北の湖理事長・山崎社長

今日は、責任とは何か、ということを感じさせる二つのニュースがありました。

ひとつは、日本相撲協会・北の湖理事長の辞任。

ひとつは、JR西日本・山崎社長の書類送検。

北の湖理事長は、若手力士、特に自分の弟子の大麻吸引疑惑の責任をとっての辞任。

山崎社長は、福知山線の事故以前の鉄道運行責任者(常務取締役鉄道本部長)であり、書類送検(警察から検察に送致、つまり刑事責任を問われている)されながら、「引き続き社長の任を務めたい」。

北の湖理事長は、責任をとった形とはいえ、若手力士の暴行死事件でも、今回の大麻事件でもほとんど協会としての対応をとらないどころか、逆に相撲界独自(あるいは理事長独自の)の論理を振りかざし積極的にかばったことで相撲界の信頼と尊敬を失墜させ、最終的には突き上げに耐えきれなかっただけという印象があります。

が、相撲界の不祥事については(大麻をまき散らしたりしていない限りは)特段誰が困るわけでもなく、相撲を見なければいいのだから、まだ問題は小さい。

一方、JR西。福知山線事故当時の垣内社長も責任感の希薄さを批判されていましたが、書類送検されながら(道義的にというだけでなく法的にも事件に対する責任が問われている)まだ社長として職務を遂行したいというらしい。

普通、自分の職掌内で100人を超える人が亡くなったら、昇格したいとは考えないと思うのですが(収益性を重視し、安全性を軽視してきた人間が今更安全性をモットーになどどいうことが許されるのか?)。

まして、消費者が選択肢を持たないインフラ。

無論、辞任だけが責任の取り方ではありません。

時として、いばらの道を進むことも必要でしょう。

が、それは程度と状況の問題で、それが許されるのは、その人が余人に代え難く、周囲にも理解されており、組織をはじめとするステイクホルダーにとって最も効用をもたらす場合にこそ認められるといえるのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、責任の取り方は一つではないと思います。

しかし、これらの場合、責任の取り方に対する論理が独りよがりで、本当に責任を取るべき対象に理解がなされている、理解されようと思っているものとは思えないのです。

強い組織を作るための原則として、信賞必罰ということがよく言われます。

このケースもそうですが、信賞必罰と内外の信頼って難しい、しかししっかりやらなければ組織が腐る、と改めて思いました。

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