負けを認めるのは難しい、でも挑戦は大事

負けを認めるのは難しい…

今年は積極的にブログを更新するぞ!と意気込んでいましたが、なかなか更新できずに日を重ねてしまいました…
単にブログのネタが思いつかなかったというのもありますが、ブログを書く気分になれなかったというのもあります。

というのも、実は昨年末に初めて博士学位申請論文を提出してから2度審査を受けましたが、2回とも博士号には至らず結果的に単位取得退学という選択をしたのですが、それを公表するのが恥ずかしかったというのが実のところです。
論文自体はまだ修正中で、近日中には再度挑戦する予定ですが、とにもかくにも負けるのは恥ずかしいし、認めるのは悔しくて不快で、本当に嫌なものですね。

ちなみにこの記事を書こうと思ったのは、元プロ野球選手の新庄選手が48歳にしてプロ復帰にチャレンジして、いろんなことを言われても最後までやり通し、また(サバサバと?)結果を受け入れられていたことに感銘を受けたことによるものです。
彼の日ハムでのキャラクターが好きだったので、一連の挑戦はすごく応援していてオファーなしという結果は一ファンとしても残念でしたが、一番悔しいはずのご本人がすっぱりと気持ちを切り替えているのがすごいと思いました。
すごいよSHINJO!

 

挑戦には価値がある

…と悔くて恥ずかしい思いをすると、何で要らぬ苦労をしてこんな気持ちにならなければいけないんだろうと思ってしまいます。
こんな挑戦なんて無駄ではなかったのか、と。

博士課程を単位取得退学という結果で終わらせることについては人によって評価が異なると思います。
学位をとれなかったら無駄(最終学歴としての評価も微妙?)という人もいれば、学習したことは無駄ではないという人もいるでしょう。
個人的には学習したことは無駄ではないと思いつつも、やはり基本的には学位をとってこそ(あるいは学位への確かな道筋としてこそ)の博士課程だと思いますので、博士号を取らないままだと自分の博士課程を有意義なものだったとは結論付けられないと思います。

とはいえ、挑戦する姿勢は無駄なのかというとそうではないと思います。それが失敗に終わったとしても。

何事にも挑戦しないという人生を過ごすのはさほど難しくないと思います。
しかし、挑戦しない、言い換えると結果がわかっている選択肢ばかりを選ぶことはつまらないとも思います。
また挑戦をしないということは今の自分より高いレベルのものを目指さないということなので、自分の能力にストレッチがきかないということになり刺激も成長もありません。
だから、挑戦というのは人生を楽しむために必要なものだし、同時に挑戦から得られる結果はどのようなものでも最大限自分にとって価値のあるものにすることを心掛けるようにすべきだと思います。

挑戦の結果成功するのがベストではありますが、仮に失敗したとしてもそこから得られるものが大きければ、それは失敗・無価値とは言えないと思います。
それが学習であってもブログのネタであっても、ただでは転ばないという姿勢を持っていれば失敗のダメージは収穫で相殺されるのではないでしょうか。
とはいえ自分にとっての博士課程の価値は博士号取得という一点に尽きると思いますので、失敗という結果は受容せず何としても取りたいと思いますが。

また失敗することによって自分の現在地を知ることもできます。
成功するために自分に足りないものを知れば、成功への距離は格段に近づきます。
また実現が不可能だということを知れば、いつまでもリソースを投下し続ける、無為に夢を見続けるということも避けられるかもしれません。
あるいは夢への近道が見つかるなどのこともあるでしょう。
どのようなことでも試しにやってみるというのは机上の空論を超える学びがあると思います。

 

挑戦は正義

挑戦は失敗を伴うもので、失敗したら恥ずかしいし悔しいし、時には人からバカにされたりして、それなりに怖いものではあります。

でも、小さいことでも挑戦することこそ日々の生活に目標と刺激をもたらし、人生を楽しくさせるものだと思います。
また、我々の豊かな生活は多くの人の挑戦の結果によるものです。決して成功が最初から保証された行動の結果ではないはずです。

日本で起業が広がらないのが挑戦を受容しない社会であるから、という言説が正しいかはさておき、社会における挑戦の量が増えていけば、同時に挑戦の結果の失敗に対する受容性も向上され、きっとより多くの素晴らしい何かが増えていくのだと思います。

だからこそ、自分も小さな挑戦を重ねる姿勢を忘れず、また人の挑戦を後押しできるような人間でいたいと思います。
そういえば先日観た鬼滅の刃劇場版でも挑戦の悔しさを言ってました(ボソッ)。

年末の駆け込み記事になりましたが、2021年も楽しい挑戦ができますように!

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社会人大学院で学ぶ意義

大人になっても勉強し続けることは大切

しばらく法学博士課程の記事が滞っていましたが、決して研究をさぼっていたわけではなく(汗)、昨日博士論文(学位請求論文)を脱稿しました。

実は博士論文を出すのは昨年の12月に続けて二度目です。
前回は提出の上、口頭試問も経験したのですが、残念ながら博士号取得とはならず、今回はリベンジマッチということになります。

今回は、前回のフィードバックを踏まえ必要な修正を行ったので、きっと大丈夫だと信じてます。間延びするとモチベーションも持たないので、そろそろ決めたいのが本音です。

それはさておき、博士論文を書く過程では勉強になることがたくさんありました。
例えば、実は資産運用会社のコンプライアンスの仕事で判例や海外の動向に関する資料を読むことはあまりありません。それでも論文を書く上では判例や海外事例は欠かせないので勉強するのですが、それは業務においても自分の視野を大きく広げた気がします。
同じ仕事をするにも、視野が広いほうが深い考察ができると思うので、判例や海外事例を頭に入れるという作業自体がいい経験になりました。

このように大学院での勉強が自分の仕事にもつながっているのを実感すると、大人になっても勉強し続けることは大切だということを強く感じます。
そもそも、今自分が外資系運用会社で働くことができているのも、社会人になってから英会話の勉強をしたり海外留学をしたからなので、社会人になってからの勉強が自分の人生に大きな影響を与えていると思います。

 

大学院で学ぶ意義についてプレゼンしました

社会人になってMBAと法学博士課程という二つの大学院で学んできましたが、得るとことが大きかったと思う一方、もっと多くの人にその価値を認識される必要があるという課題も感じました。

社会人になっても勉強する人は決して少なくないですが、社会人大学院というのは宣伝をよく見かける割にはまだマイナーな選択肢のように思います。
もしかすると、社会人大学院を経験した人から経験談を聞くことがないから選択肢になりにくいのかもしれません。

そこで、とある場所にて社会人大学院で学ぶ意義についてプレゼンをしてきました。
メリット・デメリットについても自分なりに整理してみたので、ご参考になればと思い紹介させていただきます。

社会人になっても学ぶ意義

社会人大学院と資格の比較

社会人の自己研鑽と言えば資格の取得がメインですが、大学院と資格について比較してみました。
自分の持っている資格は証券アナリストくらいなので、精緻な比較にはなっていないかもしれませんが。

  

社会人大学院で得られるもの

社会人大学院を通じて得られるものについて考えてみました。

それなりのお金と時間を費やすので、この点は非常に重要ですね。
(というか、それ以外に重要なことはないですよね)

リスクの軽減

社会人大学院のようにお金や時間を費やす選択肢にはリスクが伴うので、どうしても躊躇してしまいます。

そのような場合、リスク管理・リスクの軽減は自分の背中を押す有効な手段になります。

ここでは、社会人大学院を選択するうえで最大のリスクともいえるコストとキャリアの不確実性について、リスクをどのように捉えるべきか考えてみました。

 

社会人大学院との相性

自分が経験していることもあり、基本的には社会人大学院は価値のある選択肢だと思いますが、それでも合う・合わないというのは人によって異なると思います。
もちろん、それ自体に良し悪しはなく、相性の問題です。

ともあれ、向かない人がお金と時間をかけて大学院で学んでも求めるものが得られないのであれば、それは効率の良い投資とは言えません。

そこで、どういう人が社会人大学院を検討すべき(すべきでない)のか考えてみました。

最後に簡単なQ&Aです。ご参考まで。

 

やっぱり学ぶことは楽しい

今回は社会人大学院について書きましたが、大学院に限らず学ぶことは楽しいし素晴らしいことだと思います。

単純に知らないことを知るということもありますが、新しい知識が既にある知識や経験と結びつくことで新しいひらめきが生まれると、その瞬間何とも言えない感動を覚えます。

博士論文を書いているときもたまたまTwitterで見かけた情報や、研究とは直接関係のない歴史の本に書いてあった内容が研究内容と結びついて論文に反映されることも何度もありました。

このような喜びは、どのような形であれ学ぶことを続けていれば感じられるものだと思いますので、これからも多くの方と学ぶ喜びについて共有できたらうれしいです。

そういえば、学ぶことができる環境があること自体が幸せだという記事を書いたことがありますが、学びを続ける中で改めてそのありがたさをかみしめています。

 

 

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コロナ禍を糧にする

習慣をやめると取り戻すのが大変

昨年5月に最後の投稿をしてからもうすぐ1年。何か書きたいとは思いつつ、ネタがなかったり、仕事や博士論文の作成で時間をとられていたので結局何も書けませんでした。

そんな思いを抱えていたところ、昨今の新型コロナウィルス騒動により在宅勤務が課されたことにより時間ができ、今こそ何か書かなくては本当にブログの習慣が途絶えてしまうと危機感をもって、とにかく投稿することにしました。
もしかしたら私の安否を気遣ってくださっている読者の方もいるかもしれませんし(笑)

業務でも私生活でも新型コロナウィルスの影響はそれなりにあり、大変な思いもしていますが、その一方で完全在宅勤務という新たな経験と普段得られない時間という貴重な財産を得ることができています。
苦しい経験もポジティブに考える、というのは昔からのポリシーですのでこのコロナ禍もトータルではプラスにできるように工夫をしたいものです。

そしてその一環として、ブログの更新も再開したいと思います。
こうして久々の投稿をすると、一回途絶えてしまった習慣を再開するのはエネルギーが必要だなと思います。
ブログに限らず、ジョギングや筋トレ、英会話なども習慣を中断・再開した経験がありますが、どれも相当なエネルギーを要しました。
だからこそ、コロナ禍がもたらしたこの機会を逃さないように頑張ります。

といって習慣のためにする記事の粗製濫造は気持ちよくないですが、まあ場末のブログなのでお目こぼしいただければ(汗)

 

自分の将来を描く

昔からありあまる時間を使ってのんびりと思索することに憧れがありましたが、コロナ禍はその憧れを実現する絶好の機会だと思います。

といっても、なんだかんだで仕事や私生活で時間がとられて意外に時間ができないのですが、それでも以前よりは時間がある感じはしますし、何もすることがないときにはWikipediaで歴史散策の旅に出たり、どういう仕事がしてみたいか、などを考えたりしています。

時間があると、自分の将来のことも考えることが多いです。
特にこれからのキャリアについては常日頃考えているので、考える割合が高くなります。
しかも、偶然なのかわかりませんが、在宅勤務が始まってからリクルーター(エージェント)の方からの接触が多く情報が集まるのでなおさら考えることになります。

自分の場合、資産運用会社のコンプライアンスという軸しかないので選択肢は他の業種・職種の方、たとえば総合商社勤務、とか営業・経営企画などといった方よりは限定されてしまいますし、ロールモデルもサンプル数やバラエティに富んではいないのですが、だからこそ何かしらユニークな存在になる方法はあるのではないかと模索しています。

そんな中、法務系キャリアの代表的な姿について解説している記事を読み、自分の将来像について想像を膨らませたりもしました。
厳密には法務とコンプライアンスは別の職種ですが、兼務することも少なくないですし、扱いとしても似ている部分が多いので大変参考になりました。
法務やコンプライアンスという職種は他の職種に比べ数が少なく、専門性も高いためこのような情報に接することがあまりなかったので非常に有意義でした。

 

 

思索の対象は別に自分のことでなくてもいいとは思うのですが、せっかくインドアで時間を過ごさなければならないのなら、普段時間をかけて考えられなかったことに向き合ってみる貴重な機会だと開き直ってみるのも大事ではないでしょうか。

 

お得に支援の輪に加わる

新型コロナウィルス蔓延の影響で各地でイベントの中止や旅行客の急減が生じていることは周知の事実ですが、その結果各地の名産品の納入もストップするため在庫が急増しているようです。
そのため、業者の方も積極的にPRしたり値引き販売をすることで少しでもダメージを軽減しようとされています。

これは消費者の側から見ると、おいしい名産品をお得な価格で購入することができる上に事業者の方をサポートすることができるという一石二鳥といえます。
特に今はストレスがたまりがちですし、おいしいものを食べてストレス発散するのもいいのではないでしょうか。

私もせっかくの機会ですので、おいしいものがあつまる北海道と築地の名産品をいくつか購入しました。
もちろん、しっかり堪能してストレス解消できました!
医食同源じゃないですけど、やっぱり食は大事ですねー。

北海道や築地以外にもあると思いますので、見かけたら是非ご検討くださいね。

 

 

ピンチはチャンス

新型コロナウィルスの蔓延により深刻な影響を被っている方も多い中で安易に言うべきではないのかもしれませんが、自分のポリシーとしては「ピンチはチャンス」と考えています。

金融市場も大きな影響を受けており、それが自分にどのようなインパクトをもたらすかはわかりませんし、自粛ムードが続くといくらポジティブ思考でいても健康面が心配です。

一方、前述のように在宅勤務という新しい経験ができ、これは近い未来の働き方にも影響すると思います。私のような遠距離通勤をしている人間にとっては歓迎すべきことです。

これに限らず社会の姿はある程度変わってくると思いますが、それに対し多少なりとも準備をすることができれば、その変化を自分の力にすることができるかもしれません。
具体的に何かと問われると困りますが、オンライン会議やオンライン飲み会に慣れる、在宅勤務でのパフォーマンス向上に努める、自分の業務の変化を先読みして人に先んじて対応を練る、といったことがあるでしょうか。

資産運用業のコンプライアンスという観点でいえば、金融市場のボラティリティの高まりやWTI原油先物価格のマイナス価格突入などの事象は規制に影響を及ぼす可能性があるので、今後どのような規制が検討されるのかは注視しておきたいところです。

生活環境を変えるという点では、在宅勤務普及を見据えて都市圏郊外に居住することをイメージしておくのも楽しいでしょう(小田原はおススメです)。

「ピンチはチャンス」は結局は精神論ですが、それでもピンチもチャンスだと思えば何とか耐えられると思いますので、読者の皆さまと一緒にポジティブ思考でコロナ禍を乗り切っていきたいと思います。

ブログ更新も頑張ります(笑)

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金融庁2.0(日本経済新聞出版社)

変わる金融にどう向き合うか

多くのビジネスは変化・進化を続けていますが、金融業においてその傾向は顕著です。

もともと金融は社会・経済のニーズに合わせて進化してきた歴史がありますが、昨今ではIT産業の著しい進化の影響によりFintechといった新しい潮流もできています。

また、度重なる金融不祥事や利用者の不満によって金融機関に課せられる規制についても大きな変化が生じています。

 

金融業が他のビジネスと異なる点として、まず経済全体における影響力の大きさが挙げられると思いますが、その裏返しともいえるもう一つの特徴として規制が厳しいことが挙げられます。

他にも規制が厳しい産業はあると思いますが、金融業の場合は基本的にライセンスが必要なことや事業者ごとに手がけられるビジネスが決まっていること、さらには個々の取引を行う上でも守らなければいけないルールが細かく定められていることなどは金融機関に対するルールの厳しさを際立たせているように思います。

さすがに電気や鉄道事業のようにサービスの手数料まで決められているということはないですが、保険商品のように商品自体に当局の認可が必要というケースもあるので、相当な厳しさです(かつては投資信託も同様でした)。

 

そしてその金融機関を縛っている規制は、異業種からの新たなプレイヤーの登場により、変革を迫られています。

仮想通貨・暗号通貨はその最たるものですが、これまでの金融の概念を覆すようなプレイヤーやサービスは規制と正面衝突するか規制の枠組み外の存在になることが多いですから、そのような新しいものを金融の枠組みに取り込もうとする限り、規制の変化は必然といえます。

新たなプレイヤーは既存の金融機関の競争環境も変えていきます。
新たなプレイヤーが便利・安価なサービスを提供すれば、消費者もそちらに向かいます。

それは当然既存の金融機関にとって脅威ですから、同様のサービスを開発するなり事業提携・買収するなりして対抗しなければなりません。
少なくとも、対抗手段なしでは現状維持も難しいのではないでしょうか。

護送船団方式という時代でもないので、現状維持すらできないのであれば、いずれは市場からの退出を余儀なくされる可能性もあります。

このように金融業のあり方が変化していく中で、当局も事業者も変わっていく必要があると思います。

そして、実際にそれぞれが次の時代に向けた動きを見せています。

銀行が仮想通貨やAIによる融資審査を導入したり、資産運用会社がAIによる分析や投資判断を取り入れようとするのもそのような時代の流れに沿ったものです。

 

変わる金融庁、変わるコンプライアンス

金融庁2.0

金融業界の特徴として規制の厳しさを挙げましたが、これは言い換えれば金融機関に対するルールを所管している当局(金融庁)の金融業界・金融市場に対する影響力の大きさでもあります。

最近は当局と金融機関の距離感も変わってきているようですが、一昔前には、当局が金融機関の「箸の上げ下ろし」までコントロールしていると言われたこともありました。

金融業が規制産業である以上、当局の動向が事業者に大きな影響を与えることは変わりません。
法令が変われば事業のあり方も変わりますし、当局が行う検査の内容・注目ポイントは事業者に大きなインパクトを与えます。

そのため、事業者としても当局の動向には最新の注意を払わなければなりません。特に会社の方向性を決める企画部門や会社を守るコンプライアンス部門は特にそうだと思います。

例えば、資産運用業界では「顧客本位の業務運営」や「フィデューシャリー・デューティー(受託者責任)」といったことが金融庁からも頻繁に発信されていますが、どのような対応をするにせよこれらのキーワード抜きに資産運用業を行っていくのは難しいでしょう。

これらを当局対応として行うのは事業者としてどうかと思いますが、現実問題としてこれらのキーワードを意識してビジネスを行わなければ、検査などで当局とまともな議論を行うことは不可能であり、当局対応としても失格です。

自分自身コンプライアンスの仕事をしていることもあり、金融庁がどのような方向を見ているのかというのはある程度意識していたところですが、ちょうど金融庁がどのように金融業と向き合ってきたか、またどのような方向性を志向しているのか、ということをまとめた書籍を読む機会があり、興味深く読みました。

 

 

個人的には当局とのコミュニケーションは、当局の志向を理解した上で、法令諸規則に基づいたロジックでなされるべきだと考えていて、あまりマスコミ的(ドキュメンタリー的)な観点からの書籍は読まないのですが、当局の考え方の背景を知るには有用ですし、読み物としても面白いと思いました。

現在は金融庁が担っている金融行政ですが、元々は大蔵省が所管しており、平成10年6月に金融監督庁として独立した組織になり、その後平成12年7月に金融庁となり、金融行政の企画・立案から金融事業者の監督まで金融行政全般を所管するようになりました。

出所:金融庁ウェブサイト(https://www.fsa.go.jp/common/about/suii/index.html)2019.5.24現在

 

金融監督庁発足時は銀行の不良債権問題が金融行政の最重要課題であり、したがって事業者に対する監督の焦点も銀行を始めとする金融機関の業務・財務の健全化にあったといえます。当時は不良債権処理を後押しするための行政処分を連発したことから、「金融処分庁」とも揶揄されたそうです。

その後現在に至るまでの約20年間、銀行・証券・保険・投資運用業などそれぞれの業種は幾多の困難や不祥事を経験し、その都度金融庁に金融行政のあり方を考えさせてきました。

本書には金融監督庁発足後のいろんな事件が登場しますが、リーマンショックや金融機関の不適切な不動産への融資といった記憶に新しい事件はもちろん、郵政民営化や総合取引所、メガバンクの反社会的勢力への融資問題、日本振興銀行のペイオフやモラトリアム法など、わずか20年の間にこんなに多くの事件があったのかと改めて驚かされます。

本書では触れられていなかったと思いますが、生命保険会社による不払い問題やAIJ投資顧問による年金消失問題も個人的には印象が強かったです。

 

金融庁の監督方針の変化:「ルール」から「プリンシプル」へ

金融庁はそのような不祥事対応に追われているという印象が個人的に強かったのですが、そのような印象が変わったのが、佐藤隆文長官時代の「ベター・レギュレーション」のための「ルールベース」から「プリンシプル(原理・原則)ベース」への監督方針の転換と検査局の廃止です。

「ルールベース」とは、当局が定めたルールを金融機関に遵守させることを主眼とした監督方針で、一般的な金融行政のイメージなのではないかと思いますが、「プリンシプルベース」は、具体的なルールではなく、一般的な原則を掲げ、金融機関がその方向に向かって進むことを促す監督方針といえます。

「ルールベース」ではルールがあることが前提ですが、変化が早い昨今ではルールの策定が環境の変化に追いつきませんし、またルールで画一的に縛ると金融機関の創意工夫が制限されるというデメリットがあります。だからといって、ルール違反をしていないから問題なし、と放置することは金融業の健全性を維持するためにも望ましくないと思われます。

一方、「プリンシプルベース」では金融機関が目指すべき一定の方向性を当局が掲げ、金融機関がそれぞれのやり方でその方向に進んでいくことを促す監督方針です。明確なルールがないため、古典的(?)な金融機関に強制的に何かをさせるというやり方には適しませんが、ルールの空白を埋めやすいというメリットがあります。

そして、金融庁自体ルールで何かをさせるというより、金融機関と対話をしながらお互いにアイデアを出し合う、という姿勢に変わってきているようです。
これはプレイヤー側も委縮せずに積極的に意見を言うことができますし、ありがたいことだと思います。

資産運用業(投資運用業)関連で言えば、「スチュワードシップ・コード」や「顧客本位の業務運営原則」などのソフトローを打ち出し、各運用会社がどのようにその方向性に沿って動こうとしているかは注意深く見ているようですし、運用会社側も横並び傾向が垣間見えつつも、それぞれの考え方で動いていると感じます。

 

変わるコンプライアンス

具体的な遵守ポイントが抑えやすいという点では、運用会社のコンプライアイアンス担当者としては「ルールベース」というのは当局対応がしやすいという点でメリットがありました。

逆に「プリンシプルベース」の考え方では、運用会社側で何をすべきかを考えなければならないので、大変といえば大変です。

一方で、運用会社側に創意工夫の余地が大きく、コンプライアンスとしてもいろんなことを打ち出すことができるので、コンプライアンスという仕事を面白くすることができるチャンスであるとも感じています。

 

これまでは、コンプライアンスという仕事は法令諸規則で決められた最低限のことを守らせるという保守的な仕事でした。

しかし、これからは最低限のルールを守るという点は残しつつ、プリンシプルに沿ってよりよいルールを作り、遵守していくことがコンプライアンス部門の役割になっていくと思います。

したがって、守りの面だけでなく、多少なりとも攻めの面でもコンプライアンスの役割が求められることになるのではないかと考えています。

最近の表現でいうと、「攻めのガバナンス」ならぬ「攻めのコンプライアンス」でしょうか。

自分自身、コンプライアンスの仕事の保守的で画一的な面を好きになれず、方向転換しようと思ったこともありましたが、コンプライアンスの役割が変わりつつあることにちょっとした喜びを感じています(笑)

さらにいえば、従来定性的でアウトソースなどがしにくいと言われていたコンプライアンスの業務もAIの活用などで効率化が進んでいく可能性も否定できません。
実際、AIによって法務やコンプライアンスの仕事が奪われていく、という記事を読んだことがあります。
すでに金融機関でもそのような取組みが始まっているかもしれません。

その流れの中で、いかにプリンシプルの実現に向かってアイデアを出すかということが今後コンプライアンス担当者として生き残っていくための鍵になってくるのかもしれません。

 

金融事業者は変われるか

金融業界を変化させていくには、金融当局が変わることも重要ですが、何よりプレイヤーである金融事業者自身が変わっていかなければなりません。

そして、金融事業者が変わるためには、その会社で働いている役職員が変化していくことが必要です。

新規のサービスやシステムの企画・開発ということももちろんですが、ビジネスモデル・収益構造や役職員の意識も重要なポイントだと思います。

もっとも、意識を変えるというその気になればできそうなことも、案外難しいものです。

偉そうにつらつら述べている自分も、金融庁の掲げるプリンシプルと向き合いながら「そうは言っても現実問題もあるし…」と思うことがよくあって、意識変革の難しさを感じます。

自分の意識ですら変えるのが難しいのですから、会社の役職員の意識を変えていくのはもっと難しいことだと思います。

特に会社の収益に責任を持っている営業の方などは目の前の数字との板挟みになることも出てくるわけですし、理想と現実の間で悩むはずです。

そのような問題を解決するのは時間がかかると思いますが、せめて一緒に考えられるような人間ではありたいと思います。

もちろん、前述の通り、新しい技術やアイデアを用いたサービスの展開も必要になってくるので、そのような新しいものに対してアンテナを張っていくのも大事なことです。

私は典型的な文系で技術のことはよくわからないのですが、そのようなものに対して「理解できないからわからない!」などといった頑なな姿勢を取ることは避けたいと思います。

わからないなりに理解をしようとすれば、大事なポイントは理解できると思いますし、それすらできないと役職員としての責任を果たせないのではないでしょうか。

 

本書では金融庁が所管する多様な業種の不祥事や課題とそれを乗り越えようとする金融庁の姿勢が描かれています。中には地銀再編に伴う天下り慣行との戦いといった生々しい話や金融庁内外におけるコミュニケーションの変化な比較的身近な話もあり、興味を引きます。

時代の流れや金融庁の動きに取り残されては生き残っていけないのはどの業種でも同じであり、そのような時流を考えるきっかけとして、金融業界に属する方にとっては一読の価値があると思います。

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新時代の幕開けにあたって

ワクワクする新時代の幕開け

ついに平成の時代が幕を閉じ、「令和」の新時代となりました。
明治以降平成に至るまで元号の変更は天皇の崩御に伴うものであったため、どうしても沈痛な雰囲気の中で新時代を迎えることになりましたが、今回は天皇(上皇)・皇后両陛下への感謝の気持ちと新天皇・皇后両陛下への期待の気持ちと共に新時代が始まるので、むしろワクワク感があるような気がします。

このことは天皇陛下御自身が懸念されていたことのようで、「お言葉」の中でも言及されていました。
結果としてこのようなワクワク感の中で新時代を迎えられるというのは、まさに陛下の意図があたったということで、本当にありがたいことだと思いました。

令和の時代も平成に劣らず波乱万丈になるのだと思いますが、変化を受け入れ、順応しつつ、変化を生み出せるようになっていきたいと思います。

変化の時代でも重んじたい「令和」

「令和」という元号の意味は良い調和(Good Harmony)とのことです。
和の大事さは言うまでもないですが、一方でなかなか実現しないものでもあります。
だからこそ、孟子や聖徳太子の名言(「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」「和を以て貴しとなす」)が重要視されるのでしょう。

人の和が大切というのは孟子の活躍した2000年以上前からずっと変わらないことですし、また人類の課題であり続けたとも言えます。

なまじっか人類が力を持ってしまったので、さらに人の和が大事になっているかもしれません。
昔と違って今では核兵器や銃器はもちろん、卑近なところではSNSなどでも簡単に人を破滅させることができるので、不和になることの悪影響は昔より大きそうです。

変化することは大事ですが、一方で「令和」という価値観は守り続けたいものです。

「令和」を令和にするために

「令和」時代を和を重んじる「令和」にするにはどのようにすればいいのでしょうか。

それは軽々に答えが出るものではないでしょうが、一つのポイントは「自分に理解できないことも受け入れようとする」ことではないでしょうか。

グローバル化の進展で海外との接点が増えたことに加え、最近ではLGBTなど多様な価値観や特徴を持った人の存在が顕在化しています。
他にも自分の知らない指向・考え方を持った人たちは多くいるはずです。

そのような人とコミュニケーションをとるときには理解に努めるべきですが、仮に理解ができなかったとしても言下に拒否するのではなく、極力受け入れようとすることが摩擦を抑えることにつながると思います。

また、そのような努力は自分の視野を広げることにもつながりますし、そのような寛容な社会はいつか自分を救ってくれると期待できるのではないでしょうか。

人を豊かにする技術革新と寛容さという組み合わせは、私たちの社会を大いに生きやすくしてくれるはずですし、令和の時代がそのような組み合わせを実現させられる時代であることを願うと同時に、その時代を生きる一プレイヤーとして、少しでもそのような社会が実現するように頑張りたいと思います。

ともあれ、新天皇陛下のご活躍に期待するとともに、上皇陛下と平成時代に改めて御礼申し上げます。

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「変わること」は幸せの道

すいているセルフレジと混んでいる有人レジ

年初に記事を投稿してから、ずいぶん間が空いてしまいました。。。(汗)
何か書きたいとは思いつつ、面白いテーマが思い浮かばず時間だけが過ぎていきました。

しかし、本日で平成も終わり、明日からは令和の時代。
このまま何も発信しないまま平成を終えていいのか!?と思い、テーマをひねり出してみました。
題して、「『変わること』は幸せの道」。

幸せになる方法は人によって違うと思いますが、個人的に誰でもできて、かつ比較的多くの人に共通しているのは、「自分が変化することによって幸せな環境に合わせる」ということだと思います。

平和なこのご時世、技術発展などによって基本的には世の中は便利で暮らしやすくなっていると思います。
また、職場や人間関係の選択肢も以前より増えてきて、自分が変化を望めばかなり自分に合った環境を選ぶこともできます。

一方で、人は変化を嫌うという一面もあります。
同じことを続けていれば新しいことを考える必要はないし、多少不便でも同じ環境にいれば、新しい環境に飛び込むリスクや面倒は回避できます。

最近、よく使うコンビニで興味深い風景に出くわしました。
そのコンビニはオフィス街にあってお昼の時間は非常に混んでいたのですが、最近セルフレジが導入されました。
これで混雑も緩和される…と思ったら、なんと相変わらず有人レジには行列ができていて、セルフレジはほとんど人がいませんでした。
導入からしばらく経った今でもあまり変わりません。
自分はその混雑を尻目にセルフレジの恩恵を受けてすぐに会計を終えられるのですが、なぜ並んでいる人たちがセルフレジを使わないのか不思議でした。

これはセルフレジに限らない話で、仕事でもプライベートでもよくあると思います。
インターネットをはじめネットワークシステムが発達しているのに、いまだに高コストでアナログな情報管理をしたり、インターネットで済ませたら安くて簡単にできる旅行の手配や買い物を電話や対面で行ったり。

個人的には、多少のブレはあっても世の中は基本的には人々にとって望ましい方向に進んでいくものだと思います。
誰しも不幸せになりたいわけではないですし、人々が幸せになる技術や制度が生き残り、社会は発展してきたように感じます。
そうであれば、世の中の時流に合わせてその波に乗ることができれば、おのずと幸せになっていくのではないでしょうか。

できることから変えていく

技術・サービスや制度の変化に対応することを考える場合、需要と供給という観点の両方を考慮することが大事だと思います。

我々は技術やサービスを使用する側であると同時に、稼ぐために技術やサービスを提供する側でもあります。
したがって、新しいものをどう使うか、だけではなく新しいものをどう提供するか、新しいニーズにどのように応えていくか、ということも必要な観点ではないでしょうか。

ともあれ、自分が幸せになるためには、消費者としての側面が重要です。
自分の幸せは消費活動に依存することが多いですので。

消費活動を変えると言っても、いきなりガラッと変えるのは難しいと思います。
覚えることは多いですし、身に付いた生活のリズムもあるでしょう。
自分自身、自分の生活や消費が洗練されたものとは思いませんし(笑)

でも、気付いたこと、変えられることについて積極的に変えていくという姿勢は自分の人生や生活をより楽に、より豊かにする近道だと思います。

価値観の問題はありますが、セルフレジやキャッシュレスなどは、最初は戸惑いますが、少しの変化を受け入れるだけで生活の質を向上させる例だと思います。

制度の消費者という観点で考えると、例えば有休を少し積極的にとる、在宅勤務をたまには活用してみるというのもありだと思います。
制度を変えるとは言わずとも、制度を活用するという姿勢の変化が自分の生活を豊かにするということはありそうです(環境に依存してしまう面はありますが…)。

過去にも我々は家電製品やインターネットなど生活を大きく変える技術を受け入れて生活を便利にしてきたのですから、少し変化する手間を受け入れるだけで今後も生活を豊かにすることができると信じています。

ついでに言うと、多くの人が変化を受け入れるようになれば、日本がそのような変化を生み出すイノベーションやビジネスの中心地、集積地になるきっかけにもなるかも、と期待しています。

ニーズの変化を捉える

一方、自分にニーズがないと稼げないし、幸せな消費者になりにくいというのは変わらない現実でしょう。

消費者の行動が変わるということは、ビジネスのあり方も変わり、ひいてはビジネスの担い手としての我々一人一人に対するニーズも変わっていくということだと思います。

これも英語人材やプログラミング人材が高く評価されているからと言って、いきなり高レベルの能力を身につけることは容易ではありません。
それでも、少しずつ英会話を始める、あるいは簡単なプログラミングを身につけてみるというだけでも自分のできること、ひいては市場価値の向上につながると思います。

これが必要、こうなりたい、という何かがあれば、とにかく一歩踏み出して変化を作ってみるという姿勢は、必要な能力が変わりゆく市場環境で生き残っていく、さらには成功していくカギになると思います。

適応するものが生き残る

「種の起源」で有名なダーウィンの言葉として知られる「環境の変化に適応した(していた)ものが生き残った」という言葉は、大変含蓄があると思います。

ダーウィンの言葉の趣旨は単に「環境に適応していた生物が生き残る」という事実の指摘だそうですが、自分の意志で変化することができる人類については「環境に適応することが生存の術」という解釈をしてもよさそうな気がします。

昭和、平成とこの数十年を切り取っただけでも大きな変化がありましたし、その変化は加速度的に大きくなってきたかもしれません。
だとすると、新しい時代の変化の速度はさらに大きくなりそうです。

大きな変化の時代では、過去の能力が短期間で陳腐化し、価値が下がっていくかもしれません。
また、大きな変化の時代では技術やサービスの進化も著しいので、それらをうまく利用すれば自分の生活を大きく豊かにできると思います。
だからこそ、変化を億劫がらずに、小さなことから積極的に変えていく姿勢を持ちたいものです。

もちろん、変化が求められる時代だからこそ変えてはいけないものもあると思うので、守るべきものは何かを考えつつ、変化の波にうまく乗ってみんなで幸せになりたいと思います。

自分の人生にも大きな実りをくれた平成という時代に感謝し、平成最後の投稿とさせていただきます(少々薄っぺらい内容になりましたが…)。

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