日々仕事や生活をしていると、言ってあげたほうが良い、あるいは何かを止めなければならない、という場面に遭遇することがときどきあります。
しかしながら、性格や力関係その他の事情によって、言わなければいけないことも言えない、ということもまたよくあります。
そして、その結果、よくない結果が待っている、ということもやはりよくあります。
そんなとき、自分にもう少し度胸や勇気があれば、と思うのですが、やはり難しいものは難しい。
今回は、困難にあっても見事自分の意見を述べた勇者のお話です。
・反戦の言論活動を行う海軍軍人
ご存じのとおり、第一次世界大戦ののち、日本の軍部(特に陸軍)の活動は一層独善的に、かつ活発になっていきました。
中国への介入は一層強いものとなり、不況の影響もあって世相も不安定になり、政党政治への不信感も相まって、軍部の活動を抑えられる勢力が減っていきました。
その中で、統帥権干犯問題や天皇機関説問題なども発生し、軍部に都合の悪い意見は封じ込まれてきました。
一方、国際的には孤立を深めていき、国際連盟を離脱、中国はもちろん英米その他列強との関係も悪化していきました。
そんな中、そのような風潮に徹底抗戦した人物としては、東洋経済新報社社長、のちに首相になった石橋湛山が有名ですが、実は海軍内にも反戦ののろしを上げた人物がいました。
水野広徳といいます。
水野は海軍に入った後、日露戦争に参加、その時の様子を描いた文章が評判になったことにより、海軍内でも文筆家として知られることになり、その後もその才能を生かした経歴を積んでいくことになります。
そんな中、第一次世界大戦で敗戦したドイツなどを私費で訪問。第一次世界大戦は初めて国家同士の総力戦となった戦争といわれますが、その悲惨さに戦争のむなしさを感じます。
これがきっかけで、これまでは生粋の軍人として、軍隊に意義や誇りを感じていた彼の姿勢が一変し、反戦の文筆活動を行うことになります。
当然ながら水野の意見は軍部内でも問題になり、ついには言論の自由を得るために海軍を飛び出すことになります。その後も反戦の姿勢は崩さず、発行物も発禁処分を受けたりしています。
結局、水野は日本の敗戦を目撃し、その直後の10月に亡くなっています。
彼は、第一次世界大戦のときに、その戦闘規模や兵器の強力さを目の当たりにして、人類が戦争を続けるならば、人類が滅亡するまで戦争は続けられることになり、人類が勇気と良知をもって戦争をやめなければならないと説いています。
第二次世界大戦終結からもう60年以上たちますが、まだ世界には戦争・紛争が絶えません。
水野が説く勇気と良知が世界を覆う日が来るのを願うとともに、せめて日本が再びそのような道を歩みそうな時がきたら、せめて少しだけでも彼の気概を見習い、自分の意見を言えたらと思います。
・万難を排し、環境問題を訴える
今般、地球温暖化を中心とした環境問題が盛んに指摘されていますが、温暖化の前には公害という問題が人々の悩みの種でした。
公害の歴史は古く、イギリスでは産業革命の頃から大気汚染の問題がありましたし、日本でも明治期に足尾銅山鉱毒事件などが発生しています。
しかし、公害の問題は経済活動によってもたらされているものだけに利害関係が複雑で、解決が難しいものです。公害を抑えるために経済活動を縮小すると、それで不利益を被る人もいるわけですので。
そのため、公害に立ち向かう人には圧力もかかり、非常に大変な苦境がもたらされるようです。
言い換えれば、公害の数だけドラマがあり、勇気ある人物がいることになりますが、ここでは、アメリカの農薬問題に立ち向かった一人の女性を紹介します。
レイチェル・カーソン女史は、「沈黙の春」という著作で知られています。
「沈黙の春」ではDDTという農薬が環境に非常に悪い影響があると指摘し、その使用をやめるように訴えています。
当時DDTは安価で人間への影響もあまりないと認識されていたことから農薬や殺虫剤などとして普及しており、当然のことながら反発は大きいものでした。
業界でもカーソンに反対するキャンペーンが展開されていますし、圧力も相当なものがあったと思います。
並み居る大企業から連続して訴訟でもされたら対抗するのも難しい。
彼女もそれは想定していたそうですが、それでも自分の意見を公表します。
DDTに関しては、この本を読んだケネディ大統領が調査を行い、最終的にDDTは規制されるようになります。
実はその後、本書については科学的に疑問される点が指摘されたり、マラリア対策の障壁になってしまったとの意見がありますが、やはり環境に悪影響を及ぼすという点ではコンセンサスがあるようで、巨大な環境問題に勇気を出して立ち向かった彼女の偉大さは変わらないものだと思います。
ちなみに、戦後日本の児童が消毒されている写真を日本史の授業などで見ますが、あの薬剤もDDTです。