「本」の二面性
史料学概論のレポートを提出し概論科目のレポートは全て終わったので今年度レポートを終わらせてしまいたい科目は書誌学と東洋史特殊講義の2科目になりました。
他にも履修している科目はありますが卒業に必要な単位数と来年のスクーリング科目を考えるとこの2科目で卒業の単位数は揃うので、古文書学など残りの科目は余裕があればのんびり学習しようと考えています。
そしてその2科目のうち書誌学から手を付けることにしました。
書誌学とは本(及び書物)の内容というより、物質的な面について考える分野です。
私たちが「本」というとその内容に関心が行くことが多いと思います。
読んだ本について話すときは普通その内容を話すでしょうし、本を読んだ後に内容を記憶していることはあっても、その本がどんな形でどのような作りであったかを覚えていることはあまりないのではないでしょうか。
しかし、本を含む書物には文字が登場してから長い工夫と発明の歴史があります。
身近なところでもハードカバーの書籍が文庫本としてリニューアルされることがありますが、それ自体も印刷や製本に工夫がこらされていると思います。
そして書物の歴史を紐解けば、近世の和書、古代の木簡・竹簡、さらには殷の時代の甲骨文字にまでさかのぼることができます。
書誌学ではそのような要素を踏まえながら書物の発展の歴史について学びます。
テキストは、真庭基介・長友千代治著『日本書誌学を学ぶ人のために』。
本書では特に日本における書物や印刷の発展の歴史について概観するとともに、書物を物的史料としてみるときのポイントについて解説されています。
史料を物的資料として考察の対象にするという点は考古学と共通するので、書誌学には考古学的な側面があるといえそうです。
現在はデジタル印刷が主流だと思いますが、本書は江戸時代までの書物までが考察の対象となっており、近現代における書物や印刷については説明の対象外となっています。
印刷技術としてデジタルが導入されているほか、情報の記録・発信媒体としてもウェブサイトや電子書籍が登場しており、これらもいずれ書誌学の対象となっていく(既になっている?)と思うので、そのような観点で論じられた本も機会があれば読んでみたいと思います。
電子書籍といえば、論文などにおける出所の記載の仕方が紙媒体の書籍とは異なり面倒なようで論文を書く時の材料にはしにくいので、専門的な書籍は紙媒体を読んでしまいます。書誌学とあまり関係ないですが、この辺も明確で簡単なルールができるといいなと思っています。
書物の要素と発展の歴史
書誌学は書物というモノ自体を考察の対象とするため、書物がどのような要素で成り立っているかを知る必要があります。
書物を構成する要素は文字や紙などの素材はもちろん、その作り方(綴じ方)や装飾など多岐にわたります。自分の書棚を見ただけでもカバーの有無や紙の素材、箱の有無など同じような製本のようでそれぞれが意外に違っていることに気づきます。
紙を発明したのは後漢の蔡倫と言われますが(実際にはそれ以前にもあったようで蔡倫は改良者とするのが正しいようです)、それ以前にも竹簡や絹などに文字を書いて情報伝達の媒体とされていました。
竹と紙、あるいは木簡と紙では素材が違うため、情報伝達媒体としての加工方法も異なります。紙でも綴り方次第で体積当たりの情報量や検索性が異なってきます。例えば同じ紙の量の巻物と書籍のどちらが読みやすいかを考えるとわかりやすいと思います。特に紙は折ることもできるので枚数当たりの情報量を増やす工夫の余地が大きかったと思います。実際、書物の発展の中で紙の折り方・綴じ方の工夫は多いです。
このように、本を含む文字情報の伝達媒体(書物)の歴史はとても長く、深いです。
文字の記入方法もやはり発展の歴史があります。何も技術がない場合、情報媒体への記入は当然人力で、奈良時代には写経をする役所もありました。そのため書物は非常に貴重なものでした。
しかし奈良時代中頃には整版技術が伝わったようで、寺院を中心に整版印刷が行われていきます。特に貴族が善行を積むため(作善)の写経を大量に行うために整版印刷が使われた事例もあるようです。なんだか経済力にモノをいわせているような気がしますし、それが本当に善行なのかわかりませんが…
その後も明治時代に至るまで基本的に整版印刷が主流になりますが、16世紀終盤に活字印刷が伝わり、しばらくの間は活字印刷も盛況となります。活字印刷は仏典中心だった刊行物のジャンルを広範囲に広げ、書物の読者層を広げるという重要な役割を担うことになります。
これらの印刷方法にはそれぞれクセがあって、印刷されたものを見るといろんな差異があるので面白いです。例えば整版印刷では何度も版を使いますが、版の出来たてと何度も使用した後では出来たての時の印刷はキレがあるのに対しずっと使っている版では版木がすり減って少しぼやけた感じになります。削りたての鉛筆としばらく使った鉛筆の違いのようなイメージです。
また、書物にはいろんな部位があり、書物の作りや時代によっても特徴がありますし、部位ごとに役割もあります。
今の書籍と同じ部位が昔の和本にあることも多く、今の書籍の作りは昔からつながっていることに驚きます。
こうして書物の歴史をたどると、書物というジャンルにも奥深い歴史があることがわかりますし、特に書物は自分たちの生活にも密接な関係があるので発展の歴史を少し身近に感じた気がします。
個人的には扉紙がなぜあるのかわからなかったのですが、今回勉強して少なくとも昔から扉紙はあったことがわかって謎が少し解けた感じです。
レポート課題
書誌学のレポート課題として出されたお題は、①古活字版について説明すること、②書名の決定方法について説明すること、でした。
古活字版とは
普段我々が使う「活字」という言葉は印刷用語でもあるのですが、印刷の方法には大きく分けて「整版」と「活字版」があります。
整版というのは1ページ(あるいは見開き)まるごと板木に彫刻を行い、それをそのまま紙に押し当ててページごとに印刷する方法、活字版は1文字ごとに彫刻した判子を作ってそれを印刷する内容ごとに並べてまとめ、それを紙にあてて印刷する方法です。一文字一文字が「活きて」いることから活字と呼ぶそうです。
整版印刷は歴史が古く、奈良時代には日本に伝えられ仏典を中心に利用されていました。一方活字版は戦国時代が終わる頃(16世紀末)に日本に入ってきました。そのルートは二つあり、一つは西洋の宣教師がもたらした「きりしたん版」、もう一つは文禄・慶長の役の過程で朝鮮からもたらされた「古活字版」です。
キリスト教の禁制もあって江戸時代初期には古活字版が盛況となります。古活字版には後陽成天皇や徳川家康といった権力者が注目したり、従来仏典が中心であった印刷物の対象が古典や実用書、娯楽書にまで広がったりと出版の歴史における転換点となります。
もっとも、活字版は一文字ずつ彫った文字の印をまとめて押しているだけなので、百部ほど刷ると版がほどけてしまうという弱点があり、大量印刷をするには向かなかったようで、それが大規模商業出版への障害となり、やがて整版が主流に戻ってしまうということになります。
ちなみに活字(活版)印刷には活字の彫り方によって「凸版」「凹版」などがあるのですが、凸版印刷という会社の社名の由来はこれかとようやくわかりました(同社ウェブサイトによると創業当時の最先端技術である「エルヘート凸版法」というのが由来のようです)。
今はデジタル製版の時代なのでやはり活字印刷ではありませんが、「活字」という言葉が残って日常的に使われるのは活字印刷も印刷術冥利に尽きると感じているでしょうか。
書名の決定方法
ここでいう書名の決定方法とは著者や出版社がどんなことを考えて書名をつけるか、ということではなく、第三者がどのように書名を判断するかという問題です。
書名は書物に書いているんだから誰でもわかるのでは?と思いたくもなりますが、意外に難しい論点だったりします。
一般的に書物の表紙には書名が書いてありますが、それだけでなく内側にも書名が書いてあることがよくあります。自分の書棚の本をいくつか見ても表紙のほかに扉紙(表紙・見返しの後のペラ紙一枚)や本文のはじめなど複数の個所に書いているものが多いです。
このように表紙に書いてある書名を外題、本の内側に書いてある書名を内題というのですが、外題と内題が異なっている場合、どちらを正式な書名として扱うかという問題が生じます。
現在の目録法(法令ではなく方法の意味)では内題を正式な書名として扱うようです。その理由として表紙は入れ替えられたり、書名が張り付けてある場合(題簽)にそれが取れた後に別の書名が張り付けられて正確な書名でない可能性があり、外題の信頼性は比較的低いのに対し、中身が変わることはないため内題は信頼性が高いということがあります。
一方で著者の目線で考えると、表紙というのは本の顔とも言うべき一番注目してほしい部分であり、そこにこそ著者の思いが一番反映されると考えるべきで、そう考えると外題の方を優先すべきではないかという意見もあります。
どちらもなるほどと思いますし、私ごときがどっちが正しい!というのはおこがましいのですが、このような論点もあるというのは非常に興味深く感じました。
書物を守る
書物は紙や竹、木、あるいは羊皮紙のような皮など素材は様々ですが大なり小なり時間の経過や悪環境での保管によって劣化しますし、戦乱などで失われることも多々あります。そして一度失われると同じものは元に戻りません。写しがあればともかくそれもなければその内容自体が永遠に失われます。
そのため、書物は守る努力をしなければ受け継いでいくことはできないのだと思います。
保存環境が整った図書館等の整備に加え、天災や戦乱などの人災といった危機から書物を守るという努力がなければ貴重な書物は受け継がれないのだと思います。
以前アルカイダから貴重な書物を守った方の体験をつづった書籍を読みましたが、貴重な書籍のうちの一部は危険を冒した先人の努力のおかげで現存しているのだと思うとありがたい気持ちでいっぱいです。恐らく日本でも戦乱や戦争の危険の中で書籍や史料の保全に尽力したくださった方が多くいたと思います。
今般ロシアとウクライナが戦火を交えることとなりそれ自体が非常に悲しいことですが、ウクライナには史跡や史料も多いでしょうからそれらが危険にさらされるのもまた残念なことです。
平和のためにも貴重な先人の遺産の保全のためにも一刻も早く戦争が終結することを祈りたいと思います。