最近、ある少し変わったことをしたいと思って、知人にそんな話をしたら、「非現実的すぎる」と一笑に付されました。
確かに大変なことではありますが、何とか実現できる方法はないかと探してみると、これならいけるかも?、という方法がありました。
それを試したわけではないですが、「窮すれば通ず」とはよく言ったものだと思いました。
そして、同時に思ったのは、「大抵のことは方法を探ればなんとかなるのだから、自分のしたいことは自分で考えてやり抜いた方がよい」ということでした。
幕末の偉人・勝海舟の言葉に「行蔵は我に存す、毀誉は人の主張」というのがあります。
「行動は自分が行うもの、評価は人が行うもの」という趣旨で、幕臣ながら明治政府で活躍していることを福沢諭吉が批判したことに対する反応として知られています。
彼の言う通り、自分の行動に他人は様々な評価を加えますが、その行動の決断を行うのも、その結果を背負うのもすべて自分です。
他人の言葉に影響されても、その他人は自分の行動の結果を背負うことはありません(指示・命令などは除きますが)。
そうであれば、他人の評価に右往左往して自分の行動を制限してしまうのは割に合わないというようにも思えます。
だからこそ、自分のしたいことがあれば、他人の評価やアドバイスにとらわれず、挑戦してみればよいと思います。
冒頭に述べた通り、難しそうに思えても、大抵のことには乗り越えるための方法があります。あるいはその方法を作り出すことができると思います。
例えば、私がオランダに留学した時も、周りはほとんど反対しましたし、資金的にも困難が伴っていました。
実際、留学してからも、帰国してからも散々苦労しましたし、その意味では周囲の反対は間違ってはいなかったかもしれません。
それでも、最終的には自分の意思と努力でそのような困難を乗り切り、今はちゃんと生きています。
大多数の人が反対することでも、案外うまくいくことは多いです。
そもそも人と違うことをしようとする場合、多くの人はその知識や経験がない状態でアドバイスや批評を行います。そのような意見にどの程度の正確さや信頼性があるでしょうか。
もちろん、その知識や経験がある方のアドバイスは傾聴に値すると思いますが、そもそもそのような経験がある方は、「どうやったらできるか」という建設的なアドバイスをくれると思います。
もちろん、何かをするにあたって人にアドバイスを求めることは大事です。
しかし、それは自分の意思決定の精度・確度をより高めるためのものであるべきで、いい意見であってもなくても、それに盲従するのは本末転倒です。
そして、否定的なアドバイスをもらったとしても、それを踏まえてポジティブな方向に動くための参考にすることも可能だと思います。
といって、やりたいことはなんでも・いつでもやるべき、と言いたいわけでもありません。自分なりに勝算を考え、失敗した時のプランBは準備しておくべきです。
それができたなら、(他人に迷惑をかけない限り)外野が何を言おうが関係ありません。
やりたいことはやりましょう。
行蔵は我に存す、毀誉は人の主張、です。
私も自分のやりたいことは、人に迷惑をかけないように気を付けて、リスクをしっかり管理しながら、どんどんやっていきたいと思っています。
※この記事の内容自体も、「他人の意見」にすぎないのでご注意ください(笑)