
査読の結果が返ってきた
前回の投稿からまた数か月経ってしまいました。
毎年ブログの更新の頻度を上げようという目標を立てているのですが、なかなか頻度が上がりません。昔は日々の生活の中で記事にしたい!と思うことが多かったのですが、最近はそういう感度が落ちてしまったのでしょうか。歳ですね…(汗)
前回の記事は「初めての査読」。修士課程を修了した後も研究を続けたい、郷土史家になりたいという思いから、初めて論文を査読に投稿しました。
あの記事を書いたときは、「採択されるだろうか」「どのような評価を受けるのだろうか」という期待と不安が入り混じった気持ちでした。投稿ボタンを押した瞬間の達成感と、その後に訪れる長い待ち時間。仕事で上司にメールで業務の進捗状況を報告して、フィードバックを待つ感覚に近いでしょうか。仕事ではフィードバックがすぐ来る分、松野は楽かもしれませんが。
そして先日、その査読結果が返ってきました。
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結果は、不採択(リジェクト)。
無駄に引き延ばしましたが、よく考えるとサムネイルでわかってしまう(笑)
初めての投稿ですし、うまくいくとは思いませんでしたがこうまでばっさりとは。
査読コメントを読むと、自分の論文が学術論文として箸にも棒にも掛からぬものだと思い知らされました。悔しいを通り越して情けなささえ感じましたね。
自分では十分に説明したつもりだった部分が、第三者には十分伝わっていない。論理がつながっていると思っていた箇所に飛躍がある。先行研究との関係について、もう一歩踏み込んだ説明が必要である。そもそも何が言いたいかわからない。
これでは論文という前に、文章としてダメですね。言われてみるとごもっともだと思いつつ、その分自分の能力のなさを思い知らされました。
これからどうする?
厳しい評価を突き付けられるとモチベーションが下がるというのはよくあることだと思いますが、御多分にもれず自分も想定をはるかに超えた厳しい現実に、もう歴史の研究はやめて一歴史ファンとして人が書いたものを楽しませてもらえばいいか、という考えがよぎりました。別に仕事でやってるわけではないのに、どうしてこんな思いをしなければいけないんだ、と。
ただ、それだとせっかく書いたものが何の社会的な役割も果たさず、日の目をみないままということになってしまいます。何らかの形で人の目に触れれば、多少なりとも何かの役に立つかもしれないのに。そう思うと、このままにしておくのはもったいない気がします。
となると、見るのも辛い査読コメントを読み直して論文をアップデートするしかないということになります。ただ、レベルについてあまりにも根本的な問題が突き付けられているのでこのまま「論文」としてチャレンジするのは難しいと感じています。
そのため、まずは世に出すことを優先して「研究ノート」として問題提起をする方向で進めてみようと思います。論文と比べて学術的な価値は一歩譲りますが、大学で歴史学の教員になるという目標があるわけでもなく、郷土史家の末席に名を連ねたいだけなので、これで十分目標に届くとみています。
研究ノートも査読がありますし、決して低いハードルではないと思いますが、少しでも前に進めるように頑張りたいと思います。
最近は一人で考えることの限界を感じてきたこともあり、Chat GPTを使用して壁打ちしたりアイデア出しを手伝ってもらっていますが、想像以上にアウトプットがすごく感動しています(AIの回答が人っぽいので本当に「手伝ってもらっている」感覚です)。それ以外にも日常的なことやキャリアのことなど多様な内容で質問していますが、いつもうまく整理された回答が来て、AIの進化の速度に驚いています。少し前までは犬と猫を判別できないとか言われていた気がするのですが。。。これからはAIをうまく活用してより充実した研究ができればと期待しています。