今年度前半の最後の大学院の授業は金融商品取引法の授業で、テーマはインサイダー取引についてでした。
そして、その判例として取り上げられたのが有名な村上ファンド事件です。
当時フジテレビの大株主であったニッポン放送株について、ライブドアの堀江貴文氏が公開買付(TOB)を行うことについて、事前に知っていた村上ファンドが事前に購入したうえで、TOB公表後に高値で売り抜けたことがインサイダー取引にあたるとして裁判になった事例です。
授業の中でも各裁判所の判決について賛否両論あったのですが、その中で印象的だったのが、必ずしも村上氏の行動は真っ黒なものではなく、法律論的にも一般的な感覚からも議論の余地があったということです。
それまで村上ファンド事件について深く調べることがなかったので真っ黒なインサイダー事件だと思っていましたし、世間の評価もそのようなものですので、物事を深く検討しないまま形成される世評の恐ろしさを感じました。
この事件に限らず、自分もその世評を形成している一人になっているケースがあると思うと、言動には気を付けなければいけないと思わせられます。
村上氏はその後シンガポールに拠点を移し、ファンド運営からは撤退し、自己資金のみの運用を行う投資家として活動されているようです。
海外に拠点を移したこともあり、もう公の場には出ないと思われていた村上氏ですが、最近著書を出されて再び注目を浴びています。
自分も投資会社の人間のはしくれですし、また世間の注目を集めた金融商品取引の事件の当事者の著書ということもあり興味があり、読んでみました。
タイトルは「生涯投資家」。本書を読んで村上氏の生い立ちや考えを知るとしっくりくる題名です。
通産省の官僚からファンド運用に転身した村上氏ですが、お父上は投資家だったそうで、ご自身も小さいころから投資をおこなっていたようです。
「ケインとアベル」のケインの生い立ちと似ています。
通産省時代に多くの経営者と接する中で、その経営能力や株主に対する姿勢に疑問を持った村上氏は、コーポレートガバナンスのあり方に関心を持ち、米国のコーポレートガバナンスを研究していたそうです。
コーポレートガバナンスとは、株主が経営者の緊張関係を保ちながら監督を行う仕組みのことですが、米国では1980年代にはコーポレートガバナンスのあり方に関心が集まっていた一方、日本では銀行(メインバンク)によるガバナンスがメインであったことや株主持ち合いが多かったことから株主と経営者はどのように向き合うべきかという議論がなされてきませんでした。
その結果として、企業価値(時価総額)はあまり伸びず、投資家もなかなか利益を得ることができなかったといえます。
実際、時価総額では日米には大きなかい離があります(2015年時点で米ドルベースで米国は日本の約5倍)が、自己資本はあまり違いがないらしく、米国の企業が資本政策の観点からは非常に効率的に事業を行い、企業価値を高めていることがうかがえます。
その背景にはいくつかの要因があると思われますが、そのうちの一つは、米国の場合、機関投資家の経営者に対する企業価値向上のプレッシャーが強く、それが企業価値向上につながっていると考えられます。
企業価値向上の施策はいくつかありますが、その要点は不要な資本を置いておかない、ということに尽きます。
日本の企業は手元資金を潤沢に確保していることが多いそうですが、そのような資金は何ら利益を生み出しません。
そのようなお金については、設備投資やM&Aなど事業の拡大に利用する、あるいは従業員に還元してモチベーションや優秀な人材の確保・引き留めにつなげるなどさらなる利益を生むような使い方をするべきで、そうでなければ配当を引き上げる、あるいは自社株買いをするなどして投資家に還元するとともに、よりスリムな財務体質にすべきであると考えられます。
そして、投資家はそのようにして還元された利益をさらに次の投資に回し、新たな事業を育てていく、というのが(投資家重視の)コーポレートガバナンスを重視する観点からは望ましいあり方であると思われます。
そして、そのコーポレートガバナンスを日本において根付かせる重要性を考えた村上氏は、ファンドによる企業への働きかけという選択肢を選びました。
すなわち、日本にはコーポレートガバナンスの欠如や資本政策の非効率性のために企業価値が低く評価されている会社が多く、そのような割安株を買い付け、「もの言う株主」として会社に働きかけて企業価値を向上させることで、企業と投資家がwin-winの関係を築こうという考えです。
もちろん投資家からのお金を預かって利益を追求するのがファンド運用者の使命ですから、企業に対しては厳しい姿勢も時折見せており、そのような姿勢が企業側に疎まれたり、世間の誤解を受けたりすることになったようです(彼自身自分の人間関係も損なってしまったことを述べています)。
本書では村上氏が仕掛けた挑戦がいくつも紹介されています。
ニッポン放送だけでなく、東京スタイル、西武鉄道、阪神電鉄、などなど。
哀しいかな、それぞれのケースでコーポレートガバナンスの欠如や経営者の能力・意識不足が透けて見えるのですが、彼の主張は受け入れるところとはならず、また世間からもバッシングを受け、改革を通じて企業価値を上げるという目的は残念ながら達することができていません。
彼の主張がただの拝金主義とみなされ、彼の真意や社会的意義が問われないまま終わってしまったのは非常に残念なことです。
しかしながら、今では上場企業は「コーポレートガバナンス・コード」を採択し、コーポレートガバナンスの改善に努めることが求められています。
また、機関投資家側においても「スチュワードシップ・コード」を採択し、投資している企業に対し企業価値を高めるよう働きかける動きが広まっています。
今年からは運用会社が個別企業への議決権行使を開示する事例も出てきています。
これも単に親会社への姿勢だけに視点が集まりがちなのですが、運用会社は基本的には会社で定めた方針にしたがい機械的に議案への賛否を判断しているので、その方針自体に注目が集まってほしいものです。
ともあれ、企業側においても、投資する側においても、村上氏が追い求めていたあり方に近づいてきているように思います。
ちなみに運用会社の多くは、特に海外の企業に対する議決権行使についてはISSという会社から助言を受けているのですが、その会社を創設したロバート・モンスク氏が労働省の年金局長としてやはりコーポレートガバナンスに関心を持っていたというのが興味深かったです。
コーポレートガバナンス重視の年金局長といえば矢野朝水氏が思い出されますが、公的年金のパフォーマンスの改善を突き詰めていくと、日本でも米国でも、コーポレートガバナンスというのは避けて通れないのかもしれません。
コーポレートガバナンスを考えるということは、「上場するということはどういうことなのか」を考えることでもあります。
公開市場で資金を調達しながら、株主を自分の思い通りにコントロールしたいということは認められません。
良くも悪くも、誰でも株主になれるし、買収されるリスクも受容しなければいけません。
そして、資金を出している株主に報いるため、そして買収されるリスクを軽減するためにも企業価値を向上させ、株価を上げていくという姿勢が求められます。
そしてそのような姿勢が一般的なものになれば、資金がより効率的に使われるようになり経済の活性化につながるとともに、年金のパフォーマンス向上につながり、我々の老後の安心にもつながります。
運用会社として、投資先の企業にどのように何を求めるべきか、どのように投資先を評価すればよいのかというヒントになるととともに、大きな課題に立ち向かうには強い覚悟と精神力が必要なのだということを考えさせられました。