あのときやっておけばよかった、という後悔
人生は決断と後悔の連続?
人生はいつも決断。仕事では取引をするかしないか、条件はどうするか、優先順位をどうするか、ある事項を認めるか否か、ということを考えなければいけないし、プライベートでも、あるものを買うか買わないか、ある時間に何をするか、○○さんと交際・結婚するか別れるか、などと、大小は様々でも決断の連続です。
そして、よくあるのが、「あのときこうしておけばよかった…」という後悔。
あの仕事を先にしておけばよかった、あの取引は進めておくべきだった。
あの商品を後日買おうと思ったら売り切れてた、あのときあのイベントに行くべきだった。
本当にキリがありません。
自分もこんな後悔の毎日。
最近も、後日自分の行動を振り返って、折角のチャンスに行動しておけばよかったのに、もう取り返しがつかない…、と苦しい思いをしつつ後悔したことがありました。
なぜ後悔するのか
考えるに、決断にまつわる後悔の原因は大きく2つあると思います。
一つは、優柔不断で決断しなかったこと。
決断せずに様子見をしていたら、チャンスが過ぎ去っていたというケース。あるいは、結論を出す、あるいは結果を見るのが怖いから、決断を先送りにしてしまうケースもあります(決断しないことも一種の決断ですが)。
もう一つは、決断の内容が正しくなかったこと。
決断して行動するまではよかったけれど、その内容が正しくなかったので、決断の結果も正しくならなかったというケース。
ある商品を買ったはいいけど、思った品質ではなかった、とか。
ある人と付き合ってみたけど、全然相性がよくない、とか。
言わないといけなさそうなことを決意してビシッと言ったら的外れだった、とか。
決断しないと後悔するけど、決断しても後悔する。
未来のことを見通せるわけではない以上、このようなジレンマは誰しも不可避でしょう。
もちろん後悔しないために色々調べたり考えたりするのですが、それでも誰しもこのような後悔はあるはずです。
特に自分はある分野においては優柔不断な傾向があって、大事なチャンスを逃すことがしょっちゅうで、また一方で簡単に決断したことについては結果が伴わないということもよくあります(株価下がってる・・・汗)。
その都度、決断って難しいなと思います。
そして、そんなときにいつも思い出す話があります。
今回は、そんな「決断」にまつわるお話おば。
熟慮と果断
頭の回転が早くても、熟慮しないと後悔する
戦国時代を代表する知将として知られる黒田官兵衛と小早川隆景。
織田信長が中国の毛利家と戦っていたときは織田方・毛利方で相対していた二人ですが、その後交友関係を深めることになります。
豊臣秀吉の懐刀として知られる官兵衛ですが、世代が上で経験が豊富な隆景には色々教わることもあったそうです。
ある日、官兵衛が隆景に「私はよく自分の決断を後悔することがありますが、あなたは後悔することはないのですか」と聞きます。
そして隆景曰く、「あなたは頭の回転が速いから、少しの情報ですぐに判断をすることができてしまう。ただ、直感というのは安易な考えにもなりがちで、それゆえに後悔するのかもしれない。一方自分は直感的にひらめくタイプではないので、十分に時間をかけて考えて決断をするようにしている。そのかわり、一度決断したら最善をつくすようにしているので、後悔することはない。」と。
隆景の意見としては、時間をかけて納得がいくまで考えて決断し、その上で最善を尽くせば少なくとも後悔することはない、ということになります。
逆に、官兵衛のように直感的に決断をするのは、かえって後悔のもとになるともいえます。
もちろん、常に決断のために十分な時間があるわけではないのですが、その制約の中でできるだけ考えて結論を出す、ということが後悔を小さくするポイントになりそうです。
少なくとも、重大な選択だと認識した場合は、その場に流されず、立ち止まって熟慮に熟慮を重ねるくらいの気持ちが必要ですね。
それを考えてまた後悔してきた・・・(汗)
人は信じたいものを信じるバイアスがある
考えて、考えて、考え抜いて判断する。
そうすれば、きっと正しい結論が導き出せる。
そう信じたいところですが、現実はそう甘くはありません。
考えても考えても正しい答えにたどり着けないことも多くあります。
当然ですが、思考の方向が正しくなければ、間違った方向にしか結論は出ないでしょう。
したがって、熟慮する、という場合には自分の思考回路自体の妥当性も疑わなければなりません。
何かを考える際には自分の経験などのバイアス(偏り)がかかり、そのバイアスが思考を歪ませることが多いと思います。
そのようなバイアスによる思考の歪みを鋭く指摘した言葉として有名なのが、古代ローマの英雄であるユリウス・カエサル(シーザー)の「ほとんどの場合、人は信じたいものを喜んで信じる(人は自分の見たい現実しか見ない)」という言葉です。
あの会社との取引はきっと大丈夫だ、あの人はきっと自分に好意を持っている、この株式はきっと値上がりする、大規模な災害はすぐには発生しない。
どんなに客観的に判断しようとしても、事実それ自体は判断材料にならないことが多いので(定量的に判断することもありますが、その判断基準自体が定性的に決まっていることが多いでしょう)、最終的には判断基準は解釈に依存します。
そして、その解釈はつい自分にとって都合のよいものになりがちです。
したがって、判断を的確に行うためには、解釈自体が常に自分よりになっていることを認識して、できるだけ自分の都合の悪いことも考える必要があるのではないかと思います。
社交辞令、見えていない競合相手、統計上の可能性を超える被害(テールリスク)、自分の理解の範疇を超えた他者の行動、などなど、都合の悪いことも考えると、案外自分の考えが自分の都合のよいバイアスに歪められていることに気づきます。
もちろん、自分の都合の悪い方向にばかり考えていると、それはそれで判断を歪めてしまうし、それでチャンスを逃す可能性もあるので注意が必要ですが、自分の最初の思考に対しては、都合の悪い可能性もぶつけてみるというのは、正しい判断に近づくためには必要でしょう。
少なくとも、もっとよく考えればよかった、という後悔は軽減できそうな気がします。
天の与うるを取らざれば、かえってその咎を受く
時間を遡って、中国の春秋戦国時代。
中国の南方では呉と越という国が戦っていました。
元々は呉の方が大国で、越を一度壊滅寸前に追い込んでいますが、越王・句践が命乞いするのを見た呉王・夫差は哀れみをかけ、命を助けることにしました。
しかし、句践はそれを恩と思うよりは屈辱と感じ、苦い胆をなめて、その屈辱を忘れないようにしていました。
ちなみに呉王・夫差は父親の闔閭を句践との戦いで失っており、やはりその屈辱を忘れないように薪を背に寝て、その痛みで闘争心を維持していました。
このライバル二人のエピソードがいわゆる「臥薪嘗胆」です。
また、「呉越同舟」というのも、この二国の対立関係に由来します。
その後、雌伏の時を経て国力を増大させた越は呉に再度戦いを挑みます。
当時、覇権を握ろうとして各国と戦っていた呉は国力を低下させており、長い戦いの末、今度は呉が追い詰められます。
そして、今度は夫差が降伏する番になります。
かつて命を助けられた句践は、夫差を助命しようとしますが、句践の懐刀である范蠡はこれを諌めます。
「夫差があなたを助命したからこそ、今夫差は追い詰められているのです。夫差を助命したらあなたがまたやられる番になるかもしれません。天の与えたチャンスを活かさなければ、かえって悪い結果になるのです(天の与うるを取らざれば、かえってその咎を受く)。」
結局、句践は夫差を助命する条件として離島の領主として島流しにしようとしましたが、誇り高き夫差はこれを拒否して自ら命を絶ちました。
余談ですが、ナポレオンは対仏同盟に敗れた後エルバ島に流されますが、その後脱出してフランス皇帝に復位しているので、夫差が同様なことをしていれば、やはり天の与えたチャンスを活かさなかったと句践も批判されたでしょう。
天の与えたチャンスを活かした句践、活かさなかった夫差。
夫差は自らの温情により天の与えたチャンスを活かさず、後にピンチに陥ったことを大いに後悔したでしょうが、時すでに遅し。
温情や優柔不断でチャンスを逃すことは歴史上の事例でも自分の経験でも非常に多いです。
そもそも、目の前にあるのが本当にチャンスかどうかは、その時にはわからないことも多いです。
後から振り返って、あれがチャンスだった、とわかることの方が多いかもしれません。
とすれば、できることは洞察力を磨いて出来るだけ早くチャンスかどうかを判断することと(すばやく熟慮する、という感じでしょうか)、可能性があると判断できた場合は、自分を信じて果断に決断・行動することを徹底するということになりそうです。
言うは易し、行うは難し、ですが。。。
熟慮だけでも決断だけでもダメ
何事も、行動が伴ってこそ実現します。
そして、行動にはすべからく判断が伴います。
さらに、判断には何らかの思考が働きます。
したがって、正しい思考と、それに基づき判断・行動する能力の両方が揃って初めて自分にとってよいことが実現できる(かもしれない)と言えます。
どちらかが優れていても、もう片方がなければ宝の持ち腐れになってしまうので気をつけたいところです。
例えばビジネスでは、アイデアだけでは宝の持ち腐れで実行に移さないと意味がないし、逆に陳腐なアイデアだと実行したところで大した成果にはならない可能性が高いでしょう。
自分自身はどちらも微妙なのですが、改めて、ポンポン結論を出さずに熟慮に熟慮を重ねること、バイアスを意識すること、結論を出したら、自分を信じて決断することを肝に銘じたいと思います。