※このカテゴリでは、別途発行しているメールマガジンの内容を記載しています。
【あなたを一回り大きくする歴史人物のお話】
◆失敗は成功の元
現在はもちろん、歴史上の人物だって、成功の裏には多くの失敗がありました。
その失敗をいかに乗り越えたかで、その後が決まるように思えます。
ということで、今回は、成功者の「失敗」についてみてみたいと思います。
・自分の意見は変えてはいかん
占領下の日本は、GHQの影響力が強く、自前の政策をとることは難しい状況でしたが、そのような状況下、自らの意見を堂々と言い、日本の金融政策に強い影響を及ぼした人物がいます。
その人物こそ、第18代日本銀行総裁、一万田尚登です。
就任直後には、マッカーサーに堂々と自分の所信を述べ、一目おかれています。
その後、金融引き締めなどによってインフレ抑制・経済の安定化に努めています(その姿勢の代表的なものが、川崎製鉄の高炉建設に伴う「ペンペン草」発言でしょう)。
その影響力から、「法王」と呼ばれたりもしました。
その一万田が大きく影響を受けたのが、昭和初期の日銀総裁・大蔵大臣であった井上準之助です。
一万田が若い頃、井上に至急講演の草稿を書くように指示し、一万田が草案を井上に確認してもらう時に「悪いところがあれば書き直しますので」と言ったところ、井上は、「一度自分の所信を以て書いたものを簡単に直すな」と叱られています。
彼が自分の意思を強く持って行動したのも、こうした経験が背景にあったのかもしれません。
彼は、別の総裁にも自分のミスで目をつけられていましたが、こういう経験にもめげないタフさと経験を生かす賢さことが、彼を総裁にしたのかもしれません。
なお、彼は井上同様、後に大蔵大臣も務めることになります。
・失敗にめげない粘り強さ
織田信長は、桶狭間以降、圧倒的な物量と優れた戦略で、並みいる強敵を打ち破り、天下統一目前まで迫ったイメージがあります。
しかし、実際の信長の軌跡の中は、結構失敗がありました。
例えば、桶狭間以降の美濃攻め。
美濃(現在の岐阜県)は、山河に恵まれた、非常に攻略のしづらい土地で、信長も幾度にもわたって攻撃していますが、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が攻略に成功するまでは失敗の連続でした。
しかし、諦めずに失敗を繰り返すことで、成功につながりました。
また、石山本願寺に対しても、何度も攻撃をしては、陸海で敗戦も多かったようです。
しかしながら、陸上では包囲網の強化、海上では、鉄鋼船の投入でなんとか勝利を得ています。
朝倉攻めの最中に、妹婿の浅井長政に裏切られて命からがら逃れたり、腹心の武将に裏切られたり(最期もそうでしたが)、という厳しい経験もしています。
信長が勢力を拡大できたのは、物量と戦略の賜物という指摘がよくなされますが、失敗にめげず、粘り強く取り組むことができる、失敗しても冷静でいられる、という性格による部分も大きかったように思います。
【おまけ】
失敗にめげなかった経済人としては、三井物産元社長の故・八尋俊邦氏もよく知られています。
取引で大失敗して、管理職から平社員まで降格。が、その後めげずにリベンジを果たしてトップまで上り詰めることになったとか。
氏の座右の銘は「ねあか、のびのび、へこたれず」。こういう余裕が這い上がる時の力になるのかもしれませんね。
※ご意見・感想等がございましたら、是非こちらまで。