コンプライアンス、投資信託計理を語る!?
コンプライアンスの付加価値
日頃コンプライアンスの仕事をしていて思うのは、コストセンターとみられがちなコンプライアンスの業務に付加価値をつけられないかということ。守りの職種ではありますが、何らかの方法で攻めの要素をつけたいな、と。
そういう思いもあり、多少なりとも情報発信をして自分やひいては自分を雇用する会社のブランディングにもつながればと思っています。
このブログはさておき、そのような情報発信の場として社外の学会・研究会に参加して、いずれは自分の名前で投資信託業務に関する考察を発表して名前を売っていきたいという夢があります。
本当は歴史関係、あるいはアセットマネジメント×歴史で物書きとかしてみたいですけど、歴史の専門性がまだ弱いのでそちらは遠い将来の夢になりそうです。そのための奈良大学での学びではあるのですが。
そして、先日参加させていただいている研究会で投資信託業務を法律的観点から考察・報告する機会をいただきました。
テーマは自分で設定することができるのですが、今回は投資信託計理(投信計理)を選びました。
投資信託と投信計理
個人投資家の方にとってなじみの深い金融商品としては上場株式と投資信託がありますが、このうち上場株式は取引時間中についている株価で取引が行われるので、買い手も売り手も値段についてはわかりやすいです(株価自体の評価はさておき)。
一方、多数の株式や債券などに投資している投資信託については基本的に自動的に取引される値段はつきません1上場されている投資信託(ETF)は上場株式と同様に常に値段がついています。。
そのため、誰かが毎日投資信託が保有している財産や口数を計算して投資信託の取引価格(価値)を計算する必要があります。この投資信託の取引価格を基準価額といい、基準価額を計算する業務は投信計理と呼ばれます。計算を行って算出する業務のため「計理」といい、一般的な会計の「経理」とは区別されています2英語ではinvestment/fund accountingといい、会計と同じ単語になっています。。
投資家は基準価額に基づいて取引をするため、基準価額が正確であることは非常に重要であり、投資信託を運営する投信会社の受託者責任という観点からも決して軽視できない業務です。
しかし、投信計理はとても専門的であることから投信会社の他部署の人間ですら業務のイメージはあれども具体的に何を行っているかというと詳しくなく、まして投資信託業界の外にいる人には完全にブラックボックスになっていると感じています3投資信託約款には投資信託財産の評価を法令や投資信託協会規則に則って行うことが定められていますが、これだけでは具体的な認識にはつながらないと思われます。。
そのため、投信会社の責任について論じられている論文や判例では、投信会社の運用や開示・説明責任について扱っているものはあっても、投信計理について触れたものを見たことがありません4判例についてはそもそも投資家との間で基準価額の妥当性について争われることがないからだと思います。。
しかし、繰り返しになりますが基準価額を正しく算出することは運用パフォーマンスと同様に投資家の利益にとって影響を及ぼす事項であり、受託者責任の観点からも業界内外で議論が活発に行われるべきではないかと思います。
特に昨今では投信計理業務のあり方も変化にさらされており、その変化が受託者責任の観点から許容されるものかは深い議論が求められると考えています。
そこで、今回は投信計理の業務を整理するとともに、受託者責任の観点からいくつかのテーマについて自分なりに考えてみました。
もっとも自分自身投信計理の業務経験はほとんどないため、投信計理の担当者に説明を聞きながら資料を作成しました。それでも一時期投信計理業務に触れていたことは大きな助けになりました。何事も経験は大事ですね。
投信計理は専門的かつ技術的であるため、その業務についてあまり他部署の人間が積極的に語ることはないように思います。その意味では今回の私の報告は珍しいものと思いますし、他のコンプライアンス担当者との差別化になることを期待しています5もっとも投信計理からコンプライアンスに異動した人がいたらすぐに崩されそうなアドバンテージ…。。
ともあれせっかくいろんなことを考えたので、本記事では研究会で報告した内容をざっくりご紹介したいと思います。
投信計理業務と法的な論点
投信計理業務の概要
前述のとおり、投信計理業務は概ね基準価額を算出する業務ということができます。基準価額は毎営業日算出される必要があるため、投信計理業務は毎営業日基準価額を算出する作業を行っています。
投資信託の基準価額、すなわち投資信託受益権6投資信託の持ち分は投資信託受益権という形をとっています。一口あたり7実際には1万口単位で表示されることが多いです。の投資信託の価値は投資信託財産の価値を投資信託受益権口数で割ることで計算されます。したがって、基準価額の計算には分子である投資信託財産と分母である口数の両方を正しく把握することが必要で、それこそが投信計理業務の役割ということになります。
もう少し詳しく書くと、基準価額の算出は概ね次のような業務に細分化されます。
①投資家の申込を反映した口数の把握
上記のように基準価額算出の計算の分母は投資信託受益権の口数であるため、毎営業日の口数を正確に把握する必要があります。口数は投資家の方の購入・換金の申込によって変化するため、投資信託の販売会社8投資信託は主に証券・銀行で販売されているほか、投信会社自ら販売していることもあります(直販)。から毎営業日の申込額の連絡を受け、システムに反映しています。
②取引約定の取り込み
投資信託の目的はお客様から預かったお金で運用担当者(ファンドマネージャー)が株式や債券を取引して運用することですが、その取引の結果投資信託財産の中身は変わっていきます。そのため投信計理担当者は全ての取引の内容を把握して投資信託財産に反映させ、その内容を常時更新していきます。
③コーポレートアクションの反映
投資信託財産の内容は概ね保有銘柄とその数量で構成されますが、その内容は運用担当者の取引以外の要因で変化することもあります。その具体例として組入銘柄のコーポレートアクションがあります。例えば保有している株式に株式分割・株式併合があれば取引をしなくても保有株数は変わりますし、合併などがあれば銘柄自体も変わるでしょう。
そのような情報も適時把握して必要に応じて投信計理システムに取り込むことになります。
④時価評価の取り込み
上記の②・③の作業を経て投資信託財産の中身が確定したら、それぞれの資産に評価額を当てはめて保有している資産の価値を確定させます。
保有している資産の評価の仕方は投資信託協会の「投資信託財産の評価及び計理に関する規則」に具体的に定められていて、投信会社が恣意的に評価をすることはできません。
時価に関するデータはベンダーから提供を受け、それもシステムに取り込んでいきます。
⑤費用計上
投資信託の運営には人件費やシステム費用その他様々な費用が必要ですので、そのための費用を信託報酬などの形で受益者に負担いただいています。
それらの費用は特定の時点で投資信託財産から支払われますが、一度に投資信託財産に反映してしまうと受益者になったタイミングで受益者間に不公平が生じますので、帳簿上では日々均等9信託報酬の場合、年率を365(閏年の場合は366)で割って毎日費用を計上しています。に費用を計上し、基準価額に反映させています。
⑥基準価額の算出・受託銀行との照合
費用を控除した投資信託財産の評価額と口数が決まると基準価額が算出できますので、システムで基準価額を計算します。ここで投信会社の基準価額算出業務は終わります。
しかし日本では基準価額の正確性を確保するため、投信会社と受託銀行の双方で基準価額を算出し、照合して一致したら基準価額が確定としていますので、投信会社で基準価額を算出したら受託銀行と照合して一致させるというプロセスを踏みます。
⑦基準価額の公表
基準価額が確定すると、投信会社は投資信託協会、販売会社、日刊紙に基準価額を連絡します。自社ウェブサイトでも公表されます。
投信会社から連絡を受けた関係各所はその後の後続処理を行うため、基準価額の算出はあまり遅くならないようにする必要があります。
これらの作業は上述のとおり基本的には投信計理専用のシステム10投資信託業界ではT-STARという野村総合研究所(NRI)が提供しているシステムがよく使われています。を使用します。業務の大部分がシステム化されているため手作業はそれほど多くないようですが、システム対応していない部分については手作業で対応したり、投信計理担当者としての判断が求められる場合も多々ありますので、決してシステムで自動的に完了してしまう業務ということはありませんし高い専門性が必要な業務だと思います。
・・・と書いてみましたが、この内容誰向けなんだろう?業界外の方にはどうでもいい情報、投信計理業務担当者にとっては自明すぎ、その他部署にとってもわかっていることだし、自分で書いておいてなんですが微妙な内容かも(汗)
投信計理の論点
投信計理の基本的な流れは上述のとおりですが、業務の枠組みはシンプルなように見えても投信計理業務は法的な観点から多くの論点を抱えているように思います。
昨今でも投信計理業務に影響を及ぼす事項が議論されており、それらについては技術的な観点はもちろん法令・受託者責任の観点からも論じられるべきと考えます。技術的な面は投信計理業務の実務家にお任せするとして、私は受託者責任の観点からいくつかの論点について考えてみました。
①基準価額の算出一元化
日本では基準価額は投信会社と受託銀行が算出・照合して一致して確定させますが、米国や欧州ではアドミニストレーターに指定された会社が単独で基準価額算出を行います11ただし欧州の投資信託(UCITS)では受託者にあたる預託機関が基準価額算出の最終的な責任を有しています(UCITS指令(Directive 2009/65/EC) 第22条第3項(b))。。そのため日本のように基準価額算出の業務が重複せず、その分コストが安くなると考えられています。
海外からもそのような慣行の見直しを求められており、業界としても基準価額の算出を投信会社、受託銀行、あるいは第三者に一元化できないかの検討を行っています。
当然のことながら技術的にも法的にも議論すべき点が多いのですが、個人的には基準価額が関連する業務について投信会社・受託銀行に受益者に対する責任があるわけで、それぞれ基準価額を算出する受託者責任があるように考えています。そうでなくてもどちらに責任があるのかはっきりさせなければ第三者への委託も難しいと思います(誰が委託するのか、最終的な責任を誰が負うのかは明確にすべき)。
もちろんこの点はいずれ業界でも見解が統一されるでしょうし、さらに言うと一元化自体すでに一部で実現が進んでいるので、私が知らないだけで議論がかなり深まっているのでしょう。この点についてはさらに情報収集しないと自分の名前で責任をもって論じるのは難しそうですので勉強を続けていきたいと思います。
ちなみに研究会の参加者もこの点に強い関心を持たれたようで、この点についての質疑応答が一番盛り上がりました。
②東京証券取引所の取引時間延長の投信計理業務への影響
東京証券取引所では2024年度後半に取引時間を15時30分まで延長することが計画されていますが、基準価額の算出業務には時間制限があるため投信計理業務にも大きな影響があることが予想されます。主要な論点についてはすでに東証も把握していて報告書にまとめられています。
時間的制約がある投信計理業務においても影響が大きいため改善策がいくつか検討されており、それには先述の基準価額算出一元化に加え、バリュエーションポイントの導入が含まれています。
投資信託財産の評価において株価は取引時間終了時の値を採用することになっていますが、取引時間終了が30分伸びるということは基準価額の算出業務も30分後ずれすることになりますが、外部の後続業務の都合を変えることは難しいので基準価額の算出プロセスが単純に30分少なくなり、業務が回らないおそれがあります。
そのため、基準価額の算出一元化をすることで照合にかかる時間を節約したり、バリュエーションポイント、すなわち取引時間に関わらず15時の株価を採用して現在と同じタイミングで基準価額を算出できるようにしようとする案が出ています。
しかし、基準価額の算出一元化だけでなくバリュエーションポイントの導入についても議論すべき点は多いと思います。技術的な点に加え、特に指数への連動を目指す投資信託の連動性は確保できるのか、同じ指数を採用するETFとの商品性の差異の拡大12取引時間中値が付くETFと取引時間後でないと値がつかない投資信託ではすでに差異がありますが、仮に投資信託が15時の価格、ETFが15時30分までのリアルタイム価格となるのであれば商品性にさらに差が生じるように思います。は発生しないか、されにそれは投信会社の経営戦略にも影響しないか、引値以外に基づいて評価することについて投資家にどのように理解してもらうか、など私が少し考えただけでもいくつか出てきます。
もちろんそのような課題はすでに検討の俎上に上っていると思いますが、一業界人としても特に受託者責任の観点から考えてみたいと思っています。
これらの問題は特に業界・投資家への影響が大きいため報告の対象にしましたが、これ以外にも投信計理が関連する受託者責任に関する論点はたくさんあると思います。
今のところは投信計理業務にコンプライアンス担当者や学者が踏み込むことが少なかったため学術的な観点なども踏まえた議論はあまり多くないと思いますが(上記のテーマは投信計理に関するテーマが広く議論される珍しい事例です)、自分が少しでもその懸け橋になっていきたいです。
なお、誤解のないようにいうと投信会社の実務については法令遵守はもちろん投資家への影響についても考えられていますので、学術的な議論がなされていないから投資家保護が無視されているというわけではありません。
コンプライアンスのフロンティア
投信計理に限らず、投資信託という仕組みやその実務についてはすべてが法的にきれいに整理されているわけではなく、金商法や投信法などの業法や規則及び実務慣行としては一応の整理がされていても学術的に検討する余地がある論点がたくさんあります。
そしてそれは投資信託業界の外部からは見えづらく、業界の実務家が論点を見つけて論じるきっかけを作ることが重要だと思います。
個人的な認識としては、投信会社(資産運用会社)のコンプライアンス業務は比較的内容が決まっており、かつ他部署の業務を確認するなど受動的なものが多いので人によっては刺激が少ないとか知的好奇心を満たしにくいといった受け取り方をされるかもしれません。
実際に花形部門と言われる運用部門や商品企画、営業部門などと比べると地味でもあるので、コンプライアンスの仕事を積極的に希望する人もあまりいないようです。少なくとも私は人事異動の希望でコンプライアンス部門に行きたいという人を聞いたことがありません13他の管理部門からコンプライアンスに転職するというのは聞いたことがありますが。。
しかし、上記のように投資信託の仕組みや実務をじっくり見てみると、実務としてはまわっていても法的・学術的にさらに整理する余地があるポイントはたくさんあります。コンプライアンスは多くの部署の業務に触れることができるため、そのような目で見ていけば考察のネタはいくらでも出てくると思います。実際私もそのような視点でコンプライアンス業務に取り組んでいますし、博士論文のネタもそのようにして集めていました。
ということで、資産運用会社のコンプライアンス業務にも仕事の仕方次第で知的好奇心を刺激する要素はたくさんあるので、上記のような点に魅力を感じる方には是非コンプライアンスでのキャリアも検討いただけると嬉しいです。
そんなことを書くと優秀なライバルが増えてヤブヘビになるかもしれませんが…(汗)
なお、本稿の内容は実務担当者へのヒアリングも踏まえて作成していますが、誤りがあればご指摘いただけると幸いです。