WBCフライ級タイトル戦

今日は多くの人と同様に、WBCフライ級タイトルマッチ内藤-亀田戦をテレビで見ていました。

個人的には内藤選手の方を応援していましたが、とてもいい試合だったと思います。

亀田選手はガードも堅く、キレ味鋭いカウンターで本当に強かったです。

内藤選手も最後まで攻勢を弱めず、さすがチャンピオンだったと思います。

特に、距離の取り方や隅に追い詰めていく様子がチャンピオンだな~と思いました。

今後の両者の健闘に期待したいところです。

あ、ちなみに私はド素人ですので、見当はずれの話でしたらあしからず。

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119歳女性が見てきたもの

11月17日ごろ、メキシコで世界最高齢(ギネス申請中)と見られていた119歳の女性が亡くなられたそうです。

伝えられているところによると、その女性は1890年生まれ、4人の子どもを含め、266人の子孫に恵まれたそうです。中には、来孫(玄孫の子、ひ孫の孫)もいたそうです。

この女性は、どのような歴史を見てきたのでしょうか。

古くよりメキシコで栄えたアステカ帝国は、16世紀前半にスペインによって滅ぼされ、メキシコは植民地化されます。しかし、19世紀に入り独立運動が始まり、独立後もアメリカやフランスとの抗争を乗り越えます(アメリカにはテキサスをはじめとする国土の半分近くを奪われます)。

そして、彼女が生まれた19世紀後半には外国資本などの導入によって経済発展が進みますが、その中で社会的な矛盾が顕在化し、1910年頃、メキシコ革命が勃発します。革命の最中、1917年には現行憲法公布。

1935年ごろにメキシコ革命は終結し、政治的な安定が見られます。第二次世界大戦中には連合国側として参戦。日本軍とも交戦したそうです。

戦後は順調に経済成長を遂げ、1968年にはメキシコオリンピックが開催されます。しかし、その後国内政情が不安定になる一方、財政も悪化。1982年には債務危機が発生し、IMFの指導のもと財政再建を図ります。

その後、GATTやNAFTA、OECDに加盟するなど国際的な地位を高めますが、1994年に通貨危機が発生。また、この成長の陰でクーデターなども起こっています。2000年には70年以上続いた一党体制も終焉を迎えます。

そして現在はカルデロン大統領の下、米国との関係改善や貧困撲滅、治安の改善に努めているということです。

日本では終戦後しばらくすると政情は安定していましたが、メキシコでは最近まで内政も安定していなかったということで、長い間大変な歴史を見てきた彼女ですが、最後には穏やかになってきたとすれば、生き字引としても幸せな最期だったかもしれません。

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天空の城ラピュタ

今日の映画は、スタジオジブリ不朽の名作「天空の城ラピュタ天空の城ラピュタ」(ジブリ作品はどれも不朽の名作でしょうが)。

今日の放送は偶然知ったのですが、しっかり見ました。

いつ見てもワクワクするこの作品ですが、公開は1986年だそうで、もう23年前(!)になります。

20年以上も前の作品が、今もなお放送され、この年になってもワクワクさせてくれるとは、まさに「宮崎作品は経国の大業にして、不朽の盛事なり」です。

科学技術の結晶であるラピュタが人類を滅ぼすもとになるということ自体が考えさせてくれるテーマですが、パズーやシータの少年少女らしい純粋な気持ちと行動力に心が洗われるようでした。

テーマソング「君をのせて」もとても好きな曲です。

明日カラオケに行ったら、きっと端末の履歴に残っていることでしょう。

ドーラおばさんの魅力については語るまでもないですね。

「違う!!」ってね。

最近のハウルやポニョも好きですが、いわばジブリの古典とも言えるラピュタやトトロは、見るたびに味が出てきて、日本に生まれてよかったと改めて思います。

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ノーベル賞のお話②

※このカテゴリでは、別途発行しているメールマガジンの内容を記載しています。

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 前回に続き、ノーベル賞受賞者のお話です。
●日本初のノーベル賞受賞者:湯川秀樹

 1945年に終戦を迎え、挫折感と焦土の中から復興に向かう日本。
 食べるものはないわ、インフレが進むわ、内輪もめは多いわで必ずしも順調でなかった復興ですが、1949年に日本人を大いに鼓舞するニュースが入ります。
 それが、湯川秀樹博士のノーベル物理学賞受賞です。もちろん、日本人初の快挙です。
 当然新聞も大騒ぎ。一面トップで大きく取り上げます。
 よく知られているとおり、湯川博士の受賞の業績は「素粒子の相互作用について」ですが、これを発表した時、湯川博士はまだ若干28歳だったそうです。
 彼の祖父は漢学や英語に造詣が深く、小さいころから漢籍に触れていたことが、後の活躍につながったそうです。また、父や兄弟も学者であるなど、学問をする環境にも恵まれていたようです。
 ちなみに、彼の兄は歴史学の貝塚茂樹氏、そのご長男(つまり湯川博士のおい)は財政学者の貝塚啓明氏だそうです。筋金入りの学者一族です。
 また、彼は大成する学者には珍しく留学をしていません(当時の科学の先端は欧州だった)が、仁科芳雄氏をはじめ、よき師匠、同僚(後にノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏も同僚だった)に恵まれたことも大成する要因だったのではないでしょうか。
 後年、大学の講義では、学生にはいつも「優」を与えたそうですが、代わりに「勉強は君たちがするものだ」と言っていたそうです。
●夫婦親子でノーベル賞受賞:マリー・キュリー(キュリー夫人)
 女性科学者として名高いキュリー夫人ことマリー・キュリー。
 本人がノーベル賞を二度受賞しただけでなく、夫も共同受賞、娘夫婦もノーベル賞を受賞するなど、ノーベル賞一族として知られています。
 マリーは、ポーランド・ワルシャワ生まれですが、後にパリに移り、ソルボンヌ大学で教育を受けました。
 生活費が苦しく、食べ物も極力節約し、研究に打ち込んだそうです。
 研究活動を続ける中で、同じく科学者のピエール・キュリーと出会い、結婚。
 二人で研究を続けた結果、ラジウム・ポロニウムを発見。二人のノーベル物理学賞受賞(1903年)につながります。
 なお、ポロニウムの名前は、マリーの祖国・ポーランドに由来しています。
 
 その後、夫のピエールを交通事故で亡くしますが、一人で子育てをしつつ研究活動を続け、1911年にはノーベル化学賞を受賞。
 その後も研究を続けますが、放射線によって体を害し(ラジウム及びポロニウムは強い放射線を発するそうです)、白血病で亡くなります。
 長女のイレーヌも両親同様科学者の道に進みます。そして、同じく放射線の研究を行い、夫婦でノーベル賞を受賞します。そして、母と同じく、放射線のために体を害し、その生涯を終えることになります。
 次女のエーブは、音楽や文学の才能があり、母親の伝記を著すなどの活躍をしています。マリーの最期を看取ったのも彼女だと言われています。実は、彼女の夫(ヘンリー・ラブイス元ユニセフ事務局長)も勤務するユニセフがノーベル平和賞を受賞しており、文字通りノーベル賞受賞者に囲まれた、ある意味大変な人生だったかもしれません。

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おからケーキ(リベンジ編)

以前、おからを使ったケーキを作りましたが、改善する必要があると感じましたので、再度作ってみました。

ゆーけーのお仕事日記-おからミルクティーケーキ

今度はミルクティ風味です。

おから少々、卵2つ、ベーキングパウダー2袋、キャラメルミルクティーの粉末を2袋、砂糖を少々、砕いたパイの実を2粒。

あとは混ぜて、ケーキの型に入れて、オーブンで30分。

前回よりはケーキらしくなりましたが、まだ苦味がありました。

おからの苦味かもしれません。

今度は生クリームを入れようと思います。

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NASA、月に水の存在の証拠を発見

NASAが月の成分を検査したところ、月に氷があることが分かったそうです。

この水は、将来的には燃料用、呼吸用にも利用できるそうで、月面基地にもつながっていくとのこと。

あと50年も生きたら、月に旅行に行けるようになるかもしれませんね。

宇宙の話はロマンが無限ですね。

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