役割でもありますので、しばしば相手の利益の代弁をすることもあったようです。
もちろん、その家中にいる以上背任行為をすることは認められませんが、それゆえに板挟みになってしまうことも多かったようです(本書では島津家の島津家久がそのような状況になった事例が紹介されています。家久は優等生的なイメージがありましたが、取次という役目柄の苦労が多かったようです)。

それを象徴しているのが徳川家家臣・石川数正の豊臣家への出奔だと思いますが、このような状況は取次については一般的に想定されることのようです。
非常に興味深かったのは、そういう事情もあり、外交の相手方の大名は、担当の取次に対し進退(身柄の安全)を保証することが多かったようで、それだけでなく、他家の取次に対して知行を提供している事例(取次給)もあることです。
このように取次に便宜を提供することで、外交関係の安定を図るとともに自分たちに有利な外交交渉を期待していたということで、当時の外交を考えるにあたって重要なポイントだと思います。

また、外交を行うにあたって前提となるのが外交ルートです。
外交ルートの必要性は今も昔も変わりませんが、本書では越相同盟の事例が紹介されていて、こちらも興味深かったです。

戦国時代における外交ルートは「手筋」と呼ばれますが、仲介者の名前を付けて「●●手筋」と呼ばれます。
越相同盟の交渉に際しては、上野国衆である由良成繁を仲介とした「由良手筋」と、元上杉家重臣で、小田原北条氏に帰属していた北条(きたじょう)高広を仲介とした「北条手筋」があったようです。
それぞれの手筋には担当の取次がおり、北条家側では由良手筋の担当は北条氏邦、北条手筋の担当は北条氏照でした。なお、氏照は氏邦の兄にあたります。

由良手筋と北条手筋のどちらが先に始まったのかは諸説あるようですが、本書では由良手筋が先であると分析されています。そして、これは北条家隠居で氏照・氏邦の父である北条氏康の指示であったとされています。つまり、北条家としての正式なルートは由良手筋であったようです。
その後、氏照が外交担当者として手を挙げて、独自の判断で上杉家に連絡をとったというのが実態のようです。

このような二重外交があると上杉家も困惑するわけで、その後最終的には由良手筋に統合されて交渉が進み、氏照の顔を立てながらも実質的には氏照は交渉から排除されています(氏照が処罰されていないことも注目に値するでしょう)。
その後、氏照は武田家との交渉を担当したようで、氏康死後に越相同盟が破たんし、甲相同盟が復活した際には外交の主導権を取り戻しています。

こうしてみると、戦国大名の家臣団の自律的な動きや北条家中の実態が垣間見えて、戦国大名家が強固なトップダウン型の組織である、あるいは北条家中が一枚岩であるという一般的なイメージが必ずしも実態を表していないことを示唆してくれます。

このほかにも、将軍による外交や使者の実態、織田政権・豊臣政権といった中央の巨大政権の誕生による外交のあり方の変化など、興味深い示唆が多くあり、読んでいて非常に面白かったです。

戦国時代に限らず、ある時代で活躍する人たちの実態に迫ろうと思うとその時代の文化や慣行を知ることも重要ですので、本書によって戦国時代の外交の実態に触れることができ、大変勉強になりました。

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就職活動・社会人1年目を頑張るあなたへ(仕事編)

4月も下旬になり、新社会人も、それを受け入れる人たちもなじんできた頃でしょうか。

社会人1年目の方は、まだ研修中ということも多いでしょうし、仕事を始めるにあたって、どういうことを考えていけばよいのか、ということに悩むことも多いのではないかと思います。
身分も学生から社会人となることで、教育というサービスを受ける立場から、1年生といえども給料をもらう以上、社会や組織に貢献する責任が生じます。

その切り替えが早くできないと、職場にもなじみにくいし、仕事もなかなかうまくいかないのではないかと思います。
自分も決してうまくいったわけではないですし、むしろ社会人1年目は落ちこぼれだったので(上司にもそのような趣旨のことを言われたことがあります)、困惑したり、忸怩たる思いをする気持ちはよくわかります。

そのような(元)落ちこぼれ1年生の視点から、できるだけ落ちこぼれないようにするための注意点などを考えてみたいと思います。
この内容も、過去の自分に宛てて書いていますので、参考になりそうなところだけ役立てていただければと思います。

1. 自分は能力がないことを理解する
ほとんどの人の場合、社会人1年目の時点では仕事のことは何もわかりません。
その会社のビジネス・業務の流れはおろか、社会人としてふさわしい言動・マナー、社会人としてのコミュニケーションの取り方、会社のルール、などなど、何もわからないはずです。

ドラマや漫画などでは大企業病に染まったダメ社会人も多く登場しますし、失われた20年という言葉に象徴される我が国の停滞をもたらしたのも先達ということもあり、社会人経験の長い人を使えない人と思っている人もいるかもしれません。
実際、ただ会社にいるだけでお給料をもらっているような人がいることは否定できません。

しかし、ほとんどの社会人の先輩は能力の有無・高低はあるにせよ、きちんと仕事をしてきて、それなりの経験を積んでいます。

したがって、どれほど優秀な学生であったとしても、1年目の時点では社会人の先輩には知識・経験の面では勝てません。

そのため、社会人になりたてのときは、すべての先輩が学ぶべき対象であると考え、謙虚に社会人としての振る舞いや仕事の仕方などを吸収すべきだと思います。

もちろん、彼らの仕事ぶりに疑問に思うことも多いでしょうし、実際に改善すべきこともあるでしょう。
その時に疑問をもって質問してみることは大切ですが、彼らが間違っていると思い込むのは危険です。

一見すると非効率的であったとしても、何らかの理由・事情があって現在の状態に落ち着いている場合もありますし、非効率的に見えることが実は効率的かもしれません。
いずれにせよ、現在の状況にはそうなった背景があるはずであり、それを知らなけれバ物事は動かせないので、まずは自分が正しいと思いこまない姿勢を身につけることは重要だと考えています。

いきなり消極的なことを言うようですが、2年目以降は色んなことがわかってきますので、そうなったら有意義な意見も出していけると思いますので、それまでは社会人としての常識の学習や情報収集に努めておくとよいと思います。

2. 挨拶をしっかりする
挨拶をしっかりする、なんて小学生でもわかること…と言われそうですが、挨拶をしない社会人は意外に多いです。

挨拶は人との関係を円満にするコミュニケーションであると同時に、出社時・退社時には自分が来たこと、帰ることの連絡としても機能します。
上司・同僚としても何も言わずにいなくなったら、いるのかいないのかわからず困るケースもあるでしょうし、帰る前に確認したいことがあったのに、ということもあるかもしれません。

挨拶をして損をすることはないですし、どんどん挨拶して職場の雰囲気をよくしてもらえると、先輩職員としても大変ありがたいものです。

3. 「ホウレンソウ」の基本動作を身につける
ホウレンソウとは、報告・連絡・相談のことで、社会人としての基本であるとよく言われます。

組織で仕事をしている以上、上司・関係者への報告や連絡、困ったとき・わからない時の相談というのは非常に大事です。
それができないと他の人との連携もうまくいかず、トラブルのもとになりますし、仕事を前に進めることもできません。

これらは社会人として基本的なことですが、案外うまくできないことも多いものです。
トラブルがあっても上司に報告できなかったり、忙しくて必要な情報を関係者に連絡していなかったり、あるいは困っても自分で抱えてしまって相談できなかったりすることはよくあることです。

個人的には、社会人としての差がつくのは専門的知識やスキル以上に、こういう基本的なことをきちんとこなしていくことだと思います。
いかに素晴らしい技能があっても、ホウレンソウがきちんとできない人は信頼されないし、上司も他部署の人も安心して仕事を任せられません。

ですので、できるだけホウレンソウを意識して動くことを心掛けるとよいと思います。

4. 上司・先輩が答えを持っているとは限らない
社会人になりたてだと、「自分は何もわからないけど、上司・先輩に聞けばわかる」という風に考えることも多いと思います。
そのため、ちょっとしたことでもつい質問してしまったりします(自分がそうでした)。

しかし、何でも上司や先輩が答えを持っているとは限りません。
たとえば自分しか連絡を受けていないことについては上司や先輩に聞いてもわかるわけはないし、自分が任された仕事の進捗状況や細かい部分も自分の方が分かっているでしょう。
そんなことまで質問していたら、この人は何も考えずに質問ばかりしているのではないか、と信頼を失ってしまうかもしれません。

ホウレンソウ、という通り、わからないことについて相談することは大事なことです。
しかし、人にものを聞くときは、まず自分で調べて、その上でわからないことを整理して質問するのが礼儀であり、効率的な仕事の進め方だと思います。

最初はわからないことが多いと思いますが、それでもそういう姿勢を見せていれば、聞かれる方も答えやすいですし、またマナーを守っていることがわかるので、むやみやたらに質問するよりも丁寧で的を射た回答を得られることと思います。
またそういう姿勢自体が信頼関係の構築にもつながります。

5. 相手の立場に立って考える
仕事が自分だけで完結しない以上、相手の立場・気持ちになって考えるのは、円滑に仕事を進めるうえで重要なことです。

それは仕事の進め方のみならず、細かい作業についても言えます。
忙しそうな人に不要不急の話で声をかけない、会議でシニアな参加者が多いから大きめの字で資料を作る(あるいは大きめに印刷する)、難しそうな内容は丁寧に説明する、など。

そういう小さな気遣いが仕事を円滑にしますし、相手を不快にさせないことは逆に自分が不快にさせられる可能性を下げますので、自分のためにも気を付けたいところです。

6.  仕事は積極的に取りにいく
職種や部署にもよるかもしれませんが、新しい業務というのはよく発生します。
そういう場合、担当者が決まっていないため、まずは担当者を決める必要があります。

もし、自分が手を挙げればその仕事を担当することができる、という状況であれば、是非手を挙げることをお勧めします。

誰かに仕事を担当させる、というのは上司(あるいは割り当てを決める人)にとって多少なりとも精神的な負担があるでしょうから、自分から手を挙げてくれればありがたいことでしょうし、ある種の「貸し」が発生します。
これは目に見えませんが、積み重ねていくことで、何らかの形で、いつか返ってくるものです。

また、仕事をこなすことで自分の能力が上がるとともに、自分が組織の中で一番分かっているという分野を築き上げることができます。
それがどれだけ小さいことでも、そのような分野ができると人に頼られますし、それは自信にもつながります。

信頼と自信は気持ちよく仕事をするうえで特に重要なものですので、仕事を積極的に取りにいって信頼と自信を積み重ねるというのは大事なことだと思います。

7. 失敗しても落ち込まない
誰しも失敗すると落ち込むものですが、特に社会人になりたての人は失敗すると深刻に考えて落ち込んでしまったりするかもしれません。
自分もよく失敗しては怒られ、落ち込んでいました。
そしていつも、自分ばかり失敗して、落ちこぼれだな…なんて卑下していました。

失敗したことを深刻に受け止め、反省して繰り返さないことは大切です。
しかし、落ち込むことはありません。
なぜなら、人は失敗するものですし、経験を積んだ人でも失敗するものです。

叱る時は人のいないところで、という鉄則があるので、他の人が叱られているところを見かけることは少ないかもしれません。
しかし、大なり小なりミスというのは多くの人が犯していますし、それは経営者や管理職といった人でも同様です。

だから、自分だけ失敗した、なんて落ち込みすぎる必要はまったくありません。
むしろ早いうちに失敗を経験した方がダメージは少ないものです。
繰り返さないようにできたなら、あとは気を紛らわせて前を向きましょう。

8. 逃げるは恥だが役に立つ 
大人気ドラマのタイトルそのままですが、これはいい得て妙だと思います。

基本的に与えられた仕事から逃げたり、すぐに退職してしまうというのはよくないことだと思いますが、どうしてもできないことがあったり、どうしても耐えられない人間関係があるのであれば、それは諦めて逃げるのも選択肢の一つです。

頑張って耐えるのは立派なことではありますが、身体や心は頑張っている間にも無自覚のうちにむしばまれていきます。
それが限界を超えると、病気になったり鬱になったりするのだと思いますが、組織のために頑張っても、組織がそれに報いてくれるとは限りません。
頑張りすぎて鬱になっても、それを評価して昇進させてもらえるわけでもなく、むしろ厄介者扱いされる可能性の方が高いかもしれません。
また、心身の健康を失ったことについて、会社が容易に責任を認めることはないでしょう。

したがって、自分の身は自分で守らなければなりません。
逃げることが唯一の自衛手段であれば、ためらわずに逃げるべきです。
健康を失ってから自衛に入っても遅いのです。

幸い、近年は第二新卒というカテゴリーもありますので、極端に短くなければ早期に転職をしても特段変わった扱いはされないでしょう。
私も第二新卒として転職活動をしましたが、それほど厳しい視線は浴びませんでした。

繰り返しになりますが、頑張ることは大事ですし、至らなくても最善は尽くすべきです。
しかし、それで心身を壊すようなら、新しい環境を求める方がよいと思います。
職場は忠誠の対象ではないし、社長や上司は殿さまではありません。
一番大事なのは自分です。自分と職場など天秤にかけるまでもなく、自分の方を大事にしてください。

以上、社会人1年目の頃の自分に諭してあげたいことを並べてみました。
社会人1年目は大活躍することより、長い社会人・職業人としての基盤を作るものとして捉え、無理をすることなく、着実に成長することを重視してもよいと思います。

これはあくまで自分の経験から、自分のした失敗を防ぎ、落ちこぼれにならないようにする、という観点から書き出したものであり、社会人1年目の方の姿勢として賛否両論あると思います。
レベルが低いな、と思われる方もいらっしゃることでしょう。

ただ、社会人として一番大事なことは生き抜いていくことなので、まずは地に足をつけてやっていけるために、という観点・レベルでお伝えしたいことを綴りました。

これらの内容が、社会人1年目として頑張っている皆さまのお役に立てれば幸いです。

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Fintechの可能性

先週の木曜日は無事に退社できたので、関心のあったFintechの授業に出ることができました。

今回のテーマは、「Fintechは銀行の市場をどのように侵食(代替)できるか」というもの。

まず、銀行の役割と強みについて議論があるわけですが、ざっくり言えば、銀行とは「預金プラットフォームと審査機能を武器に資金需要に応える」存在といえます。

そのような銀行に、Fintechはどのようなインパクトを与えるのか。

審査というのは、貸手と借手の間における情報の非対称性を解消することであり、そのために様々な情報を基に借手の信用性・信頼性を評価することです。
判断の根拠となる情報は多種多様で、定量的なものもあれば定性的なものもあり、また検証がしやすいもの(情報の硬度が高い)もあればそうでないものもあります。

例えば、ある人が信頼できるかどうか、ということを判断するにあたっては、勤務先や家柄で判断する方法もあれば、その人の言動で判断することもできます。
このうち、前者が情報の硬度が高く、後者が低いということになりますが、これまでは言動や身なりといった情報は身近な限られた人しかアクセスできず、したがって、知り合いでない人はその人の信頼性を判断することが難しかったという状況でした。

交友関係を築くだけならそれでもいいのですが、ソーシャルレンディングのように、知らない人にもお金を貸す(ためのプラットフォーム)というビジネスを考えるなら、このような情報の非対称性は解決しなければならない問題です。
財務諸表もない(あっても信用できるかわからない)、人柄もわからない、プロジェクトがうまくいくかもわからない(成功しても分配するかもわからない)、ではなかなか資金の提供はできません。

しかし、最近ではインタビューや動画から人格も定量的、統計的に分析ができるようになっているようで、このような情報が硬度の低い情報の分析を可能にし、ソーシャルレンディングなどのP2Pビジネスにおける情報の非対称性の解消に貢献することが期待されています。

このような人格、言動の分析は金融に限らず、人事や教育、結婚相談所など、幅広い分野での活用が見込めそうで、今後の展開が楽しみであると同時に、自分の知らないところで自分がどう分析されて、どう扱われるのかを考えると、少々身震いする気持ちもないでもありません。

また、Fintechの隆盛は監査などの周辺分野にも影響を与えることが想定され、それらのあり方についても深く考える必要があることが示唆されました。
もちろん監査だけでなく、インサイダー取引や相場操縦などの市場モニタリングやコンプライアンスについても同様のことがいえそうです。

Fintechの個々の動きというより、Fintechは何を変えるのか、という本質を考えさせられたひと時でした。
個々の動きを知ることも面白く、大切なことですが、やはり本質について考えるということは、Fintech時代に自分はどのように対応するべきなのかということを考えるにあたって最も重要なことだと思うので、大変勉強になりました。

続きが今から楽しみです。

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研究内容発表

博士課程では、指導教官について博士論文を執筆するということだけが要件なので、ほぼ自分(と指導教官)だけで完結させることが可能なのですが、自分の考えを説明して、色んな人から意見をもらうこともよい論文を執筆するために必要だと思います。

そういうこともあってか、私が所属する指導教官のゼミ(同じ指導教官につく人が集まって意見を言い合う授業)では、それぞれが研究内容や検討内容を報告し指導教官や所属する(社会人)学生が質疑応答をすることになっています。

先日、今年度初回のゼミがありましたが、新入生ということで早速研究テーマを発表することになりました。

私が博士課程で研究しようと思っているテーマは「投資信託委託会社(資産運用会社)の忠実義務」という内容で、投資信託業界のある実務慣行に基に、投信会社の忠実義務について考えていこうと思っています。
※投資信託委託会社(投資運用業者)は投資家のために忠実義務・善管注意義務を負うことが、金融商品取引法第42条で定められています。

同じ指導教官に付くということは、ある程度似通ったバックグラウンドと関心事があると思っていましたが、やはり金融関係のお仕事をされている方がほとんどでした。
とはいっても業態は様々で、投資信託委託会社に勤めている方は他にはいませんでした。
ちなみに職位は若手から役員の方までいたのですが、学校という場ではフラットに話せるというのは非常に魅力的な環境だと思います。

それはさておき、いざ発表です。
投信業界の人はいないため、最初に投資信託の仕組みや取り上げる実務慣行を簡単に説明したうえで、それがなぜ忠実義務の観点から整理されるべきなのか、ということを話しました。
投資信託の実務自体がなかなか業界外の方には理解されにくいこと、また業界内ではかなり議論はされている問題であり、論点がクリアになっていることもあり、質問についてはしっかり答えられたと思います。

発表自体はそれでよかったのですが、業界内で議論がかなりされていることから、博士課程で掘り下げていくには少々テーマが狭いのでは、という指摘をされました。
博士課程というのは、仰々しく言えばこれまでの人類の知見に新しいものを加えることが求められますが、業界内で錚々たる経験者が議論を深めていく中で、博士号に足る新たな知見を加えることは容易なことではありません。

そういう指摘もあったので、研究の方向性については熟慮する必要がありそうですが、まずは研究の第一歩を無難に踏み出せたのはよかったです。

今後、研究で苦悩するのは間違いないと思いますが、頑張って日本の投信業界に、博士号に値するような新たな知見を提供し、少しでも業界の発展に貢献していけたらと思います。

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北条氏康の子供たち

戦国時代、関東を席巻した後北条氏ですが、関東に本格的に飛躍を果たしたのは、三代目当主・北条氏康の時代になります。

ざっくり言うと、氏康の前半生は関東の既得権益勢力との戦い、後半生は新たに関東に入ってきた勢力との戦いといえるのではないかと思います。
具体的には、前者は扇谷・山内(関東管領家)の両上杉家、後半は越後長尾家・甲斐武田家等との戦いになります。
もちろん、前半期においても甲斐武田家との戦いがあったり、後半期においても里見家や佐竹家などの関東諸勢力と戦っているので一概には言えませんが、概要としてはそのように言えるのではないかと思います。

そして、前半期の終盤から後半期にかけて関東に大きく勢力を広げていくのですが、そこで大きな役割を担ったのが、氏康の子供たちです。
氏康は子だくさんで、その子女にそれぞれ重要な役割を担わせ、彼らがその役割を果たしていくことで北条家は発展していきました。

では、氏康の子供たちは具体的にどのような人物で、どのような役割を担ったのか。
そのような観点から北条家の人たちとその発展を描き出したのが、黒田基樹氏・浅倉直美氏編著「北条氏康の子供たち」です。

本書は、氏康の息子、氏康の娘、北条家の城の三編からなっていて、それぞれ専門家の方による紹介・考察が掲載されています。
氏康の子供たち、というと嫡男の氏政をはじめ、活躍した氏照・氏邦・氏規がよく取り上げられますが、それ以外の息子・娘についてもその位置づけや果たした役割について考察されていて、大変勉強になりました。

本書において特に印象に残ったのは、氏邦の北条家中における位置づけは変動があり、兄弟中不動の三番目(氏政・氏照・氏邦・氏規)ではなかったことと、政略結婚で嫁いだ女性とその夫の人生はシンクロし、その人生を語ることはそのままその夫、あるいは嫁ぎ先の家を語ることになる、ということです。

氏邦の位置づけですが、兄弟中第3位の位置づけは最晩年のもので、当初は氏規の下で、かつ氏康の弟・氏堯の息子で氏康の養子とされる氏忠・氏光よりにも下位に位置づけられていました。
氏邦と氏規のどちらが年長かが実は特定できていないという事情もありますが、それ以上に氏邦が庶出で、氏政・氏照・氏規と異母兄弟であったという可能性が指摘されます。

ともあれ、兄弟中では下位の方に置かれた氏邦ですが、最終的には兄弟中第3位という位置づけになります。
その背景には、氏邦の担ってきた役割があります。
氏邦は秩父地方に本拠を置き、上野を所管し上杉氏と最前線で戦い、その後の越相同盟の締結にも貢献しています。
また、信長が上野に進出してからは、本能寺の変後の神流川の戦い、天正壬午の乱などでも活躍します。
このような氏邦自身の活躍や役割の増加が家中での地位向上につながったと見られています。

一方、彼が尽力した越相同盟は父・氏康死後に破棄されていて、結果として外交における彼の発言力が低下し、兄・氏照が外交に復帰したことによって兄弟内に軋轢が生まれ、小田原征伐時には氏照をはじめ主要な一族が小田原城に籠城する中、氏邦は居城・鉢形城に籠城するといった方針の違いを生んだとも推測されています。
一般に北条氏は一族の結束が固いといわれていますが、それでもこういう相克があったというのは興味深い指摘でした。

氏邦に限らず他の人物にしても、これまで持っていた印象と異なる研究結果が紹介されていて、非常に面白かったです。

また、氏康の娘の人生についても紹介されていますが、彼女たちの人生もまた興味深いものです。
彼女たちは政治や戦いの最前線に出ることはほとんどありませんが、彼女たちの動向はその夫や嫁ぎ先の家の動向であり、彼女たちと同時に夫や家中の動きを知ることができる、ということについて読みながら気づきました。
それは、彼女たちが妻・母という立場でその夫や息子をサポートしたことと同時に、北条宗家の娘の存在が、嫁ぎ先の家にとって非常に重要であったことを意味します。
北条宗家の娘と縁組をすることは、家臣であれば当然ながら家格向上につながりますし、北条家の外の大名家であれば、特別な同盟関係になります。

そして、彼女たちは、嫁ぎ先の当主の妻・母という立場で、あるいは北条宗家の娘という立場で大きな影響力を持ち、それは夫や家中の動きと一体のものとなっていきます。
考えてみれば当然のことかもしれませんが、氏康の娘の紹介、といったときに彼女たちの個々の特徴(人格など)などより嫁ぎ先の話が多くなっていることから、当時の名家の娘の役割が伺えますし、現代に生きる自分からみると大変そうだと感じてしまいます。
もちろん、政略結婚であっても仲睦まじく暮らしていれば幸せだったと思いますが。

他にも、難攻不落を誇った北条家の城の発展史が紹介されていて、その発掘結果などから構造物としての城の発展のみでなく、北条家の文化度、交易の発展度合いなどが垣間見えるといった研究も興味深いものでした。

北条家は他の戦国大名に比べると地味な印象がありますが、魅力的な人物はたくさんいますし、研究が進んでより彼らの実像を知ることができれば、と研究者の皆さまのご活躍に期待しています。

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2017年上半期の授業

今月から法学博士課程に就学することになりましたが、私の大学では博士課程の場合は授業で単位を取ることは必須となっていません。

しかしながら、自分は法学の教育を受けたことがなく、また関心のある授業がいくつかあったので、今年度の上半期は2つ授業をとることにしました。

一つ目はFintechに関する授業。
FintechとはFinanceとTechnologyを合わせてできた造語で、新しい技術を使用して金融業務にイノベーションを起こすことを指します。
銀行や保険といった各種金融で取り組みが進められており、資産運用業界でもAIを使った投資判断を行うなど、Fintechという言葉を目にしない日はないといっても過言ではないくらいです。

これからの金融業界を大きく変化させる可能性のあるFintechとはどのようなものか、またその最前線にいる人はどのようなことを考えているのか、ということを知るため、この授業をとることにしました。

・・・が、先日の初回の授業は仕事が忙しくて出席できず(汗)
次回以降は何とか出席できるようにしたいものです。

二つ目は金融商品取引法に関するもの。
資産運用会社でコンプライアンスの業務を担当していると、金商法を意識しないことはありません。
運用会社でのコンプライアンスの経験も長くなってきましたので、金商法や関連する実務慣行についてはそれなりに理解しているつもりです。

しかし、業務で関係するのは金商法のほんの一部分で、理解ができていない部分の方が多いのが実態です。

そこで、金商法の全体像を把握するべく、また法学の授業を受けることで法学の素養を身につけるため、この授業を受けることにしました。

この授業は判例研究がメインで、自分で判例分析をして報告するという宿題を早速出されました。
判例研究、判例分析をしたことはないのですが、博士論文を書くためには必須のスキルだと思いますので、少しでも法学の考え方を身につけたいと思います。
このほかに必須の授業として、研究科全体で行う研究報告会的な授業とゼミがあります。
研究報告については博士課程の人も必須で、現在報告のプレゼンを作成中です。
自宅で作業をすることになり、学生に戻ったという実感が湧いてきます。

業務が終わってから授業に参加するのは大変なことではありますが、これまで知らなかったことを知り、スキルが上がっていくのを実感するのはとても楽しいことでもあります。

まだ始まったばかりですが、息切れしないように学習を続けていきたいと思います。

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