博士学位請求論文提出!

退学後の博士論文(学位請求論文)提出について

昨年9月に大学院を単位取得退学して半年。
指導教官などからコメントをいただきながら論文の修正を続け、先日ようやく博士学位請求論文を提出してきました。
在学中の2度の論文提出に続く3度目の提出。3度目の正直ということで今度こそ博士号に手が届いてほしいものです。

ちなみに我が国の制度上博士号の取得ルートは2つあります。
一つは大学院の博士(後期)課程に在籍して論文提出・合格する課程博士、もう一つは大学に在学せず博士論文を大学に提出し、審査に合格することで付与される論文博士です。
論文博士の方が難易度が高いと聞きますが、この制度は世界的に見て独特なもののようで、今後は大学院で博士号にふさわしい教育を行ったうえで博士号を授ける課程博士に収斂されるとの見通しがよく聞かれます。
自分の場合、在学中の論文提出は課程博士扱いでしたが、退学後の論文提出は形式上論文博士として扱われているようでした。
提出書類に「論文博士」と記載されているだけでなく、在学中は自分の意志だけで論文の提出ができましたが、論文博士の場合は指導教官の承諾が必要になります。これは指導教官のお墨付きという点では提出者・審査側双方にメリットがありますが、その分提出のハードルは上がります。
ただし、本来論文博士の審査プロセスでは厳しい審査基準が適用されますが、単位取得退学の場合は博士課程のカリキュラムを経ていますので審査基準としては幾分ハードルの低い課程博士のものが適用されるようです。
ただし、自分の大学を含め多くの大学では単位取得退学後一定期間が経つと審査基準も論文博士として扱われるようです。したがって博士後期課程を単位取得退学した人が博士号を狙うのであればその期間中に合格しないと一気にハードルが上がることになります。

私が今回退学後半年で論文を提出したのも、論文のテーマが旬の間に合格したい、早くケリをつけてしまいたいということもさることながら、早く合格しないと実質的に博士号の取得が不可能になってしまうという事情があったためです。

 

3度目の論文提出

上記のように早く博士号を取得したいと思っていたため、9月に単位取得退学してからすぐに博士論文の修正にとりかかりました。

前回の博士論文審査の際に問題視されていた点については知っていましたので、その点を重点的に修正し、その上で指導教官のコメントをいただき、修正し、再度コメント、修正…という感じでした。

前回の博士論文提出時も結構頑張って修正していたのですが、改めて修正を行っていくとどんどん論文として洗練されていくのがわかります。
内容自体が大きく変わっていなくても、無駄な記述を省いたり形式的な点を修正していくだけで、より論文らしくなっていきます。
前回提出したものと比べるとずいぶんスマートな感じがします。

今回は提出の要件ということもあり、過去2回と異なり詳細に指導教官の確認を受けることになりました(これまでも指導教官にコメントはお願いしましたが、それを踏まえた修正の確認まではお願いしていませんでした)。
そのおかげでこれまで以上に自信をもって提出することができたと思います。
自分でもやり切った感じがしますし、また指導教官のお墨付きというのは心強いものです。

これで残る壁は口頭試問だけ。口頭試問は複数人と対峙するうえ緊張するので決して楽しい時間ではないですが、時間は決まっているのでその間だけは全集中で時間を忘れるくらい頑張ろうと思います。

合格したらどんなお祝いをしようか、自分にどんなご褒美をあげようかと今から楽しみですが、足元だけはすくわれないようにしたいといけないですね(笑)
というか、博士号の挑戦が終わってもすぐに奈良大学の方の歴史の勉強に追われそうです。。。

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新しい挑戦始めます ー歴史学徒になるためにー

体系的な理解をしなければ本当の理解にならない

昨年末に記事を投稿してから早3か月以上。気が付いたら新年度になっていました。
以前アメブロでブログを書いていた時はもう少し投稿できたのですが、WordPressにしてからは、ネタがないのか、気力がないのか、はたまた自由度が高くてかえってブログから遠ざかってしまったのか、投稿の頻度がかなり下がってしまいました。
一応サーバーとかドメインとか、情報発信のためということでコストをかけているので以前より記事の質も量もあげていかないといけないのですが…

という反省はさておき、ここ数年来感じていることに、「いくら点として物事を知っていても体系的に理解をしなければ本当の理解にはならない」ということがあります。
私はもう10年以上投資運用業界でコンプライアンスの仕事に携わっていますので、関連する法令、例えば金融商品取引法(金商法)や投資信託法(投信法)についてはある程度の理解はあると思っていました。
実際、自分の仕事をこなすための知識はそれなりにあると思います。

しかし、数年前に博士(後期)課程に入り投資信託に関連する法令について研究を始めてみると、いかに自分の知識が点に過ぎず、体系的な理解をしていなかったかということを感じます。
投資運用業のコンプライアンスの業務で使用する知識が関連法令の一部に過ぎないということもそうですが、それらの法令がどのような背景で制定されたのか、海外ではどのように考えられているのかということは考えたこともなかったため、どのようなルールがあるのかは知っていても、なぜ現在のルールが課されているのか、ということは理解していませんでした。

博士課程でそのようなことを体系的に研究していくと、現在のルールがどのような背景でできているのかがわかりますし、海外の同様のルールと比較することで日本のルールの課題や今後の動向を考えることもできるようになったと思います。
その博士論文は現在も執筆中で、近日中には提出する予定です。
昨年末も同じこと書いていましたが、今度こそ。。。

同じことは自分の趣味である歴史についても言えます。
歴史が好きなので関心のある書籍は折に触れ読むようにはしていますが、体系的に読むのではなく気が向いたものを読んではまた別のものを読む、といった具合ですので点としては知識が多少身についているのかもしれませんが、体系的には理解していないので点と点が結びつくことはありません。
結果として、何となく最近の研究が進んでいて昔言われていたこととは違うことがあるというのはわかりますが、具体的にどう違うのか、その結果日本の歴史の捉え方はどのように変わってくるのかということは今一つわかっていません。

しかも高校時代に世界史を履修していないこともあって、世界史の知識は壊滅的で日本のある時代に世界ではどのようになっていたのかということはまったくわかりません。
海外の主要な出来事についてたまたま学んだとしても(例えばオランダの独立戦争)、それが日本では何時代のことで日本や近隣諸国にどのような影響を及ぼしたのかというとイメージもできなかったりします。

趣味ですので好きなように楽しんでいればいいのですが、せっかくなら体系的に理解した方がより自分の世界も広まるのではないかとは常々思うところです。

 

いくつになっても学ぶのは楽しい

常々思うといえば、どのようなことでも新しいことを知るというのは楽しいものだというのもよく思います。
小さいころから電車が好きだったので、今年になって憧れの鉄道模型を始めたのですが、これがまた奥が深い。いつかはジオラマを作ってみたいと思っているのですが、ジオラマの構成だけでなく、その素材やレールの選び方などなど学ばなければいけないことがたくさんあります。そのような深い世界があったのかと、そういうことを学んだりyoutubeで鉄道模型の動画を見たりするだけでも面白いものです。

我が家の鉄道模型。今は小田原城だけですが、いずれはいいジオラマにしたいです。

もちろん鉄道模型だけでなく、ゴルフも法学も歴史も同じです。
学業にせよ仕事にせよ趣味にせよ、新しいことを知るとそれだけ自分の世界が広がったような感じがします。
新しい世界は無限にあるので、新しいことにチャレンジする気概さえあればいくつになっても学ぶ楽しみというのは味わえるのではないかと思います。

いくつかの趣味の中でも歴史は長い間好きでしたし、できればライフワークにもしたいと思っているものですので、歴史については特に学ぶ気持ちを大切にしようと思います。

ちなみに一番好きな電車の一つは貨物列車の電気機関車です。幼少時から大好きでした。

 

大学で体系的に勉強して新たな道を

歴史はライフワークにすべく大切に育てたい趣味ですが、素人が基礎的知識もなく無造作に本を読んでいても体系的に理解をすることは難しいように思います。
特に独学の場合自分の関心のあることしか触れないので、知識に偏りが生じてしまいます。例えば古文書とか読んでみたいと思っても読む技術は独学で身につけるのは難しそうですし、歴史上重要でも自分の関心の薄い分野(例えば文学など)はどうしても遠ざかってしまいます。

そのため、歴史について基礎的な知識を体系的に学ぶ必要があると感じ、今年から奈良大学通信教育部(文化財歴史学科)に入学をして学ぶことにしました(法学博士課程は単位取得退学しているため入学することができました)。
3年次編入ということで専門科目を2年間学ぶと学士号を取得できるので効率的に学ぶことができそうです。もっとも結構ハードそうなのでそれ以上かかってしまう可能性もありますが。
具体的に研究したいテーマはまだ未定ですが、多くの人が史跡に関心を持つきっかけ作りができるような学びを得たいと考えています。

法学分野の博士論文の挑戦もまだ続いているため当面は二正面作戦となりますが、うまく乗り越えて自分だけのユニークな道を切り開いていきたいと思います。
また、法学博士課程同様、奈良大学での挑戦についても随時ブログでご紹介していく予定です(いいネタになりそうです(笑))。

ということでこれからも応援よろしくお願いいたします!

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負けを認めるのは難しい、でも挑戦は大事

負けを認めるのは難しい…

今年は積極的にブログを更新するぞ!と意気込んでいましたが、なかなか更新できずに日を重ねてしまいました…
単にブログのネタが思いつかなかったというのもありますが、ブログを書く気分になれなかったというのもあります。

というのも、実は昨年末に初めて博士学位申請論文を提出してから2度審査を受けましたが、2回とも博士号には至らず結果的に単位取得退学という選択をしたのですが、それを公表するのが恥ずかしかったというのが実のところです。
論文自体はまだ修正中で、近日中には再度挑戦する予定ですが、とにもかくにも負けるのは恥ずかしいし、認めるのは悔しくて不快で、本当に嫌なものですね。

ちなみにこの記事を書こうと思ったのは、元プロ野球選手の新庄選手が48歳にしてプロ復帰にチャレンジして、いろんなことを言われても最後までやり通し、また(サバサバと?)結果を受け入れられていたことに感銘を受けたことによるものです。
彼の日ハムでのキャラクターが好きだったので、一連の挑戦はすごく応援していてオファーなしという結果は一ファンとしても残念でしたが、一番悔しいはずのご本人がすっぱりと気持ちを切り替えているのがすごいと思いました。
すごいよSHINJO!

 

挑戦には価値がある

…と悔くて恥ずかしい思いをすると、何で要らぬ苦労をしてこんな気持ちにならなければいけないんだろうと思ってしまいます。
こんな挑戦なんて無駄ではなかったのか、と。

博士課程を単位取得退学という結果で終わらせることについては人によって評価が異なると思います。
学位をとれなかったら無駄(最終学歴としての評価も微妙?)という人もいれば、学習したことは無駄ではないという人もいるでしょう。
個人的には学習したことは無駄ではないと思いつつも、やはり基本的には学位をとってこそ(あるいは学位への確かな道筋としてこそ)の博士課程だと思いますので、博士号を取らないままだと自分の博士課程を有意義なものだったとは結論付けられないと思います。

とはいえ、挑戦する姿勢は無駄なのかというとそうではないと思います。それが失敗に終わったとしても。

何事にも挑戦しないという人生を過ごすのはさほど難しくないと思います。
しかし、挑戦しない、言い換えると結果がわかっている選択肢ばかりを選ぶことはつまらないとも思います。
また挑戦をしないということは今の自分より高いレベルのものを目指さないということなので、自分の能力にストレッチがきかないということになり刺激も成長もありません。
だから、挑戦というのは人生を楽しむために必要なものだし、同時に挑戦から得られる結果はどのようなものでも最大限自分にとって価値のあるものにすることを心掛けるようにすべきだと思います。

挑戦の結果成功するのがベストではありますが、仮に失敗したとしてもそこから得られるものが大きければ、それは失敗・無価値とは言えないと思います。
それが学習であってもブログのネタであっても、ただでは転ばないという姿勢を持っていれば失敗のダメージは収穫で相殺されるのではないでしょうか。
とはいえ自分にとっての博士課程の価値は博士号取得という一点に尽きると思いますので、失敗という結果は受容せず何としても取りたいと思いますが。

また失敗することによって自分の現在地を知ることもできます。
成功するために自分に足りないものを知れば、成功への距離は格段に近づきます。
また実現が不可能だということを知れば、いつまでもリソースを投下し続ける、無為に夢を見続けるということも避けられるかもしれません。
あるいは夢への近道が見つかるなどのこともあるでしょう。
どのようなことでも試しにやってみるというのは机上の空論を超える学びがあると思います。

 

挑戦は正義

挑戦は失敗を伴うもので、失敗したら恥ずかしいし悔しいし、時には人からバカにされたりして、それなりに怖いものではあります。

でも、小さいことでも挑戦することこそ日々の生活に目標と刺激をもたらし、人生を楽しくさせるものだと思います。
また、我々の豊かな生活は多くの人の挑戦の結果によるものです。決して成功が最初から保証された行動の結果ではないはずです。

日本で起業が広がらないのが挑戦を受容しない社会であるから、という言説が正しいかはさておき、社会における挑戦の量が増えていけば、同時に挑戦の結果の失敗に対する受容性も向上され、きっとより多くの素晴らしい何かが増えていくのだと思います。

だからこそ、自分も小さな挑戦を重ねる姿勢を忘れず、また人の挑戦を後押しできるような人間でいたいと思います。
そういえば先日観た鬼滅の刃劇場版でも挑戦の悔しさを言ってました(ボソッ)。

年末の駆け込み記事になりましたが、2021年も楽しい挑戦ができますように!

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社会人大学院で学ぶ意義

大人になっても勉強し続けることは大切

しばらく法学博士課程の記事が滞っていましたが、決して研究をさぼっていたわけではなく(汗)、昨日博士論文(学位請求論文)を脱稿しました。

実は博士論文を出すのは昨年の12月に続けて二度目です。
前回は提出の上、口頭試問も経験したのですが、残念ながら博士号取得とはならず、今回はリベンジマッチということになります。

今回は、前回のフィードバックを踏まえ必要な修正を行ったので、きっと大丈夫だと信じてます。間延びするとモチベーションも持たないので、そろそろ決めたいのが本音です。

それはさておき、博士論文を書く過程では勉強になることがたくさんありました。
例えば、実は資産運用会社のコンプライアンスの仕事で判例や海外の動向に関する資料を読むことはあまりありません。それでも論文を書く上では判例や海外事例は欠かせないので勉強するのですが、それは業務においても自分の視野を大きく広げた気がします。
同じ仕事をするにも、視野が広いほうが深い考察ができると思うので、判例や海外事例を頭に入れるという作業自体がいい経験になりました。

このように大学院での勉強が自分の仕事にもつながっているのを実感すると、大人になっても勉強し続けることは大切だということを強く感じます。
そもそも、今自分が外資系運用会社で働くことができているのも、社会人になってから英会話の勉強をしたり海外留学をしたからなので、社会人になってからの勉強が自分の人生に大きな影響を与えていると思います。

 

大学院で学ぶ意義についてプレゼンしました

社会人になってMBAと法学博士課程という二つの大学院で学んできましたが、得るとことが大きかったと思う一方、もっと多くの人にその価値を認識される必要があるという課題も感じました。

社会人になっても勉強する人は決して少なくないですが、社会人大学院というのは宣伝をよく見かける割にはまだマイナーな選択肢のように思います。
もしかすると、社会人大学院を経験した人から経験談を聞くことがないから選択肢になりにくいのかもしれません。

そこで、とある場所にて社会人大学院で学ぶ意義についてプレゼンをしてきました。
メリット・デメリットについても自分なりに整理してみたので、ご参考になればと思い紹介させていただきます。

社会人になっても学ぶ意義

社会人大学院と資格の比較

社会人の自己研鑽と言えば資格の取得がメインですが、大学院と資格について比較してみました。
自分の持っている資格は証券アナリストくらいなので、精緻な比較にはなっていないかもしれませんが。

  

社会人大学院で得られるもの

社会人大学院を通じて得られるものについて考えてみました。

それなりのお金と時間を費やすので、この点は非常に重要ですね。
(というか、それ以外に重要なことはないですよね)

リスクの軽減

社会人大学院のようにお金や時間を費やす選択肢にはリスクが伴うので、どうしても躊躇してしまいます。

そのような場合、リスク管理・リスクの軽減は自分の背中を押す有効な手段になります。

ここでは、社会人大学院を選択するうえで最大のリスクともいえるコストとキャリアの不確実性について、リスクをどのように捉えるべきか考えてみました。

 

社会人大学院との相性

自分が経験していることもあり、基本的には社会人大学院は価値のある選択肢だと思いますが、それでも合う・合わないというのは人によって異なると思います。
もちろん、それ自体に良し悪しはなく、相性の問題です。

ともあれ、向かない人がお金と時間をかけて大学院で学んでも求めるものが得られないのであれば、それは効率の良い投資とは言えません。

そこで、どういう人が社会人大学院を検討すべき(すべきでない)のか考えてみました。

最後に簡単なQ&Aです。ご参考まで。

 

やっぱり学ぶことは楽しい

今回は社会人大学院について書きましたが、大学院に限らず学ぶことは楽しいし素晴らしいことだと思います。

単純に知らないことを知るということもありますが、新しい知識が既にある知識や経験と結びつくことで新しいひらめきが生まれると、その瞬間何とも言えない感動を覚えます。

博士論文を書いているときもたまたまTwitterで見かけた情報や、研究とは直接関係のない歴史の本に書いてあった内容が研究内容と結びついて論文に反映されることも何度もありました。

このような喜びは、どのような形であれ学ぶことを続けていれば感じられるものだと思いますので、これからも多くの方と学ぶ喜びについて共有できたらうれしいです。

そういえば、学ぶことができる環境があること自体が幸せだという記事を書いたことがありますが、学びを続ける中で改めてそのありがたさをかみしめています。

 

 

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コロナ禍を糧にする

習慣をやめると取り戻すのが大変

昨年5月に最後の投稿をしてからもうすぐ1年。何か書きたいとは思いつつ、ネタがなかったり、仕事や博士論文の作成で時間をとられていたので結局何も書けませんでした。

そんな思いを抱えていたところ、昨今の新型コロナウィルス騒動により在宅勤務が課されたことにより時間ができ、今こそ何か書かなくては本当にブログの習慣が途絶えてしまうと危機感をもって、とにかく投稿することにしました。
もしかしたら私の安否を気遣ってくださっている読者の方もいるかもしれませんし(笑)

業務でも私生活でも新型コロナウィルスの影響はそれなりにあり、大変な思いもしていますが、その一方で完全在宅勤務という新たな経験と普段得られない時間という貴重な財産を得ることができています。
苦しい経験もポジティブに考える、というのは昔からのポリシーですのでこのコロナ禍もトータルではプラスにできるように工夫をしたいものです。

そしてその一環として、ブログの更新も再開したいと思います。
こうして久々の投稿をすると、一回途絶えてしまった習慣を再開するのはエネルギーが必要だなと思います。
ブログに限らず、ジョギングや筋トレ、英会話なども習慣を中断・再開した経験がありますが、どれも相当なエネルギーを要しました。
だからこそ、コロナ禍がもたらしたこの機会を逃さないように頑張ります。

といって習慣のためにする記事の粗製濫造は気持ちよくないですが、まあ場末のブログなのでお目こぼしいただければ(汗)

 

自分の将来を描く

昔からありあまる時間を使ってのんびりと思索することに憧れがありましたが、コロナ禍はその憧れを実現する絶好の機会だと思います。

といっても、なんだかんだで仕事や私生活で時間がとられて意外に時間ができないのですが、それでも以前よりは時間がある感じはしますし、何もすることがないときにはWikipediaで歴史散策の旅に出たり、どういう仕事がしてみたいか、などを考えたりしています。

時間があると、自分の将来のことも考えることが多いです。
特にこれからのキャリアについては常日頃考えているので、考える割合が高くなります。
しかも、偶然なのかわかりませんが、在宅勤務が始まってからリクルーター(エージェント)の方からの接触が多く情報が集まるのでなおさら考えることになります。

自分の場合、資産運用会社のコンプライアンスという軸しかないので選択肢は他の業種・職種の方、たとえば総合商社勤務、とか営業・経営企画などといった方よりは限定されてしまいますし、ロールモデルもサンプル数やバラエティに富んではいないのですが、だからこそ何かしらユニークな存在になる方法はあるのではないかと模索しています。

そんな中、法務系キャリアの代表的な姿について解説している記事を読み、自分の将来像について想像を膨らませたりもしました。
厳密には法務とコンプライアンスは別の職種ですが、兼務することも少なくないですし、扱いとしても似ている部分が多いので大変参考になりました。
法務やコンプライアンスという職種は他の職種に比べ数が少なく、専門性も高いためこのような情報に接することがあまりなかったので非常に有意義でした。

 

 

思索の対象は別に自分のことでなくてもいいとは思うのですが、せっかくインドアで時間を過ごさなければならないのなら、普段時間をかけて考えられなかったことに向き合ってみる貴重な機会だと開き直ってみるのも大事ではないでしょうか。

 

お得に支援の輪に加わる

新型コロナウィルス蔓延の影響で各地でイベントの中止や旅行客の急減が生じていることは周知の事実ですが、その結果各地の名産品の納入もストップするため在庫が急増しているようです。
そのため、業者の方も積極的にPRしたり値引き販売をすることで少しでもダメージを軽減しようとされています。

これは消費者の側から見ると、おいしい名産品をお得な価格で購入することができる上に事業者の方をサポートすることができるという一石二鳥といえます。
特に今はストレスがたまりがちですし、おいしいものを食べてストレス発散するのもいいのではないでしょうか。

私もせっかくの機会ですので、おいしいものがあつまる北海道と築地の名産品をいくつか購入しました。
もちろん、しっかり堪能してストレス解消できました!
医食同源じゃないですけど、やっぱり食は大事ですねー。

北海道や築地以外にもあると思いますので、見かけたら是非ご検討くださいね。

 

 

ピンチはチャンス

新型コロナウィルスの蔓延により深刻な影響を被っている方も多い中で安易に言うべきではないのかもしれませんが、自分のポリシーとしては「ピンチはチャンス」と考えています。

金融市場も大きな影響を受けており、それが自分にどのようなインパクトをもたらすかはわかりませんし、自粛ムードが続くといくらポジティブ思考でいても健康面が心配です。

一方、前述のように在宅勤務という新しい経験ができ、これは近い未来の働き方にも影響すると思います。私のような遠距離通勤をしている人間にとっては歓迎すべきことです。

これに限らず社会の姿はある程度変わってくると思いますが、それに対し多少なりとも準備をすることができれば、その変化を自分の力にすることができるかもしれません。
具体的に何かと問われると困りますが、オンライン会議やオンライン飲み会に慣れる、在宅勤務でのパフォーマンス向上に努める、自分の業務の変化を先読みして人に先んじて対応を練る、といったことがあるでしょうか。

資産運用業のコンプライアンスという観点でいえば、金融市場のボラティリティの高まりやWTI原油先物価格のマイナス価格突入などの事象は規制に影響を及ぼす可能性があるので、今後どのような規制が検討されるのかは注視しておきたいところです。

生活環境を変えるという点では、在宅勤務普及を見据えて都市圏郊外に居住することをイメージしておくのも楽しいでしょう(小田原はおススメです)。

「ピンチはチャンス」は結局は精神論ですが、それでもピンチもチャンスだと思えば何とか耐えられると思いますので、読者の皆さまと一緒にポジティブ思考でコロナ禍を乗り切っていきたいと思います。

ブログ更新も頑張ります(笑)

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金融庁2.0(日本経済新聞出版社)

変わる金融にどう向き合うか

多くのビジネスは変化・進化を続けていますが、金融業においてその傾向は顕著です。

もともと金融は社会・経済のニーズに合わせて進化してきた歴史がありますが、昨今ではIT産業の著しい進化の影響によりFintechといった新しい潮流もできています。

また、度重なる金融不祥事や利用者の不満によって金融機関に課せられる規制についても大きな変化が生じています。

 

金融業が他のビジネスと異なる点として、まず経済全体における影響力の大きさが挙げられると思いますが、その裏返しともいえるもう一つの特徴として規制が厳しいことが挙げられます。

他にも規制が厳しい産業はあると思いますが、金融業の場合は基本的にライセンスが必要なことや事業者ごとに手がけられるビジネスが決まっていること、さらには個々の取引を行う上でも守らなければいけないルールが細かく定められていることなどは金融機関に対するルールの厳しさを際立たせているように思います。

さすがに電気や鉄道事業のようにサービスの手数料まで決められているということはないですが、保険商品のように商品自体に当局の認可が必要というケースもあるので、相当な厳しさです(かつては投資信託も同様でした)。

 

そしてその金融機関を縛っている規制は、異業種からの新たなプレイヤーの登場により、変革を迫られています。

仮想通貨・暗号通貨はその最たるものですが、これまでの金融の概念を覆すようなプレイヤーやサービスは規制と正面衝突するか規制の枠組み外の存在になることが多いですから、そのような新しいものを金融の枠組みに取り込もうとする限り、規制の変化は必然といえます。

新たなプレイヤーは既存の金融機関の競争環境も変えていきます。
新たなプレイヤーが便利・安価なサービスを提供すれば、消費者もそちらに向かいます。

それは当然既存の金融機関にとって脅威ですから、同様のサービスを開発するなり事業提携・買収するなりして対抗しなければなりません。
少なくとも、対抗手段なしでは現状維持も難しいのではないでしょうか。

護送船団方式という時代でもないので、現状維持すらできないのであれば、いずれは市場からの退出を余儀なくされる可能性もあります。

このように金融業のあり方が変化していく中で、当局も事業者も変わっていく必要があると思います。

そして、実際にそれぞれが次の時代に向けた動きを見せています。

銀行が仮想通貨やAIによる融資審査を導入したり、資産運用会社がAIによる分析や投資判断を取り入れようとするのもそのような時代の流れに沿ったものです。

 

変わる金融庁、変わるコンプライアンス

金融庁2.0

金融業界の特徴として規制の厳しさを挙げましたが、これは言い換えれば金融機関に対するルールを所管している当局(金融庁)の金融業界・金融市場に対する影響力の大きさでもあります。

最近は当局と金融機関の距離感も変わってきているようですが、一昔前には、当局が金融機関の「箸の上げ下ろし」までコントロールしていると言われたこともありました。

金融業が規制産業である以上、当局の動向が事業者に大きな影響を与えることは変わりません。
法令が変われば事業のあり方も変わりますし、当局が行う検査の内容・注目ポイントは事業者に大きなインパクトを与えます。

そのため、事業者としても当局の動向には最新の注意を払わなければなりません。特に会社の方向性を決める企画部門や会社を守るコンプライアンス部門は特にそうだと思います。

例えば、資産運用業界では「顧客本位の業務運営」や「フィデューシャリー・デューティー(受託者責任)」といったことが金融庁からも頻繁に発信されていますが、どのような対応をするにせよこれらのキーワード抜きに資産運用業を行っていくのは難しいでしょう。

これらを当局対応として行うのは事業者としてどうかと思いますが、現実問題としてこれらのキーワードを意識してビジネスを行わなければ、検査などで当局とまともな議論を行うことは不可能であり、当局対応としても失格です。

自分自身コンプライアンスの仕事をしていることもあり、金融庁がどのような方向を見ているのかというのはある程度意識していたところですが、ちょうど金融庁がどのように金融業と向き合ってきたか、またどのような方向性を志向しているのか、ということをまとめた書籍を読む機会があり、興味深く読みました。

 

 

個人的には当局とのコミュニケーションは、当局の志向を理解した上で、法令諸規則に基づいたロジックでなされるべきだと考えていて、あまりマスコミ的(ドキュメンタリー的)な観点からの書籍は読まないのですが、当局の考え方の背景を知るには有用ですし、読み物としても面白いと思いました。

現在は金融庁が担っている金融行政ですが、元々は大蔵省が所管しており、平成10年6月に金融監督庁として独立した組織になり、その後平成12年7月に金融庁となり、金融行政の企画・立案から金融事業者の監督まで金融行政全般を所管するようになりました。

出所:金融庁ウェブサイト(https://www.fsa.go.jp/common/about/suii/index.html)2019.5.24現在

 

金融監督庁発足時は銀行の不良債権問題が金融行政の最重要課題であり、したがって事業者に対する監督の焦点も銀行を始めとする金融機関の業務・財務の健全化にあったといえます。当時は不良債権処理を後押しするための行政処分を連発したことから、「金融処分庁」とも揶揄されたそうです。

その後現在に至るまでの約20年間、銀行・証券・保険・投資運用業などそれぞれの業種は幾多の困難や不祥事を経験し、その都度金融庁に金融行政のあり方を考えさせてきました。

本書には金融監督庁発足後のいろんな事件が登場しますが、リーマンショックや金融機関の不適切な不動産への融資といった記憶に新しい事件はもちろん、郵政民営化や総合取引所、メガバンクの反社会的勢力への融資問題、日本振興銀行のペイオフやモラトリアム法など、わずか20年の間にこんなに多くの事件があったのかと改めて驚かされます。

本書では触れられていなかったと思いますが、生命保険会社による不払い問題やAIJ投資顧問による年金消失問題も個人的には印象が強かったです。

 

金融庁の監督方針の変化:「ルール」から「プリンシプル」へ

金融庁はそのような不祥事対応に追われているという印象が個人的に強かったのですが、そのような印象が変わったのが、佐藤隆文長官時代の「ベター・レギュレーション」のための「ルールベース」から「プリンシプル(原理・原則)ベース」への監督方針の転換と検査局の廃止です。

「ルールベース」とは、当局が定めたルールを金融機関に遵守させることを主眼とした監督方針で、一般的な金融行政のイメージなのではないかと思いますが、「プリンシプルベース」は、具体的なルールではなく、一般的な原則を掲げ、金融機関がその方向に向かって進むことを促す監督方針といえます。

「ルールベース」ではルールがあることが前提ですが、変化が早い昨今ではルールの策定が環境の変化に追いつきませんし、またルールで画一的に縛ると金融機関の創意工夫が制限されるというデメリットがあります。だからといって、ルール違反をしていないから問題なし、と放置することは金融業の健全性を維持するためにも望ましくないと思われます。

一方、「プリンシプルベース」では金融機関が目指すべき一定の方向性を当局が掲げ、金融機関がそれぞれのやり方でその方向に進んでいくことを促す監督方針です。明確なルールがないため、古典的(?)な金融機関に強制的に何かをさせるというやり方には適しませんが、ルールの空白を埋めやすいというメリットがあります。

そして、金融庁自体ルールで何かをさせるというより、金融機関と対話をしながらお互いにアイデアを出し合う、という姿勢に変わってきているようです。
これはプレイヤー側も委縮せずに積極的に意見を言うことができますし、ありがたいことだと思います。

資産運用業(投資運用業)関連で言えば、「スチュワードシップ・コード」や「顧客本位の業務運営原則」などのソフトローを打ち出し、各運用会社がどのようにその方向性に沿って動こうとしているかは注意深く見ているようですし、運用会社側も横並び傾向が垣間見えつつも、それぞれの考え方で動いていると感じます。

 

変わるコンプライアンス

具体的な遵守ポイントが抑えやすいという点では、運用会社のコンプライアイアンス担当者としては「ルールベース」というのは当局対応がしやすいという点でメリットがありました。

逆に「プリンシプルベース」の考え方では、運用会社側で何をすべきかを考えなければならないので、大変といえば大変です。

一方で、運用会社側に創意工夫の余地が大きく、コンプライアンスとしてもいろんなことを打ち出すことができるので、コンプライアンスという仕事を面白くすることができるチャンスであるとも感じています。

 

これまでは、コンプライアンスという仕事は法令諸規則で決められた最低限のことを守らせるという保守的な仕事でした。

しかし、これからは最低限のルールを守るという点は残しつつ、プリンシプルに沿ってよりよいルールを作り、遵守していくことがコンプライアンス部門の役割になっていくと思います。

したがって、守りの面だけでなく、多少なりとも攻めの面でもコンプライアンスの役割が求められることになるのではないかと考えています。

最近の表現でいうと、「攻めのガバナンス」ならぬ「攻めのコンプライアンス」でしょうか。

自分自身、コンプライアンスの仕事の保守的で画一的な面を好きになれず、方向転換しようと思ったこともありましたが、コンプライアンスの役割が変わりつつあることにちょっとした喜びを感じています(笑)

さらにいえば、従来定性的でアウトソースなどがしにくいと言われていたコンプライアンスの業務もAIの活用などで効率化が進んでいく可能性も否定できません。
実際、AIによって法務やコンプライアンスの仕事が奪われていく、という記事を読んだことがあります。
すでに金融機関でもそのような取組みが始まっているかもしれません。

その流れの中で、いかにプリンシプルの実現に向かってアイデアを出すかということが今後コンプライアンス担当者として生き残っていくための鍵になってくるのかもしれません。

 

金融事業者は変われるか

金融業界を変化させていくには、金融当局が変わることも重要ですが、何よりプレイヤーである金融事業者自身が変わっていかなければなりません。

そして、金融事業者が変わるためには、その会社で働いている役職員が変化していくことが必要です。

新規のサービスやシステムの企画・開発ということももちろんですが、ビジネスモデル・収益構造や役職員の意識も重要なポイントだと思います。

もっとも、意識を変えるというその気になればできそうなことも、案外難しいものです。

偉そうにつらつら述べている自分も、金融庁の掲げるプリンシプルと向き合いながら「そうは言っても現実問題もあるし…」と思うことがよくあって、意識変革の難しさを感じます。

自分の意識ですら変えるのが難しいのですから、会社の役職員の意識を変えていくのはもっと難しいことだと思います。

特に会社の収益に責任を持っている営業の方などは目の前の数字との板挟みになることも出てくるわけですし、理想と現実の間で悩むはずです。

そのような問題を解決するのは時間がかかると思いますが、せめて一緒に考えられるような人間ではありたいと思います。

もちろん、前述の通り、新しい技術やアイデアを用いたサービスの展開も必要になってくるので、そのような新しいものに対してアンテナを張っていくのも大事なことです。

私は典型的な文系で技術のことはよくわからないのですが、そのようなものに対して「理解できないからわからない!」などといった頑なな姿勢を取ることは避けたいと思います。

わからないなりに理解をしようとすれば、大事なポイントは理解できると思いますし、それすらできないと役職員としての責任を果たせないのではないでしょうか。

 

本書では金融庁が所管する多様な業種の不祥事や課題とそれを乗り越えようとする金融庁の姿勢が描かれています。中には地銀再編に伴う天下り慣行との戦いといった生々しい話や金融庁内外におけるコミュニケーションの変化な比較的身近な話もあり、興味を引きます。

時代の流れや金融庁の動きに取り残されては生き残っていけないのはどの業種でも同じであり、そのような時流を考えるきっかけとして、金融業界に属する方にとっては一読の価値があると思います。

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