負けない人はいないが「負け方」は変えられる
金融市場で重視される「負け方」の管理
先日Twitterを見ていたら、金融市場への対し方において、「負け方」を考えさえられるツイートがあり、なるほどと考えさせられました。
どれほど優れた人でも、金融市場で勝ち続けることはできず、時には負けてしまう(損失を出す、あるいはベンチマークである金融指標に劣後する)こともあります。
しかし、他人のお金を預かって運用する立場では、勝つか負けるか、伸るか反るか、といった大雑把な投資の仕方をすることは許されず、それゆえにリスク管理が重要になってきます。
すなわち、最大限許容できる損失をあらかじめ定めておき、それを超える損失を出さない範囲で運用を行うということです。
運用の質というと、ついパフォーマンスに目が行ってしまうことが多いですが、実際にはリスクをどのように管理して取り返しのつかない損失を防いでいるか、ということも大事です(特に長期的に投資する場合には)。
余談ですが、投資信託の説明書(目論見書)にはリスクの説明もしっかりされていますので、投資家の方にはパフォーマンスだけでなくリスクの部分にも十分目を通していただければと思います。
負けない人はいない、でも負け方は変えられる
金融に限らず、どのような分野でも勝ち続けられる人はいないと思います。
プロ野球でも負けたことがない投手はおそらくいませんし(通算の登板数が少ないとかは別ですが)、テニスでもゴルフでも、トーナメント・ツアーの勝者は常に変わっています。
しかし、負けるにせよ、その敗北の傷をどのように抑えるか、あるいは次にどのように活かすかが、キャリア全体での成功・失敗を分ける大きな要因になるように思います。
実際、活躍しているプロ野球選手の記事を読むと、負けた試合の振り返りをしていることが多いようですし、資産運用業界でも運用成績が悪いときはきちんと原因を分析してパフォーマンスの改善に活かしています。
もちろん、そのような努力をしても成功が保証されるわけではありませんが、そのように負けをコントロールし、負けたままにしておかないことが成功の可能性を高めるように思います。
ということで、今回は「負け方」を大事にすることの意味について考えてみたいと思います。
「負け方」がよければ、勝つチャンスはある
「99敗」でも最後の1勝で最後の勝者に
歴史上の英雄で、最も負けた経験がある人物は、おそらく漢王朝を設立した劉邦ではないかと思います。
劉邦の漢王朝設立への道のりは、そのままライバルの項羽との対比になります。
人望はあったものの、血筋・能力は平凡に近い劉邦。
名門の生まれで能力は抜群であるものの、人望には劣る項羽。
劉邦と項羽が対決を始めた頃、劉邦軍は人材こそ多かったものの戦力には乏しく、劉邦自身に至らない点もあったため、項羽軍に対しては劣勢に回ることが多く、「99敗」と例えられることも多いくらいです。
しかし、劉邦軍は敗戦を続けながらも、大敗を喫した彭城の戦いを除けば、決定的な敗戦はほとんどなかったため、徐々に勢力を拡大することができました。
そして、多くの敗戦を乗り越え、垓下の戦いで項羽軍を滅ぼし、最終的な勝者となることができました。
劉邦が勝利を得ることができた理由はいろいろ挙げられますが、その一つは「壊滅的な敗北がなく、最後まで勝利を狙うことができた」という事実があると思います。
試験でも就活でも、チャンスがある限りは可能性はゼロではありませんし、可能性をつなぐことさえできれば、理屈の上ではいつかは成功することができます。
ただ、チャンスがあるとしても失敗が続くと心もくじけそうになりますので、それでもチャレンジする精神力は必要だと思います。
その意味では、最後までくじけなかった劉邦の精神力はすごいと思いますし、また、劉邦軍の諸士をくじけさせないように後方支援を続けた蕭何をはじめとする能吏の貢献も大きかったと思います(劉邦は功績の最上位に蕭何を挙げています)。
項羽と劉邦の戦いから得られる教訓はいろいろありますが、チャンスをゼロにしないように、敗戦するにせよ壊滅はしないようにしてチャンスを狙い続ける、ということも大きな教訓だと思います。
「退き佐久間」
織田信長が天下統一目前まで駆け上がることができた背景の一つは、優秀な家臣団を有していたことだと思われます。
その家臣団を評した言葉に「木綿藤吉、米五郎左、掛かれ柴田に退き佐久間」というものがあります。
これはそれぞれ、
・木綿のように使い勝手の良い羽柴秀吉(藤吉)
・米のように必要不可欠な丹羽長秀(五郎佐)
・敵に攻めかかるときに活躍する柴田勝家
・退却をうまく成功させる佐久間信盛
という4人の重臣の強みを表しています。
このうち、最初の3人は大きな出世をし、また業績もわかりやすいため、知名度が高いですが、佐久間信盛については、退却という目立ちにくい分野で活躍したこと(重臣ですので活躍の分野は広いですが)や最期に失脚したこともあって、注目度が他の3人に比べて低いようです。
しかし、織田家が弱小勢力だった頃はもちろん、その後も敵対勢力に囲まれ続け、戦力に余裕が出ることはあまりなかったように思います。
その中で、勝って勢力拡大をしてくれる柴田勝家や羽柴秀吉のような人材はもちろん貴重ですが、戦いに敗れても損害を最小限に抑えてくれる佐久間信盛のような人材も戦い続けるために必要だったと思います。
だからこそ、彼は信長に重宝され、大坂方面の司令官にまで上り詰められたのでしょう。
大坂における対本願寺戦では戦果を挙げることができず失脚していまいますが、敗北時の被害を抑えることにより各地での継戦を可能にした彼の功績については、十分注目に値するのではないでしょうか。
負けても(失敗しても)そのままにしておかない
スポーツの世界、例えばプロ野球でも、やはり負け方は重視されます。
試合で大敗してしまうのは仕方ないにしても、最後まで食らいつく(少しでもヒットを放つ、敗戦処理投手が好投する)ことで翌日の試合、あるいは次の対戦で苦手意識を持たずに試合に臨むことができ、戦いやすくなる、という話はよく聞きます。
あるいは打席に立って三振したり凡打に終わっても、一つ一つの打席で学びを得ることで次の打席、次の試合に活かそうとする打者の心構えもよく記事で見かけます。
相手のいる競技に限らず、スポーツ全般、あるいはビジネスなどでも同じことが言えそうです。
負けること・失敗すること自体はネガティブなことですが、それをそのままにしておくと負けの連鎖になりかねませんが、それを前向きに受け止めるとポジティブな連鎖に転換できる可能性があります。
「クレームは品質改善のヒント」といった考え方や、トヨタ自動車の「5 why」(ミスが発生すると、「なぜ?」を5回繰り返し、根本原因を探る分析手法)も「負け」を活かす姿勢と考えられます。
意識としても、習慣としても、負けたことを活かす姿勢は最終的な成功には欠かせないと言えそうです。
重なった負けを挽回しようとすると、取り返しがつかなくなることも
負けが重なっても、チャンスがある限りは挽回も可能ですが、焦って挽回しようとするとかえって取り返しのつかない負けを喫することもあります。
このような事例でよく知られているのが、1995年のベアリングス銀行事件・大和銀行ニューヨーク支店事件、1996年の住友商事事件です。
金融機関や商社では、為替や金融商品、その他の商品の多額の取引について担当者に大きな裁量が任されているケースがありますが、当然その結果責任も担当者が負うことになります。
上記の会社でも一トレーダーが大きな裁量を持ち、大規模な金融商品や銅の取引を行っていましたが、損失が重なってくると、何とか挽回しようとリスクの大きい取引を行い、さらに損失が大きくなり、隠しきれなくなって発覚しています。
さらに上記の事件では、会社としてトレーダーの損益を把握しておらず、リスク管理やガバナンスも不十分でした。
そのため、損失が重なったときに損切りでポジションを解消したり、リスクの大きい取引を事前に防ぐことができませんでした。
もちろん、事例によっては乾坤一擲の勝負が大当たりすることもあるでしょうが、十分な勝算がないまま焦って大博打を売ってしまっては、慎重に負けを重ねている意味がありません。
「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう」という、太平洋戦争開戦直前の米内光政海軍大臣の言葉もありますが、ジリ貧状態ならまだチャンスはあるので、焦ってドカ貧にならないように、負けが込んでいても冷静さを失わないようにしてこそ最後の成功を得られるのだと、このような事件を見ても思います。
ちなみに、上記の事件の結果、ベアリングス銀行は買収され、大和銀行NY支店は閉鎖(直接的には損失そのものではなく、米当局への報告が遅れたことによるもの)、という結末を迎えています。
失敗は成功の母
以上、負けることを活かす心構えについて考えてみました。
自分も含め、人生の中で負けを経験し、辛い思いをすることは多いです。
しかし、それを活かすことでポジティブな方向に持っていければ、負けも負けでなくなると信じて頑張っていきたいものです。
また、チャンスがある限りは最終的な勝ち負けは決まらないので、苦しいときも可能性を模索する粘り強さとチャンスの元手を失わない冷静さ(一か八かの選択は避ける)を保つよう心がけようと思います。
ついでに、各業界においてリスク管理という業務にもっと注目が集まればうれしいです(笑)