歴史や文化を生業にしている人だけでなく、歴史好きの人間にとって過去の遺物は言うまでもなく非常に大切なものです。
城や寺社仏閣・協会、古い街並みはそこで過ごした人の存在を感じさせてくれますし、古い道具や衣類は各時代の人の生活への創造をかきたてます。音楽や芸能、文学もしかり。
その中でも古文書は史実を解き明かすものとして、歴史の研究には必要不可欠なものです。
しかし、そのような過去の遺物を保存し続けるのは容易なことではありません。
良好な状態で保管するためのコストが大きいこともありますが、そもそも、それぞれのものの価値が認識されなければ適切に保管されることもなく劣化してしまいます。
また、古文書などは場合によっては政治的な要素を持つため、保管者の都合で処分されてしまうこともありえます。
したがって、そのような書状が残るというのは場合によっては奇跡的でもあります。
例えば、松代藩祖・真田信之は石田三成と交誼があったため関ヶ原の戦い以前には書状のやり取りを頻繁にしていましたが、徳川政権下ではそのような立場が足かせになりかねませんでした。
そのため、三成との書状を破棄することもできたのですが、彼はそれをせず、「徳川家康公から拝領した刀を収めた長櫃」と称した箱にその書状を保管し、江戸時代を通して寝ずの番をおいて厳重に保管していたそうです。
また、特に宗教的に過激な勢力は自分たちのポリシーに反するものは破壊することも多く、オランダ建国初期にはカトリック過激派がプロテスタントの協会などの破壊活動を行っていたり、日本でも明治初期に廃仏毀釈と言われる寺院の破壊活動が広がったりしています。
それは過去の話ではなく、現在も同じです。
最近でも、イスラム過激派が多くの貴重な歴史的な遺産を破壊したというニュースが幾度となく報道されています。
イスラム過激派が目の敵にしているのは建物だけではありません。
彼らの教義に反することを説いている書籍もまた彼らは敵視しており、それは現在の書籍だけでなく、古文書も含まれます。
実際、彼らは数多くの貴重な史料を焼却してしまっています。
本来イスラム教は寛容さを包摂する宗教だったのですが、過激派はその教義を厳格・独善的に解釈しており、同じイスラム教でも寛容さを持った宗派の存在自体が認められないようです。
そのイスラム過激派は中東・中央アジアだけでなくアフリカでも猛威を振るっていました。
誘拐事件を繰り返すボコ・ハラムや2013年のアルジェリア人質事件は記憶に新しところです。
彼らはアフリカでも貴重な歴史的な遺産を破壊し続けていました。
彼らの手は、マリ中央部のトンブクトゥにも及びます。
トンブクトゥはニジェール川のそばにあり、南アフリカと北アフリカが交わる場所で、古来より栄えた街で、学問の街としても知られていました(現在は街全体が世界文化遺産に指定されています)。
そのため、トンブクトゥでは写本や出版も盛んにおこなわれており、その対象はイスラム教だけでなく、数学や科学、医学に詩など幅広いものでした。
そのような書籍は独特な書体や金箔などで彩られているものもあり、その点でも価値がありました。
度重なる外部勢力の支配により、トンブクトゥの古文書は散逸していましたが、現在その多くがシロアリやイスラム過激派の脅威を逃れて保存されています。
その過程における関係者の奮闘やイスラム過激派がどのように勢力を拡大し、歴史的遺産にとって脅威となったのかを解き明かしたのが、「アルカイダから古文書を守った図書館員」という書籍です。
歴史好きとしては、アルカイダによる恐怖から貴重な古文書がどのように守られたのか、関係者がどのような思いだったのかということに関心があり、タイトルを見ただけでも感銘を受けることが予想できました。
前述のとおり、16世紀まで繁栄していたトンブクトゥも度重なる外部勢力の支配にともない、古文書が散逸していましたが、ユネスコによって設立された「アフマド・ババ高等教育・イスラム研究所」の職員であるアブデル・カデル・ハイダラ氏の尽力で、古文書を密かに保管していた人たちから買い集めて管理することに成功していました。
このハイダラ氏が本書の主人公です。
写本を含む古文書は散逸したとはいえ、必ずしも消失したわけではなく、多くの家で密かに保管されてきました。
愛好家の中には多くのコレクションを引き継いでいる家もあります。
しかし、バラバラに保管していると適切な管理がなされませんし、第三者に譲渡されたりしてさらにその存在が把握しにくくなることもあります。
そのようなこともあって、アフマド・ババ研究所では各紙の愛好家から古文書を買い受けて収集するプロジェクトを進めていました。
しかし、度重なる苦難を経験している愛好家たちはそう簡単に信用してくれません。
安値で買いたたくつもりだろう、貴重な古文書を破棄するつもりだろう、あるいは新たな迫害の口実にするつもりか、と疑われるなど愛好家たちの警戒心は非常に強かったようです。
しかし、ハイダラ氏は彼らに信用してもらえるように腐心し、多くの古文書を無事に収集することができました。
また、各地の財団からの寄付金を得て、自らのコレクションも含め、多くの古文書を保存するための図書館も設立し、保管体制の充実に努めています。
その後、彼は世界各地で展示会を開催し、アフリカにも歴史や学問の積み重ねがあることを知らしめ、歴史家として認められるようになりました。
しかし、古文書を集積したトンブクトゥにもイスラム過激派の手が伸びます。
マリ北部は政府の統治が行き届いていない地域であったため密輸の拠点になるなど、反社会的勢力が根拠地とするには都合の良い場所でした。
本書ではイスラム過激派がどのような背景で生まれ、拡大していったのかについても詳細に説明しています。
トンブクトゥを占領したイスラム過激派「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」は当初は寛容な姿勢を打ち出していましたが、徐々にその本性を明らかにしていきます。
容赦ない虐殺、音楽の禁止、聖廟の破壊など、殺伐とした雰囲気が強くなっていきました。
そのような支配に加え、さらにフランス軍の介入でサハラ地域のイスラム過激派が追いつめられ、より過激な行動に走る恐れが出てくる中で、ハイダラ氏は古文書を守るため、収集した古文書をトンブクトゥからマリの首都・バマコに移すことを決意します。
とはいえ、それは容易なことではありません。
輸送すべき古文書の数は膨大(37万7000冊)である一方、輸送に使うことのできる手段は限られています。
また、荷造りをするにも、輸送をするにもAQIMに気づかれないようにしなければなりません。見つかったら古文書どころか自分たちの命すら危うくなります。
それでもハイダラ氏は甥のモハメド氏をはじめ多くの協力者を得て、その大半をバマコに移送することに成功します。
移送が間に合わなかった一部の古文書はAQIMがトンブクトゥから撤退する際に焼却されてしまいますが、バマコに移送したものは1冊たりとも失われませんでした。
輸送作戦の途中で、マリ政府軍が賄賂をもらって便宜を図っていたことが描かれる一方、ハイダラ氏の協力者たちは無償で、かつ命がけで古文書を守っていたのが対照的で印象に残りました。
マリ政府軍は士気も能力も低く、米軍からも仏軍からも呆れられていますが、こういうところが反政府勢力に狙われるんだろうな、と思いました。
とはいえ、テロ勢力は遠くにいるようでもどの国に現れてもおかしくなく、他人事とは言っていられません。
やはり地道に各国の統治能力や軍隊の質を向上させるとともに、マネーロンダリング対策を強化して資金面での締め上げを強化することが大事なようです。
マネーロンダリングといえば、以前は日本も甘いと国際機関から批判されていましたが、2016年10月には改正犯罪収益移転防止法が全面施行されるなど、改善が図られています。
このような取組みが結果として人命だけでなく貴重な歴史遺産の保護にもつながれば、歴史好きとしてもありがたいですし、仕事で行っているマネロン対策業務のモチベーションにもつながりそうです。
また、イスラム過激派に身を投じる人の多くが貧困層であることにも留意が必要です。
このままくすぶっているだけなら何かを変えたい、という動機からイスラム過激派に与している人も多く、本書でも取り上げられているAQIM幹部のモフタール・ベルモフタール、アブデルハミド・アブ・ゼイド、イヤド・アグ・ガリーはそれぞれ貧困の中から這い上がってきています。
ガリーはトゥアレグ族の反乱に巻き込まれたという事情もあるので他の2人とは背景が異なりますが、貧困対策によって彼らのような人たちを過激派に走らせることを防ぐことはできるのではないかと改めて思いました。
特に彼らのようにリーダーにまでなる人間は何かしら優れたものを持っているのでしょうから、その能力を良い方向に発揮させられたら、とも思います。
もちろん、日本を含め国際社会はそのようなことも理解し、アフリカその他の発展途上国への支援は積極的に行っていますが、まだ平和への道は遠いようです。
また、そのような情熱を胸に途上国支援に携わっていた方がバングラデシュの事件のようにテロで命を落としているのを聞くと、テロ対策の難しさを思い知らされます。
空調のきいた部屋でのんびり本を読んでいる人間の理想と国際協力の現場の厳しい現実には越えられない壁がありそうです。
だからこそ、そのような情熱をもって邁進している方に対してはただただ尊敬の念を感じるばかりです。
本書は古文書の保護とイスラム過激派の興亡の二つの柱で構成されていますが、それぞれに考えさせられることが多くかったです。
日本にも貧困の問題はありますし、オウム真理教など過激な反社会行動を行うグループも存在しました。
そう考えると、イスラム過激派と同様の問題は日本においても生じうるものであり、その観点からも貧困対策や社会的包摂を進めていくことは重要になりそうです。
これらの問題に金融はどう貢献できるのか。
すぐに思いつく回答は社会的責任投資ですが、具体的にどういう金融商品を作れば投資家へのリターンと社会的包摂・歴史的遺産の保護につなげられるのか、という問いに答えるのは難しそうです。
ただ、最近はSocial Impact Bondという社会貢献の成果に応じたリターンを提供するという新しい金融商品が生まれていて、発祥の英国ではすでに初回のSIBのフィードバックが発行されています。
日本でもパイロットファンドが始まりますので、このような新しい金融商品についてもフォローしていきたいところです。