自然科学・芸術に精通した万能の芸術家
レオナルド・ダ・ビンチは、1452年にイタリアのビンチ村に生まれた。レオナルド・ダ・ビンチとは、ビンチ村のレオナルド、という意味。1466年にフィレンツェに出て絵画や彫刻を学んた。師の名はベェロッキオ。レオナルドは助手として、師の「コレオーニ将軍騎馬像」という作品の製作に参加した後、「受胎告知」、「ブノアの聖母」という作品を製作した。
ちなみに、この頃、世間では、男色が流行ったようで、レオナルドの工房でもやはりその色が強かったようだ。一応、法律では禁止されているのだが。で、レオナルドは、すごい美男子で、結構もてたらしい。その関係で、彼は2回も告発されたとか。師のベェロッキオも彼をモデルにして彫刻「ダヴィデ」という作品を製作している。
1482年に、ミラノに赴き、ドビコ・スフォルツァに仕え、1499年まで滞在。有名な「最後の晩餐」を描いたのもこの時期。ちなみに、この作品を完成させるのに3,4年かかった。画家の大変さがわかる。画家、というより、芸術家と言ったほうがいいかもしれないが。
1500年からは、フィレンツェに戻り、有名なチェーザレ・ボルジアに仕えている。彼については、塩野七海さんが書かれていた。マキャベリとも親交があったそうだ。その関係か、法王軍の、軍事総監督に就任していた。そこでは、画家としてのほかに、科学者としての才能を発揮し、軍事や土木事業に貢献している。また、この時期に「聖アンナと聖母子」や「モナ・リザ」を製作している。モナ・リザの製作には7,8年かかっている。大事業とはこのようなものなのだろう。改めて感服する。
その後、フランスのフランソワ1世に招かれ、フランスのアンボアーズに行く。そこで、建築などに従事し、2年後、没した。
というのが、レオナルド・ダ・ビンチの一生だ。
ここからは、レオナルドの残した言葉を紹介していく。
・「執拗な努力よ、宿命の努力よ」:天才と言われるレオナルドだが、その才能の裏には、やはり想像を絶する努力があったようだ。才能の裏に努力あり。これは普遍の真実だろう。天才と言われた元読売巨人軍の長嶋茂雄氏が、自宅では練習ばかりしていたのは有名である。
・「食欲がないのに食べるのが害であるように、欲望のない勉強は記憶を伴わない」:学生としては、考えさせられる言葉だ。もちろん、学生だけでなく、全ての人に言えることなのだろうが。やる気をもって勉強しなきゃダメってことか。
・「師をしのがない弟子はやくざ者である」:これも学生にとっては耳が痛い。先生はもちろん、親や上司もしのぐようになるよう心がけなければいけない、ということだろう。日々勉強、ってことだろうか。
・「やたらたくさんのものを求める者が貧乏である」:昔の中国の偉い人が「どんなに富貴を得ても食べられるのは一人前、寝るときも一人分の場所しかとらない、だから富貴をいたずらに追い求めるのは愚かなことだ」と言っていたが、そうなのかもしれない。大切なものを失ってまでお金を追い求めるのは、順序が違うような気がしないでもない。最近は知らないが、昔は、地位や名誉、お金に恬淡としていた大物が多い。
・「肉欲を抑制できないものは、ケダモノだ」:最近、こういう人がよく目立つ。某大学も一部のケダモノのせいで名を落としてしまった。
・「画家は万能でなければ賞賛に値しない」:芸術家の厳しさか。もっとも、どのような分野の人間でも「専門バカ」では困るだろうが
・「あらゆる自然の行動は、最短距離的に行われる」:自然は常に合理的。彼もまた、この境地を目指していたのかもしれない。
・「太陽は動かない」:隠された意図があるのだろうか。
レオナルドは、科学者として、いろいろなものを考案してきた。兵器では、殺人荷馬車(三国志に出てくる戦車みたいなもの。馬がリヤカーを引いているような感じ)、クロスボウ、戦車(人力)、マシンガンなど。普通の機械では、ヘリコプターやパラシュート、自動車、自動織機、時計など。人体の解剖図を描いたりもしている。そのほかにも、天文学や数学、生物学、植物学、建築学など、自然科学のあらゆる分野に精通していたそうだ。ちなみに、彼の描いた解剖図は、今でも教科書に出ているのだとか。
モナ・リザ
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最後の晩餐
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日本でレオナルド・ダ・ビンチに似ている人物と言えば、平賀源内が挙げられる。源内はエレキテルの発明で知られているが、他にも、戯作、俳句、羊毛、陶器作り、植物学などなど、様々な分野で業績を残している。しかし、彼の業績は、ほとんどが時代を先取りしすぎていて、認められることはあまりなかった。しかし、レオナルドは、幸いにも理解者を得ることができたため、多くのものを世に出すことができた。これには、ルネサンスという、自由な雰囲気の中で、スポンサーという、お互い自由な立場の下で活動できたからかもしれない。源内は武士だったので、封建社会の中で活動せざるを得なかったのである。
ちなみに、同じ時期に、ミケランジェロが出ている。「ダヴィデ像」で有名な芸術家だ。この二人、実は一度、相対する壁に絵を描いて競う機会があったのだが、結局、ミケランジェロがスポンサーの招きに応じて未完のまま去ってしまったので、決着はつかなかった。また、彫刻を重視するミケランジェロはレオナルドの絵を「下男でもかける」と言い、レオナルドは、「絵画論」という本を書いて、「絵画は彫刻や文学や音楽にも勝る最高の芸術だ」と言っている。
ともあれ、レオナルド・ダ・ビンチの作品も、ミケランジェロの作品も、彼らが活躍した時代から500年ほど経った今もなお人気を博していることは確かである。