時は戦国時代。旧時代の関東の支配者である関東管領上杉家は、北条氏や武田氏の勢力に押され、風前の灯でした。
特に1546年の川越夜戦で北条氏康が上杉朝定・憲政を破ってからは勢力の均衡が崩れ、一気に上杉家は衰退していきました。
特に、(一般には)憲政は惰弱の将と言われており、次々と家臣に見放され、ついに自ら逃亡するに至ります。
そのような状況にありながら、衰退する主家を守らんと奮闘した勇将が上杉家にいます。
長野業政(業正)。一説には歌人の在原業平の子孫とも言われています。
彼は上野(群馬県)を支配下に収めんとする北条家・武田家の侵略を小勢ながら周囲の独立勢力をとりまとめつつ退け、ついには武田信玄に「業正がいる間は手が出せない」と言わしめます。
そんな彼を描いた小説を読みました。
小説では彼の後半生、武田家の攻勢を受けるところから始まります。
業正が国を守るために最も重視したのは「人」でした。
彼の戦略はまず婚姻関係作りから始まります。
彼には娘が多くいて、周辺の豪族と婚姻関係を作ります。それでも絶対の信頼というわけではないのでしょうが、娘たちも結構気が強く、かなり夫をコントロールしていたようで、それが一帯の団結につながったようです。
また、民衆との関係も大事にし、密な関係を維持していたため、常に民衆が協力してくれたため、それが防衛戦にも多大な貢献をすることになります。
何度も武田家を退けつつも、ついに追い詰められますが、時を同じくして長尾景虎が救援に来たため、ついに上野を守りきることに成功します。
しかしながら、その後業正は病死。跡を継いだ業盛は、父の「降伏せず討死せよ」との遺言を守り、武田家を相手に奮戦し、見事な最期を遂げます。
と、忠臣として描かれる業正ですが、wikipediaによると彼は北条家の勢力が強大になる中で北条家に組し、それが上杉家の動揺を引き起こし、憲政の逃走につながったとも言われているようです。
彼に限りませんが、歴史上の人物の評価とは難しいものです。
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