顔の話

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人は見た目ではないといいながら、やはり気になる「顔」。褒められれば嬉しいし、異性ならなおのこと(?)
今回は、そんな顔にまつわるエピソードです。

・泣き顔には泣き顔の強みがある

織田信長の側近として、また豊臣配下の大名として数々の活躍を見せた名将・堀秀政。
万事に優れ「名人久太郎」とまで称された彼は、人使いにも長けていました。

そんな堀家に、泣き顔で評判が悪い男がいました。
周囲の人は、「泣き顔の彼がいると雰囲気が悪くなる」などと言っていて、上司も扱いに困っていたそうです。
そんな彼について、秀政は「どんな人間にも使い道はある」と言っていました。

そんなある日、堀家にとって重要な人物が泣くなり、葬式に人を遣わすことになりました。
秀政は、その出席者に、例の人物を起用します。
葬式の後、相手側からは「堀家の方は非常に死を悼んでくださってありがとうございました」とのお礼。
つまり、葬式の出席には、泣き顔の方が相手が喜んでくれるということを考えた人事。

一方で、秀政は本人にも「もっと明るくしないとダメだ」と伝え、その後の彼は非常に明るい人気者になったそうです。

適材適所と愛情こそが人事の両輪なのかもしれません。

堀秀政は、豊臣秀吉が北条氏亡きあとその領土を与えようとしていたといわれるほどの逸材でしたが、小田原の陣の最中に戦病死してしまい、その領土は徳川家康に与えられることになりました。
秀政が生きていたら、また歴史は違っていたのかもしれません。

・「人は40になると自分の顔にも責任を持たなくてはならない」

奴隷解放の父として名高いアメリカ合衆国第16代大統領エブラハム・リンカーン。

そんな彼が、ある人物を推薦されたときに、「彼は顔がよくないからダメだね」と却下しました。
当然推薦した方は「そういうことを顔で判断するのはよくないのではないですか」と反論。
リンカーンは、
「人は40歳にもなったら自分の顔に責任を持たないと」と答えたといいます。

このエピソードは賛否両論あるかもしれませんね。

そんな彼は自分自身についても顔のエピソードがあります。

選挙戦を戦っている時に、一人の少女から投書がありました。
「今の顔だと威厳がないから、ひげでも生やしてはいかがでしょうか?」
なるほど、と思ったリンカーンは早速ひげを伸ばします。
ひげの効果か選挙に勝利し、ひげは彼のシンボルマークとなったのでした。

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