日々生活をする中で、意識する、しないに関わらず、「常識」に縛られていることって多いと思います。
男性・女性の役割。
お酒の席における若年者の役割。
いわゆる障がい者の社会的な位置づけ。
公共の場におけるマナー。
道徳的な行為・非道徳的な行為
などなど。
このような「常識」、誤解を恐れずに言えば「社会的に正当化された思い込み」は本当に必要なものなのでしょうか。
大した利益もなく存在し、社会的秩序を維持するというよりむしろ我々が自由に生きることに対する足かせになっているものはないでしょうか。
よく言われるのは男性・女性の役割、あるいは○○らしさ。
でも、男性らしさ・男性的って何?
体力がある、女性を守る、外に出て仕事をする 等々。
一方、女性らしさとは?
かわいらしい、良妻賢母、家庭を守る、夫をたてる 等々。
公的な場では配偶者を「主人/家内」と呼ぶ、というのも一種の常識ですね。
お酒の席における若年者の役割。
オーダーをとる、食べ物を取り分ける、タイミングよくお酌をする、腹芸をする(?)
もちろん、個人的なイメージで人により幅はあると思いますが、一般的に共有されているものもあるかと思います。
そして、これらのことはロジカルに教えられるというより、「こういうものだ」と意識的・無意識的に刷り込まれていく傾向があるように思います。
例えば男性は女性を守らなければいけない、ということに対して、その理由をはっきりと教えられたことはないですが、子どものころからアニメや小説などを通じて刷り込まれたように思います。
逆に女性が男性を守るというシチュエーションに出くわすと心理的に少し抵抗を感じてしまいます。
一方女性の役割にしても、どうして女性は家庭にいて配偶者を「主人」などと呼び、夫と子どもを支えなければならないのか。
最近は女性の社会進出も進んできましたが、まだ育児は女性の役割だと考える人は多いですし、男性の育休というのはまだまだ少ないです。
「家庭を支える女性の役割」という錦の御旗に対してはまだ女性のキャリア形成は優勢に立っているとは言えないでしょう。
ほかにもとことん洗い出せば無数に挙げることができると思います。
日本社会が閉塞感に包まれていると言われて久しいですが、閉塞感の一因はこのような常識にあるのではないかと思います。
もちろん、必要な常識・規範も多いかと思いますが、不必要な常識や思い込みを一斉に取り払うだけで暮らしやすさ、幸福度は全然違ってくると思います。
男性が堂々と育児休暇を申請する。
お酒の席では上司も手酌して、若者も気遣いばかりせずに自分も楽しむ。
障がい者にも一定の理解を示し、できる限り一般人と同じように接する(ノーマライゼーション)。
公共の場でだって夫婦・カップルが対等な立場で手をつないだりして愛情を表現する。
本当に豊かな社会とは、単に物理的に豊かということだけではなく、精神的にも余裕があるということだと思いますし、そのためには最大限の自由が必要条件になるのではないでしょうか。
今はやりの仕分けの「日本の常識」版を誰かやってくれないかな~、と期待するとともに、機会があれば当ブログでも何か書いてみたいと思います。
とりとめのない長文にお付き合いいただきありがとうございますm(_ _ )m
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えんじゅです。
たしかに「らしさ」や役割というのは
誰かに押し付けられるようなものじゃないですよね。
たとえそういうものが必要だとしても、
やっぱり本人が自発的に選ぶような形で行われるのが
ベストなような気がします。
じゃあそういう社会をどうやって作るか、
そこがまぁ難しいところですよね。
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>えんじゅさん
ブログでは初めまして。
リアル知り合いにはあまり知られないようにしていた当ブログですが、まあいいか。
何事もそうですが、確たる根拠もなく押し付けられるものというのは不合理的だと感じています。
もちろん仕方なく受け入れざるを得ないことはいろいろあるのでしょうが、ご指摘の通り、自分で選びとっていける社会が一番だと思います。
世界には違った価値観があるのだから、まずは多くの人が海外に目を向けて、日本人の常識とは違った考え方に触れて自らを見直していくことがはじめの一歩ではないでしょうか。
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>ゆーけーさん
違う価値観に触れること、外から「日本の常識」を見てみることは
たしかに大切なことですね。
語学を学ぶことや留学することはその意味でも最適かもしれません。
頑張ってください!p(^-^)q