先日、所用があって池袋から東武東上線にて、終点近い小川町というところに行きました。
埼玉県の西の方で、のどかな町でした。
よく知らない土地だったのですが、野菜や果物などの名物があるようで、お食事処で朝食をいただくことにしました。
面白いことに、足湯につかりながら食事ができました。
おかげで東京からの長旅の疲れがとれました。
近くにお団子屋さんもあったので、そちらもいただきました。おいしかったです。
そこから家路につくこともできたのですが、東上線の奥の方に行ってみたかったので、せっかくの機会ということで行くことにしました。
東武東上線の終点は寄居駅。埼玉県のかなり西の方で、秩父市などに近いです。
寄居町のウェブサイトによると、寄居町の人口は平成22年4月1日時点で約36,000人。平成12年の38,156人をピークに減少傾向にあるようです。
さて、なぜ寄居町に関心があったかというと、実は戦国時代に関東地方を席巻した後北条氏が北関東を統治していた拠点が寄居町にあったからです。
1546年(天文15年)、川越夜戦で関東諸氏の連合軍を破った後北条家三代・北条氏康は北関東にまでその勢力圏を広げ、関東管領・上杉憲政を長尾景虎(上杉謙信)のもとに逐い、また関東の有力な家系に自らの息子を養子に送り、取り込みを図りました。
そして、北関東の藤田氏のもとに送り込まれたのが氏康の四男・氏邦で、彼が本拠としたのが寄居町にある鉢形城です。
鉢形城の様子はこんな感じです。
また、城跡の中には鉢形城歴史館もあり、氏邦の活躍を顕彰しています(写真は許可を取って撮影・掲載しています)。
氏邦は鉢形城を本拠として北関東における勢力拡大に貢献したほか、養蚕業の育成など、内政にも力を入れ、北関東繁栄の礎を作りました。
しかし、豊臣政権との緊張が高まる中、氏邦の部下の猪俣邦憲が豊臣政権下の真田家と小競り合いを起こした結果、小田原征伐を招くことになります。
氏邦は兄の氏照と大規模な野戦を主張しましたが結局は籠城策を取ることとなり、氏邦は3500の兵と共に鉢形城に籠り、上杉景勝・前田利家ら50000の兵を迎え打ちます。
堅城・鉢形城に拠り1か月間抵抗しますが、善戦むなしくついに開城。
氏邦は助命され、前田氏にお預け、金沢で生涯を閉じることになります。
その葬式には非常に多くの人が訪れ、氏邦の遺徳を偲ばせたと伝わります。
鉢形城跡は寄居駅から近いのですが、帰りはバスにしました。
寄居駅の手前には鉢形駅もあります(降車しませんでしたが)。
寄居駅の前には観光案内所があり、野菜を販売していました。安かったのできゅうりとみかんを購入。
きゅうりは採れたてでおいしく、みかんもちょうどよい酸味でした。
都会の喧騒を離れ、歴史の息吹に身を委ねる、贅沢なひと時でした。