年齢は障害にも言い訳にもならない?

輝く同世代や年少者への憧憬と複雑な気持ち

職場で自分より年少の人が活躍していたり、各界で年少の人が成功しているのを見ると、自分はこの歳になって未だ何も成し遂げていないのではないかと忸怩たる思いをすることがあります。

大リーグの大谷選手と比べるのはあまりにもおこがましいですが、自分が彼の歳の頃には何かを成し遂げるどころか社会人になりたてで、右も左もわからない状況でした。

彼に限らず、20代、更には学生時代に起業してしまうという事例を目にすることも少なくなく、また職場でも年少ないしは同年代にもかかわらず優れた英語力や専門知識で堂々たる活躍をしている同僚もいたりして、彼らを見ると眩しく感じるとともに、自分はなぜここで足踏みしているのだろうと思ったりもします。

まるでコンプレックスの塊ですね…(汗)

自分もいつかは何か大きなこと、人とは違うこと、後世に残ることを成し遂げたいと思いつつ、そのアイデアも能力も、またそれに踏み切る度胸もなく、生きている間に自分らしい何かができるのだろうかと、ちょっと悶々とした気持ちを感じることがあります。

しかし、そんな不安を解消してくれる記事を最近読んで元気が出ました。

 

起業においても年長者には年長の強みがある

それは、米国の有名ビジネススクールであるノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院(Kellogg School of Management)が発表した下記の記事です。

 

「テクノロジー系の起業において何歳くらいが成功しやすいのか?」という問いに対して、従来は若い方が成功しやすいと考えられてきたけれど、実際に統計をとってみるとミドルエイジの起業家の方が20代より成功している(成功している起業家の平均年齢は40代半ばである)ことが述べられています。

テクノロジー系のスタートアップは成長速度も速く、またテクノロジーというもの自体が若者により馴染みがあるため若者の方が成功しやすいと考えられていますが、実際の数字を見ると必ずしもそうではないようです。

その背景として、若年層にはテクノロジーに馴染みがある、ニーズのトレンドを把握しているという強みがある一方、ミドルエイジはそれまでの経験によってビジネスに必要なリーダーシップや問題解決能力、あるいは広い視野が身についており、それがスタートアップの成功につながる傾向にあると指摘されています。
これらの点は米国と日本で異なるわけではありませんので、おそらく日本でも同様の傾向があるのではないでしょうか。

つまり、我々が仕事をしていく中でビジネスに必要なスキルや経験をきちんと積み重ねてさえいれば、いつかはチャンスが巡ってくるかもしれない、少なくとも年齢で諦める必要なんてないということがいえそうです。

言い換えると、起業をするにあたって、年齢はあまり障害にはならなけれど、その代わり年齢だけを根拠に起業をしないのであれば、それは言い訳にもならないのだろうと思います。
※もちろん起業を無条件に礼賛しているわけではなく、「起業したい」という気持ちに対する向き合い方についての考え方です。

実際に起業などの形で自分のしたいことを形にできるかはわかりませんが、ただ自分のできることを積み重ねていけば、それは足踏みではなくいつか挑戦するための種まきになるということを裏付ける研究には勇気づけられます。

 

髀肉の嘆

歴史上の逸話の中で、「歳ばかりとって何もできてない自分が情けない・・・」、というものとしては、三国志の主人公の一人、劉備の「髀肉の嘆」があります。

若いころは各地を転戦して活躍するものの、中年になって浪々の身となり、遠戚ともいわれる劉表のもとに匿われる劉備は、ある時劉表に宴席に呼ばれます。

宴もたけなわになった頃、トイレに立った劉備がふと自分の足を見ると、太ももに贅肉がついていることに気づきます。
若いころはずっと馬に乗っていたため、太ももに贅肉がつくことなどなかったのに、平和な日々を無為に過ごすうちに肉体が衰えていたのでした。

そして、いかに自分が無為に過ごしているかを痛感し、おそらく自分の若き日々や、ライバルの曹操が権力の絶頂にいることにも思いを寄せたのでしょうか、つい涙してしまいます。

しかし、その後劉備は中国史に名高い戦略家・政治家である諸葛亮(孔明)を配下に迎え、力を蓄えながらチャンスを待っていました。
その結果、劉表死後には三国志のハイライトの一つでもある赤壁の戦い(曹操VS劉備・孫権連合軍)における勝利を経て、ついには三国の一角である蜀を建国するに至ります。

歴史上のエピソードはあくまで歴史上のものとして解釈する必要はありますが、それでも中年になって自分が無為に過ごす様を嘆く姿、それでも自分の力を蓄えようとする姿は見習うべきものがあると思います。

 

遅咲きの偉人

多くの分野で早熟の人もいれば遅咲きの人がいます。

1.  芸術の世界

芸術の世界では、オランダの画家・ゴッホが有名です。
ゴッホの場合、37歳と若くしてこの世を去っているので、遅咲きとは言い切れないのですが、彼が「ひまわり」のような明るい画風を確立したのは人生の中では遅かったようです(20代後半になるまで筆を握ったことがなかったともいわれます)。

しかも、彼の作品が評価されるのは彼の死後のこと。
若くして亡くなっているので長生きしていれば生前に評価された可能性はありますが、それでも高齢にはなっていたことでしょう。

死後に自分の事績が評価される可能性を考えると、なおさら何かしら残してこの世を去りたいと考えてしまいます。

2. スポーツの世界

2001年にパ・リーグ優勝を代打逆転サヨナラ満塁ホームランで決めたことで有名になった北川博敏氏はその後主力として活躍しますが、その頃まではレギュラーというわけでもなかったようで、レギュラーに定着したのはプロ入り9年目くらいと結構苦労されていたようです。
もちろん、代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランの陰には彼の打撃に対するセンスや努力があったわけで、努力あっての結果だと思います。

そういえば、先日大関に昇進した栃ノ心関も大関昇進まで新入幕から60場所という最長記録だったようで、もしかしたら遅咲きの好例かもしれません。

彼らの活躍は、土俵に残って事績を積み重ねていれば、いずれチャンスが巡ってくる可能性があることを教えてくれているような気がします。

 

現状を嘆かず、年齢を言い訳にせず、準備する

改めて年齢と自分の置かれた状況を考えると、大事なのは年齢や現状を嘆くことではなく、常にチャンスに飛びつけるように準備をしておくことなのだと思いました。
ボール球には手を出さず、とはいえ見逃し三振ではなく好球必打を心掛けながら、日々の業務や私生活に向き合っていこうと思います。

そういえば話題になっているメルカリとかポケモンGO、仮装通貨取引をしたことがないので、こういうものにも触れてみることが大事かもしれませんね。

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